【風来山人】根南志具佐 二之巻(茸)中
公開 2026/02/03 00:04
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さてまた同じく神代には山幸彦こと彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)が興行主となり、兄の海幸彦こと火酢芹命(ほのすそりのみこと)が芝居興行を行った。しかし先立つモノのない貧乏劇団。赭(そぼに)という赤土を手に塗り顔に塗り見得を切ったが、客は一向に入らず小屋には閑古鳥が鳴く有り様で興行の仕事もポシャってしまった。また翰林葫蘆集(かんりんころしゅう)などを考えてみると、古の芝居は「神楽」とも言ったが、神楽の「神」の字の真ん中に聖徳太子が墨打ちし、秦河勝にノコギリで挽き割らせて、これを名付けて「申楽(さるがく)」という。それを後の世の人が「申」の字の首と尻尾をぶった切って「田楽」と呼び、当時はこれがあちこちで行われた。その後は田の字の囲みをとって「十楽」などと名付けられそうなものだが、永楽のころ出雲阿国という別嬪が近江の名古屋三左衛門とかいう色男と夫婦になり、歌舞伎と名前を変えて現代に通ずる新しい芝居を生み出した。それから千変万化に移り変わり、江戸は江戸風、京は京風と別れ、「物の名も所によりて変わるなり、難波の蘆は伊勢の浜萩」の諺通り。難波で生まれた浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑は、伊勢の古市から名古屋の若宮八幡へ渡って大成功し、安芸の宮島、備中は吉備津神社の門前町から讃岐の金毘羅さんの門前町、下総の銚子にまで行き渡らぬところもなく、三ちゃいのちびっこも團十郎といえばキッと睨むものと心得、犬をいじめるクソガキもグニャグニャ品をつくるは若女形の冨十郎だと知っている。されば泰平の世の暇つぶし、人を和ます道にして、「王が流行曲を好んで何の問題がありましょう。王が民草と楽しさを分かち合えば、自から民草の心も王に集まり国もよく治りましょう」と孟子の言うように世俗の楽もまた捨てたものではない。捨てたものではないが…松平出羽守や溝口出雲守のようなバカ殿…ンンッ!…貴いお生まれの方々が自ら芝居の業を学び、烏帽子の緒を掛けるべき顔を紅白粉で塗り汚し、国家運営の舵取りを談じるべき口からセリフを吐いて悦に入るなんぞちゃんちゃら可笑しいことである。ある愚か者は「私は死んだらカオツに生まれ変わりたい」と言うので、傍でこれを聞いていた人が「どうしてまたカツオになりたいんです?」と聞くと、「だってカツオは美味いじゃないですか」と答えたとか。それと同じである。カツオだって食えばこそ美味いのだ、自分がカツオになって人に食われては何が美味いものか。芝居も役者に演じさせて見るのは良いが、自分が演じたところで面白くもないだろう。しかし子曰く「楽しみはまた其の中に有馬筆」…そんなつまらんことに彼らは楽しみを見出しているのである。浄瑠璃や芝居に耽溺して明け暮らすお偉方は、己の胸に手を置いて今一度、己のバカさ加減を自覚するべきである。
曾子(そうし)は飴を見て「年寄りに食わせたら喜ぶだろうな」と思い、盗人はこれを見て「鍵穴に入れりゃ型が取れそうだ」と思う。下戸は萩を見てぼた餅を頭に浮かべて生唾を飲み込み、歯なしは浅漬けを見てワサビおろしがあったかいなと顎をさする。それもこれも各々が好むところへ心が引っ張られるためである。好きこそ物の上手なれとの諺通り、親を愛する者は孝行者の名を上げ、主人を敬愛する者は忠臣の名を残す。こう言う「好き!」はどれだけ積み重ねても苦にならないが、好きだからと欲望のままに突っ走っておじゃんにしてしまうこともままある。食べ物は体を養うために欠かせないが、食べ過ぎて命を損なうこともある。酒は憂さを払うというが、体を壊すほど飲んでは飲まぬより深く憂うことになる。火事が怖いと一日も火を焚かねば住み留まることもできない浮世なれば、兎にも角にも益になるか害になるかは「どう使うか」次第だと知るべきである。芝居も勧善懲悪の心で見るときには教えともなり戒めともなろうが、これに溺れると大抵碌なことにならない。あるいはまた推し役者の紋を入れた櫛・笄を髪に挿す妻と、それをデレデレ涎を垂らして見ている亭主…なんてのを見ていると「白髪三千丈、愁いによりてかくのごとく長し」と詠んだ李白も「バカ亭主の鼻毛三千丈、たわけによってかくのごとく長し」と詩に作りそうである。そういうお大尽は世の中に結構いる。
