椒圖志異/魔魅及天狗 編②
公開 2025/01/19 20:24
最終更新
-
22.
桜町天皇が元文五年に比叡山の西塔釈迦堂の御修理をなされたが、修理の指揮を取る奉行は江川信楽の代官・多羅尾四郎左衛門という人と、大津の代官・石原清左衛門という人が務められた。石原様の家来に木内兵左衞門という三十余歳の男がいたが、この男が三月七日の夕方七ツごろにふいと姿が見えなくなった。
あちこち探すと木内の履いていた下駄が、行栄院という寺の玄関前と内庭に片方ずつ落ちていた。不審に思って更に探すと庭の隅にある弁天の社のところで木内の脇差が見つかったが、鞘は砕かれ、刀身は鍋蔓のようにぐるぐる曲げられ、脇差のに添えた小刀は三つに折られていた。またその辺りに下帯も三つに切れて落ちていたので、みな「これは天狗の仕業だろう」と思いあちこち探し歩いたがどうにも見つからない。山内にある寺々でも祈祷を行い、慈慧大師廟から魔所という魔所を人数を割いて探し回ったところ、その夜のそろそろ丑三つ時というころ。何処からともなく大風が吹くような響きで「たのもう、たのもう」と轟く声がする。折しも大雨の夜である。雪深い山の中では全く視界が利かないが、鈴木七郎という者が声をたよりに釈迦堂の庭へ出てみると、堂の箱棟に羽根が生えたような異形の影が立っている。ギョッと見つめていると、「恐ろしい、下ろしてくれ」と異形の男が言う。はて、この声はと。もしや兵左衛門殿ですか?と声を掛けると、そうだと答える。よくよく目を凝らしてみると、羽根に見えたのは破傘を開いて差していたのだった。そうしているうちに他の者たちも集まって来て、四郞兵衞という下働きの者が棟に上り「迎えにきました」と言うと兵左衛門は傘を打ち捨て四郎兵衛の背に被さり、四郎兵衛は帯で自分の体に括り付けて腹這いになって降りて来た。兵左衛門は三日ほどして漸く落ち着いたという。後に何があったか尋ねると、兵左衛門は次のように語った。
「消えたあの日の七ツ頃、何処からともなく自分の名を呼ぶ声が聞こえるので外に出てみると、玄関に一人の小法師がおりました。黒衣に短いくくり袴を履いて、兵左衛門と呼ぶのです。その小法師のほうへ行くとまた一人…顔は赤く、ボサボサに乱れた黒髪を引きずるほど流して、それでいてきちんと正装した者がおりまして、『玄関の屋根に上がれ』というのです。ですから『私は主人がある身ですから勝手に行くことはできません』と言って脇差に手を掛けんとしましたが、先んじて異形の男に脇差を奪われ投げつけられ…その時に鞘は砕けて刀身は鍋蔓のように曲がってしまいました。またそやつが『下帯を脱ぎ捨てろ』というので、これだけは勘弁してくれと言いましたが『絶対に脱ぎ捨てろ』と言って引き抜かれ、異形の男が杖に掛けたと思えば忽ち三つに切られてしまいました。そうして玄関の屋根に引き上げて『私の言葉に逆らいよって』と杖で散々に打たれましたが、そこへ背の丈一丈(約三メートル)ほどもある朱の衣を着た僧が来て、異形の男を叱り留めて…何を言っているのかわかりませんでしたが…何か囁き合っていたようでした。三、四間ほど向こうにいたと思いますが、他にも六人ばかり異形の者がいたように思います。そうして異形どもが『我らについて来い』と言います。彼らに背いては何をされるかわかりません。頷くと『これに乗りなさい』と丸い盆のようなものを差し出しました。言われるまま盆の上に乗りますと、あの小法師が私の肩に両手をかけて下へ押し付けます。と思うとそのままフワッと地を離れて虚空へ高く昇り、そのまま空を駆けて行きました。『これから秋葉山へ行くぞ』と言い、眼下には広い海が広がっています。あまりに恐ろしくてぶるぶる震えていると僧形の者が『水不能漂(仏法を信ずる者は水に落ちても溺れない)よ。恐れることはない』というので、目を塞いで通り過ぎました。さて秋葉山と思しき山上に到着すると、十丈ばかりの深い谷底に火が燃えております。すると異形の者が『お前、この下へ飛び降りろ』と言います。