椒圖志異/怪例及妖異 編
公開 2024/10/18 17:26
最終更新
2025/01/19 20:27
芥川龍之介の怪談集「椒圖志異」を口語訳したものです。まだ続きます。
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1.上杉家の怪例
桜田屋敷と呼ばれた上杉候の屋敷には、吉事があるごとに黒衣の女が現れたという。
いつの頃のことか、若殿様が奥方をお迎えすることになった。嫁君は老女らに傅かれて奥の一間で茶を啜りながらお話しなどされていたが、どういうわけかしばしば訝しげに座敷を差し覗くような素振りをする。老女のひとりが「御前様、いったい何をご覧なさりまする」と尋ねると、「…何だかあそこに茶道珍齋がいるように見えるものだから」とお答えになった。奥の一間は茶坊主など近付けるような場所ではない。老女たちはみな顔を見合わせて、「例の黒い着物の女が御前様の目の前を横切ったに違いない」と囁きあったのだと言う。
***
2.
また米澤の上杉候の居城では、御家督が定まるごとに新しい藩主様自らお膳を持ちになり、天守へお供えするのだという。その際はしっかりと目隠しして天守へ登られるのが通例であるが、天守からお帰りになられたご様子を見るに、どれほど勇邁の君であろうと必ずお顔を真っ青にして冷や汗を滴らせておられるという。いったいどんな不思議があったのだろうか。
***
3.毛利家の怪例
長州公の江戸藩邸には開かずの間があり、誰も入ってはならぬとされていた。ある年新しく奉公に上がった女中があったが、この女は同僚の女中達からえらく嫌われていた。あるとき女は同僚達に言いくるめられ、例の開かずの間へ入れられ閉じ込められてしまった。外に何か置かれているのか、開けようにも襖はビクともしない。女はもとより開かずの間の話など何にも知らないから特段恐れることも無く、ひとりそこに座り「誰か開けてくれる人が来ないかしら」と待っていた。そうして待つうちに次第に日は傾き、とうとう日が暮れた頃……何だか暗い部屋の中に女以外の気配がする。ざわざわ…ざわざわ…と、まるで大勢の人が集まり話しているような気配である。恐る恐る音がする方を伺うと、そこには女が幾人か座っていた。打ち掛けを着ている人や、長い笄を挿した人など、誰も身なりの整った奥女中風の姿をしている。彼女達は女を見て、「どうしてこの部屋へ来たのじゃ」と尋ねた。女がこれこれこういう事情でと説明すると奥女中風の女は頷いて、「それならば出してやろう。」と言った。「しかしここに妾たちがいたこと、決して他人に語ってはならぬぞ。」そう言い聞かせると奥女中風の女はさっと襖を開き、女を外へと押し出した。
女は奥女中の女との約束を固く守り、「どうやって出たんだ」と人々に尋ねられても答えなかった。同僚たちは女が口を割らないのを憎らしがり、益々女を虐めた。女はいよいよ堪えられなくなって家へ逃げ帰り、そのうち他へと嫁いだ。あるとき女は夫へ長州公の御屋敷で奉公していた頃の話を語るついでに、約束も忘れて開かずの間の奇事をうっかり話してしまった。すると開かずの間の奇事を語り終えると同時に、女は目に見えぬ何者かに首を引き切られて声もなく死んだという。
(以上母より)
***
4.
同級生・依田誠君の叔父という人の家では、石灯籠を建ててはいけない決まりになっているという。当主の何某氏は肝の座った人で「何を馬鹿なことを」と嘲り、その年庭に一基の石灯籠を建てた。
ところがその翌朝、庭を見れば石灯籠の笠は笠、柱は柱…と重ねたものが分解されて行儀よく並べ置かれていた。何某氏はなおも屈せず、もう一度それらを重ね直して石灯籠を建てたが、翌朝見ればまた昨日の朝のようにバラされて並べられていた。何某氏もそれを見てとうとう諦め、それっきりその家では石灯籠を建てることはなかったという。何某氏の家は神田…(約九字欠)…明治のことというから、さほど昔の話ではない。
(依田誠君より)
***
5.6.は↓を参照
【北越雪譜】無縫塔(二編 巻之三)
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/29338
***
7.
