根南志具佐(茸) 二之巻
公開 2026/02/03 00:01
最終更新
2026/02/14 10:05
そもそも芝居のはじまりを紐解いてみれば、地神五代の始めまで遡る。そのころ日の本は高天原から天下りたもうた天照大御神が治めておられたが、御弟君・素戔嗚尊は甚だおきゃんな御生まれ付きにてましませば、何をやるにも斜め上、さまざまな道楽をなし給う。天照大御神はこれを憂いて「あの通りのアンポンタンでは行末が心許ない」とあれこれ御弟君にご意見なさるが「まーたいつものお説教かよ。マジ勘弁ッピ⭐︎」などと言ってお聴き入れにならず、次第に悪さも磨きが掛かってきたものだから、とうとう堪忍袋の緒が切れた天照大御神は天の岩屋にお入りになり磐戸をピッタリ閉じてしまわれた。
さあそうなると世の中は隅から隅まで真っ暗闇に包まれて、昼も夜もなくなってしまった。初めのうちは行燈や提灯を灯して太陽の代わりにしていたが、何分あちこちの家々で昼も夜もなく灯し続けるものだからあっという間に蝋燭・灯明油はストック切れ、次第に値段は高天原という具合。神の力を以てしても自由にならぬは金銀なれば、中層以下の家々では提灯を灯すこともできない。そうなると馬子の神や車引きの神などは無灯火で馬を遣り荷車を引くものだから、あらぬところへ車を引っ掛け蹄で蹴倒し、やいテメェこの野郎!と神の鉄槌とばかり小突き合い、神の鉄爪とばかり掴み合い…町々、小路小路で喧嘩の絶える暇もない。しかしこの真っ暗闇では闇夜の盲打ち。やりあった相手が誰ともわからず、御公儀へ訴え出ても暗闇に黒猫が寝ているように何が何やら是非もつかないので「とにかく世の中が明るくなるまでは…」と名主の神や大家の神へ一旦お預けとなった。
さてまた世間の付き合いなどは、粗末な着物でもわかりゃしないので始末は良いが、一方で「いついつにお会いしましょう」などという約束も文字通り闇夜の鉄砲でアテにならず、物を洗っても火であぶる他に乾かす手立てもないので士農工商の神々も仕事にならない。中でも遊郭のような夜のお仕事は、常に真っ暗では営業時間も何もあったもんじゃない。今日が何月何日という区切りもなければ、紋日だ桜フェアだ燈籠フェアだと通常であれば大盛り上がりのイベント事も有耶無耶になってしまった。初めのうちは「こういう静かなのも、却ってしっぽりしてて良いよ」などと言って通ってくる客も多かったが、暗闇が長引くにつれ物の値段は上がる、あちこちで喧嘩が起こる、経済は滞る…次第に世の中が喧しくなるにつれ遊ぶ者もなく、太夫や格子といった高級・中級遊女からお手頃な散茶、さらに格安で遊べる河岸女郎に至るまで、あれほど大勢いた馴染みの客もさながら「科戸の風の天の八重雲を吹き放つのごとく、茂木が元を焼き鎌の敏鎌をもって打ち掃ふことのごとく」言問う者もいなくなってしまった。これには忘八(オーナー)夫婦も頭痛八百。遣手や若い者を呼び寄せ「こりゃまぁ、どうしたもんか…」と四人で額に皺を寄せ、八つの耳を振り立てて、あーでもないこーでもないと話し合ったが詮もなく。口に色々の噂をすれども、目に諸々の客を見ずというお手上げ状態。客のツケが溜まっている茶屋や船宿はお客が来ないから「払いたまえ、清めたまえ」と縋る相手もなく、もらった紙花(チップの手形)が不渡りになった幇間は「坎艮・震『損』(かんごんしんそん)の罫に当たった」と悔やみ言。そのほか上下押し並べて「こりゃ都合がいい」と常闇を歓迎するのはただネズミと朝寝好きのプー太郎より他になし。
