椒圖志異/魔魅及天狗 編①
公開 2025/01/19 20:18
最終更新 2025/01/19 20:39
魔魅及天狗

1.異形の顔
堀田何某公の家中に何とかの久兵衛という者がいた。久兵衛は役所へ出仕して政務を行っていたが、一日の労働を終えると暑い暑い日のことである。殊にぐったり疲れ、重たい頭と体を引きずってようやく家に帰ってきた。
ところが「やれやれ疲れたわい…」と夕餉の座に着いてギョッと目を見張った。同じく座に着いた妻の首から上が牛なのである。久兵衛は大いに驚いて思わず刀に手をかけたが、はっと見ると傍らの下女の顔もまた赤馬のよう。さらに我が子は鬼のような…見回せば家の者みな異形の顔を並べているのである。
これはとんでもない怪異に違いない。こんなときに万一にも仕損じれば、武士の名を辱めるぞ。久兵衛はそう思い返してすぐに座を立ち、奥の居間に入るとぴったり襖を閉め、布団に入るやきつく目を閉じて黙り込んだ。突然顔色を変えて座を立ち布団に引っ込んだ夫を不審に思い、布団の傍から「あなた、どうなすったんです?気分でもお悪いんですか」と妻が色々尋ねてみても、久兵衛はうるさい、あっちへ行っていろ。と叱り付けて目も開かず。そのまま二時間ほども横になって静かに心を静めていた。
そうして心を落ち着けて家人の顔を見てみると、家の者はみないつもの顔をしていた。怪異に見えたのは、殊に暑い暑い夏の日、一日の疲れのせいでそう見えたのではないか。(橘南谿の北窓瑣談より)

* * *

2.
旧長岡藩の藩士に、千本木何某という人がいた。ある雨上がりの夏の夜。橋のほとりまで来ると、橋の上に何やら八雪のような綿がうずたかく積み上がっている。しかしこの千本木何某という男は剛気な男であったので、何とも思わずその上を踏んで通り過ぎ、振り返ると橋の上にはもう何もなかった。また少し歩いて行くと、高く聳える一本松が生えたところに来た。すると木の上から妙な声がするので見上げると、高い梢の上に赤い肌のまるまる太った…まるで絵に描いた金太郎のようなものが足を踏み鳴らし声を上げて相撲を取っていた。
また道の藪の片影に入ると、足元に女の足がにょっきり二本投げ出されていた。そして何処からともなく「細脛だけれど折れはしません…細脛だけれど折れはしません…」という声までしてくる。が、やはり千本木何某は怖気付く様子もなく、女の足の上を踏んで通り過ぎた。
またしばらく歩いていると、もし…と後ろから呼び止める者がある。振り返ると若い女が立っていた。
「もし、お尋ねいたします。一本木様のお屋敷はどちらに…」
女が尋ねる。
「知らん」
千本木が答える。
するとまた「二本木様のお屋敷は」と女が尋ね、「知らん」と千本木が答える。するとまたまた「三本木様のお屋敷は」と女が尋ね「知らん」と千本木が答え。五本木、六本木、十本木、二十本木、五十本木、百本木、五百本木…と問い続けて、九百九十九本木様のお屋敷は…と尋ねる頃には千本木何某の屋敷の前まで来ていたが、千本木の後から尋ね続けてきたあの若い女はいつの間にか白髪の気味が悪い老婆に変じていた。千本木が門を潜り屋敷へ入る後ろから、「千本木様のお屋敷はどちらに」と老婆が尋ねる。千本木は慌てもせず、はたと門扉を閉ざして内から「千本木の屋敷はここである」と答えると、「あぁ、口惜しい!」とむっつり閉じた門扉を荒々しく掻きむしる音が聞こえた。このときの爪跡は維新の後までも残ったとか。
敷石を伝って玄関まで来ると妻が出迎えにきたが、この妻は馬の顔をしている。はて、これは一体…と訝りつつ座敷に上がり畳の上を見れば、鎧具足を着けた騎馬武者が何騎となく畳のへりで戦っていた。その大きさは一寸ばかりだったという。
やがて何となく腹が痛んできた何某は厠へ行きしゃがんでいると、頭に触れるものがある。捕まえようと頭の上で手を振るも、空を掴むばかりで何もない。暫くすると今度は尻に触れるものがある。また捕まえようと手を振るがやはり何も掴めない。これは…と思いついた何某。何かが尻に触れるや、さっと腕を伸ばして頭の上を掴むと今度こそ何か触れるものがある。すぐさま応と刀掛けの太刀を引き抜いて頭上を斬り払うと、銀の針金のような髪が幾本かはらはら落ちてきた。
厠を出た何某が軒下に立ってふと庭を見ると、庭の踏み石に目がついていて何某を見て頻りに瞬きしている。何某は庭に降りて裸足で敷石を踏み躙り踏み躙りするも、敷石は相変わらずぱちくりぱちくり瞬きを繰り返していた。
すると俄かに大風が吹き渡るような声がして、気がつくと何某は暗い森のようなところに立っていた。見回すと藪知らず天狗たちがぐるりと群れ居て、じっと何某を見つめている…流石に肝を冷やした何某が謝ると、天狗はじきに何某を元の庭へ投げ返したという。
千本木何某は、戊辰戦争の際に自分の隊の副総督を救おうとして討ち死にした人である。(少年世界より)