吉原という遊郭での話で、妓楼の名は須崎卍と言う。
ある遊女が召し使っていた禿が、誤って土瓶の蓋にあるつまみを壊してしまった。ところがこの土瓶は、さる馴染み客から贈られた薩摩焼の大変に高価なものであった。これに烈火のごとく怒った遊女は禿を怒鳴りつけ、勢いのまま煙管を押し取りバチンと禿へ打ち付けた。当たりどころが悪かったのだろう。禿はそのまま死んでしまった。そんなことがあってから須崎卍では、新しく買う土瓶は全て一夜のうちに蓋のつまみが無くなり消えてしまうのだという。
(母より)
***
8.
我が家に来る女髪結の「しも」という女は、数年前に芝区神明町十五番地に新しく家を借りた。
引っ越した当夜、夫は床に入って貸本など読んでいた。しもは自分もそろそろ寝ようと寝巻きに着替え「もうそろそろ明かりを消してもいいでしょう」と夫に声を掛けると、夫も本を伏せて頷くので枕元に灯したランプをフッと吹き消した。さっと辺りが暗くなると同時に、しもの目の前に誰かが立っていた。元禄模様の浴衣を着て算盤絞りの三尺帯を締め、手拭いを頬かむりにして、片足を一歩踏み出した姿の男が暗闇の中に立っていたのである。暗闇の中にも鮮やかに見えるそれに、しもは泥棒だと思い「キャアッ」と叫んで夫に取すがった。夫はすぐにマッチを擦り、部屋の中はぽっと明るくなったが、それと同時に男の影も見えなくなった。気味が悪いので翌日そうそうにその家を引越したが、後で聞くとあの家の後ろにある空き地では随分昔から怪しいことがあると噂が絶えないとか。
(「しも」より)
***
9.
上野国利根郡久賀村の南、吾妻郡との境に南山という山がある。栗茸の産地で毎年秋になると村人は争って南山に登るが、地獄谷という場所だけは誰も彼も一歩も足を入れないという。そこは栗も茸も多いけれど大昔から怪しい事があり、地獄谷へ足を踏み入れた者はそこで繁華な町を見たり、或いはそこで葬列の一行に出くわしたりと必ず怪しい目に遭うので、村人達は戒め合い地獄谷の近くにさえ行かないという。
***
10.
長野県伊那郡生田村のほとりに、その昔、天竜川に突き出た城があった。ところが織田信忠親子に攻められ城はとうとう落城し、城主の妻は秘蔵の鶏を抱いて後庭の井戸へ身を投げた。それ以来、今でも雨の朝、霧の夕べには城跡から鶏の鳴き声が聞こえ、城下の天竜川を通る舟が転覆し溺れる人が後を絶たないのだとか。
***
11.
岩代国飯谷山の白沼は、その昔、白馬がこの沼に入ったところ沼の水が白くなったことから白沼と呼ばれるようになったという。今でもなお晴天の日には水の中から馬の嘶く声が聞こえるという。
***
12.
越後国南魚沼郡大浦と浦佐村との間に、柳原という野原がある。大浦村の農夫・何某がこの野原を通ったところ、前から大きな幣束が歩いて来た。何某は大いに驚いて来た道を引き返したが、今度は後ろからまた大きな幣束がまるで人のように歩いてくる。右へ避けようとすれば右から幣束が、左へ逃げようとすれば左からも幣束が来る。四方を尽く幣束に塞がれ、もう生きた心地もせず…何某は無我夢中で走り回ってようよう自宅へ逃げ帰ったがそれから三日ほどして病んで亡くなったという。明治三十八年頃のことである。
***
13.