さてまた役者も昔は名人が多かったが、寄る年波の引き道具には拍子木の合図もいらず、そろそろあの世へ迫り出し道具。名人たちが立つ場所を蓮の臺へ早替わりしてより、堺町・ふきや町・木挽町の三大芝居町の舞台に大スターの影はなく、まるで芝居は骨がすっぽり抜けたよう。市川海老蔵、助高屋高助を始めとする名人たちの名を虚しく標の石に記してより、また名人と呼ばれる役者が出てこないのは一体どういう訳だろう。それはつまり諸芸押し並べて昔の名人に劣るのは、最近の役者は意気地がなく、小賢しい上に大馬鹿者だからである。昔の役者は師匠に張り付いて熱心にその業を学び、寝ても覚めても演技に心を配り、一筋に励むことで名を上げる者が多かった。ところが近年の役者ときたら、師匠と仰ぐもただ苗字を貰いたいがため。下っ端僧都が山上参りをして偉くなった気になるようにプライドと給金ばかり高くなり、修行すべき芸は学ばず、兎に角女性ファンにキャーキャー言われることを第一とし、目上の人をも見下して、流行りのスタイルに乗っかっときゃいいとだけ心得て、原作者の意向もまるで無視。そういう役者はたとえひととき人気を博して大評判になったとしても、あっという間に人気は衰え過去の人になってしまう。その疾きこと鉄砲の玉に帆をかけたるがごとし。これはみな芝居に掛ける熱意が足りないためである。
今は昔、澤村小伝次という若女形が河内国は藤井寺のご開帳へ参ったときのことである。藤井寺の近く、小山というところへ宿を取ったところ、小伝次は青白い顔でこめかみを押さえて「一日駕籠に揺られていたせいか血の道が…」と言いだした。これには連れの役者仲間・竹中半三郎、小松才三郎、尾上源太郎が「いくら女形だからって、男のクセに血の道ってお前」と腹を抱えてゲラゲラ笑ったが、その場に居合わせた井原西鶴は大いに感じ入り「幼い頃から見た目も言葉遣いも女のようになろうと日々嗜んでいたから、仮初の頭痛も血の道と思ったんやろ。まあまあ、可愛らしいこっちゃ」と言ったとか。実にその業一筋に勤める者は皆々こうありたいものである。その理屈で言えば敵役は常に人をいじめ、あるいは芝居でやるような悪巧みをし、日に二、三度は本当に殺さてみろと屁理屈をこねるべきだがこれはまたそういうことではない。悪いことはすぐ真似できる。たとえ芝居でなくても、悪人になることは造作もないことである。しかし善良な人間になるには努力しなければなれない。殊に男の体を女に見せることは、至って心を配り気をつけなければ上手くいかない。そう考えれば小伝次の嗜みは、実に感心なことではなかろうか。最近の女形は舞台に出ている時はたおやかに見えるが、普段の振る舞いは今日も明後日も鮫鞘の大脇差を帯にぶっ差し、腕まくりして茶碗で酒をかっ食い、見境なくナオンの尻を追っかけ回し、「あの女はどうだった、その女はあぁだった」と聞くに堪えない下卑た話をゲラゲラと…。舞台で見たときの姿とは、お月様と菱餅、下駄と人魂ほど違っている。これではたとえ一時評価が上がっても、名人と呼ばれる役者になるのはとてもじゃないが難しいのではなかろうか。
(続く)
