【風来山人】根南志具佐(茸)中
公開 2025/05/11 21:35
最終更新
2025/05/11 23:19
亡者を裁く本業に加え、様々な申請や事業計画を捌く閻魔大王には少しの暇もない。そんな折節、獄卒どもが地獄の地の字をつけた高提灯を先立ててひとりの亡者を御前に引っ立ててきた。玉座からはるか見下ろすに亡者は歳のころ二十歳ばかりの坊主で、色の白い痩せた体に手枷首枷を嵌められ、腰の辺りには何やら袱紗に包んだものをくくりつけている。
「この者はいかなる罪であるか。」
大王がお尋ねになると、傍から倶生神…おはようからおやすみまで生者の影について回り、どんな些細な悪事も見逃さず記録する鬼神…が進み出て、
「この坊主は南贍部洲大日本国、江戸に住まう見習い坊主でございましたが、堺町の若女形・瀬川菊之丞という若衆に芯から惚れ込んでしまいまして。彼と逢うために師匠の金を使い込み、それでも足りずに錦の戸帳は古道具市に翻り、行基の作の阿弥陀如来像は質屋へ御来迎。しかし若衆へ入れ上げ過ぎて犯した尻がとうとう割れて座敷牢へ押し込められたのでございますが、どれほど彼を慕っても宇津の山辺のうつつにも夢にも会われぬ甲斐なき我が身。憂い嘆き悲しんで遂には虚しく『あの世』を去ったのでございますが、断末魔の苦しみにも忘れ得ぬのは路考の面影なりと…あ、路考とは瀬川菊之丞の俳号のことでございます。えー…忘れ得ぬのは路考の面影なりとこちらへまでも肌身離さず、えぇ、あの腰にくくりつけた袱紗の中身が鳥居清信が描いた瀬川菊之丞の絵姿で。若気の至りとはいえ、師匠親の目を掠めて働いた悪事はすべてこちらの鉄札に記録してございます。しかしながら大王様、今どきの坊主は表向きは抹香臭い顔で仏に仕えながら、裏では遊女狂いに憂き身をやつし、カモを明神・ネギを神主などと名付けてトリ食う有様。してみれば坊主のオトコ狂いは多少マシな方ですから、剣の山での責一等を減じて彼が好むカマ煎りにしてはいかがでしょう。」
お伺いを立てたが閻魔王は以ての外ご立腹。
「いやいや、マシに見えても決してマシではない。娑婆中あちこち男同士のカップルだらけと聞くが、わしには全く理解ができん。夫婦の道はめしべにおしべが自然の摂理、本来在るべき姿であるのに、同じ男を犯すなど決してあってはならぬことじゃ。ところが唐土では遠い昔から既に男色というものはある。書経では『色を売る童を近づけてはならぬ』と戒め、周の穆王が菊慈童を愛したことから*を『菊座』と呼ぶようになり、余桃の罪で語られる弥子瑕、断袖の故事で知られた董賢、韓愈と親交の深かった孟東野もこういうけしからん輩の類じゃ。また日本においては弘法大師が天竺に渡ったみぎり、流沙川の川上で文殊とアツく契りを結んだことで文殊は『支利』菩薩の号をとり、弘法大師は若衆の祖として汚名を残した。それからというもの熊谷の直実は無官の太夫・敦盛を須磨の浦にてころり転がし『やっそんやっそんなされける』と歌われ、牛若丸は天狗に何からナニを仕込まれて、増賀聖に愛された業平少年、後醍醐帝の阿新、信長の蘭丸…挙げればキリがないわい。その名も高尾の文覚は平維盛が嫡男・六代御前にうつつを抜かし、いらぬ謀反を企てたばかりに頼朝の咎めを受けた。このことから娑婆では悪事が露呈して責を負うことを『尻が来る』と言うようになったのじゃ。痔に効くと有名な但馬の城崎、箱根の底倉へ湯治に行く者が多いのも、みなこの男色があるゆえ。昔は坊主ばかりが男色をもて遊んだからか痔という字は病かんむりに寺と書くが、近頃では坊主も俗人も押しなべてオトコ、オトコと…甚だ以ってけしからん!不埒の至じゃ!これより娑婆世界では男色を禁止するときつく申し渡す!」