雲州松江市外中原にある清光院という寺には、松風の足跡というものがある。仏殿の二段目についた血の足跡がそれであるが、何某という侍が斬った女の恨みが今でもそこに残っているのだという。不思議なことに何度板を取り替えようとも、必ずこの血の足跡がうっすらと現れるのだとか。
***
14.
徳島県那賀郡坂野村大字豊浦から三里ばかり沖に、土地の者が亀磯と呼ぶ小島があった。この島には一体の石地蔵があり、「島に変事があればその石地蔵の顔の色が赤く変わる」などと言い伝えられていた。それをある盗人が「島の奴らを脅かして憂さを晴らしてやろう」とでも思ったようで、ある夜ひそかにこの地蔵の顔に紅を塗りつけておいた。ところが夜が明けるとともに、宵の風が吹き荒ぶような声が沖に轟いたと思うと山のような大波が起こり、忽ち島も人もひと飲みに呑み込んでしまったという。
***
15.
筑前国植木町の近くに素顔の滝というのがある。この滝の近くの林には昔から「おらび」と呼ばれるものがあり、姿は見えないが人が通ると「おーい」と呼ぶのが常であった。おらびの声よりも細い声で応えるか、その声に応えない場合は、忽ちその人は災いを受けるという。
***
16.
明治五、六年の頃、備後国尾道の長者がその家の畑で盗賊に殺された。するとその畑だけは大豆を蒔いても発芽せず、掘り返してみればどの豆も三日月の形になって腐っていたという。麦を蒔くと五寸ばかりは芽を出すが、畑の中は三日月の形に枯れてしまった。これは長者が殺された夜、空に三日月が浮かんでいたからだとか。
***
17.
鳥取では雪の夜、青い火が現れ、 畑の雪踏みをする男に付き纏うのだという。遠くから見ると火の形は長く、近くから見るとそれは月のように丸く、振り払っても払っても寄ってくるという。土地の者はそれを牛鬼と呼んでいる。
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1.上杉家の怪例
桜田屋敷と呼ばれた上杉候の屋敷には、吉事があるごとに黒衣の女が現れたという。
いつの頃のことか、若殿様が奥方をお迎えすることになった。嫁君は老女らに傅かれて奥の一間で茶を啜りながらお話しなどされていたが、どういうわけかしばしば訝しげに座敷を差し覗くような素振りをする。老女のひとりが「御前様、いったい何をご覧なさりまする」と尋ねると、「…何だかあそこに茶道珍齋がいるように見えるものだから」とお答えになった。奥の一間は茶坊主など近付けるような場所ではない。老女たちはみな顔を見合わせて、「例の黒い着物の女が御前様の目の前を横切ったに違いない」と囁きあったのだと言う。
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2.