これでは世間がひっちゃかめっちゃかになって堪るまいと八百万の神が天の安河のほとりに集まって色々詮議したが、大して効果がありそうな案もなく、誰かが「石屋に入札させて、天の岩屋を切り開こう」と言えば「いやいや…そんなことをして怒った天照大御神様がどこかへ飛んで行ってしまったら更に厄介なことになりますよ」と評議はなかなか結論が出ない。と、そんな中、近松姓の祖である思兼尊が進み出て「ちょっとやそっとのことでは天照大御神様のご機嫌は治らないでしょう。しかし天照大御神様は無類の芝居好き。岩屋の前で芝居を始めれば、必ず岩戸をお開きになるでしょう」と鶴の一声。皆々「なるほど、至極ごもっとも。これは確かに当たりそうな趣向だ」と頷き合い、さっそく役者のキャスティングを始めた。
「まずはビシッと決まった角かつら、切った張ったの大立ち回り、勇猛果敢な主人公を演じる当座のスター・手力雄命。優美な踊りと陰のあるイケメン役でロマンス物を演じるは天児屋命。手強い敵役には太玉命。そして皆様ご存知、名高き黒極上々吉(実力派ナンバーワン)!妙齢の女性から少女・遊女・男の娘、唄に踊り、何でもござれの若女形・天鈿女命。その他お馴染みの役者から今年デビューの新人まで座中総出、物語が始まる第一番から最終回の第四番までまるっと全てお見せします!!」との張り紙が出されると、明日が顔見せと聞いたファンが山のように詰めかけた。
芝居小屋の中から茶屋の門々にはそれぞれ贔屓の常紋がついた提灯が星のように瞬き、舞台は天香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を植えて飾り立て、常世の長鳴鳥を吸い物にしてグッと煽れば、常闇の世もパッと明けたような晴れ心地。勢いづいた神々は小屋の門に景気付けの酒樽や俵などを山と積み上げ、天神組・地神組と左右に分かれて花を飾り贅を尽くして盛り上げる。
さて常闇なればいつ明けたか知らないが、ともかく開演時間になると芝居小屋の木戸口に客が押し寄せドヤドヤモヤモヤ、錐を立てる隙間もない。「誠に天地開闢以来こんな大がかりな公演はありませんよ」と芝居を知る者も知らぬ者も、老いも若きも、芝居小屋は一目見たいと黒山の人だかり。
さて顔見せは縁起を担ぐ三番叟が終わり、お定まりの舞台挨拶も済めば、いよいよ開演「天浮橋瓊矛日記(あまのうきはしさかほこにっき)」。第一番より段々演技に熱が入り、お次は第三番。天児屋命演じる馭慮丸(おのころまる)…本名・伊弉諾尊は、天鈿女命演じる傾城・浮橋…本名・伊弉冉尊に入れ上げ、積もり積もった揚げ代三百両の代わりに天瓊矛(あまのさかほこ)を司法機関に押収されてしまう。連行された二人は太玉命演じる検使・大戸之道尊(おほとのぢのみこと)の取り調べを受けることに…。大戸之道尊(おほとのぢのみこと)の前で裾を開き、各々の『瓊矛』を詮議される伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)。責め立てる検使の取り調べるの厳しさ、恥じらいながら屈辱に耐える二人の切なげな顔…見物の客たちも感に堪えかね、「イヨッ!俺の鈿女ちゃん!」「イヨッ!児屋様!」「キャー!太玉様ァ!」など桟敷からも下からも歓声が鳴り止まない。この騒ぎを磐戸の向こうで聞いていた天照大御神、やはり根っこは芝居好き。堪らず御手で磐戸にかけて薄ーーーく開いてそっと外を窺き見た。
「…今だ!」
素早く舞台を飛び降りた三神は磐戸を開けんとガッと引っ掴む。はっと気づいた天照大御神もがっしと磐戸を引っ張り返す。 えいやえいやと磐戸を掴んであっちとこっち、引っ張り合うが引っぱり勝負は決着がつかない。と、そのとき大向こうの切幕から「暫く…暫く…!」と掛け声がかかった。「今わたくしが磐戸を開けよう、いやさせぬと争うているところへ『暫く』と留めて出たは何者なるぞ」と天照大御神の麗しいお声が終わらぬうちに、…カタカタカタッ!と高く拍子木の音。『大薩摩』尊の浄瑠璃とともにサッと切幕上がり、現れたのは柿色の素袍に大太刀を佩き、團十郎流の隈取りをした男。
鬼か!?
「いんにゃ、」
神か!?