曾子(そうし)は飴を見て「年寄りに食わせたら喜ぶだろうな」と思い、盗人はこれを見て「鍵穴に入れりゃ型が取れそうだ」と思う。下戸は萩を見てぼた餅を頭に浮かべて生唾を飲み込み、歯なしは浅漬けを見てワサビおろしがあったかいなと顎をさする。それもこれも各々が好むところへ心が引っ張られるためである。好きこそ物の上手なれとの諺通り、親を愛する者は孝行者の名を上げ、主人を敬愛する者は忠臣の名を残す。こう言う「好き!」はどれだけ積み重ねても苦にならないが、好きだからと欲望のままに突っ走っておじゃんにしてしまうこともままある。食べ物は体を養うために欠かせないが、食べ過ぎて命を損なうこともある。酒は憂さを払うというが、体を壊すほど飲んでは飲まぬより深く憂うことになる。火事が怖いと一日も火を焚かねば住み留まることもできない浮世なれば、兎にも角にも益になるか害になるかは「どう使うか」次第だと知るべきである。芝居も勧善懲悪の心で見るときには教えともなり戒めともなろうが、これに溺れると大抵碌なことにならない。あるいはまた推し役者の紋を入れた櫛・笄を髪に挿す妻と、それをデレデレ涎を垂らして見ている亭主…なんてのを見ていると「白髪三千丈、愁いによりてかくのごとく長し」と詠んだ李白も「バカ亭主の鼻毛三千丈、たわけによってかくのごとく長し」と詩に作りそうである。そういうお大尽は世の中に結構いる。
さてまた役者も昔は名人が多かったが、寄る年波の引き道具には拍子木の合図もいらず、そろそろあの世へ迫り出し道具。名人たちが立つ場所を蓮の臺へ早替わりしてより、堺町・ふきや町・木挽町の三大芝居町の舞台に大スターの影はなく、まるで芝居は骨がすっぽり抜けたよう。市川海老蔵、助高屋高助を始めとする名人たちの名を虚しく標の石に記してより、また名人と呼ばれる役者が出てこないのは一体どういう訳だろう。それはつまり諸芸押し並べて昔の名人に劣るのは、最近の役者は意気地がなく、小賢しい上に大馬鹿者だからである。昔の役者は師匠に張り付いて熱心にその業を学び、寝ても覚めても演技に心を配り、一筋に励むことで名を上げる者が多かった。ところが近年の役者ときたら、師匠と仰ぐもただ苗字を貰いたいがため。下っ端僧都が山上参りをして偉くなった気になるようにプライドと給金ばかり高くなり、修行すべき芸は学ばず、兎に角女性ファンにキャーキャー言われることを第一とし、目上の人をも見下して、流行りのスタイルに乗っかっときゃいいとだけ心得て、原作者の意向もまるで無視。そういう役者はたとえひととき人気を博して大評判になったとしても、あっという間に人気は衰え過去の人になってしまう。その疾きこと鉄砲の玉に帆をかけたるがごとし。これはみな芝居に掛ける熱意が足りないためである。
今は昔、澤村小伝次という若女形が河内国は藤井寺のご開帳へ参ったときのことである。藤井寺の近く、小山というところへ宿を取ったところ、小伝次は青白い顔でこめかみを押さえて「一日駕籠に揺られていたせいか血の道が…」と言いだした。これには連れの役者仲間・竹中半三郎、小松才三郎、尾上源太郎が「いくら女形だからって、男のクセに血の道ってお前」と腹を抱えてゲラゲラ笑ったが、その場に居合わせた井原西鶴は大いに感じ入り「幼い頃から見た目も言葉遣いも女のようになろうと日々嗜んでいたから、仮初の頭痛も血の道と思ったんやろ。まあまあ、可愛らしいこっちゃ」と言ったとか。実にその業一筋に勤める者は皆々こうありたいものである。その理屈で言えば敵役は常に人をいじめ、あるいは芝居でやるような悪巧みをし、日に二、三度は本当に殺さてみろと屁理屈をこねるべきだがこれはまたそういうことではない。悪いことはすぐ真似できる。たとえ芝居でなくても、悪人になることは造作もないことである。しかし善良な人間になるには努力しなければなれない。殊に男の体を女に見せることは、至って心を配り気をつけなければ上手くいかない。そう考えれば小伝次の嗜みは、実に感心なことではなかろうか。最近の女形は舞台に出ている時はたおやかに見えるが、普段の振る舞いは今日も明後日も鮫鞘の大脇差を帯にぶっ差し、腕まくりして茶碗で酒をかっ食い、見境なくナオンの尻を追っかけ回し、「あの女はどうだった、その女はあぁだった」と聞くに堪えない下卑た話をゲラゲラと…。舞台で見たときの姿とは、お月様と菱餅、下駄と人魂ほど違っている。これではたとえ一時評価が上がっても、名人と呼ばれる役者になるのはとてもじゃないが難しいのではなかろうか。
(続く)
