【妖怪報告】霊魂は幽明の間に通ずるものか【井上円了】
公開 2024/10/08 22:47
最終更新
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※井上円了「妖怪報告」https://www.aozora.gr.jp/cards/001021/card49274.html より、奇妙な夢の話を抜粋し、まいたけがいい加減に訳したものです。
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明治十九年、静岡県遠州何某氏より
私の家は先祖代々農業を生業としてきました。親族は父母によそへ嫁いだ姉がひとり、七つで亡くなった弟がひとり。長じて私は妻を娶り息子が産まれ、当時の我が家は両親と私・妻・息子の計五人が暮らしておりました。
私は明治十二年からとある役所に務め、しがない役人として働いています。そんなこんなで明治十九年二月二十日、私は公務にて務めている役所から十里ほど離れた某役所へと出張しました。出張先に滞在して八日ほど経った二月二十八日の夜、床に就いたころのことでした。夢の中に突然妻が現れたのです。妻は手に提灯を携えて某川のほとりをあっちへこっちへ歩き回り、私にこう告げたのです。「お義父さんが溺れて亡くなりました」と…そこでハッと驚いて目が覚めました。しかし時はすでに夜半です。私はもう一度寝直すことにしました。しかしまた夢に妻が現れ、今度は溺れた場所を私に告げるのです。夢の様子は先ほどと全くおなじでした。手に提灯を持った妻が川のほとりを彷徨い、父が溺れた、どこどこで溺れた…と。そこでまたハッと目を覚ますと、すでに時計は朝の七時になろうとしていました。起きて身繕いをし終え、私は昨夜の夢を気味悪く思い出していました。とはいえ私は元来、夢に感化されて空想を膨らませるような情緒は持ち合わせておりません。ことに夢の中では「某川が氾濫したのか」ともおもいましたが、空はすっかり晴れ渡り、降雨の兆しもありません。それに出張に出る日も父は平素と変わらず元気でしたから、不快なモヤモヤはすぐに煙のように霧散してそれっきり気にも掛けませんでした。
その日…三月一日も前日と同じように出張先の役所に出勤しました。仕事を終えて午後六時頃、滞在している宿屋に帰り湯を浴び、さて夕食を摂ろうかというときです。左側の障子をスッと開けて、宿屋の女中が顔を出しました。
「たった今、お客さんに電報が来ましたよ」
女中から電報を受け取った私は、いったい何があったのかと首をかしげながら破り開けますと…いかなる偶然か、それは「父大病につきただちに帰宅せよ」と親戚の何某から送られた電報だったのです。私は愕然として、居ても立ってもいられない気持ちになりました。そうは言っても公務を帯びて出張中の身です。勝手に帰省するわけにはいきませんから出張先の役所に病気届けを提出して、屈強な車夫を呼んですぐに宿を引き払い、そのまま家へと車を飛ばしました。しかし時すでに遅し。病床の父を見舞おうとしましたが、父は呆気なく逝ってしまい、すでにこの世の人ではなかったのです。私はあまりのショックに慌てふためき、泣き崩れ、情緒は乱れ乱れ、どうしたらいいのかもわからない有り様でした。しかしどれほど嘆いても既に父はこの世の人ではなく、今さらどうにもできません。ですから私は、父が亡くなった状況を詳しく家族に尋ねました。
