【風来山人】根南志具佐 二之巻(茸)後
公開 2026/02/03 00:06
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さてそんな有象無象が入り混じるドブの中にも、蓮葉(はちすば)の濁りに染まぬ玉の姿…瀬川菊之丞と呼ばれる若女形がいた。この菊之丞、先代の実生(実子)ではなく八王子の土の中から掘り出した分け根(養子)であったが、二葉の頃から「この子はただの土手の野菊ではない」と評判は高作り、器量は他に並び夏菊ともて囃され、今や京・大坂・江戸の三都でもこの歳にしてこの芸なしと、もっぱら評価の将来を嘱望される若者である。
折しも水無月の十日あまり。その年は降り続いた梅雨の長雨が俄かに照り上がり、迎えた夏は例年よりも厳しい暑さであった。おまけに風見のカラスは釘を打たれたように微動だにせず、草は絵に描いたようにソヨとも動かず。道ゆく人はこのまま汗になって消えちまいそうだと嘆き、暑さに喘ぐ犬の舌は溶けて落ちるんじゃないかと疑うほど。誰も彼もどうにか暑さを避けることばかりを考えていた。
さて菊之丞もまた自宅で蒸し暑さに苦しんでいたところ、同じ若女形である荻野八重桐が訪ねてきた。二人は同じ市村座に勤め、共に紫ぼうしを戴く『ゆかり』の仲であるから互いに遠慮することもない。三保の松原の天女よろしく夏衣をはらりと脱いで、松の枝ならぬ衣紋掛けへ。気楽に寛いで座ると、さっそく後ろからそよそよと扇の風が…菊之丞の妻の心遣いである。客あしらいに慣れた妻は冷たい葛水でもてなし、菊之丞も八重桐もほっと人心地ついたのであった。そうしてひとつふたつ世間話などして…半ばは暑さの噂であったけれど…ふと八重桐が「特に今年は暑さが厳しゅうござんすから、涼み船がこれまでにないほど賑わっておりますよ。幸い今ちょうど芝居もお休みですし、一緒に船遊びでもいかがです?」と切り出した。菊之丞も顔を綻ばせ、「私も前々から行きたい、行きたいと思っていたんですけれど、なかなか忙しくて行けなかったんですよ。それじゃあ一日船に乗って遊ぼうじゃありませんか」と。「それじゃ他の人もお誘いしましょう。」「しかしあんまり大勢じゃあ騒々しいから…」ということで、今度の十五日に船遊びしませんか?と同座の鎌倉平九郎、女形の中村与三八などへお誘いの使いを立てたところ皆「オッケー」との返事。いよいよ十五日の早朝と日取りを決めて、船の中での飲み食いの支度など細々と取り決めつつ、八重桐は自宅へと帰っていったのであった。

(終)
古典と怪談が好きな茸です。タイッツーに生息。
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