複雑な生き方をする少女 厄災編 第一章 ”はじまり”の厄災と若き魔女(2/2)
公開 2025/11/24 09:52
最終更新
2025/12/16 20:24
(空白)
目的地の村付近で箒から降りて少し歩くと辿り着いた。見た目は簡素で何不自由ない普通の村に見えたが、中に入ると一変しあまりにも静かで活気のない景色が映った。村はさほど広くなく、道なりに進むと〈治癒(ちゆ)の神〉と思われる像があった。しかし自然に囲まれているとはいえ、その草木は放置されて像はほとんど隠されていた。顔が見えても苔が生えて錆びついて誰にも手入れされずに、まるでもう忘れられているかのように感じられた。それでこの静けさ、そもそももうこの村に人はいないのかさえ思った。けれどかすかな草木の音でさくらは振り返ると、具合悪そうにしている人が立っていた。
「旅人のお方ですか? それならすぐに立ち去った方がいい……」
そう言いながら体はふらつき、すぐさま理夏が支えるとそのまま倒れ込み意識を失ってしまった。さくらがその人の体に触れた時、かなりの高熱で急いで村まで運んで近くのベンチに寝かせて治癒を施した。意識は戻ったが体に宿る病を取り除くことが出来ない。深く突き刺さった杭のように離れてくれなかった。それはさくらの左腕を侵食した『厄災』に似たものを感じた。
「……ここは……ああ、さっきの」
「よかった」
「あれ? 何となく体が軽い……もしかして」
「治癒魔法は施しましたが、肝心の病のもとを引き抜くことが出来ず……」
「やはり、そうですか」
「え?」
「これは祟りなのです。私達が〈彼女〉を蔑(ないがし)ろにしたから」
その人は話すたびにつらそうで、さくらは何があったのか聞きたくとも聞ける状態ではなかった。ひとまずその人を家まで送っていると、何か思うところがあったのか資料館の場所を教えてくれた。二人は資料館に入って本を漁ってみた。理夏は早々に飽きて椅子に座り、机に頭を乗せて眠っていた。疲れていたんだろう、とさくらは思って静かに本棚を眺めていた。ほとんどが重くて長い本だったが、一冊絵本が挟まっていた。
むかしむかし あるところに村がありました
その村で生まれた人々は生まれながら病を持っていて
若くして亡くなる長生きの出来ない体でした
しかし ある日 世界を旅していた神様は
その村の姿を見て助けたいと思いました
他の神様達が試練だと言って手を貸さない中
自らが持つ治癒で病を取り除きました
人々は神様に感謝して〈治癒の神〉の像が作られ
神様はずっと村を見守っていました
絵本はそこで終わっていたが、本の最後に何か紙が挟まっていた。紙は折りたたまれていて、開くと少しばかり文章が書かれていたが、一部擦り切れて読めなくなっていた。
《……神の奇跡は病を治した
しかしそれを受けることが出来るのは
村で生まれた者だけだ
稀に別の場所で生まれた同じ病を持つ者は救われない
最近は薬の研究も上手くいっている
それが完成すれば神の奇跡を待たずして治せる》
それは病を治す方法が別にあるという喜ばしくも悲しいものだった。人々は〈治癒の神〉に感謝していたが、このまま頼っているのもよくないと思ったのだろう。だから病の原因を探して薬を開発した。それによって村以外の同じ症状に苦しむ人も救うことが出来るようになった。しかしそれはもう神の力なくても生きられる体を手に入れたことになる。おそらく薬が普及して世代が変わり、神の伝承を伝える者がいなくなって〈治癒の神〉は忘れられた。忘れられた結果、像は放置されたあんな状態になっていた。
「なんかわかった?」
眠っていた理夏が起きて目をこすりながらさくらに問う。さくらは今までのことを簡単にまとめて伝えると「忘れる……」と少し寂しそうに理夏は呟いた。
「その〈治癒の神〉ってやつは壊れたんじゃないの?」
「壊れた?」
「他の神様が人々に力を貸さなかったのは、こうなるとわかっていたから。いつか裏切られると」
「……だからって」