二月二十八日の早朝。父は旧知の某氏を訪ねようと平素と変わらず家を出ましたが、その途中、某川のそばを通りかかった折に何かに躓いて転んだようです。その際に運悪く堤脇の壇上の杭頭に額を強打し、そのまま川へ上半身を漬けるように倒れ込んで亡くなったそうです。父は家を出る際、家族に「今日中に帰る」と言っていたそうですが黄昏時になっても帰らず。使用人を迎えにやらせようとしましたが生憎不在のため、私の妻が女中をひとり連れて父を迎えに出ました。その時すでに夜七時を回っていたそうです。提灯を携えあっちへこっちへ父が寄りそうな場所を訪ね歩きましたが、道中人影すらありません。仕方なく家に戻って母にその旨を話すと、某氏の近くに親戚が二・三あるから今夜はそちらにお泊まりじゃないかと話していたそうです。そうして父の遺体が発見されたのは三月一日の午後一時頃でした。しかし父がその難に遭ったのは二十八日の帰り道か、それとも三月一日の朝なのかはっきりしませんでした。ですから父が訪ねた某氏の家へ人を走らせ当日のことを詳しく尋ね、かつその道中を逐一調査しますと、父が災難に遭ったのは某氏を訪ねた日の帰り道であるとわかりました。某川の近くで父と会って話したという人がいたのだそうです。この調査によってはじめて私たちは事実を知りました。
そんなことことがあった為か、私は更に思うのです。先日の奇妙な夢は、おおむね事実を言い当てたようなものであったと。これこそ私の胸にわだかまる疑問がいよいよ凝り固まり、氷塊のように解けない理由なのです。つまり、凡そ夢というものは常に五感の交感、あるいは昔の出来事を懐かしく思い出す等、種々の原因が結合して脳裏に像を結ぶものです。しかし私が見た夢のように詳細な事実に至るまであれもこれも符号するのは甚だ奇妙と言うほかありません。そうは言っても古来から東洋の人は、夢により禍福を知り、夢に神託を受けてきました。家を守る妻が戦に出た夫を想うあまり夢で夫と交わり身篭ったなんていう話もあります。ですがそれらはおおむね架空の物語に過ぎません。自らを欺き他人を欺き、自分の利のために夢を利用するものもあります。ですから霊夢や感夢なんていうものは、文明の世に生まれ、いやしくも学者という立場であれば甚だ信じるようなものではありませんし、ひとの上に立つ人であれば最も良しとしないものでしょう。
ですから私は霊夢や感夢などというものを信じているわけではありません…しかし密かに信じているのです。魂は彼岸と此岸の間を行き来できるのだと。しかし如何せん心や体がなんなのか理解しているわけではありませんから、理論上考証とするものがありません。よって、世の中の皆様にお聞きしたい。もしこれについてご教示いただければ幸いです。
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明治十九年、静岡県遠州何某氏より
私の家は先祖代々農業を生業としてきました。親族は父母によそへ嫁いだ姉がひとり、七つで亡くなった弟がひとり。長じて私は妻を娶り息子が産まれ、当時の我が家は両親と私・妻・息子の計五人が暮らしておりました。
私は明治十二年からとある役所に務め、しがない役人として働いています。そんなこんなで明治十九年二月二十日、私は公務にて務めている役所から十里ほど離れた某役所へと出張しました。出張先に滞在して八日ほど経った二月二十八日の夜、床に就いたころのことでした。夢の中に突然妻が現れたのです。妻は手に提灯を携えて某川のほとりをあっちへこっちへ歩き回り、私にこう告げたのです。「お義父さんが溺れて亡くなりました」と…そこでハッと驚いて目が覚めました。しかし時はすでに夜半です。私はもう一度寝直すことにしました。しかしまた夢に妻が現れ、今度は溺れた場所を私に告げるのです。夢の様子は先ほどと全くおなじでした。手に提灯を持った妻が川のほとりを彷徨い、父が溺れた、どこどこで溺れた…と。そこでまたハッと目を覚ますと、すでに時計は朝の七時になろうとしていました。起きて身繕いをし終え、私は昨夜の夢を気味悪く思い出していました。とはいえ私は元来、夢に感化されて空想を膨らませるような情緒は持ち合わせておりません。ことに夢の中では「某川が氾濫したのか」ともおもいましたが、空はすっかり晴れ渡り、降雨の兆しもありません。それに出張に出る日も父は平素と変わらず元気でしたから、不快なモヤモヤはすぐに煙のように霧散してそれっきり気にも掛けませんでした。
