孤独の歌(5つ)
公開 2023/09/04 00:28
最終更新
2023/09/05 00:38
げにや寒竈に煙絶えて
春の日いとど暮らし難し
幽室に燈灯消えて
秋の夜なほ長し
家貧にしては信智少なく
身賎しうしては故人疎し
親しき人だにも疎くなれば
よそ人はいかで訪ふべき
さなきだに狭き世に
さなきだに狭き世に
隠れ住む身の、山深み
さらば心のありもせで
なほ道狭き埋もれ草
露いつまでの身ならまし
露いつまでの身ならまし
「火の消えた竈はしんしんと、春の永日を語らう人もなく。静まり返った部屋に灯りは絶えて、秋の長夜はまだ明けない。貧しい家ゆえ頼れる人も少なく、落ちぶれて親族とも疎遠になってしまった。血縁でさえ疎遠なのだから、なおさらよその人など訪れるわけもない。この狭い世の中だというのに…。山深く隠れ住む世捨て人の心持ちなら、孤独に苛まれはしないだろうに。訪う人もない千種に埋もれた細道の、草に置く露のような我が身…いったいいつまで永らえるのか。露のように消えてしまいたい…。」
***
年々に、人こそ古りてなき世なれ
色も香も、変わらぬ宿の花盛り
変わらぬ宿の花盛り
誰が見はやさんとばかりに
まためぐり来て小車の
我とうき世に有明の
尽きぬや恨みなるらん
よしそれとても春の夜の
夢の内なる夢なれや
夢の内なる夢なれや
「年月がふりつもれば人も歳を取り、いずれ消えゆく世の中だというのに。庭の桜は色香も衰えぬ花盛り…またどなたか見物に来られたのか、表から牛車の音が聞こえる。
もしやあの方が来られたのでは…と年甲斐もなく無為な期待をしてはまた消沈し、ぐるぐると同じことを繰り返して。私も世の中も、みんな同じね。性懲りもなく想いを懸けて、つれない人への恨みは尽きることがない…あぁ、未練がましいったら。
…でもまぁ…どうせ恋も人の一生も、短い春の夜の、それも夢の中で見る夢みたいなものなのだから。夢の中で見る夢みたいに儚いものなのだから。」
***
磯山に、暫し岩根の松ほどに
暫し岩根の松ほどに
誰が夜舟とは白波に
舵音ばかり鳴門の
浦静かなる今夜かな
浦静かなる今夜かな
「磯山の岩に根を張る松の根元で静かに待っていると、誰が呼んだのか夜舟の舵の音がぎぃ、ぎぃ…と白波を分けて近づいてくる。ただ舵の音のみ高く低く、波も静かな鳴門の夜よ。波も静かな鳴門の夜よ。」
***
棹の歌、歌ううき世の一節を
歌ううき世の一節を
夕波千鳥の声添へて友呼びかはす海人乙女
恨みぞまさる室君の
ゆく舟や慕ふらん
朝妻舟とやらんは
それは近江の海なれや
我も尋ね尋ねて
恋しき人に近江の
海山も隔てたるや
味気なや浮舟の
棹の歌を歌はん
水馴れ歌歌はん
「棹やる舟歌をひとつ、憂き世の一節を。夕暮れの海に浜千鳥の声を添えて、友と仲良く言葉を交わす海人乙女たち。室君の舟へ慕わしく呼びかける声を、舟の女がどんな思いで聞いているかも知らないで…その舟が何の舟とも知らないでなぁ。朝妻舟てぇのは近江の舟だろうよ。俺も恋しい人の行方を尋ね歩いて、ようやく辿りついたその人は既に近江の舟の女だった…虚しい憂き世を渡る舟の、棹やる舟歌を歌おう。辛い憂き世を漕ぐ歌を歌おう。」
─────
※室君…室津の舟遊女(舟で客を取る遊女)
※朝妻舟…朝妻の舟遊女の舟/近江は歓楽街としてら有名だったそうな
※伊勢物語 われにあふみ
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12773
***
影恥づかしき我が姿
影恥づかしき我が姿
忍び車を引く潮の
跡に残れる溜り水
いつまで澄み果つべき
野中の草の露ならば
日影に消え失すべきに
これは磯辺に寄り藻掻く
海人の捨草いたづらに
朽ちまさりゆく袂かな
「変わり果てたこの姿…。人目を忍んで引く潮汲車の、轍の跡に残る溜まる水もいつかは濁り腐るでしょう。私とて同じこと…いつまでヒトの形を保てるか。野の草に置く露だったなら、日が昇る頃には消えてしまえるのに。海人が打ち捨てた藻屑のように…妄執に囚われたこの身は消えることも出来ず、苦しみもがきながら腐り果てていくのだわ…。」
──────
在原行平殿と関係を持った海人姉妹の亡霊の歌らしいです。
行平殿は伊勢物語では↓の段のように不憫キャラですが、謡曲ではどんなキャラなのでしょう。不勉強で存じ上げませんが…。江戸時代にはこの姉妹との関係を下ネタ川柳にされてるので、やっぱり不憫キャラなのでしょうか
〇あやしき藤の花
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12829
〇布引の滝
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12780
〇芹河の行幸
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12866
春の日いとど暮らし難し