「忘れられるのは存在していないと同義なんだよ。例えそこにいたとしても映らない」
「……」
「気づいてほしいから、求めてほしいから……」
理夏がまだ話しているのにさくらは何かを感じて資料館の入り口の方に行った。さっきまでの空気の流れが重くなって、それが集中しているのはおそらく像の方だと思った。
「このままじゃ……みんな死ぬ」
「あたし達は別に」
「ううん。今の〈治癒の神〉なら……治すための力が壊れて反転し、病をばら撒く悪しき神に変わってしまったのだとしたら」
「それで死ぬと? 本当にわがままな子供……。でもどうする? 神は多くの種族が手を取り合って協力しても適わない相手なのに。せいぜい封印するのが妥当だと思うけど」
「私の左腕を治してもらう」
「は?」
「治すことを思い出してくれれば……それだけでいいはず」
一度、資料館に戻って本を直して外に出るさくらに理夏はついていくが、それだけで上手くいくとは思わない、と頭の中で思っていた。
村の方では最初に訪れた時より重々しい雰囲気になって、異常なまでに音がしなくなった。しかし家の扉が開いてふらつく体はそのまま意識を失って倒れる大きな音に理夏は振り返った。さくらは気づかず行ってしまったが、理夏は倒れた人のところに行って体に触れてみるが、すぐに離して「空っぽだ」と呟いた。体に温かさも冷たさもなく、それは魂の抜けた器になっていた。しかしまだ天に昇らずどこかに繋がっていた。
空を灰色の雲が覆い、明るく元気な姿を病で暗く沈む姿へと変えた。苦しみで今にも雨という涙を流しそうにも見えた。さくらは草木をかき分けて像の前に立ち、右手は左腕を支えて左手は像に触れていた。すると黒い静電気のような雷が周りに降り注ぎ、生い茂っていた草木を燃やし始めた。しかしさくらはその手を離さず、燃え盛る炎はギリギリなところで体に近づけなかった。
「誰? 私の楽園を壊す? みんな私がいないとダメだから、みんな私がいないと……」
「……」
「治したのにどうして忘れたの? だったら忘れないように体に刻んであげるね。私以外では治せない病を……薬? そんなもので私を困らせないで」
〈治癒の神〉が話す言葉すべてに明らかな欠損が見られた。もう二度と忘れられないように村を病という檻に閉じ込めて、自らの力で治すことが出来るにもかかわらず放置していた。けれど〈治癒の神〉は一つ勘違いをしている。村の人々は完全に忘れている、というわけでもない。今の状況に陥って思い出した者もいるかもしれない。しかし〈治癒の神〉は誰も覚えていないと思っている。それさえ分かってくれれば少しは修復できるかもしれない。
「だから旅人さん。今が本当に……」
「本当に幸せ?」
「え?」
「閉じ込めておくことが? 村の人々はあなたのことを思い出しているのに」
「そんなの嘘だ! ずっと……ずっと私を忘れていたくせに!」
「けれど皆が忘れていたわけじゃない。忘れていたならば私はここに辿り着けない。村を出た人達が紡いだ伝承は多くの種族に広がっている」
「だから……だからなんだっていうの! 私は……」
その声は震えていた。忘れてほしくない、それが根幹にあるのはさくらにもわかっていた。だがそれ以上に〈治癒の神〉は誰かを傷つけることが嫌なのだろう。だからすぐにでも治したいが、また忘れられることを怖がっているだけに見えた。
「わからないよ。何がしたかったんだろう。私はみんなを助けたかっただけなのに……。傷つけて苦しめて……私はもう誰も癒すことが出来ない」
さくらの方を見る〈治癒の神〉、彼女の涙は透明な光を奪って深い闇へと堕ちる。治すことすら叶わない病が体を巡り、それは〈治癒の神〉の名前を失うほどに壊れていた。それと同時に黒い雷は酷くなり、それによって起きた炎は村の方まで近づいていた。