「ムム、えぇい!手力雄尊だモサァ!!」
満を持して登場、手力雄尊。手前味噌をこってり八百万も『ツラネ』上げ、つかつかつかと進み出でる。そして三柱を以ってしても山の如く動かぬ磐戸を一掴みするや、「むんっ!」と言う間に何の苦もなく摘み砕き、天照大御神を天の岩屋から引き出し奉る。中臣神(なかとみのかま)と忌部神(いむべのかみ)が端出之縄(しりくめなわ)を引き渡し、日の神が再びお出ましになった。こうして世界は昔のように明るくなり、人々の面も白々と見えたという。この故事から芝居を見て『面白い』(・・・)というようになったのである。
さてまた同じく神代には山幸彦こと彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)が興行主となり、兄の海幸彦こと火酢芹命(ほのすそりのみこと)が芝居興行を行った。しかし先立つモノのない貧乏劇団。赭(そぼに)という赤土を手に塗り顔に塗り見得を切ったが、客は一向に入らず小屋には閑古鳥が鳴く有り様で興行の仕事もポシャってしまった。また翰林葫蘆集(かんりんころしゅう)などを考えてみると、古の芝居は「神楽」とも言ったが、神楽の「神」の字の真ん中に聖徳太子が墨打ちし、秦河勝にノコギリで挽き割らせて、これを名付けて「申楽(さるがく)」という。それを後の世の人が「申」の字の首と尻尾をぶった切って「田楽」と呼び、当時はこれがあちこちで行われた。その後は田の字の囲みをとって「十楽」などと名付けられそうなものだが、永楽のころ出雲阿国という別嬪が近江の名古屋三左衛門とかいう色男と夫婦になり、歌舞伎と名前を変えて現代に通ずる新しい芝居を生み出した。それから千変万化に移り変わり、江戸は江戸風、京は京風と別れ、「物の名も所によりて変わるなり、難波の蘆は伊勢の浜萩」の諺通り。難波で生まれた浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑は、伊勢の古市から名古屋の若宮八幡へ渡って大成功し、安芸の宮島、備中は吉備津神社の門前町から讃岐の金毘羅さんの門前町、下総の銚子にまで行き渡らぬところもなく、三ちゃいのちびっこも團十郎といえばキッと睨むものと心得、犬をいじめるクソガキもグニャグニャ品をつくるは若女形の冨十郎だと知っている。されば泰平の世の暇つぶし、人を和ます道にして、「王が流行曲を好んで何の問題がありましょう。王が民草と楽しさを分かち合えば、自から民草の心も王に集まり国もよく治りましょう」と孟子の言うように世俗の楽もまた捨てたものではない。捨てたものではないが…松平出羽守や溝口出雲守のようなバカ殿…ンンッ!…貴いお生まれの方々が自ら芝居の業を学び、烏帽子の緒を掛けるべき顔を紅白粉で塗り汚し、国家運営の舵取りを談じるべき口からセリフを吐いて悦に入るなんぞちゃんちゃら可笑しいことである。ある愚か者は「私は死んだらカオツに生まれ変わりたい」と言うので、傍でこれを聞いていた人が「どうしてまたカツオになりたいんです?」と聞くと、「だってカツオは美味いじゃないですか」と答えたとか。それと同じである。カツオだって食えばこそ美味いのだ、自分がカツオになって人に食われては何が美味いものか。芝居も役者に演じさせて見るのは良いが、自分が演じたところで面白くもないだろう。しかし子曰く「楽しみはまた其の中に有馬筆」…そんなつまらんことに彼らは楽しみを見出しているのである。浄瑠璃や芝居に耽溺して明け暮らすお偉方は、己の胸に手を置いて今一度、己のバカさ加減を自覚するべきである。
曾子(そうし)は飴を見て「年寄りに食わせたら喜ぶだろうな」と思い、盗人はこれを見て「鍵穴に入れりゃ型が取れそうだ」と思う。下戸は萩を見てぼた餅を頭に浮かべて生唾を飲み込み、歯なしは浅漬けを見てワサビおろしがあったかいなと顎をさする。それもこれも各々が好むところへ心が引っ張られるためである。好きこそ物の上手なれとの諺通り、親を愛する者は孝行者の名を上げ、主人を敬愛する者は忠臣の名を残す。こう言う「好き!」はどれだけ積み重ねても苦にならないが、好きだからと欲望のままに突っ走っておじゃんにしてしまうこともままある。食べ物は体を養うために欠かせないが、食べ過ぎて命を損なうこともある。酒は憂さを払うというが、体を壊すほど飲んでは飲まぬより深く憂うことになる。火事が怖いと一日も火を焚かねば住み留まることもできない浮世なれば、兎にも角にも益になるか害になるかは「どう使うか」次第だと知るべきである。芝居も勧善懲悪の心で見るときには教えともなり戒めともなろうが、これに溺れると大抵碌なことにならない。あるいはまた推し役者の紋を入れた櫛・笄を髪に挿す妻と、それをデレデレ涎を垂らして見ている亭主…なんてのを見ていると「白髪三千丈、愁いによりてかくのごとく長し」と詠んだ李白も「バカ亭主の鼻毛三千丈、たわけによってかくのごとく長し」と詩に作りそうである。そういうお大尽は世の中に結構いる。
