【北越雪譜】無縫塔(二編 巻之三)
公開 2024/01/29 18:33
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蒲原郡村松から東に一里ほどの来迎村に、永谷寺という曹洞宗の寺があり、またこの寺の近くに早出川という川が流れている。さらに寺から八町ほど下に観音堂があり、その下を流れる辺りを東光か淵と言う。永谷寺へ新たに入院する住職は、この淵へ血脈を投げ入れるのが寺の通例であった。
さてこの永谷寺の住職が亡くなる前年には、この淵から住職の墓石になる円い自然石が一つ、岸に打ち上がるのだという。その石は代々「無縫塔」と呼ばれ伝わっている。この石が淵に上がると、その翌年には必ず住職が病で亡くなる。これは昔から今に至るまで一度たりとも例外はない。またこの墓石の大きさが意に沿わないからと住職が淵へ返したところ、その夜、この川が大きな波を立てて住職が好む石を淵へ打ち上げたことが何度もあったという。先年、ここの住職になった凡僧はこの石が打ち上がったのを見て死を恐れ寺を出奔したが、結局翌年他国にて病死したという。
私が思うに、この淵には霊魂が棲み、住職に寿命が来たことを示唆しているのではないだろうか。友人の北洋主人…蒲原郡見附の旧家の人で学問を好み本をよく読む…が件の寺を見に行ったときの話はこうである。
本堂の間口は十間ほど。右に庫裏があり、左に八間と五間の禅堂がある。本堂に至る坂の左に鐘楼、禅堂の裏には蓮池があり、上に続く坂を登っていくと歴代住職の墓所がある。例の淵から上がった円石を脚付きの石製の台座に載せて墓とし、開山の墓を真ん中に、左右に代々の和尚の墓が二十三基並ぶ。
大きなものでは直径一尺二・三寸ほど、八・九寸のものや六・七寸程度のものもあり、大きさは和尚の得の高さに応じて大きいもの、小さいものがあると言い伝えられている。台の高さはいずれも一尺ほどだと彼は語っていた。
例の淵に霊魂が棲むというのは、このような言い伝えがあるからである。
昔、この永光寺のほとりに某とかいう貴人がお住いになっていた。ところが彼のご内室が色情の妬みにより東光が淵に身を投げ、怨みにより悪竜となって近隣の人々を苦しめたという。これを永光寺の開山…名前を聞き漏らしてしまった…が例の淵に血脈を沈めることで仏の教えを授け、怨念から解き放ち奥方の魂をお救いになった。その礼としてかの霊魂が墓石を淵に打ち上げ、死期を示すのだという。このような訳で、今に至っても住職の入院の際には血脈を沈めるのだと寺には言い伝えられている。
さてまた我が隣国・信濃にも無縫塔と同じものがある。以下に近江の木内石亭の著書『雲根志』(前編 霊異之部)から引用する。
「信濃国高井郡渋湯村横井温泉寺の前に、星河という川幅三町ほどもある大きな川がある。温泉寺の住職が亡くなる前年には、どこからともなく高さ二尺程度の方形の美しい自然石が流れてくる。彫刻したかのように本当に綺麗な四角形なのだが、確かに天然のものである。この石が現れると土地の者どもが温泉寺に報せ、実際に翌年住職は他界し、その墓石としてこの方形の自然石を立てるのだという。今より遡ること九代前からこのようなことが始まり、代々九代の墓にはまったく同じ種類、同じ形の石がずらりと並んでいる。ある年この石が現れた際、同時の住僧は天を拝し『私は法華経千部を読経するという願を立てております。あと一年でその願を達成するのです、ですからどうか我が命を一年延ばしてくだい』」と祈り、川へ石を投げ込んだ。その年は何事もなく過ぎたが、千部の読経が済んだ月に件の石が再び川中に現れ、その翌年はたして住職は亡くなったと聞いた。その次の代の住職は例の石が現れた際、特に何の願もないが石を川中へ投げ込んだ。すると幾度投げ沈めても、その夜同じように石は現れ、住職は翌年病死したとかなんとか。この辺りではこの石のことは『無帽塔』と呼ばれている。」(以上、該当部分を全て引用した。)越後の永光寺と信濃の温泉寺、非常によく似た一種の怪異と言える。
〇刪定の京山人百樹より追記
著者の牧之翁の下書きを読んだ際に、無縫塔の「縫」の字では意味が通じないため誤字ではないか?と飛脚を飛ばして翁に確認したところ、間違いなく「無縫塔」と書き伝えられているとの返事であった。雲根志には無帽塔とあり、「無帽」の字もまた意味がよくわからない。恐らくは「無望塔」ではないだろうか。住職の死にたくないという心から、望み無き塔…「無望塔」だろうと。ここに百樹による思いつきの珍説を記して、博識の皆様による確かな解説を待ちたいと思う。
***
※ 五泉市の「雲榮山 永谷寺」(永谷寺HPあり)。元の古文に「永谷寺」と「永光寺」の表記揺れあり。そのまま掲載します。