村の人々は森が燃えていることに気づいて慌てふためき、病に苦しみながらも外に出て避難しようとしていた。けれど村にとどまっていた理夏は村の人々に心配されながら炎の前に立った。鞘に収められていた刀を抜いて、近づいてくる炎を切った。すると切った位置が境界となって、それ以上炎が進むことはなかった。ただ燃え盛る森の方を見て、「さくら、大丈夫だろうか」と心配そうに呟いていた。
燃え広がる炎に耐え切れずに崩れる草木に退路は絶たれたが、さくらは逃げるつもりはなかった。しかし立っているのがつらくなって、その場に座り込んだが、左手はずっと像に触れていた。すると左腕を侵食していた『厄災』が少しずつ燃え盛る炎を消していた。なんで? と思ったが、すぐに死なれては困るという『厄災』の意思が動いて謎の守りを見せていた。しかしそれは止まっていたものが動き出したということ。つまり『厄災』はさくらを乗っ取る準備が完了したことを示していた。
そうなると時間は残されていなかった。しかし〈治癒の神〉はあれから沈黙していたが、像に触れ続けた『厄災』が過去から現在への記憶を映し出した。それを見た時、黒く塗り潰されずに残った光が本来の自分自身を想起させて、今ある自分と重なって新たな〈治癒の神〉へと姿を変えた。真っ白の治癒だけだった姿は自らの罪を受け入れて少しばかり藍色が見えていた。そして胸の前で手を組んで祈り始め、空間に閉じ込めていた村の人々の魂の病を取り除いて解放していた。それは少しずつ村の方にも届いて、雪のように降り出した光が体に落ちて病が消えた。人々は感謝とともに泣き崩れ、謝罪も繰り返していた。
「まだ……助けなければいけない人がいる」
そう言って像から出てきた〈治癒の神〉が見たのは黒い靄に包まれたさくらの姿だった。暴走した『厄災』はさくらを飲みこもうとしたが、〈治癒の神〉の祈りで思うようにならなくて、侵食は頭まで届いていなかった。〈治癒の神〉はすぐにさくらの手を取って「消えて、私の大切な人から」と強く『厄災』に言い、黒い靄も体の侵食も消えて左腕だけとなった。『厄災』は抵抗し続けていたが、新しく生まれ変わった〈治癒の神〉には勝てず、『厄災』の力はさくらの体から完全に取り除かれた。
気を失っていたさくらが目を覚ますと、空は晴れて燃えていた炎は尽きて炭のにおいがした。体の感覚が戻ってきて左手の方を見ると白い子供が握っていた。その子供は白い長髪をして、服も白いがその端が藍色に染まっていた。
「あっ……よかった」
「あなたは……いや、もしかして」
「うん、私はシラ。〈治癒の神〉と呼ばれていたもの」
「子供だったんだ」
「え? 私は……って、えー!? なんで子供になっているの!? ……これじゃもっと忘れられちゃうよ」
「忘れないから大丈夫」
さくらは起き上がって泣きそうになるシラの頭を撫でた。シラの姿が子供になってしまったのはおそらく左腕に侵食していた『厄災』を取り除こうとして力を使い果たしたからだろう、と思い、撫でながらシラに「ありがとう」と「ごめんね」と言った。
「ううん、みんなを助けたかったから。私は酷いことをした。病を取り除いたとしても許されることじゃない」
シラはそう言いつつ、心配になってさくらの左手を離して立ち上がり村の方を見ていた。さくらもゆっくりだが立ち上がって、シラの手を握ると彼女は驚いていた。そしてその手を引いて村の方に降りてくると、人々はその場で手を組んで祈っていた。しかしその方向は像ではなく空の方を向いていた。するとさくらに気づいた人が近づいて話しかけるが、横にいるシラには気づかなかった。病は治って元気になった村は喜ばしいことだが、これでは今までと何も変わらなかった。
「私の姿は見えないから仕方ないの」
「あたしには見えてんのに?」
人がさくらのもとから去った後、理夏はシラの方を見て言った。シラは理夏が鬼族だと思っていたから驚いていた。
「何かしらの変異を遂げた者にしか見えない……はずなのに」
「あー……あたしが〈人喰い鬼〉だからか」
「え? 人を……まさか」
「喰ってないから、ここの人達は。あの時に舐めたさくらの血が腹持ちよくていらないし」