* * *

3.
依田誠くんの叔父という人が、八王子あたりで電信工事の現場監督をしていた際に、工夫の一人がどこへ行ったか姿が見えなくなった。皆々驚いて探すと、路傍の大杉の梢に丸く折り畳まれてギチギチに縛られた男を見つけた。梯子だ、縄だと恐る恐る降ろしてみると、果たしていなくなった工夫であった。しかし工夫は惚けた顔でまともに返事も出来ず、何があったと聞かれてもただ「大勢で連れてきた」と言うのみだったとか。この男はその後も元に戻らず、惚けたままであったとか。(依田誠氏より)

* * *

4.
狂歌師で花の屋何某と呼ばれた人が、あるとき同じく狂歌を弄ぶ人々と百物語をしようと日暮里の花見寺に集まった。会は元々この花の屋何某の家で開く予定だったが、生憎彼の母親が重病で臥せていたため、仕方なくこの花見寺に変更して行われたのだった。形式に則り百本の燈心に火を点け、ひとり一つずつ怪しい話を語り狂歌を詠んで燈心を消してゆく。やがて百番目の話も終わろうという頃、スッと傍の襖が開いた。顔を出したのは例の花の屋の母親で「もう夜も更けましたよ。こんな悪戯はよきところでお開きになさいよ」と言う。花の屋は元々親のいうことをよく聞く男である。今夜の催しもいつもの集まりと言って出てきたので母の言葉には逆らわず、「百番まで終わればすぐに帰りますよ」と答えると、母は「それじゃなるべく早くなさいよ」と言って再び襖を閉めた。すると友人であるひとりの男が花の屋のそばへ寄り、くいくいと袖を引いた。「なぁ、君の母上が病気だからこそこの寺に集まったのに、そんな病人がどうしてこんな夜更けに寺になんか来るんだい」と。それを聞いた花の屋も座にいた人々とさっと顔色を変えたが、いったい誰のうっかりか最後に残った百本目の燈心も消え、部屋はふっと暗闇に包まれた。⚪︎⚪︎さん、いるかい?はい、ここに。××さんは?私はここです。…闇のなか、右から左からお互いに名前を呼び合う中にたったひとり、返事をしない人影があった。近寄って「あなた、ちょいと」と揺すっても全く口を開かず。一、ニ、三…と数えてみれば初めに集まった人々の数より人影がひとり増えている。ゾッ!とみなの背筋に冷たいものが駆け上がった。大声で喚きながら住職を読んで灯りを点けさせると、そこにはいつもの面々しかいなかった。それじゃあ幾度呼んでも答えなかったあの人影はいったいどこへ…と、皆ゾッと顔を青くしてそこそこに帰って行った。花の屋も家に帰って病床の母を見舞ったが、母は静かに床に横たわり、外出した様子はまったく見えない。さてはあの時の母も魔物の仕業かと知ったという。これより花の屋は百物語のような催しに顔を出すのはやめたとか。萬延文久頃の話である。(花の屋より/母から聞いた話)
 