と勅命を下された。皆々「はっ」と神妙に承ったが、「お待ちください、大王様」と十王のひとり・輪転王が御前に進み出た。
「勅定にお言葉を返し奉るのは畏れ多いことと存じますが、思うこと口に出さねば腹膨るると思いまして…。仰る通り男色もまた害がないわけではありません。ないわけではありませんが、その害も女色に比べれば至って軽いものでなかなか同列に語れるものではありません。例えば女色はその甘きこと蜜の如く、一方で男色は淡きこと水の如し。無味の味は、一種悟りの境地に至らねばわからぬものでございます。この勅定はつまり、大王様が若衆を嫌うがゆえに酒呑みの餅屋をやめさせたいと仰るようなもの。その上で他所ながら常に聞く、娑婆で評判の絶世の美男子・瀬川菊之丞をせめてこの世の思い出に絵姿だけでも見とうございます。この義だけはどうかお許し願いたく…。」
閻魔大王は不機嫌そうに息を吐き、
「蓼食う虫も好き好きとはその方のことよ。しかしたっての願いじゃ、無碍にはできん。絵図を見たいなら勝手にせよ。しかし俺は若衆なんぞ見たくもないから、絵があるうちは目を瞑っていよう。さぁ、見るなら早くしろ、ほれほれ」
そう言って御目を閉じる。すると獄卒のひとりが、さっそく例の罪人が持っていた絵を柱に掛け…するとどうだろう。
「……ッ!」
清きこと、春柳の若葉に三日月がかかるように。匂い立つような美しさ、有明の霞を纏う桃の花に似て…どれほど言葉を尽くしても言い表せないほどの艶やかさ。人々の目は絵の中の路考に釘付けになり、はっ…と感じ入って感嘆のため息が漏れ聞こえるばかり。
娑婆では本当に美しい人のことを「天から降りてきた天人のよう」などと言うが、それはつまり知らぬ異国の花の香である。常にないから美しく見えるのだ。しかしこの国の極楽においては、天人など凧揚げの凧のようにあっちこつちに飛んでいるから美しいとも思わない。天人など路考と比べたら閻魔王の冠と餓鬼の褌ほどの差がある。
(後編へつづく)
「この者はいかなる罪であるか。」
大王がお尋ねになると、傍から倶生神…おはようからおやすみまで生者の影について回り、どんな些細な悪事も見逃さず記録する鬼神…が進み出て、
「この坊主は南贍部洲大日本国、江戸に住まう見習い坊主でございましたが、堺町の若女形・瀬川菊之丞という若衆に芯から惚れ込んでしまいまして。彼と逢うために師匠の金を使い込み、それでも足りずに錦の戸帳は古道具市に翻り、行基の作の阿弥陀如来像は質屋へ御来迎。しかし若衆へ入れ上げ過ぎて犯した尻がとうとう割れて座敷牢へ押し込められたのでございますが、どれほど彼を慕っても宇津の山辺のうつつにも夢にも会われぬ甲斐なき我が身。憂い嘆き悲しんで遂には虚しく『あの世』を去ったのでございますが、断末魔の苦しみにも忘れ得ぬのは路考の面影なりと…あ、路考とは瀬川菊之丞の俳号のことでございます。えー…忘れ得ぬのは路考の面影なりとこちらへまでも肌身離さず、えぇ、あの腰にくくりつけた袱紗の中身が鳥居清信が描いた瀬川菊之丞の絵姿で。若気の至りとはいえ、師匠親の目を掠めて働いた悪事はすべてこちらの鉄札に記録してございます。しかしながら大王様、今どきの坊主は表向きは抹香臭い顔で仏に仕えながら、裏では遊女狂いに憂き身をやつし、カモを明神・ネギを神主などと名付けてトリ食う有様。してみれば坊主のオトコ狂いは多少マシな方ですから、剣の山での責一等を減じて彼が好むカマ煎りにしてはいかがでしょう。」
お伺いを立てたが閻魔王は以ての外ご立腹。