さてまた役者も昔は名人が多かったが、寄る年波の引き道具には拍子木の合図もいらず、そろそろあの世へ迫り出し道具。名人たちが立つ場所を蓮の臺へ早替わりしてより、堺町・ふきや町・木挽町の三大芝居町の舞台に大スターの影はなく、まるで芝居は骨がすっぽり抜けたよう。市川海老蔵、助高屋高助を始めとする名人たちの名を虚しく標の石に記してより、また名人と呼ばれる役者が出てこないのは一体どういう訳だろう。それはつまり諸芸押し並べて昔の名人に劣るのは、最近の役者は意気地がなく、小賢しい上に大馬鹿者だからである。昔の役者は師匠に張り付いて熱心にその業を学び、寝ても覚めても演技に心を配り、一筋に励むことで名を上げる者が多かった。ところが近年の役者ときたら、師匠と仰ぐもただ苗字を貰いたいがため。下っ端僧都が山上参りをして偉くなった気になるようにプライドと給金ばかり高くなり、修行すべき芸は学ばず、兎に角女性ファンにキャーキャー言われることを第一とし、目上の人をも見下して、流行りのスタイルに乗っかっときゃいいとだけ心得て、原作者の意向もまるで無視。そういう役者はたとえひととき人気を博して大評判になったとしても、あっという間に人気は衰え過去の人になってしまう。その疾きこと鉄砲の玉に帆をかけたるがごとし。これはみな芝居に掛ける熱意が足りないためである。
今は昔、澤村小伝次という若女形が河内国は藤井寺のご開帳へ参ったときのことである。藤井寺の近く、小山というところへ宿を取ったところ、小伝次は青白い顔でこめかみを押さえて「一日駕籠に揺られていたせいか血の道が…」と言いだした。これには連れの役者仲間・竹中半三郎、小松才三郎、尾上源太郎が「いくら女形だからって、男のクセに血の道ってお前」と腹を抱えてゲラゲラ笑ったが、その場に居合わせた井原西鶴は大いに感じ入り「幼い頃から見た目も言葉遣いも女のようになろうと日々嗜んでいたから、仮初の頭痛も血の道と思ったんやろ。まあまあ、可愛らしいこっちゃ」と言ったとか。実にその業一筋に勤める者は皆々こうありたいものである。その理屈で言えば敵役は常に人をいじめ、あるいは芝居でやるような悪巧みをし、日に二、三度は本当に殺さてみろと屁理屈をこねるべきだがこれはまたそういうことではない。悪いことはすぐ真似できる。たとえ芝居でなくても、悪人になることは造作もないことである。しかし善良な人間になるには努力しなければなれない。殊に男の体を女に見せることは、至って心を配り気をつけなければ上手くいかない。そう考えれば小伝次の嗜みは、実に感心なことではなかろうか。最近の女形は舞台に出ている時はたおやかに見えるが、普段の振る舞いは今日も明後日も鮫鞘の大脇差を帯にぶっ差し、腕まくりして茶碗で酒をかっ食い、見境なくナオンの尻を追っかけ回し、「あの女はどうだった、その女はあぁだった」と聞くに堪えない下卑た話をゲラゲラと…。舞台で見たときの姿とは、お月様と菱餅、下駄と人魂ほど違っている。これではたとえ一時評価が上がっても、名人と呼ばれる役者になるのはとてもじゃないが難しいのではなかろうか。
さてそんな有象無象が入り混じるドブの中にも、蓮葉(はちすば)の濁りに染まぬ玉の姿…瀬川菊之丞と呼ばれる若女形がいた。この菊之丞、先代の実生(実子)ではなく八王子の土の中から掘り出した分け根(養子)であったが、二葉の頃から「この子はただの土手の野菊ではない」と評判は高作り、器量は他に並び夏菊ともて囃され、今や京・大坂・江戸の三都でもこの歳にしてこの芸なしと、もっぱら評価の将来を嘱望される若者である。
折しも水無月の十日あまり。その年は降り続いた梅雨の長雨が俄かに照り上がり、迎えた夏は例年よりも厳しい暑さであった。おまけに風見のカラスは釘を打たれたように微動だにせず、草は絵に描いたようにソヨとも動かず。道ゆく人はこのまま汗になって消えちまいそうだと嘆き、暑さに喘ぐ犬の舌は溶けて落ちるんじゃないかと疑うほど。誰も彼もどうにか暑さを避けることばかりを考えていた。
