【撰集抄】西行於高野奥造人事
公開 2025/04/06 00:53
最終更新
2025/04/06 12:01
これは同じ頃、高野山の奥に住んでいた西行法師の話である。
西行には懇意にしている友がいた。月が美しい夜には橋の上で落ち合って共に月を眺め眺めして過ごしていたが、ある時この友の聖は「京でやらなければならない事がある」とすげなく西行を振り捨てて京へ上ってしまった。
自分と同じく憂き世を厭い、花月の情をわきまえた友がいなくなってしまった。ぼんやりと胸に寂しさ、恋しさを抱えていたところ、思いがけず『鬼がヒトの骨を拾い集めて人間を造ったことがあったそうだ』と聞いた。曖昧な話ではあったが、信のおける人から聞いた話である。西行はその人が話した通りに、広い野に出て骨を拾い集め、編んで繋ぎ合わせてニンゲンを拵えた。ところがそのニンゲン、人の姿はしているものの肌の色は悪く、何より心というものがなかった。声は出るがまるで絃管の鳴る音のよう。それはそうである。人は心があればこそ、想いが声になり言葉になるのだから。どうにか声が出るようあれこれ仕向けてみたが、まるで吹き損じた笛のような音が漏れるばかりであった。
どうしてこんなモノが出来上がったのか、不思議である。
(…さて、これはどうしたものか…)
壊してしまえば人殺しの業を負うだろう。いや、心がないのだから草木と同じだ。そう思っても人の姿をしていれば踏ん切りがつかず。どうやってもコレを壊すことは出来ない…そう考えた西行は、仕方なく人も通わぬ高野山の奥深くへニンゲンを置き去りにした。もし誰かが偶然ニンゲンを見つけたら、化け物が出たと怯え恐るだろうが…。
それにしてもどうして上手くいかなかったのか。それを知りたくて京へ出かけた折に例の話を教えてくださった徳大寺殿を訪ねてみた。ところが徳大寺殿は参内しているとのことで面会叶わず屋敷を辞し、今度は伏見の前中納言・師仲卿の屋敷を訪ねた。
「師仲卿は鬼が屍を集めて人間を造ったという話をご存知でしょうか。私も試みてみたのですが、どうも上手くいきませんでした。」
「ふむ…いったいどんな方法で造ったのですか。」
「えぇ、お聞きしたいのはそのことなのです。まず広野に出て草に埋もれた屍の骨をとり集め、頭から手足の先までヒトの形になるように並べ置き、砒霜(ヒ素)という薬を骨に塗って苺とハコベの葉で揉み、藤または糸のようなもので骨を繋ぎ合わせて度々水で洗い、髑髏の髪が生えるあたりにはサイカイとムクゲの葉とを焼いた灰をつけました。そして土の上に畳を敷いて例の骨を横たえ、重々雨風も入らぬように設えて十四日寝かせた後、そこへ行って沈と香とを焚いて反魂の秘術を行いました。」
西行がそう伝えると、
「…凡そやり方は合っていますが、貴方は反魂の術を行うにはまだ日が浅いようだ。私はかつて、思いがけず四条の大納言様から教えを受けて人間を造りました。私が造ったヒトは今は公卿でいらっしゃるが、もし名を明かせば造った者も造られたモノも消えてしまいますから決してお教えできません。…しかしそこまでご存知なら方法はお教えしましょう。まず香は焚きません。香は魔縁を退けて菩薩たちを呼び集める徳があります。菩薩は生死を深く忌むものですから、彼らによって生死は遠ざけられ肉体に心が宿らないのです。反魂の術を行うときは、沈と乳を焚くのがよろしいでしょう。それから反魂の秘術を行う前、七日間は食べ物を口にしてはいけません。そうして造れば完全な人間が出来ますよ。」
師仲卿はそう仰ったが、西行はつまらないことはよそうと思い直して、その後は人間を造ろうとはしなかったという。
また中でも土御門の右大臣様が同様に人間をお造りになったときは、夢に見知らぬ翁が現れて「私は一切の死人どもを領する者でございます。貴方様はなぜ私に断りもなく死人の骨を奪ったのですか。」と恨めしげに右大臣様に言ったのだという。もし屍から人を造る方法を日記(家記)に残したならば、我が子孫が真似をして取り殺されるかもしれない。そんなことになっては全く意味がないとすぐに日記を焼き捨ててしまったそうだ。話に聞くだけでも、全くろくでもない話である。愚かな真似はしないよう、よくよく肝に銘じることではないだろうか。ただし呉竹の二子は天老という鬼が頻川のほとりで作り出した賢者であるとも伝えられている。