「そうなんだ……てっきり一緒にいるから我慢しているものだと思っていた」
「それもあるけど一番はさっきの理由。お腹もすいてないのに喰う必要ないじゃん」
そう三人で話していると、別の人が近づいてきて「もしかして見えているのですか?」と問い、さくらは頷いた。「本当ですか!?」と驚きつつ、手に持っていた箱を渡してきた。その箱を開けると藍色の中心部に白い花びらで、ひまわりのような飾りがあるかんざしだった。シラは「あっ」と言ってそのかんざしを掴むと村の人は泣いていた。
「そこにおられたのですね……神様」
止まっていた涙がまたあふれ出し、その様子を見ていた他の人も集まってきた。村の人達にはシラの姿が昔のように真っ白の状態に見えているのかもしれない。手に持ち続けるシラにさくらは「つけてあげようか?」と提案し、髪を結ってつけた。しかし感謝がシラの方に向けられる中、彼女は複雑な感情を秘めていた。
村に泊めてもらって多くの祝杯を受けた翌日、シラは村の入り口に立っていた。村の人達から受け取った感謝は、いつかまた繰り返す苦しみの始まり、と少しトラウマを感じていた。あの二人がいなくなって時間が経てば、また忘れられるかもしれない。自分の力が弱まった原因ではあるけど、今はその二人の方がまだ信用出来た。
昨夜、さくらは左腕の治癒が完了したから一度家に帰って、また旅をしようと思っていると言った。理夏は「勝負は?」と聞いていたが、さくらの返事はなく、シラは話が楽しくてわかっていなかった。それに昔は自分も旅をしていろんな場所に行っていた。ここに縛られずとも、みんなを守る目的は変わらないような気がした。
「あっ、ここにいた」
その声に振り返るとそこにさくらと理夏がいた。村はまだ静かに太陽の光が出始めて、外に出ている者はその二人以外いなかった。
「どうしたの?」
「旅……しようかなって」
「え?」
「いいのか。村の人達はすごく感謝して、忘れないと約束してくれたのに」
「もう忘れられるのが怖いの。わがままだってわかっているけど」
「……まぁいいんじゃない? あたしは関係ないし」
「関係……そうだよね。……ないよね」
しょんぼりするシラに理夏は流石に悪いと思ったのか、少し慌てていた。さくらは「まったく……」と呟いて、鞄から一通の手紙を取り出した。
「これは?」
「村の人達から預かった手紙。読んでみて」
シラは封筒を開けて手紙を読み始めた。そこには感謝と謝罪、本当はずっとこの村を守っていてほしいこと。けれど縛りつけたくないこと。最後に自由に生きてほしいと書かれていた。読みながらシラはボロボロと泣き出しながら頷いていた。
「私……やっぱりこの村を出る」
「そっか」
「さくら」
「?」
「一緒に行ってもいい? 『厄災』の話……手伝いたいの! みんなを守りたいから」
そう言われてさくらはかなり驚いていたが、理夏は「別にいいんじゃね」と軽く返事していた。さくらは少し考えた後「いいよ」と言い、シラは「やったー!」と嬉しそうに言った。
三人は決意を新たに進む。この世界に散らばった『厄災』の赤子達を探し出し、すべてを止めるために。
目的地の村付近で箒から降りて少し歩くと辿り着いた。見た目は簡素で何不自由ない普通の村に見えたが、中に入ると一変しあまりにも静かで活気のない景色が映った。村はさほど広くなく、道なりに進むと〈治癒(ちゆ)の神〉と思われる像があった。しかし自然に囲まれているとはいえ、その草木は放置されて像はほとんど隠されていた。顔が見えても苔が生えて錆びついて誰にも手入れされずに、まるでもう忘れられているかのように感じられた。それでこの静けさ、そもそももうこの村に人はいないのかさえ思った。けれどかすかな草木の音でさくらは振り返ると、具合悪そうにしている人が立っていた。
「旅人のお方ですか? それならすぐに立ち去った方がいい……」