さて菊之丞もまた自宅で蒸し暑さに苦しんでいたところ、同じ若女形である荻野八重桐が訪ねてきた。二人は同じ市村座に勤め、共に紫ぼうしを戴く『ゆかり』の仲であるから互いに遠慮することもない。三保の松原の天女よろしく夏衣をはらりと脱いで、松の枝ならぬ衣紋掛けへ。気楽に寛いで座ると、さっそく後ろからそよそよと扇の風が…菊之丞の妻の心遣いである。客あしらいに慣れた妻は冷たい葛水でもてなし、菊之丞も八重桐もほっと人心地ついたのであった。そうしてひとつふたつ世間話などして…半ばは暑さの噂であったけれど…ふと八重桐が「特に今年は暑さが厳しゅうござんすから、涼み船がこれまでにないほど賑わっておりますよ。幸い今ちょうど芝居もお休みですし、一緒に船遊びでもいかがです?」と切り出した。菊之丞も顔を綻ばせ、「私も前々から行きたい、行きたいと思っていたんですけれど、なかなか忙しくて行けなかったんですよ。それじゃあ一日船に乗って遊ぼうじゃありませんか」と。「それじゃ他の人もお誘いしましょう。」「しかしあんまり大勢じゃあ騒々しいから…」ということで、今度の十五日に船遊びしませんか?と同座の鎌倉平九郎、女形の中村与三八などへお誘いの使いを立てたところ皆「オッケー」との返事。いよいよ十五日の早朝と日取りを決めて、船の中での飲み食いの支度など細々と取り決めつつ、八重桐は自宅へと帰っていったのであった。
根南志具佐 二之巻 終
さあそうなると世の中は隅から隅まで真っ暗闇に包まれて、昼も夜もなくなってしまった。初めのうちは行燈や提灯を灯して太陽の代わりにしていたが、何分あちこちの家々で昼も夜もなく灯し続けるものだからあっという間に蝋燭・灯明油はストック切れ、次第に値段は高天原という具合。神の力を以てしても自由にならぬは金銀なれば、中層以下の家々では提灯を灯すこともできない。そうなると馬子の神や車引きの神などは無灯火で馬を遣り荷車を引くものだから、あらぬところへ車を引っ掛け蹄で蹴倒し、やいテメェこの野郎!と神の鉄槌とばかり小突き合い、神の鉄爪とばかり掴み合い…町々、小路小路で喧嘩の絶える暇もない。しかしこの真っ暗闇では闇夜の盲打ち。やりあった相手が誰ともわからず、御公儀へ訴え出ても暗闇に黒猫が寝ているように何が何やら是非もつかないので「とにかく世の中が明るくなるまでは…」と名主の神や大家の神へ一旦お預けとなった。
さてまた世間の付き合いなどは、粗末な着物でもわかりゃしないので始末は良いが、一方で「いついつにお会いしましょう」などという約束も文字通り闇夜の鉄砲でアテにならず、物を洗っても火であぶる他に乾かす手立てもないので士農工商の神々も仕事にならない。中でも遊郭のような夜のお仕事は、常に真っ暗では営業時間も何もあったもんじゃない。今日が何月何日という区切りもなければ、紋日だ桜フェアだ燈籠フェアだと通常であれば大盛り上がりのイベント事も有耶無耶になってしまった。初めのうちは「こういう静かなのも、却ってしっぽりしてて良いよ」などと言って通ってくる客も多かったが、暗闇が長引くにつれ物の値段は上がる、あちこちで喧嘩が起こる、経済は滞る…次第に世の中が喧しくなるにつれ遊ぶ者もなく、太夫や格子といった高級・中級遊女からお手頃な散茶、さらに格安で遊べる河岸女郎に至るまで、あれほど大勢いた馴染みの客もさながら「科戸の風の天の八重雲を吹き放つのごとく、茂木が元を焼き鎌の敏鎌をもって打ち掃ふことのごとく」言問う者もいなくなってしまった。これには忘八(オーナー)夫婦も頭痛八百。遣手や若い者を呼び寄せ「こりゃまぁ、どうしたもんか…」と四人で額に皺を寄せ、八つの耳を振り立てて、あーでもないこーでもないと話し合ったが詮もなく。口に色々の噂をすれども、目に諸々の客を見ずというお手上げ状態。客のツケが溜まっている茶屋や船宿はお客が来ないから「払いたまえ、清めたまえ」と縋る相手もなく、もらった紙花(チップの手形)が不渡りになった幇間は「坎艮・震『損』(かんごんしんそん)の罫に当たった」と悔やみ言。そのほか上下押し並べて「こりゃ都合がいい」と常闇を歓迎するのはただネズミと朝寝好きのプー太郎より他になし。
これでは世間がひっちゃかめっちゃかになって堪るまいと八百万の神が天の安河のほとりに集まって色々詮議したが、大して効果がありそうな案もなく、誰かが「石屋に入札させて、天の岩屋を切り開こう」と言えば「いやいや…そんなことをして怒った天照大御神様がどこかへ飛んで行ってしまったら更に厄介なことになりますよ」と評議はなかなか結論が出ない。と、そんな中、近松姓の祖である思兼尊が進み出て「ちょっとやそっとのことでは天照大御神様のご機嫌は治らないでしょう。しかし天照大御神様は無類の芝居好き。岩屋の前で芝居を始めれば、必ず岩戸をお開きになるでしょう」と鶴の一声。皆々「なるほど、至極ごもっとも。これは確かに当たりそうな趣向だ」と頷き合い、さっそく役者のキャスティングを始めた。