しかしこんな火の中に落ちたら焼け死んでまうと怯えていると、またかの僧が『火不能焼(仏法を信ずる者は火に焼かれない)』と諭すので、思い切って目を塞いで飛び降りました。すると火の中に飛び込んだと思いましたのに、気付けば五、六畳ほどの平な岩の上に立っていました。異形どももここで少し休み、今度は妙義山、彦山、鹿島などへ行き、その他どこへともなく諸国を見物しましたが、役目を放り出してもう十日にもなると思うと気が気ではありません。『どうかもうお帰しください』と願い出ると、どこからともなく白髪の翁が現れて『それならば金銀をやろう。この金銀はどれほど使っても尽きぬゆえな』と大判小判一分銀小間銀を山盛り台に乗せて差し出しました。それを見て僧形の者が『その金を受け取れば、その方の二人の伯母の寿命は一年ずつ縮まるぞ』と言います。伯母の命が縮まるのは忍びないとお断り申しますと、異形の者が『お前は奇特な男だ。ならば一生安穏に暮らせるよう、秘密の薬法行法を教えてやろう。その薬種のうち一種は当山より他にはないぞ』と言って薬法書を伝え、『この事は決して人に漏らしてはならん。またこの先三年は心身を清浄に保ち、特に女の不浄は堅く慎み、行法を怠ってはならんぞ。こうしてお前を戒めるのはすべて、人間どもが欲に溺れ御山を粗末にするゆえ、そ奴らへの見せしめの為である。帰った後にはこのことを諸人に伝えよ。』と、丑の刻ばかり本堂の棟に降ろされました。降ろされた時にはかの異形の者どもはどこにいったか見えず、僧形の者のみが残って大音声で『たのもう、たのもう』と叫んだのでございます。そのとき『私を助けてくださった御坊はいったい何者なのでございますか』と尋ねると、『私はこの山に九百年来住む者であるぞ』と仰いました。それから四郎兵衛が来て棟から下ろしてもらっているうちに、その僧の姿も見えなくなってしまいました。」と話したとか。(此叡山天狗の沙汰)
23.
秋葉山やその他高い山々には、天狗の火というものを見ることがある。その数はあまたあり、天狗のことを悪様に言う者があれば、即座に目の前へ飛んできて煌々と輝くという。ただ奇妙なのは雷を恐れるという点で、雲間に稲妻が瞬き雷が轟けばみな雷の聞こえない方へた逃げて行き、遂には消えてしまうとか。
24.
下総国香取郡万歳村の若者どもが五人連れ立ち、村の後ろの山へ木こりに行った。木を斬っていると少し離れた山の端に一羽、薄汚れた鳶が羽を休めていた。若者のうちのひとりが鳶を見て「おっかない山伏が立ってる」と言う。しかし他の四人にはどう見てもただの鳶にしか見えない。「何言ってんだい、ただの鳶じゃないか」「お前たちこそ何言ってんだ、おっかない山伏がいるじゃないか」…と言い争いになったが、彼は「どこからどう見ても山伏だろうに」と言って頑として聞き入れなかった。そうして山から帰ったところ、すぐに彼は高熱を発して死んでしまった。残りの四人は何ともなかったと言う。文化の頃のことである。
25.
奥州の修行僧が、ある山中の古い堂に泊まったときのことである。「あの堂には天狗が住んでいる」と里の者が言うので恐ろしくなって、姿を消す隠形印を結び心を静めて座っていた。と、そこへ白く美しい法師が手輿をかき、小法師たちを二、三十人ほど伴って堂の中へ入って来た。「お前たち、庭で遊んできなさい」と法師が言うと、小法師たちはばらばらと庭へ飛び出して行った。するとこの法師は修行僧の方へ「や、御坊、御坊」と呼びかける。驚いて「まさか見つけられるとは思いませんでした」と答えると、「御坊の印の結び方がよくないのでな、見えてしまいますぞ。こちらへいらっしゃい、結び方を教えてあげましょう」と言うので修行僧は安心して僧のそばに膝を進めた。僧は細々と教えを授け、「さあ、やってごらんなさい。つまらぬ奴らには御坊の姿を見せぬように追い出したのだ」と言う。教えられたように修行僧が隠形印を結んでみると「よしよし、今度こそ見えませんよ。」と頷き、「おぉい、お前たち。こっちへ来なさい。」と小法師らを堂の中へ呼び寄せた。そうして堂の中で遊びまり、法師たちの一行は暁に山へ帰っていった。(沙石集)
26.