幽室に燈灯消えて
秋の夜なほ長し
家貧にしては信智少なく
身賎しうしては故人疎し
親しき人だにも疎くなれば
よそ人はいかで訪ふべき
さなきだに狭き世に
さなきだに狭き世に
隠れ住む身の、山深み
さらば心のありもせで
なほ道狭き埋もれ草
露いつまでの身ならまし
露いつまでの身ならまし
「火の消えた竈はしんしんと、春の永日を語らう人もなく。静まり返った部屋に灯りは絶えて、秋の長夜はまだ明けない。貧しい家ゆえ頼れる人も少なく、落ちぶれて親族とも疎遠になってしまった。血縁でさえ疎遠なのだから、なおさらよその人など訪れるわけもない。この狭い世の中だというのに…。山深く隠れ住む世捨て人の心持ちなら、孤独に苛まれはしないだろうに。訪う人もない千種に埋もれた細道の、草に置く露のような我が身…いったいいつまで永らえるのか。露のように消えてしまいたい…。」
***
年々に、人こそ古りてなき世なれ
色も香も、変わらぬ宿の花盛り
変わらぬ宿の花盛り
誰が見はやさんとばかりに
まためぐり来て小車の
我とうき世に有明の
尽きぬや恨みなるらん
よしそれとても春の夜の
夢の内なる夢なれや
夢の内なる夢なれや
「年月がふりつもれば人も歳を取り、いずれ消えゆく世の中だというのに。庭の桜は色香も衰えぬ花盛り…またどなたか見物に来られたのか、表から牛車の音が聞こえる。
もしやあの方が来られたのでは…と年甲斐もなく無為な期待をしてはまた消沈し、ぐるぐると同じことを繰り返して。私も世の中も、みんな同じね。性懲りもなく想いを懸けて、つれない人への恨みは尽きることがない…あぁ、未練がましいったら。
…でもまぁ…どうせ恋も人の一生も、短い春の夜の、それも夢の中で見る夢みたいなものなのだから。夢の中で見る夢みたいに儚いものなのだから。」
***
磯山に、暫し岩根の松ほどに
暫し岩根の松ほどに
誰が夜舟とは白波に
舵音ばかり鳴門の
浦静かなる今夜かな
浦静かなる今夜かな
「磯山の岩に根を張る松の根元で静かに待っていると、誰が呼んだのか夜舟の舵の音がぎぃ、ぎぃ…と白波を分けて近づいてくる。ただ舵の音のみ高く低く、波も静かな鳴門の夜よ。波も静かな鳴門の夜よ。」
***
棹の歌、歌ううき世の一節を
歌ううき世の一節を
夕波千鳥の声添へて友呼びかはす海人乙女
恨みぞまさる室君の
ゆく舟や慕ふらん
朝妻舟とやらんは
それは近江の海なれや
我も尋ね尋ねて
恋しき人に近江の
海山も隔てたるや
味気なや浮舟の
棹の歌を歌はん
水馴れ歌歌はん
「棹やる舟歌をひとつ、憂き世の一節を。夕暮れの海に浜千鳥の声を添えて、友と仲良く言葉を交わす海人乙女たち。室君の舟へ慕わしく呼びかける声を、舟の女がどんな思いで聞いているかも知らないで…その舟が何の舟とも知らないでなぁ。朝妻舟てぇのは近江の舟だろうよ。俺も恋しい人の行方を尋ね歩いて、ようやく辿りついたその人は既に近江の舟の女だった…虚しい憂き世を渡る舟の、棹やる舟歌を歌おう。辛い憂き世を漕ぐ歌を歌おう。」
─────
※室君…室津の舟遊女(舟で客を取る遊女)
※朝妻舟…朝妻の舟遊女の舟/近江は歓楽街としてら有名だったそうな
※伊勢物語 われにあふみ
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12773
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影恥づかしき我が姿
影恥づかしき我が姿
忍び車を引く潮の
跡に残れる溜り水
いつまで澄み果つべき
野中の草の露ならば
日影に消え失すべきに
これは磯辺に寄り藻掻く
海人の捨草いたづらに
朽ちまさりゆく袂かな
「変わり果てたこの姿…。人目を忍んで引く潮汲車の、轍の跡に残る溜まる水もいつかは濁り腐るでしょう。私とて同じこと…いつまでヒトの形を保てるか。野の草に置く露だったなら、日が昇る頃には消えてしまえるのに。海人が打ち捨てた藻屑のように…妄執に囚われたこの身は消えることも出来ず、苦しみもがきながら腐り果てていくのだわ…。」
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在原行平殿と関係を持った海人姉妹の亡霊の歌らしいです。
行平殿は伊勢物語では↓の段のように不憫キャラですが、謡曲ではどんなキャラなのでしょう。不勉強で存じ上げませんが…。江戸時代にはこの姉妹との関係を下ネタ川柳にされてるので、やっぱり不憫キャラなのでしょうか
〇あやしき藤の花
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12829
〇布引の滝
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12780
〇芹河の行幸
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12866