※血脈(けちみゃく)…自分が仏様の弟子であることを証明する系譜図。
※開山…最初にその寺を開いた僧侶。
※三町…約三二七メートル
※一尺…約三〇センチ
さてこの永谷寺の住職が亡くなる前年には、この淵から住職の墓石になる円い自然石が一つ、岸に打ち上がるのだという。その石は代々「無縫塔」と呼ばれ伝わっている。この石が淵に上がると、その翌年には必ず住職が病で亡くなる。これは昔から今に至るまで一度たりとも例外はない。またこの墓石の大きさが意に沿わないからと住職が淵へ返したところ、その夜、この川が大きな波を立てて住職が好む石を淵へ打ち上げたことが何度もあったという。先年、ここの住職になった凡僧はこの石が打ち上がったのを見て死を恐れ寺を出奔したが、結局翌年他国にて病死したという。
私が思うに、この淵には霊魂が棲み、住職に寿命が来たことを示唆しているのではないだろうか。友人の北洋主人…蒲原郡見附の旧家の人で学問を好み本をよく読む…が件の寺を見に行ったときの話はこうである。
本堂の間口は十間ほど。右に庫裏があり、左に八間と五間の禅堂がある。本堂に至る坂の左に鐘楼、禅堂の裏には蓮池があり、上に続く坂を登っていくと歴代住職の墓所がある。例の淵から上がった円石を脚付きの石製の台座に載せて墓とし、開山の墓を真ん中に、左右に代々の和尚の墓が二十三基並ぶ。
大きなものでは直径一尺二・三寸ほど、八・九寸のものや六・七寸程度のものもあり、大きさは和尚の得の高さに応じて大きいもの、小さいものがあると言い伝えられている。台の高さはいずれも一尺ほどだと彼は語っていた。
例の淵に霊魂が棲むというのは、このような言い伝えがあるからである。
昔、この永光寺のほとりに某とかいう貴人がお住いになっていた。ところが彼のご内室が色情の妬みにより東光が淵に身を投げ、怨みにより悪竜となって近隣の人々を苦しめたという。これを永光寺の開山…名前を聞き漏らしてしまった…が例の淵に血脈を沈めることで仏の教えを授け、怨念から解き放ち奥方の魂をお救いになった。その礼としてかの霊魂が墓石を淵に打ち上げ、死期を示すのだという。このような訳で、今に至っても住職の入院の際には血脈を沈めるのだと寺には言い伝えられている。
さてまた我が隣国・信濃にも無縫塔と同じものがある。以下に近江の木内石亭の著書『雲根志』(前編 霊異之部)から引用する。
「信濃国高井郡渋湯村横井温泉寺の前に、星河という川幅三町ほどもある大きな川がある。温泉寺の住職が亡くなる前年には、どこからともなく高さ二尺程度の方形の美しい自然石が流れてくる。彫刻したかのように本当に綺麗な四角形なのだが、確かに天然のものである。この石が現れると土地の者どもが温泉寺に報せ、実際に翌年住職は他界し、その墓石としてこの方形の自然石を立てるのだという。今より遡ること九代前からこのようなことが始まり、代々九代の墓にはまったく同じ種類、同じ形の石がずらりと並んでいる。ある年この石が現れた際、同時の住僧は天を拝し『私は法華経千部を読経するという願を立てております。あと一年でその願を達成するのです、ですからどうか我が命を一年延ばしてくだい』」と祈り、川へ石を投げ込んだ。その年は何事もなく過ぎたが、千部の読経が済んだ月に件の石が再び川中に現れ、その翌年はたして住職は亡くなったと聞いた。その次の代の住職は例の石が現れた際、特に何の願もないが石を川中へ投げ込んだ。すると幾度投げ沈めても、その夜同じように石は現れ、住職は翌年病死したとかなんとか。この辺りではこの石のことは『無帽塔』と呼ばれている。」(以上、該当部分を全て引用した。)越後の永光寺と信濃の温泉寺、非常によく似た一種の怪異と言える。
〇刪定の京山人百樹より追記
著者の牧之翁の下書きを読んだ際に、無縫塔の「縫」の字では意味が通じないため誤字ではないか?と飛脚を飛ばして翁に確認したところ、間違いなく「無縫塔」と書き伝えられているとの返事であった。雲根志には無帽塔とあり、「無帽」の字もまた意味がよくわからない。恐らくは「無望塔」ではないだろうか。住職の死にたくないという心から、望み無き塔…「無望塔」だろうと。ここに百樹による思いつきの珍説を記して、博識の皆様による確かな解説を待ちたいと思う。
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※ 五泉市の「雲榮山 永谷寺」(永谷寺HPあり)。元の古文に「永谷寺」と「永光寺」の表記揺れあり。そのまま掲載します。
※血脈(けちみゃく)…自分が仏様の弟子であることを証明する系譜図。
※開山…最初にその寺を開いた僧侶。
※三町…約三二七メートル
※一尺…約三〇センチ