「まずはビシッと決まった角かつら、切った張ったの大立ち回り、勇猛果敢な主人公を演じる当座のスター・手力雄命。優美な踊りと陰のあるイケメン役でロマンス物を演じるは天児屋命。手強い敵役には太玉命。そして皆様ご存知、名高き黒極上々吉(実力派ナンバーワン)!妙齢の女性から少女・遊女・男の娘、唄に踊り、何でもござれの若女形・天鈿女命。その他お馴染みの役者から今年デビューの新人まで座中総出、物語が始まる第一番から最終回の第四番までまるっと全てお見せします!!」との張り紙が出されると、明日が顔見せと聞いたファンが山のように詰めかけた。
芝居小屋の中から茶屋の門々にはそれぞれ贔屓の常紋がついた提灯が星のように瞬き、舞台は天香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を植えて飾り立て、常世の長鳴鳥を吸い物にしてグッと煽れば、常闇の世もパッと明けたような晴れ心地。勢いづいた神々は小屋の門に景気付けの酒樽や俵などを山と積み上げ、天神組・地神組と左右に分かれて花を飾り贅を尽くして盛り上げる。
さて常闇なればいつ明けたか知らないが、ともかく開演時間になると芝居小屋の木戸口に客が押し寄せドヤドヤモヤモヤ、錐を立てる隙間もない。「誠に天地開闢以来こんな大がかりな公演はありませんよ」と芝居を知る者も知らぬ者も、老いも若きも、芝居小屋は一目見たいと黒山の人だかり。
さて顔見せは縁起を担ぐ三番叟が終わり、お定まりの舞台挨拶も済めば、いよいよ開演「天浮橋瓊矛日記(あまのうきはしさかほこにっき)」。第一番より段々演技に熱が入り、お次は第三番。天児屋命演じる馭慮丸(おのころまる)…本名・伊弉諾尊は、天鈿女命演じる傾城・浮橋…本名・伊弉冉尊に入れ上げ、積もり積もった揚げ代三百両の代わりに天瓊矛(あまのさかほこ)を司法機関に押収されてしまう。連行された二人は太玉命演じる検使・大戸之道尊(おほとのぢのみこと)の取り調べを受けることに…。大戸之道尊(おほとのぢのみこと)の前で裾を開き、各々の『瓊矛』を詮議される伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)。責め立てる検使の取り調べるの厳しさ、恥じらいながら屈辱に耐える二人の切なげな顔…見物の客たちも感に堪えかね、「イヨッ!俺の鈿女ちゃん!」「イヨッ!児屋様!」「キャー!太玉様ァ!」など桟敷からも下からも歓声が鳴り止まない。この騒ぎを磐戸の向こうで聞いていた天照大御神、やはり根っこは芝居好き。堪らず御手で磐戸にかけて薄ーーーく開いてそっと外を窺き見た。
「…今だ!」
素早く舞台を飛び降りた三神は磐戸を開けんとガッと引っ掴む。はっと気づいた天照大御神もがっしと磐戸を引っ張り返す。 えいやえいやと磐戸を掴んであっちとこっち、引っ張り合うが引っぱり勝負は決着がつかない。と、そのとき大向こうの切幕から「暫く…暫く…!」と掛け声がかかった。「今わたくしが磐戸を開けよう、いやさせぬと争うているところへ『暫く』と留めて出たは何者なるぞ」と天照大御神の麗しいお声が終わらぬうちに、…カタカタカタッ!と高く拍子木の音。『大薩摩』尊の浄瑠璃とともにサッと切幕上がり、現れたのは柿色の素袍に大太刀を佩き、團十郎流の隈取りをした男。
鬼か!?
「いんにゃ、」
神か!?
「ムム、えぇい!手力雄尊だモサァ!!」
満を持して登場、手力雄尊。手前味噌をこってり八百万も『ツラネ』上げ、つかつかつかと進み出でる。そして三柱を以ってしても山の如く動かぬ磐戸を一掴みするや、「むんっ!」と言う間に何の苦もなく摘み砕き、天照大御神を天の岩屋から引き出し奉る。中臣神(なかとみのかま)と忌部神(いむべのかみ)が端出之縄(しりくめなわ)を引き渡し、日の神が再びお出ましになった。こうして世界は昔のように明るくなり、人々の面も白々と見えたという。この故事から芝居を見て『面白い』(・・・)というようになったのである。