そう言いながら体はふらつき、すぐさま理夏が支えるとそのまま倒れ込み意識を失ってしまった。さくらがその人の体に触れた時、かなりの高熱で急いで村まで運んで近くのベンチに寝かせて治癒を施した。意識は戻ったが体に宿る病を取り除くことが出来ない。深く突き刺さった杭のように離れてくれなかった。それはさくらの左腕を侵食した『厄災』に似たものを感じた。
「……ここは……ああ、さっきの」
「よかった」
「あれ? 何となく体が軽い……もしかして」
「治癒魔法は施しましたが、肝心の病のもとを引き抜くことが出来ず……」
「やはり、そうですか」
「え?」
「これは祟りなのです。私達が〈彼女〉を蔑(ないがし)ろにしたから」
その人は話すたびにつらそうで、さくらは何があったのか聞きたくとも聞ける状態ではなかった。ひとまずその人を家まで送っていると、何か思うところがあったのか資料館の場所を教えてくれた。二人は資料館に入って本を漁ってみた。理夏は早々に飽きて椅子に座り、机に頭を乗せて眠っていた。疲れていたんだろう、とさくらは思って静かに本棚を眺めていた。ほとんどが重くて長い本だったが、一冊絵本が挟まっていた。
むかしむかし あるところに村がありました
その村で生まれた人々は生まれながら病を持っていて
若くして亡くなる長生きの出来ない体でした
しかし ある日 世界を旅していた神様は
その村の姿を見て助けたいと思いました
他の神様達が試練だと言って手を貸さない中
自らが持つ治癒で病を取り除きました
人々は神様に感謝して〈治癒の神〉の像が作られ
神様はずっと村を見守っていました
絵本はそこで終わっていたが、本の最後に何か紙が挟まっていた。紙は折りたたまれていて、開くと少しばかり文章が書かれていたが、一部擦り切れて読めなくなっていた。
《……神の奇跡は病を治した
しかしそれを受けることが出来るのは
村で生まれた者だけだ
稀に別の場所で生まれた同じ病を持つ者は救われない
最近は薬の研究も上手くいっている
それが完成すれば神の奇跡を待たずして治せる》
それは病を治す方法が別にあるという喜ばしくも悲しいものだった。人々は〈治癒の神〉に感謝していたが、このまま頼っているのもよくないと思ったのだろう。だから病の原因を探して薬を開発した。それによって村以外の同じ症状に苦しむ人も救うことが出来るようになった。しかしそれはもう神の力なくても生きられる体を手に入れたことになる。おそらく薬が普及して世代が変わり、神の伝承を伝える者がいなくなって〈治癒の神〉は忘れられた。忘れられた結果、像は放置されたあんな状態になっていた。
「なんかわかった?」
眠っていた理夏が起きて目をこすりながらさくらに問う。さくらは今までのことを簡単にまとめて伝えると「忘れる……」と少し寂しそうに理夏は呟いた。
「その〈治癒の神〉ってやつは壊れたんじゃないの?」
「壊れた?」
「他の神様が人々に力を貸さなかったのは、こうなるとわかっていたから。いつか裏切られると」
「……だからって」
「忘れられるのは存在していないと同義なんだよ。例えそこにいたとしても映らない」
「……」
「気づいてほしいから、求めてほしいから……」
理夏がまだ話しているのにさくらは何かを感じて資料館の入り口の方に行った。さっきまでの空気の流れが重くなって、それが集中しているのはおそらく像の方だと思った。
「このままじゃ……みんな死ぬ」
「あたし達は別に」
「ううん。今の〈治癒の神〉なら……治すための力が壊れて反転し、病をばら撒く悪しき神に変わってしまったのだとしたら」
「それで死ぬと? 本当にわがままな子供……。でもどうする? 神は多くの種族が手を取り合って協力しても適わない相手なのに。せいぜい封印するのが妥当だと思うけど」
「私の左腕を治してもらう」
「は?」
「治すことを思い出してくれれば……それだけでいいはず」
一度、資料館に戻って本を直して外に出るさくらに理夏はついていくが、それだけで上手くいくとは思わない、と頭の中で思っていた。