* * *
                 
5.
私(龍之介)の父が幼い頃の話である。我が家の親戚に、人見孫兵衛という人がいた(役は御小人目附だったとか何とか)。ある日、御城から下がって家に帰った孫兵衛は、煎茶を注いだ茶碗を妻が勧めるのをみると、なんと妻は体は人だが顔は犬である。「妖怪だ!」思うが早いか、バッと一太刀に斬りつけた。しかし「あッ」と叫んで倒れたのは紛うことなき妻であったから、孫兵衛は再び気も狂わんばかりに驚いた。
事が事であるから内密のうちに処理したがいつしかその件が外に漏れ、「人見孫兵衛は気狂いして妻を斬り捨てた」として我が家まで蟄居の罰を受けたという。嘉永六年頃の話である。(父より)

* * *

6.
木挽町の狩野家にて絵を学ぶ何某というひとがひとり昼寝していたときのこと。ふと目が覚めて庭の方を見ると、外から垣根から押し破って顔を突き出した者がいる。その大きさたるや四斗樽ほどはあろうかという大きさで、鬼気迫る恐ろしい顔つきをしている。「さては通り魔に違いない」と急いで目を塞いで、しばらくしてもう一度庭を見るといつもと何の変わりもない。するとすぐに隣の旗本屋敷が騒がしくなった。使用人を呼び止めて何があったのか尋ねると、隣の旗本屋敷の主人が乱心して奥方を斬ったとのことだった。(父より)

* * *

7.
何某という、京の人が召使う下男がいた。生まれは河内国で、折々「今日一日、お暇をください」と主家を出ていく。どこへ行くのかと尋ねると、鞍馬へ行きますと言う。また鞍馬へ何の用事かと尋ねると、修行の為だと言う。はじめは一月に一度又は二度程度であったが、後には「腰を据えて修行をしたい」ということで暇を乞うて実家に帰ったが、その後も時々主だった人の家へ来たと言う。何某は当時は三十ほどの男であったが、妻は二十三・四にて亡くなった。妻は生前、この男と話すとき随分気が合う様子であったという。若死にするほどであれば、勘が鋭く、不可知の世界のことも他の者より深く知っていたのだろう。(柳田國男氏)

* * *

8.
ある紳士の子は十三・四歳の頃、足に怪我をして片足を引きずって庭を歩いていたが、いつの間にか行方知れずになってしまった。父親はひどく思い詰めて、身を清め、ありとあらゆる精進潔斎を行なって祝詞を上げた。その後、四・五日も過ぎたとき、門口にドサリと物が落ちるような音がしたかと思うと、行方不明になっていたその子が茫洋とした顔で帰ってきた。
いったいどうしたんだ、と尋ねると「御宮みたいな広い建物の中に入ったら、十人ほどの人がずらりと並んでいて…私の正面に座った人の眼の光は、殊に星のように鋭く輝いていました…。私をそこへ連れて行った人が『この方達に礼をしなさい』と言うので、恐ろしさのままにおじぎをして…しばらくするとずらりと座っていた人たちが何処かへいってしまったと思えば、どこからともなく祝詞を上げる声が聞こえて…そのとき末席にいた歳の頃四十路あたりの男と二十あまりの男とが進み出て、私を指差しつつ「この者は私の身内でございます。この子の親はいたく思い詰めているようですから、返してやってください」と言いました。正面の人が「それならば返せ」と言い、私はそのままその宮を出ましたが、いつのまにか我が家へ帰ってきていました…」と言う。身内だと言った人は誰かと考えてみると、この子の叔父とその子ではないか。彼らは郷里から江戸へ引っ越したとのみ聞いたが、その後何処に行ったともわからず音信不通になっている。それこそ天狗道に入ったのだろうと合点がいったとか。(同上)