さてまた同じく神代には山幸彦こと彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)が興行主となり、兄の海幸彦こと火酢芹命(ほのすそりのみこと)が芝居興行を行った。しかし先立つモノのない貧乏劇団。赭(そぼに)という赤土を手に塗り顔に塗り見得を切ったが、客は一向に入らず小屋には閑古鳥が鳴く有り様で興行の仕事もポシャってしまった。また翰林葫蘆集(かんりんころしゅう)などを考えてみると、古の芝居は「神楽」とも言ったが、神楽の「神」の字の真ん中に聖徳太子が墨打ちし、秦河勝にノコギリで挽き割らせて、これを名付けて「申楽(さるがく)」という。それを後の世の人が「申」の字の首と尻尾をぶった切って「田楽」と呼び、当時はこれがあちこちで行われた。その後は田の字の囲みをとって「十楽」などと名付けられそうなものだが、永楽のころ出雲阿国という別嬪が近江の名古屋三左衛門とかいう色男と夫婦になり、歌舞伎と名前を変えて現代に通ずる新しい芝居を生み出した。それから千変万化に移り変わり、江戸は江戸風、京は京風と別れ、「物の名も所によりて変わるなり、難波の蘆は伊勢の浜萩」の諺通り。難波で生まれた浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑は、伊勢の古市から名古屋の若宮八幡へ渡って大成功し、安芸の宮島、備中は吉備津神社の門前町から讃岐の金毘羅さんの門前町、下総の銚子にまで行き渡らぬところもなく、三ちゃいのちびっこも團十郎といえばキッと睨むものと心得、犬をいじめるクソガキもグニャグニャ品をつくるは若女形の冨十郎だと知っている。されば泰平の世の暇つぶし、人を和ます道にして、「王が流行曲を好んで何の問題がありましょう。王が民草と楽しさを分かち合えば、自から民草の心も王に集まり国もよく治りましょう」と孟子の言うように世俗の楽もまた捨てたものではない。捨てたものではないが…松平出羽守や溝口出雲守のようなバカ殿…ンンッ!…貴いお生まれの方々が自ら芝居の業を学び、烏帽子の緒を掛けるべき顔を紅白粉で塗り汚し、国家運営の舵取りを談じるべき口からセリフを吐いて悦に入るなんぞちゃんちゃら可笑しいことである。ある愚か者は「私は死んだらカオツに生まれ変わりたい」と言うので、傍でこれを聞いていた人が「どうしてまたカツオになりたいんです?」と聞くと、「だってカツオは美味いじゃないですか」と答えたとか。それと同じである。カツオだって食えばこそ美味いのだ、自分がカツオになって人に食われては何が美味いものか。芝居も役者に演じさせて見るのは良いが、自分が演じたところで面白くもないだろう。しかし子曰く「楽しみはまた其の中に有馬筆」…そんなつまらんことに彼らは楽しみを見出しているのである。浄瑠璃や芝居に耽溺して明け暮らすお偉方は、己の胸に手を置いて今一度、己のバカさ加減を自覚するべきである。
曾子(そうし)は飴を見て「年寄りに食わせたら喜ぶだろうな」と思い、盗人はこれを見て「鍵穴に入れりゃ型が取れそうだ」と思う。下戸は萩を見てぼた餅を頭に浮かべて生唾を飲み込み、歯なしは浅漬けを見てワサビおろしがあったかいなと顎をさする。それもこれも各々が好むところへ心が引っ張られるためである。好きこそ物の上手なれとの諺通り、親を愛する者は孝行者の名を上げ、主人を敬愛する者は忠臣の名を残す。こう言う「好き!」はどれだけ積み重ねても苦にならないが、好きだからと欲望のままに突っ走っておじゃんにしてしまうこともままある。食べ物は体を養うために欠かせないが、食べ過ぎて命を損なうこともある。酒は憂さを払うというが、体を壊すほど飲んでは飲まぬより深く憂うことになる。火事が怖いと一日も火を焚かねば住み留まることもできない浮世なれば、兎にも角にも益になるか害になるかは「どう使うか」次第だと知るべきである。芝居も勧善懲悪の心で見るときには教えともなり戒めともなろうが、これに溺れると大抵碌なことにならない。あるいはまた推し役者の紋を入れた櫛・笄を髪に挿す妻と、それをデレデレ涎を垂らして見ている亭主…なんてのを見ていると「白髪三千丈、愁いによりてかくのごとく長し」と詠んだ李白も「バカ亭主の鼻毛三千丈、たわけによってかくのごとく長し」と詩に作りそうである。そういうお大尽は世の中に結構いる。
さてまた役者も昔は名人が多かったが、寄る年波の引き道具には拍子木の合図もいらず、そろそろあの世へ迫り出し道具。名人たちが立つ場所を蓮の臺へ早替わりしてより、堺町・ふきや町・木挽町の三大芝居町の舞台に大スターの影はなく、まるで芝居は骨がすっぽり抜けたよう。市川海老蔵、助高屋高助を始めとする名人たちの名を虚しく標の石に記してより、また名人と呼ばれる役者が出てこないのは一体どういう訳だろう。それはつまり諸芸押し並べて昔の名人に劣るのは、最近の役者は意気地がなく、小賢しい上に大馬鹿者だからである。昔の役者は師匠に張り付いて熱心にその業を学び、寝ても覚めても演技に心を配り、一筋に励むことで名を上げる者が多かった。ところが近年の役者ときたら、師匠と仰ぐもただ苗字を貰いたいがため。下っ端僧都が山上参りをして偉くなった気になるようにプライドと給金ばかり高くなり、修行すべき芸は学ばず、兎に角女性ファンにキャーキャー言われることを第一とし、目上の人をも見下して、流行りのスタイルに乗っかっときゃいいとだけ心得て、原作者の意向もまるで無視。そういう役者はたとえひととき人気を博して大評判になったとしても、あっという間に人気は衰え過去の人になってしまう。その疾きこと鉄砲の玉に帆をかけたるがごとし。これはみな芝居に掛ける熱意が足りないためである。