村の方では最初に訪れた時より重々しい雰囲気になって、異常なまでに音がしなくなった。しかし家の扉が開いてふらつく体はそのまま意識を失って倒れる大きな音に理夏は振り返った。さくらは気づかず行ってしまったが、理夏は倒れた人のところに行って体に触れてみるが、すぐに離して「空っぽだ」と呟いた。体に温かさも冷たさもなく、それは魂の抜けた器になっていた。しかしまだ天に昇らずどこかに繋がっていた。
空を灰色の雲が覆い、明るく元気な姿を病で暗く沈む姿へと変えた。苦しみで今にも雨という涙を流しそうにも見えた。さくらは草木をかき分けて像の前に立ち、右手は左腕を支えて左手は像に触れていた。すると黒い静電気のような雷が周りに降り注ぎ、生い茂っていた草木を燃やし始めた。しかしさくらはその手を離さず、燃え盛る炎はギリギリなところで体に近づけなかった。
「誰? 私の楽園を壊す? みんな私がいないとダメだから、みんな私がいないと……」
「……」
「治したのにどうして忘れたの? だったら忘れないように体に刻んであげるね。私以外では治せない病を……薬? そんなもので私を困らせないで」
〈治癒の神〉が話す言葉すべてに明らかな欠損が見られた。もう二度と忘れられないように村を病という檻に閉じ込めて、自らの力で治すことが出来るにもかかわらず放置していた。けれど〈治癒の神〉は一つ勘違いをしている。村の人々は完全に忘れている、というわけでもない。今の状況に陥って思い出した者もいるかもしれない。しかし〈治癒の神〉は誰も覚えていないと思っている。それさえ分かってくれれば少しは修復できるかもしれない。
「だから旅人さん。今が本当に……」
「本当に幸せ?」
「え?」
「閉じ込めておくことが? 村の人々はあなたのことを思い出しているのに」
「そんなの嘘だ! ずっと……ずっと私を忘れていたくせに!」
「けれど皆が忘れていたわけじゃない。忘れていたならば私はここに辿り着けない。村を出た人達が紡いだ伝承は多くの種族に広がっている」
「だから……だからなんだっていうの! 私は……」
その声は震えていた。忘れてほしくない、それが根幹にあるのはさくらにもわかっていた。だがそれ以上に〈治癒の神〉は誰かを傷つけることが嫌なのだろう。だからすぐにでも治したいが、また忘れられることを怖がっているだけに見えた。
「わからないよ。何がしたかったんだろう。私はみんなを助けたかっただけなのに……。傷つけて苦しめて……私はもう誰も癒すことが出来ない」
さくらの方を見る〈治癒の神〉、彼女の涙は透明な光を奪って深い闇へと堕ちる。治すことすら叶わない病が体を巡り、それは〈治癒の神〉の名前を失うほどに壊れていた。それと同時に黒い雷は酷くなり、それによって起きた炎は村の方まで近づいていた。
村の人々は森が燃えていることに気づいて慌てふためき、病に苦しみながらも外に出て避難しようとしていた。けれど村にとどまっていた理夏は村の人々に心配されながら炎の前に立った。鞘に収められていた刀を抜いて、近づいてくる炎を切った。すると切った位置が境界となって、それ以上炎が進むことはなかった。ただ燃え盛る森の方を見て、「さくら、大丈夫だろうか」と心配そうに呟いていた。
燃え広がる炎に耐え切れずに崩れる草木に退路は絶たれたが、さくらは逃げるつもりはなかった。しかし立っているのがつらくなって、その場に座り込んだが、左手はずっと像に触れていた。すると左腕を侵食していた『厄災』が少しずつ燃え盛る炎を消していた。なんで? と思ったが、すぐに死なれては困るという『厄災』の意思が動いて謎の守りを見せていた。しかしそれは止まっていたものが動き出したということ。つまり『厄災』はさくらを乗っ取る準備が完了したことを示していた。