* * *

9.
上総の何某村の農夫の子は、十一・二の頃に天狗に攫われたが、二十余年経て両国橋に捨てていかれたという。連れ去られたときのまま萌黃の地に馬の模様が描かれた子供用の着物を着ていたが、背筋など綻びていたと言う。

* * *

10.
ある旅商人が阿波の祖谷渓(平家の落武者が隠れたところ)を通ったところ、空から何かが降ってきた。衣の上に落ちたのをみれば血である。驚いて上を見上げると空には何の影もないものの、「何処へ行った、何処へ行った」「何処へ逃げた」「土佐の何某山へ逃げた」などと言う声だけが聞こえたいう。

* * *

11.
池原香雅という歌人が播磨の宇野のあたりを黄昏時に通ったときのこと、彼はひとりの僧に行き合った。「御坊はどちらへ行きなさる」と尋ねると、僧は「あちらの穢れた村を焼きにいくところです。」と言う。いたく驚いて物も言えずにいると、僧はなお「ご覧なさい、あそこに二つ灯りがあるでしょう。一つは清らかだが、一つは穢れているのです」と言うが、香雅にはどれが穢れた灯りかわからない。「そういうわけであの村を焼くのです」と僧が手を上げて指さすや、指差すその村からワッと火の手が上がったという。今から四・五十年前の話である。

* * *

12.
ある男が病で床に臥しているとき、いつも猫が布団の上に来て寝ていた。男はいつもそれを苦々しく思い、快癒したら捨ててやろうと思っていた。そのうち病も癒えた男は猫を捕まえて「こいつを捨ててくる」と家を出たが、そのまま行方知れずになってしまったとか。またとある家の下男が滑車をかけた車井戸で水を汲んでいたが、突然「わっ」と声をあげて井戸の中へ落ちてしまった。近くにいた者が引き上げて「いったい何があったんだ」と尋ねると、下男は「水を汲んで釣瓶を上げようとしたら、見たこともない女がいて、反対の綱を強く引っ張ったんだ。水を汲み上げようと綱を握って身を乗り出していたから、そのまま井戸の中へ転げ入ったのだ」と話したという。いったいどんな怪異だろうか

* * *

13.
細川長門守のご領地、岩間村の中に小名を泉村というところがある。里からは十八・九丁ほど登ったところである。この山の山頂に愛宕神社があり、その後ろの少し高く平になったところに本宮という小さな社があり、唐銅でできた六角の社で上の方は円形になっている。その宮の周りには十三天狗の宮という石造りの社があり、古くは五天狗の宮だったが後に十二天狗となり、宮も十二ある。長楽寺という修験者は元来親孝行な質で、彼の母が「諸国の寺社仏閣や旧跡を見てまわりたい」というのでどうしても叶えてやりたいと思い、殊に十二天狗に祈願し、成就するまでは飲食をしませんと断食の行を行った。一度目は途中で失敗したが、なお懲りずに更に断食の行を成し、断食の行が終わっても例の如く西に向かって阿字観(瞑想の行)を行っていた。そんなある日、「釈迦如来がお迎えに来てくださった!」と言って空に向かって満面の笑みを浮かべて飛び去り、その後家に戻ると母を背負い、行きたいと言っていた諸所を五、六日のうちに見て回って再び家に帰って来た。母を下ろした長楽寺は「はぁ…ひどく草臥れました。しばらく横になりますが、どれだけ寝ていても寝ているところは見ないでくださいね」といって一間に入った。しかしそれきり五、六日も起きてこない。いくら長寝すると言っても長すぎる。とうとう待ち侘びた母が息子の休んでいる部屋を覗くと、六畳の部屋からはみ出さんばかりに大きくなって長楽寺が寝ていたのである。驚きのあまり「あッ!」と叫んで飛び退いたが、その声で目を覚ました長楽寺はたちまち傍の襖を蹴破って飛び出し…それっきり帰ってこなかったとか。はたまた母を背負って諸国を巡った後で「このことは決して人に話してはいけませんよ」と言っていたが、母は嬉しさのあまり人に漏らしてしまったので以来長楽寺は帰ってこないのだとも言う。
その後、麓の村々では誰ともなく「長楽寺も天狗の仲間入りをしたのだから、精進の膳を一膳増やして十三膳供えよう」と言い、村々の信者が集まって講を作り、日々十三膳を備ているとか。細川家の留守居役・岸小平治という人が国許にいた若かりし頃、長樂寺と厚く親交があったが、長楽寺は強剛で正直な人であったからそのように祀られたのだろうということである。(仙童寅吉物語より)