信濃国筑摩郡は麻績宿にある神明宮の神主、寺田何某の甥に、嘉摠治という男がある。この男は十六、七歲の頃にふらっと家を出て以来戻らず、あちこち探したが行方が知れなかった。それから七年と一日が過ぎた日、衣服も何も家を出た時のまま帰って来た。村の人々は不審に思い「お前、何処へ行ってたんだ」と尋ねると、「今は真田領の日知山の山人(大姥大権現)の使者になっているが、山人に仕える者は一度は実家に帰るのが倣いだから帰って来たのだ」と言い、彼方のことを尋ねても少しも答えず、引き留めても留まらず、すぐに出て行ってしまったという。文化年間の話である。
桜町天皇が元文五年に比叡山の西塔釈迦堂の御修理をなされたが、修理の指揮を取る奉行は江川信楽の代官・多羅尾四郎左衛門という人と、大津の代官・石原清左衛門という人が務められた。石原様の家来に木内兵左衞門という三十余歳の男がいたが、この男が三月七日の夕方七ツごろにふいと姿が見えなくなった。
あちこち探すと木内の履いていた下駄が、行栄院という寺の玄関前と内庭に片方ずつ落ちていた。不審に思って更に探すと庭の隅にある弁天の社のところで木内の脇差が見つかったが、鞘は砕かれ、刀身は鍋蔓のようにぐるぐる曲げられ、脇差のに添えた小刀は三つに折られていた。またその辺りに下帯も三つに切れて落ちていたので、みな「これは天狗の仕業だろう」と思いあちこち探し歩いたがどうにも見つからない。山内にある寺々でも祈祷を行い、慈慧大師廟から魔所という魔所を人数を割いて探し回ったところ、その夜のそろそろ丑三つ時というころ。何処からともなく大風が吹くような響きで「たのもう、たのもう」と轟く声がする。折しも大雨の夜である。雪深い山の中では全く視界が利かないが、鈴木七郎という者が声をたよりに釈迦堂の庭へ出てみると、堂の箱棟に羽根が生えたような異形の影が立っている。ギョッと見つめていると、「恐ろしい、下ろしてくれ」と異形の男が言う。はて、この声はと。もしや兵左衛門殿ですか?と声を掛けると、そうだと答える。よくよく目を凝らしてみると、羽根に見えたのは破傘を開いて差していたのだった。そうしているうちに他の者たちも集まって来て、四郞兵衞という下働きの者が棟に上り「迎えにきました」と言うと兵左衛門は傘を打ち捨て四郎兵衛の背に被さり、四郎兵衛は帯で自分の体に括り付けて腹這いになって降りて来た。兵左衛門は三日ほどして漸く落ち着いたという。後に何があったか尋ねると、兵左衛門は次のように語った。
「消えたあの日の七ツ頃、何処からともなく自分の名を呼ぶ声が聞こえるので外に出てみると、玄関に一人の小法師がおりました。黒衣に短いくくり袴を履いて、兵左衛門と呼ぶのです。その小法師のほうへ行くとまた一人…顔は赤く、ボサボサに乱れた黒髪を引きずるほど流して、それでいてきちんと正装した者がおりまして、『玄関の屋根に上がれ』というのです。ですから『私は主人がある身ですから勝手に行くことはできません』と言って脇差に手を掛けんとしましたが、先んじて異形の男に脇差を奪われ投げつけられ…その時に鞘は砕けて刀身は鍋蔓のように曲がってしまいました。またそやつが『下帯を脱ぎ捨てろ』というので、これだけは勘弁してくれと言いましたが『絶対に脱ぎ捨てろ』と言って引き抜かれ、異形の男が杖に掛けたと思えば忽ち三つに切られてしまいました。そうして玄関の屋根に引き上げて『私の言葉に逆らいよって』と杖で散々に打たれましたが、そこへ背の丈一丈(約三メートル)ほどもある朱の衣を着た僧が来て、異形の男を叱り留めて…何を言っているのかわかりませんでしたが…何か囁き合っていたようでした。三、四間ほど向こうにいたと思いますが、他にも六人ばかり異形の者がいたように思います。そうして異形どもが『我らについて来い』と言います。彼らに背いては何をされるかわかりません。頷くと『これに乗りなさい』と丸い盆のようなものを差し出しました。言われるまま盆の上に乗りますと、あの小法師が私の肩に両手をかけて下へ押し付けます。と思うとそのままフワッと地を離れて虚空へ高く昇り、そのまま空を駆けて行きました。『これから秋葉山へ行くぞ』と言い、眼下には広い海が広がっています。あまりに恐ろしくてぶるぶる震えていると僧形の者が『水不能漂(仏法を信ずる者は水に落ちても溺れない)よ。恐れることはない』というので、目を塞いで通り過ぎました。さて秋葉山と思しき山上に到着すると、十丈ばかりの深い谷底に火が燃えております。すると異形の者が『お前、この下へ飛び降りろ』と言います。しかしこんな火の中に落ちたら焼け死んでまうと怯えていると、またかの僧が『火不能焼(仏法を信ずる者は火に焼かれない)』と諭すので、思い切って目を塞いで飛び降りました。