「いやいや、マシに見えても決してマシではない。娑婆中あちこち男同士のカップルだらけと聞くが、わしには全く理解ができん。夫婦の道はめしべにおしべが自然の摂理、本来在るべき姿であるのに、同じ男を犯すなど決してあってはならぬことじゃ。ところが唐土では遠い昔から既に男色というものはある。書経では『色を売る童を近づけてはならぬ』と戒め、周の穆王が菊慈童を愛したことから*を『菊座』と呼ぶようになり、余桃の罪で語られる弥子瑕、断袖の故事で知られた董賢、韓愈と親交の深かった孟東野もこういうけしからん輩の類じゃ。また日本においては弘法大師が天竺に渡ったみぎり、流沙川の川上で文殊とアツく契りを結んだことで文殊は『支利』菩薩の号をとり、弘法大師は若衆の祖として汚名を残した。それからというもの熊谷の直実は無官の太夫・敦盛を須磨の浦にてころり転がし『やっそんやっそんなされける』と歌われ、牛若丸は天狗に何からナニを仕込まれて、増賀聖に愛された業平少年、後醍醐帝の阿新、信長の蘭丸…挙げればキリがないわい。その名も高尾の文覚は平維盛が嫡男・六代御前にうつつを抜かし、いらぬ謀反を企てたばかりに頼朝の咎めを受けた。このことから娑婆では悪事が露呈して責を負うことを『尻が来る』と言うようになったのじゃ。痔に効くと有名な但馬の城崎、箱根の底倉へ湯治に行く者が多いのも、みなこの男色があるゆえ。昔は坊主ばかりが男色をもて遊んだからか痔という字は病かんむりに寺と書くが、近頃では坊主も俗人も押しなべてオトコ、オトコと…甚だ以ってけしからん!不埒の至じゃ!これより娑婆世界では男色を禁止するときつく申し渡す!」
と勅命を下された。皆々「はっ」と神妙に承ったが、「お待ちください、大王様」と十王のひとり・輪転王が御前に進み出た。
「勅定にお言葉を返し奉るのは畏れ多いことと存じますが、思うこと口に出さねば腹膨るると思いまして…。仰る通り男色もまた害がないわけではありません。ないわけではありませんが、その害も女色に比べれば至って軽いものでなかなか同列に語れるものではありません。例えば女色はその甘きこと蜜の如く、一方で男色は淡きこと水の如し。無味の味は、一種悟りの境地に至らねばわからぬものでございます。この勅定はつまり、大王様が若衆を嫌うがゆえに酒呑みの餅屋をやめさせたいと仰るようなもの。その上で他所ながら常に聞く、娑婆で評判の絶世の美男子・瀬川菊之丞をせめてこの世の思い出に絵姿だけでも見とうございます。この義だけはどうかお許し願いたく…。」
閻魔大王は不機嫌そうに息を吐き、
「蓼食う虫も好き好きとはその方のことよ。しかしたっての願いじゃ、無碍にはできん。絵図を見たいなら勝手にせよ。しかし俺は若衆なんぞ見たくもないから、絵があるうちは目を瞑っていよう。さぁ、見るなら早くしろ、ほれほれ」
そう言って御目を閉じる。すると獄卒のひとりが、さっそく例の罪人が持っていた絵を柱に掛け…するとどうだろう。
「……ッ!」
清きこと、春柳の若葉に三日月がかかるように。匂い立つような美しさ、有明の霞を纏う桃の花に似て…どれほど言葉を尽くしても言い表せないほどの艶やかさ。人々の目は絵の中の路考に釘付けになり、はっ…と感じ入って感嘆のため息が漏れ聞こえるばかり。
娑婆では本当に美しい人のことを「天から降りてきた天人のよう」などと言うが、それはつまり知らぬ異国の花の香である。常にないから美しく見えるのだ。しかしこの国の極楽においては、天人など凧揚げの凧のようにあっちこつちに飛んでいるから美しいとも思わない。天人など路考と比べたら閻魔王の冠と餓鬼の褌ほどの差がある。
(後編へつづく)