西行には懇意にしている友がいた。月が美しい夜には橋の上で落ち合って共に月を眺め眺めして過ごしていたが、ある時この友の聖は「京でやらなければならない事がある」とすげなく西行を振り捨てて京へ上ってしまった。
自分と同じく憂き世を厭い、花月の情をわきまえた友がいなくなってしまった。ぼんやりと胸に寂しさ、恋しさを抱えていたところ、思いがけず『鬼がヒトの骨を拾い集めて人間を造ったことがあったそうだ』と聞いた。曖昧な話ではあったが、信のおける人から聞いた話である。西行はその人が話した通りに、広い野に出て骨を拾い集め、編んで繋ぎ合わせてニンゲンを拵えた。ところがそのニンゲン、人の姿はしているものの肌の色は悪く、何より心というものがなかった。声は出るがまるで絃管の鳴る音のよう。それはそうである。人は心があればこそ、想いが声になり言葉になるのだから。どうにか声が出るようあれこれ仕向けてみたが、まるで吹き損じた笛のような音が漏れるばかりであった。
どうしてこんなモノが出来上がったのか、不思議である。
(…さて、これはどうしたものか…)
壊してしまえば人殺しの業を負うだろう。いや、心がないのだから草木と同じだ。そう思っても人の姿をしていれば踏ん切りがつかず。どうやってもコレを壊すことは出来ない…そう考えた西行は、仕方なく人も通わぬ高野山の奥深くへニンゲンを置き去りにした。もし誰かが偶然ニンゲンを見つけたら、化け物が出たと怯え恐るだろうが…。
それにしてもどうして上手くいかなかったのか。それを知りたくて京へ出かけた折に例の話を教えてくださった徳大寺殿を訪ねてみた。ところが徳大寺殿は参内しているとのことで面会叶わず屋敷を辞し、今度は伏見の前中納言・師仲卿の屋敷を訪ねた。
「師仲卿は鬼が屍を集めて人間を造ったという話をご存知でしょうか。私も試みてみたのですが、どうも上手くいきませんでした。」
「ふむ…いったいどんな方法で造ったのですか。」
「えぇ、お聞きしたいのはそのことなのです。まず広野に出て草に埋もれた屍の骨をとり集め、頭から手足の先までヒトの形になるように並べ置き、砒霜(ヒ素)という薬を骨に塗って苺とハコベの葉で揉み、藤または糸のようなもので骨を繋ぎ合わせて度々水で洗い、髑髏の髪が生えるあたりにはサイカイとムクゲの葉とを焼いた灰をつけました。そして土の上に畳を敷いて例の骨を横たえ、重々雨風も入らぬように設えて十四日寝かせた後、そこへ行って沈と香とを焚いて反魂の秘術を行いました。」
西行がそう伝えると、
「…凡そやり方は合っていますが、貴方は反魂の術を行うにはまだ日が浅いようだ。私はかつて、思いがけず四条の大納言様から教えを受けて人間を造りました。私が造ったヒトは今は公卿でいらっしゃるが、もし名を明かせば造った者も造られたモノも消えてしまいますから決してお教えできません。…しかしそこまでご存知なら方法はお教えしましょう。まず香は焚きません。香は魔縁を退けて菩薩たちを呼び集める徳があります。菩薩は生死を深く忌むものですから、彼らによって生死は遠ざけられ肉体に心が宿らないのです。反魂の術を行うときは、沈と乳を焚くのがよろしいでしょう。それから反魂の秘術を行う前、七日間は食べ物を口にしてはいけません。そうして造れば完全な人間が出来ますよ。」
師仲卿はそう仰ったが、西行はつまらないことはよそうと思い直して、その後は人間を造ろうとはしなかったという。
また中でも土御門の右大臣様が同様に人間をお造りになったときは、夢に見知らぬ翁が現れて「私は一切の死人どもを領する者でございます。貴方様はなぜ私に断りもなく死人の骨を奪ったのですか。」と恨めしげに右大臣様に言ったのだという。もし屍から人を造る方法を日記(家記)に残したならば、我が子孫が真似をして取り殺されるかもしれない。そんなことになっては全く意味がないとすぐに日記を焼き捨ててしまったそうだ。話に聞くだけでも、全くろくでもない話である。愚かな真似はしないよう、よくよく肝に銘じることではないだろうか。ただし呉竹の二子は天老という鬼が頻川のほとりで作り出した賢者であるとも伝えられている。