また米澤の上杉候の居城では、御家督が定まるごとに新しい藩主様自らお膳を持ちになり、天守へお供えするのだという。その際はしっかりと目隠しして天守へ登られるのが通例であるが、天守からお帰りになられたご様子を見るに、どれほど勇邁の君であろうと必ずお顔を真っ青にして冷や汗を滴らせておられるという。いったいどんな不思議があったのだろうか。
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3.毛利家の怪例
長州公の江戸藩邸には開かずの間があり、誰も入ってはならぬとされていた。ある年新しく奉公に上がった女中があったが、この女は同僚の女中達からえらく嫌われていた。あるとき女は同僚達に言いくるめられ、例の開かずの間へ入れられ閉じ込められてしまった。外に何か置かれているのか、開けようにも襖はビクともしない。女はもとより開かずの間の話など何にも知らないから特段恐れることも無く、ひとりそこに座り「誰か開けてくれる人が来ないかしら」と待っていた。そうして待つうちに次第に日は傾き、とうとう日が暮れた頃……何だか暗い部屋の中に女以外の気配がする。ざわざわ…ざわざわ…と、まるで大勢の人が集まり話しているような気配である。恐る恐る音がする方を伺うと、そこには女が幾人か座っていた。打ち掛けを着ている人や、長い笄を挿した人など、誰も身なりの整った奥女中風の姿をしている。彼女達は女を見て、「どうしてこの部屋へ来たのじゃ」と尋ねた。女がこれこれこういう事情でと説明すると奥女中風の女は頷いて、「それならば出してやろう。」と言った。「しかしここに妾たちがいたこと、決して他人に語ってはならぬぞ。」そう言い聞かせると奥女中風の女はさっと襖を開き、女を外へと押し出した。
女は奥女中の女との約束を固く守り、「どうやって出たんだ」と人々に尋ねられても答えなかった。同僚たちは女が口を割らないのを憎らしがり、益々女を虐めた。女はいよいよ堪えられなくなって家へ逃げ帰り、そのうち他へと嫁いだ。あるとき女は夫へ長州公の御屋敷で奉公していた頃の話を語るついでに、約束も忘れて開かずの間の奇事をうっかり話してしまった。すると開かずの間の奇事を語り終えると同時に、女は目に見えぬ何者かに首を引き切られて声もなく死んだという。
(以上母より)
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4.
同級生・依田誠君の叔父という人の家では、石灯籠を建ててはいけない決まりになっているという。当主の何某氏は肝の座った人で「何を馬鹿なことを」と嘲り、その年庭に一基の石灯籠を建てた。
ところがその翌朝、庭を見れば石灯籠の笠は笠、柱は柱…と重ねたものが分解されて行儀よく並べ置かれていた。何某氏はなおも屈せず、もう一度それらを重ね直して石灯籠を建てたが、翌朝見ればまた昨日の朝のようにバラされて並べられていた。何某氏もそれを見てとうとう諦め、それっきりその家では石灯籠を建てることはなかったという。何某氏の家は神田…(約九字欠)…明治のことというから、さほど昔の話ではない。
(依田誠君より)
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5.6.は↓を参照
【北越雪譜】無縫塔(二編 巻之三)
https://simblo.net/u/CSwtDp/post/29338
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7.
吉原という遊郭での話で、妓楼の名は須崎卍と言う。
ある遊女が召し使っていた禿が、誤って土瓶の蓋にあるつまみを壊してしまった。ところがこの土瓶は、さる馴染み客から贈られた薩摩焼の大変に高価なものであった。これに烈火のごとく怒った遊女は禿を怒鳴りつけ、勢いのまま煙管を押し取りバチンと禿へ打ち付けた。当たりどころが悪かったのだろう。禿はそのまま死んでしまった。そんなことがあってから須崎卍では、新しく買う土瓶は全て一夜のうちに蓋のつまみが無くなり消えてしまうのだという。
(母より)
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8.
我が家に来る女髪結の「しも」という女は、数年前に芝区神明町十五番地に新しく家を借りた。
引っ越した当夜、夫は床に入って貸本など読んでいた。しもは自分もそろそろ寝ようと寝巻きに着替え「もうそろそろ明かりを消してもいいでしょう」と夫に声を掛けると、夫も本を伏せて頷くので枕元に灯したランプをフッと吹き消した。さっと辺りが暗くなると同時に、しもの目の前に誰かが立っていた。元禄模様の浴衣を着て算盤絞りの三尺帯を締め、手拭いを頬かむりにして、片足を一歩踏み出した姿の男が暗闇の中に立っていたのである。暗闇の中にも鮮やかに見えるそれに、しもは泥棒だと思い「キャアッ」と叫んで夫に取すがった。夫はすぐにマッチを擦り、部屋の中はぽっと明るくなったが、それと同時に男の影も見えなくなった。気味が悪いので翌日そうそうにその家を引越したが、後で聞くとあの家の後ろにある空き地では随分昔から怪しいことがあると噂が絶えないとか。
(「しも」より)
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9.