すると火の中に飛び込んだと思いましたのに、気付けば五、六畳ほどの平な岩の上に立っていました。異形どももここで少し休み、今度は妙義山、彦山、鹿島などへ行き、その他どこへともなく諸国を見物しましたが、役目を放り出してもう十日にもなると思うと気が気ではありません。『どうかもうお帰しください』と願い出ると、どこからともなく白髪の翁が現れて『それならば金銀をやろう。この金銀はどれほど使っても尽きぬゆえな』と大判小判一分銀小間銀を山盛り台に乗せて差し出しました。それを見て僧形の者が『その金を受け取れば、その方の二人の伯母の寿命は一年ずつ縮まるぞ』と言います。伯母の命が縮まるのは忍びないとお断り申しますと、異形の者が『お前は奇特な男だ。ならば一生安穏に暮らせるよう、秘密の薬法行法を教えてやろう。その薬種のうち一種は当山より他にはないぞ』と言って薬法書を伝え、『この事は決して人に漏らしてはならん。またこの先三年は心身を清浄に保ち、特に女の不浄は堅く慎み、行法を怠ってはならんぞ。こうしてお前を戒めるのはすべて、人間どもが欲に溺れ御山を粗末にするゆえ、そ奴らへの見せしめの為である。帰った後にはこのことを諸人に伝えよ。』と、丑の刻ばかり本堂の棟に降ろされました。降ろされた時にはかの異形の者どもはどこにいったか見えず、僧形の者のみが残って大音声で『たのもう、たのもう』と叫んだのでございます。そのとき『私を助けてくださった御坊はいったい何者なのでございますか』と尋ねると、『私はこの山に九百年来住む者であるぞ』と仰いました。それから四郎兵衛が来て棟から下ろしてもらっているうちに、その僧の姿も見えなくなってしまいました。」と話したとか。(此叡山天狗の沙汰)
23.
秋葉山やその他高い山々には、天狗の火というものを見ることがある。その数はあまたあり、天狗のことを悪様に言う者があれば、即座に目の前へ飛んできて煌々と輝くという。ただ奇妙なのは雷を恐れるという点で、雲間に稲妻が瞬き雷が轟けばみな雷の聞こえない方へた逃げて行き、遂には消えてしまうとか。
24.
下総国香取郡万歳村の若者どもが五人連れ立ち、村の後ろの山へ木こりに行った。木を斬っていると少し離れた山の端に一羽、薄汚れた鳶が羽を休めていた。若者のうちのひとりが鳶を見て「おっかない山伏が立ってる」と言う。しかし他の四人にはどう見てもただの鳶にしか見えない。「何言ってんだい、ただの鳶じゃないか」「お前たちこそ何言ってんだ、おっかない山伏がいるじゃないか」…と言い争いになったが、彼は「どこからどう見ても山伏だろうに」と言って頑として聞き入れなかった。そうして山から帰ったところ、すぐに彼は高熱を発して死んでしまった。残りの四人は何ともなかったと言う。文化の頃のことである。
25.
奥州の修行僧が、ある山中の古い堂に泊まったときのことである。「あの堂には天狗が住んでいる」と里の者が言うので恐ろしくなって、姿を消す隠形印を結び心を静めて座っていた。と、そこへ白く美しい法師が手輿をかき、小法師たちを二、三十人ほど伴って堂の中へ入って来た。「お前たち、庭で遊んできなさい」と法師が言うと、小法師たちはばらばらと庭へ飛び出して行った。するとこの法師は修行僧の方へ「や、御坊、御坊」と呼びかける。驚いて「まさか見つけられるとは思いませんでした」と答えると、「御坊の印の結び方がよくないのでな、見えてしまいますぞ。こちらへいらっしゃい、結び方を教えてあげましょう」と言うので修行僧は安心して僧のそばに膝を進めた。僧は細々と教えを授け、「さあ、やってごらんなさい。つまらぬ奴らには御坊の姿を見せぬように追い出したのだ」と言う。教えられたように修行僧が隠形印を結んでみると「よしよし、今度こそ見えませんよ。」と頷き、「おぉい、お前たち。こっちへ来なさい。」と小法師らを堂の中へ呼び寄せた。そうして堂の中で遊びまり、法師たちの一行は暁に山へ帰っていった。(沙石集)
26.
信濃国筑摩郡は麻績宿にある神明宮の神主、寺田何某の甥に、嘉摠治という男がある。この男は十六、七歲の頃にふらっと家を出て以来戻らず、あちこち探したが行方が知れなかった。それから七年と一日が過ぎた日、衣服も何も家を出た時のまま帰って来た。村の人々は不審に思い「お前、何処へ行ってたんだ」と尋ねると、「今は真田領の日知山の山人(大姥大権現)の使者になっているが、山人に仕える者は一度は実家に帰るのが倣いだから帰って来たのだ」と言い、彼方のことを尋ねても少しも答えず、引き留めても留まらず、すぐに出て行ってしまったという。文化年間の話である。