今は昔、澤村小伝次という若女形が河内国は藤井寺のご開帳へ参ったときのことである。藤井寺の近く、小山というところへ宿を取ったところ、小伝次は青白い顔でこめかみを押さえて「一日駕籠に揺られていたせいか血の道が…」と言いだした。これには連れの役者仲間・竹中半三郎、小松才三郎、尾上源太郎が「いくら女形だからって、男のクセに血の道ってお前」と腹を抱えてゲラゲラ笑ったが、その場に居合わせた井原西鶴は大いに感じ入り「幼い頃から見た目も言葉遣いも女のようになろうと日々嗜んでいたから、仮初の頭痛も血の道と思ったんやろ。まあまあ、可愛らしいこっちゃ」と言ったとか。実にその業一筋に勤める者は皆々こうありたいものである。その理屈で言えば敵役は常に人をいじめ、あるいは芝居でやるような悪巧みをし、日に二、三度は本当に殺さてみろと屁理屈をこねるべきだがこれはまたそういうことではない。悪いことはすぐ真似できる。たとえ芝居でなくても、悪人になることは造作もないことである。しかし善良な人間になるには努力しなければなれない。殊に男の体を女に見せることは、至って心を配り気をつけなければ上手くいかない。そう考えれば小伝次の嗜みは、実に感心なことではなかろうか。最近の女形は舞台に出ている時はたおやかに見えるが、普段の振る舞いは今日も明後日も鮫鞘の大脇差を帯にぶっ差し、腕まくりして茶碗で酒をかっ食い、見境なくナオンの尻を追っかけ回し、「あの女はどうだった、その女はあぁだった」と聞くに堪えない下卑た話をゲラゲラと…。舞台で見たときの姿とは、お月様と菱餅、下駄と人魂ほど違っている。これではたとえ一時評価が上がっても、名人と呼ばれる役者になるのはとてもじゃないが難しいのではなかろうか。
さてそんな有象無象が入り混じるドブの中にも、蓮葉(はちすば)の濁りに染まぬ玉の姿…瀬川菊之丞と呼ばれる若女形がいた。この菊之丞、先代の実生(実子)ではなく八王子の土の中から掘り出した分け根(養子)であったが、二葉の頃から「この子はただの土手の野菊ではない」と評判は高作り、器量は他に並び夏菊ともて囃され、今や京・大坂・江戸の三都でもこの歳にしてこの芸なしと、もっぱら評価の将来を嘱望される若者である。
折しも水無月の十日あまり。その年は降り続いた梅雨の長雨が俄かに照り上がり、迎えた夏は例年よりも厳しい暑さであった。おまけに風見のカラスは釘を打たれたように微動だにせず、草は絵に描いたようにソヨとも動かず。道ゆく人はこのまま汗になって消えちまいそうだと嘆き、暑さに喘ぐ犬の舌は溶けて落ちるんじゃないかと疑うほど。誰も彼もどうにか暑さを避けることばかりを考えていた。
さて菊之丞もまた自宅で蒸し暑さに苦しんでいたところ、同じ若女形である荻野八重桐が訪ねてきた。二人は同じ市村座に勤め、共に紫ぼうしを戴く『ゆかり』の仲であるから互いに遠慮することもない。三保の松原の天女よろしく夏衣をはらりと脱いで、松の枝ならぬ衣紋掛けへ。気楽に寛いで座ると、さっそく後ろからそよそよと扇の風が…菊之丞の妻の心遣いである。客あしらいに慣れた妻は冷たい葛水でもてなし、菊之丞も八重桐もほっと人心地ついたのであった。そうしてひとつふたつ世間話などして…半ばは暑さの噂であったけれど…ふと八重桐が「特に今年は暑さが厳しゅうござんすから、涼み船がこれまでにないほど賑わっておりますよ。幸い今ちょうど芝居もお休みですし、一緒に船遊びでもいかがです?」と切り出した。菊之丞も顔を綻ばせ、「私も前々から行きたい、行きたいと思っていたんですけれど、なかなか忙しくて行けなかったんですよ。それじゃあ一日船に乗って遊ぼうじゃありませんか」と。「それじゃ他の人もお誘いしましょう。」「しかしあんまり大勢じゃあ騒々しいから…」ということで、今度の十五日に船遊びしませんか?と同座の鎌倉平九郎、女形の中村与三八などへお誘いの使いを立てたところ皆「オッケー」との返事。いよいよ十五日の早朝と日取りを決めて、船の中での飲み食いの支度など細々と取り決めつつ、八重桐は自宅へと帰っていったのであった。
根南志具佐 二之巻 終