上野国利根郡久賀村の南、吾妻郡との境に南山という山がある。栗茸の産地で毎年秋になると村人は争って南山に登るが、地獄谷という場所だけは誰も彼も一歩も足を入れないという。そこは栗も茸も多いけれど大昔から怪しい事があり、地獄谷へ足を踏み入れた者はそこで繁華な町を見たり、或いはそこで葬列の一行に出くわしたりと必ず怪しい目に遭うので、村人達は戒め合い地獄谷の近くにさえ行かないという。
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10.
長野県伊那郡生田村のほとりに、その昔、天竜川に突き出た城があった。ところが織田信忠親子に攻められ城はとうとう落城し、城主の妻は秘蔵の鶏を抱いて後庭の井戸へ身を投げた。それ以来、今でも雨の朝、霧の夕べには城跡から鶏の鳴き声が聞こえ、城下の天竜川を通る舟が転覆し溺れる人が後を絶たないのだとか。
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11.
岩代国飯谷山の白沼は、その昔、白馬がこの沼に入ったところ沼の水が白くなったことから白沼と呼ばれるようになったという。今でもなお晴天の日には水の中から馬の嘶く声が聞こえるという。
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12.
越後国南魚沼郡大浦と浦佐村との間に、柳原という野原がある。大浦村の農夫・何某がこの野原を通ったところ、前から大きな幣束が歩いて来た。何某は大いに驚いて来た道を引き返したが、今度は後ろからまた大きな幣束がまるで人のように歩いてくる。右へ避けようとすれば右から幣束が、左へ逃げようとすれば左からも幣束が来る。四方を尽く幣束に塞がれ、もう生きた心地もせず…何某は無我夢中で走り回ってようよう自宅へ逃げ帰ったがそれから三日ほどして病んで亡くなったという。明治三十八年頃のことである。
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13.
雲州松江市外中原にある清光院という寺には、松風の足跡というものがある。仏殿の二段目についた血の足跡がそれであるが、何某という侍が斬った女の恨みが今でもそこに残っているのだという。不思議なことに何度板を取り替えようとも、必ずこの血の足跡がうっすらと現れるのだとか。
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14.
徳島県那賀郡坂野村大字豊浦から三里ばかり沖に、土地の者が亀磯と呼ぶ小島があった。この島には一体の石地蔵があり、「島に変事があればその石地蔵の顔の色が赤く変わる」などと言い伝えられていた。それをある盗人が「島の奴らを脅かして憂さを晴らしてやろう」とでも思ったようで、ある夜ひそかにこの地蔵の顔に紅を塗りつけておいた。ところが夜が明けるとともに、宵の風が吹き荒ぶような声が沖に轟いたと思うと山のような大波が起こり、忽ち島も人もひと飲みに呑み込んでしまったという。
***
15.
筑前国植木町の近くに素顔の滝というのがある。この滝の近くの林には昔から「おらび」と呼ばれるものがあり、姿は見えないが人が通ると「おーい」と呼ぶのが常であった。おらびの声よりも細い声で応えるか、その声に応えない場合は、忽ちその人は災いを受けるという。
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16.
明治五、六年の頃、備後国尾道の長者がその家の畑で盗賊に殺された。するとその畑だけは大豆を蒔いても発芽せず、掘り返してみればどの豆も三日月の形になって腐っていたという。麦を蒔くと五寸ばかりは芽を出すが、畑の中は三日月の形に枯れてしまった。これは長者が殺された夜、空に三日月が浮かんでいたからだとか。
***
17.
鳥取では雪の夜、青い火が現れ、 畑の雪踏みをする男に付き纏うのだという。遠くから見ると火の形は長く、近くから見るとそれは月のように丸く、振り払っても払っても寄ってくるという。土地の者はそれを牛鬼と呼んでいる。