* * *

14.
江戸の小石川天神下に堀江平兵衞という人があった。この平兵衛の養父も平兵衛というが、その養父の実子である何某は寛政五年に理由もなく家出して行方知れずになった。そのため星埜源左衞門の弟を養子にとり、今の平兵衞としたのだという。
ところがこの行方知れずになった男子が家を出て十一年後の事和三年、突然帰って来たのである。それも衣服から腰に差した大小から履き物から…すべて十一年前に家を出た時のまま。綻びも錆もせず、垢もつかず、髪月代も家を出たままで少しも変わらなかった。両親は驚き悲しみ「お前、いったい今まで何処にいたんだ」と尋ねると、「人の世界とは異なる世界におりましたが、一度父上、母上にお会いしようと忍んで参ったのです。これより先はいつお会いできるかわかりませんので」というので両親は尚更泣き悲しんで、「どうか行かないでおくれ」と懇願したが「留まることはできません」と何某は聞き入れず。「それじゃあ食事だけでも」と言って膳を出したが、「こちらの食べ物は口に合いません」とろくに箸もつけず。「それでは、これにてご無礼を」と席を立つのを父母が左右に取り付いて引き止めようとしたが何某は振り解いて出て行ってしまい、それきり後はまた行方がわからないという。(同上)

* * *

15.
私(筆者平田篤胤を指す)の緣者に濱田三次郞という者がある。この男の妹婿に能勢平蔵という町同心がいた。夫婦には男子二人、女子三人の子がいたが、五十年ばかり前に平蔵はこれといった理由もなく家を出て行方知れずになった。これによって家は断絶し、五人の子供らは三次郎が引き取って養育し、男子の一人は他家へ養子に出して高橋太右衞門と名乗った。
そうして今から六,七年前のこと。太右衞門の近所にかつて平蔵が召し使っていた老女が住んでいたが、この老女が太右衞門の家へ来て、
「お父上の平蔵様がむかしお家を出た時のまま…えぇ、着物からお姿からそのままで…アタシのところへお見えになったのでございます。それで『私はいま、此世ながら此世ならざる世界にいる。あちらから我が子らを折々見ることはあるが、声を掛けることはできないからどうにもできず過ごしていた。今ここへ参ったのは、頼みがあってのことだ。私が行方知れずになったから、既に死んだものとしていなくなった日を命日に定め、仏法風に戒名までつけられてしまった。これがために私は高く昇り進むこともできない。そのほう太右衞門のところへ行って、戒名をつけて死人扱いするのをやめるよう言い伝えよ。』…とそのように仰せでした。」と語ったという。(同上)

* * *

16.
ある夜、何某という火消しが火の見櫓に上って火事の様子を見ていたところ、屋根の上を飛んでいる者がいた。それは年老いた男で、まるで目に見えない何かに吊るされたように飛んでいたという。天狗が人を攫っていくのではと思われて恐ろしかったとか。

