【風来山人】根南志具佐(茸)前
公開 2025/05/11 21:33
最終更新 2025/05/11 21:38
根南志具佐一之巻

「公河を渡ることなかれ、公ついに河を渡る。河に堕ちて死す、まさに公をいかんすべき」と詩に詠まれたのは、見ぬ唐土のいにしえに夫を河で亡くした悲しみに堪えぬ妻の嘆きだとか。さて宝暦十あまり三の年、水無月の頃。荻野八重桐という女形が水に入って亡くなった。ところが八重桐の死について世間ではあれこれ噂が飛び交うものの、誰もその真相を知る人はない。
その実際のところを探ってみると、「皓皓の白を以って、世俗の塵埃を蒙らんや」と憤って泪羅の淵に身を投げた屈原の類というわけでもなく、面向不背の玉を取り返そうと海底に飛び込んで命を捨てた海女とも違う。では、荻野八重桐の死の真相とは…

この世ならざる異界の、極楽と地獄の真ん中に閻魔大王というやんごとなき御方がいらっしゃった。この大王は三千世界を領し、十王を始めとして朝廷の臣下は数知れず、それぞれ地獄で役に就いている者も多い。異界であってもこうなのだから、我々人間の渡世も士農工商みな暇がないのも道理である。閻魔王宮も昔はさほど忙しくなかったが、近年は人の性根も捻くれて様々悪事を働く者が多く、罪人の数も日に日に右肩上がりであった。罪人どもに責苦を受けさせねばならぬが、今ある地獄だけではとてもキャパが足りぬ。どうしたものかと閻魔王がお困りになっている折を窺って、山師どもは我先にと裏からコソコソ手を回し、ゴマをすりすり袖の下。役人たちを誑かして、さまざま新規事業を願い出た。まず極楽海道十万億土の内から適当な荒地を見立て、地蔵菩薩の領分たる賽の河原の茄子畑辺りまで切り拓き、数百里もの大きな池を堀って蘇芳を煎じた赤い湯を入れ血の池を作り、山を築いて剣の木の苗を植えさせ、罪人どもを撞く臼も獄卒の手が足りぬと水車仕掛けの全自動化、焦熱地獄にはタタラの天秤ふいごを据えて効率化。そのほか叫喚・大叫喚・等活・黒縄・無間地獄などの他にも様々な新地獄を拵えて、内には岡場所地獄などと称するものまでも。これがなかなか盛況で奪衣婆ひとりでは手が回らぬと、久しく地獄に堕ちていた浅草一ツ家の姥、安達原の黒塚婆、業突く張りで知られた堺町の笋婆、そのほか娑婆で嫁をいびり継子を虐めた性悪婆どもまで特別に罪を許し、奪衣婆の加勢に入れてしまうほどの大繁盛。
そうして段々と地獄が広がってくると、例の山師どもがまたまた願い出た。
ある者は「何卒私めを新地獄の大家にしてくださいませ」と言う。狙いは店子からせしめる便所の汲み取り代であるが、餓鬼道の奴らは物を食えないから出るモノも出ない。しかしそこは山師どもの抜け目なさ。「餓鬼道の分は汲み取り代が上がりませんから、節句ごとに大家へ節句銭を二百文を渡すようお定めくださいませ」という注文までつけていた。また舌を抜く鋏の口入れや、獄卒が使う鉄棒や火の車を納品している者は、「地獄の釜を新調したい」との仰せに古地獄から底の抜けた鍋釜を集めてきて鋳掛けさせ、「新調など勿体ない。罪人に竹の根を掘らせる燈心も蝋燭屋の切り屑をお買い上げなさるのが一番お得ですよ。少々のこととお思いでしょうが、地獄の時間は人間の時間では百万刧と途方もない長さ。塵も積もればなんとやら、でございますよ」と言い。またまた三途川の古着を商う座に申し付けられた者は、「その代わり仕入れ値は『ちょぼ』っとオマケしてくださいよ、獄卒のダンナがた。もし御入用のときは、虎の皮のフンドシを質にお置きになってもグッと安い利息でお貸ししますから」などと言い。どいつもこいつも「そうなれば地獄にとっても恩恵に」などと己が私利私欲を押し隠し、お為ごかしに数通の願書を奉る。地獄の沙汰も銭次第。まったく抜け目ない世の中である。

(中編へつづく)
古典と怪談が好きな茸です。タイッツーに生息。
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