その日…三月一日も前日と同じように出張先の役所に出勤しました。仕事を終えて午後六時頃、滞在している宿屋に帰り湯を浴び、さて夕食を摂ろうかというときです。左側の障子をスッと開けて、宿屋の女中が顔を出しました。
「たった今、お客さんに電報が来ましたよ」
女中から電報を受け取った私は、いったい何があったのかと首をかしげながら破り開けますと…いかなる偶然か、それは「父大病につきただちに帰宅せよ」と親戚の何某から送られた電報だったのです。私は愕然として、居ても立ってもいられない気持ちになりました。そうは言っても公務を帯びて出張中の身です。勝手に帰省するわけにはいきませんから出張先の役所に病気届けを提出して、屈強な車夫を呼んですぐに宿を引き払い、そのまま家へと車を飛ばしました。しかし時すでに遅し。病床の父を見舞おうとしましたが、父は呆気なく逝ってしまい、すでにこの世の人ではなかったのです。私はあまりのショックに慌てふためき、泣き崩れ、情緒は乱れ乱れ、どうしたらいいのかもわからない有り様でした。しかしどれほど嘆いても既に父はこの世の人ではなく、今さらどうにもできません。ですから私は、父が亡くなった状況を詳しく家族に尋ねました。
二月二十八日の早朝。父は旧知の某氏を訪ねようと平素と変わらず家を出ましたが、その途中、某川のそばを通りかかった折に何かに躓いて転んだようです。その際に運悪く堤脇の壇上の杭頭に額を強打し、そのまま川へ上半身を漬けるように倒れ込んで亡くなったそうです。父は家を出る際、家族に「今日中に帰る」と言っていたそうですが黄昏時になっても帰らず。使用人を迎えにやらせようとしましたが生憎不在のため、私の妻が女中をひとり連れて父を迎えに出ました。その時すでに夜七時を回っていたそうです。提灯を携えあっちへこっちへ父が寄りそうな場所を訪ね歩きましたが、道中人影すらありません。仕方なく家に戻って母にその旨を話すと、某氏の近くに親戚が二・三あるから今夜はそちらにお泊まりじゃないかと話していたそうです。そうして父の遺体が発見されたのは三月一日の午後一時頃でした。しかし父がその難に遭ったのは二十八日の帰り道か、それとも三月一日の朝なのかはっきりしませんでした。ですから父が訪ねた某氏の家へ人を走らせ当日のことを詳しく尋ね、かつその道中を逐一調査しますと、父が災難に遭ったのは某氏を訪ねた日の帰り道であるとわかりました。某川の近くで父と会って話したという人がいたのだそうです。この調査によってはじめて私たちは事実を知りました。
そんなことことがあった為か、私は更に思うのです。先日の奇妙な夢は、おおむね事実を言い当てたようなものであったと。これこそ私の胸にわだかまる疑問がいよいよ凝り固まり、氷塊のように解けない理由なのです。つまり、凡そ夢というものは常に五感の交感、あるいは昔の出来事を懐かしく思い出す等、種々の原因が結合して脳裏に像を結ぶものです。しかし私が見た夢のように詳細な事実に至るまであれもこれも符号するのは甚だ奇妙と言うほかありません。そうは言っても古来から東洋の人は、夢により禍福を知り、夢に神託を受けてきました。家を守る妻が戦に出た夫を想うあまり夢で夫と交わり身篭ったなんていう話もあります。ですがそれらはおおむね架空の物語に過ぎません。自らを欺き他人を欺き、自分の利のために夢を利用するものもあります。ですから霊夢や感夢なんていうものは、文明の世に生まれ、いやしくも学者という立場であれば甚だ信じるようなものではありませんし、ひとの上に立つ人であれば最も良しとしないものでしょう。
ですから私は霊夢や感夢などというものを信じているわけではありません…しかし密かに信じているのです。魂は彼岸と此岸の間を行き来できるのだと。しかし如何せん心や体がなんなのか理解しているわけではありませんから、理論上考証とするものがありません。よって、世の中の皆様にお聞きしたい。もしこれについてご教示いただければ幸いです。
