【宇治拾遺】河原の院、融公の霊住む事。
公開 2024/01/01 13:09
最終更新
2024/01/29 17:37
その昔、六条河原にある河原院は左大臣を務めた源融公のお屋敷であった。風光明媚と名高い陸奥の塩竈の景色を模して庭を造り、海水を取り寄せては庭で塩を焼かせるなど、様々な趣向を凝らして住んでおられた。融公がお亡くなりになった後は宇多院に献上され、そのご子息である醍醐天皇はたびたび河原院を行幸されたのだと言う。
また宇多院がお住いになっていた頃にはこんなことがあったという。
さわさわ…と。真夜中に西の対の塗籠を開けて、誰かが入ってきた気配がする。体を起こして音がした方を見ると、きちんと正装して太刀を佩き笏を持った男が二間ばかり向こうに畏まって控えていた。
「お前は誰だ。」と宇多院がお尋ねになると、男は「この屋敷の主の翁でございます。」と答えた。
「融の大臣か。」と重ねて院が尋ねると、「左様にございます。」と答える。
「それではなんの用か。」
院の言葉に故大臣は恐縮した様子で、
「ここは我が屋敷ですのでこうして住んでおりますが、帝がいらっしゃいますと畏れ多く…窮屈に感じるのでございます。どうしたらよろしいでしょうか。」
というのである。これをお聞きになった院はぐっと眉を寄せ、
「そんなものは全くもってお門違いだ。この屋敷を献上したのは、他ならぬお前の子孫だろう。私が無理やり奪い取って住んでいるのであればまだしも、礼儀も弁えず私に恨み言を申すか!」
と大きな声で仰せになると、融公の幽霊はかき消すように消えたのだという。その当時お側に侍っていた人々は、「やはり帝は並々ならぬお方だ。普通の者がその大臣に出くわしても、帝のように物怖じせず言い返せないだろう。」と言ったという。
***
参考…伊勢物語「塩竈に」https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12871
また宇多院がお住いになっていた頃にはこんなことがあったという。
さわさわ…と。真夜中に西の対の塗籠を開けて、誰かが入ってきた気配がする。体を起こして音がした方を見ると、きちんと正装して太刀を佩き笏を持った男が二間ばかり向こうに畏まって控えていた。
「お前は誰だ。」と宇多院がお尋ねになると、男は「この屋敷の主の翁でございます。」と答えた。
「融の大臣か。」と重ねて院が尋ねると、「左様にございます。」と答える。
「それではなんの用か。」
院の言葉に故大臣は恐縮した様子で、
「ここは我が屋敷ですのでこうして住んでおりますが、帝がいらっしゃいますと畏れ多く…窮屈に感じるのでございます。どうしたらよろしいでしょうか。」
というのである。これをお聞きになった院はぐっと眉を寄せ、
「そんなものは全くもってお門違いだ。この屋敷を献上したのは、他ならぬお前の子孫だろう。私が無理やり奪い取って住んでいるのであればまだしも、礼儀も弁えず私に恨み言を申すか!」
と大きな声で仰せになると、融公の幽霊はかき消すように消えたのだという。その当時お側に侍っていた人々は、「やはり帝は並々ならぬお方だ。普通の者がその大臣に出くわしても、帝のように物怖じせず言い返せないだろう。」と言ったという。
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参考…伊勢物語「塩竈に」https://simblo.net/u/CSwtDp/post/12871