* * *

17.
福岡県糸島郡雷山のある猟師が、ある日山中で赤ら顔の山伏に会った。山伏が「あんたと私で声比べをしよう」というので猟師も了承し、山伏に後ろを向かせて、手にしていた鳥撃ちの銃をパァンッと聞かせた。すると山伏はそれを嘲笑い、「私の声を聞きなされ」と言うや一声に叫んだ。その声たるや山も谷も振るわすばかりの大声で、猟師は肝を冷やして一目散に逃げ帰ったとか。

* * *

18.
駿河国磐田郡柴村の川上某という人の子は幼い頃から変わり者であったが、ある日父親を招いて「私は今から天狗になりますから、一度その姿を見てください」と言い、八畳の部屋に入ってぱたっと横になったが、父が恐る恐る部屋を覗き込むとすでに息子は人の形をしておらず、八畳の部屋いっぱいにもなる巨大な恐ろしい烏天狗がそこにいた。父親は驚き慌てふためいたが、子はそのまま風が吹き渡るような声を上げて何処かへ行ってしまったという。遠州小笠山の奧の院神社は、この天狗を祀っているのだそうである。

* * *

19.
愛宕山大権現の強敵退散法の中で唱えられる、太郞坊、火乱坊、三密坊、光林坊、天南坊、普賢坊、歓喜坊、東金坊とは、皆天狗の名前である。

* * *

20.
伊勢の国のある山寺にて如法経を行う僧の、弟子の小僧がどこへともなく姿を消したが、一両日経ってお堂の上で見つかった。見つけた時は正体を失したようであったが暫くして正気に戻り、またこの小僧が言うには「山伏どもに誘われて、あっという間に筑紫の安楽寺というところに連れて行かれました。そこには八十あまりのとても高貴な老僧がいらして、この方がこの山の尊者のように見えました。その老僧が『その子をここへ』と私をそばに置き、山伏らを指して『あやつらはつまらん者どもぞ、ここにいて見物していなさい』と仰いますので安心して見ておりました。山伏どもが老僧の御前で舞踊っておりますと、空から網のようなものが降りてきて山伏たちの上を引き回すように動きます。山伏どもは興醒めて逃げようとしましたが敵わず、網の目から火が燃え出て次第に燃え上がり、山伏どもをみな焼き尽くして灰にしてしまいました。しかし暫くすると灰はまた元の山伏になって踊り出しました。老僧は『そこの山伏よ、ここへ参れ』と仰って、どういうわけか『お前、この子を早く元の山寺へ連れて行きなさい』と言うと山伏は怯えたような様子で私を連れて帰った…のだと思います。」と言ったという。

* * *

21.
慶長甲寅(十九年)の夏、比叡山の僧侶が駿府に至り大衆に告げて曰く、「この頃、比叡山にも奇妙なことがあった。覚林房の奴三郎という者がある日忽然と姿を消し、数日を経て帰って来た。ひとが何処へ行っていたのかと尋ねると、
『何者かに捕らわれて、あっという間に伯州の大山に至り、と思えばもう筑紫の彦山に登っておりました。そうして大山や彦山の山伏と一緒に帰って来ましたが、そのとき奇妙な会合を見たのです。愛宕、鞍馬、比良から僧たちが集まり、上野国からもひとり僧が来て、ようやく座が定まり会合が持たれた。鞍馬の僧正は「久しく奇妙なことはなかった。東国と西国の戦もそう遠くはないのだろう」と言い、愛宕太郎もこれに頷いていました。叡山次郞は「東方が必ず勝ちましょう。すでに勝負は見えております。」と言い、各々本山へ帰っていきました。私はこの目で見たのです』と言っていたが誰も信じなかった。その後、果たして大坂の陣が起こったのだ。」(神社考)
古典と怪談が好きな茸です。タイッツーに生息。
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