そうなると時間は残されていなかった。しかし〈治癒の神〉はあれから沈黙していたが、像に触れ続けた『厄災』が過去から現在への記憶を映し出した。それを見た時、黒く塗り潰されずに残った光が本来の自分自身を想起させて、今ある自分と重なって新たな〈治癒の神〉へと姿を変えた。真っ白の治癒だけだった姿は自らの罪を受け入れて少しばかり藍色が見えていた。そして胸の前で手を組んで祈り始め、空間に閉じ込めていた村の人々の魂の病を取り除いて解放していた。それは少しずつ村の方にも届いて、雪のように降り出した光が体に落ちて病が消えた。人々は感謝とともに泣き崩れ、謝罪も繰り返していた。
「まだ……助けなければいけない人がいる」
そう言って像から出てきた〈治癒の神〉が見たのは黒い靄に包まれたさくらの姿だった。暴走した『厄災』はさくらを飲みこもうとしたが、〈治癒の神〉の祈りで思うようにならなくて、侵食は頭まで届いていなかった。〈治癒の神〉はすぐにさくらの手を取って「消えて、私の大切な人から」と強く『厄災』に言い、黒い靄も体の侵食も消えて左腕だけとなった。『厄災』は抵抗し続けていたが、新しく生まれ変わった〈治癒の神〉には勝てず、『厄災』の力はさくらの体から完全に取り除かれた。
気を失っていたさくらが目を覚ますと、空は晴れて燃えていた炎は尽きて炭のにおいがした。体の感覚が戻ってきて左手の方を見ると白い子供が握っていた。その子供は白い長髪をして、服も白いがその端が藍色に染まっていた。
「あっ……よかった」
「あなたは……いや、もしかして」
「うん、私はシラ。〈治癒の神〉と呼ばれていたもの」
「子供だったんだ」
「え? 私は……って、えー!? なんで子供になっているの!? ……これじゃもっと忘れられちゃうよ」
「忘れないから大丈夫」
さくらは起き上がって泣きそうになるシラの頭を撫でた。シラの姿が子供になってしまったのはおそらく左腕に侵食していた『厄災』を取り除こうとして力を使い果たしたからだろう、と思い、撫でながらシラに「ありがとう」と「ごめんね」と言った。
「ううん、みんなを助けたかったから。私は酷いことをした。病を取り除いたとしても許されることじゃない」
シラはそう言いつつ、心配になってさくらの左手を離して立ち上がり村の方を見ていた。さくらもゆっくりだが立ち上がって、シラの手を握ると彼女は驚いていた。そしてその手を引いて村の方に降りてくると、人々はその場で手を組んで祈っていた。しかしその方向は像ではなく空の方を向いていた。するとさくらに気づいた人が近づいて話しかけるが、横にいるシラには気づかなかった。病は治って元気になった村は喜ばしいことだが、これでは今までと何も変わらなかった。
「私の姿は見えないから仕方ないの」
「あたしには見えてんのに?」
人がさくらのもとから去った後、理夏はシラの方を見て言った。シラは理夏が鬼族だと思っていたから驚いていた。
「何かしらの変異を遂げた者にしか見えない……はずなのに」
「あー……あたしが〈人喰い鬼〉だからか」
「え? 人を……まさか」
「喰ってないから、ここの人達は。あの時に舐めたさくらの血が腹持ちよくていらないし」
「そうなんだ……てっきり一緒にいるから我慢しているものだと思っていた」
「それもあるけど一番はさっきの理由。お腹もすいてないのに喰う必要ないじゃん」
そう三人で話していると、別の人が近づいてきて「もしかして見えているのですか?」と問い、さくらは頷いた。「本当ですか!?」と驚きつつ、手に持っていた箱を渡してきた。その箱を開けると藍色の中心部に白い花びらで、ひまわりのような飾りがあるかんざしだった。シラは「あっ」と言ってそのかんざしを掴むと村の人は泣いていた。
「そこにおられたのですね……神様」
止まっていた涙がまたあふれ出し、その様子を見ていた他の人も集まってきた。村の人達にはシラの姿が昔のように真っ白の状態に見えているのかもしれない。手に持ち続けるシラにさくらは「つけてあげようか?」と提案し、髪を結ってつけた。しかし感謝がシラの方に向けられる中、彼女は複雑な感情を秘めていた。
村に泊めてもらって多くの祝杯を受けた翌日、シラは村の入り口に立っていた。村の人達から受け取った感謝は、いつかまた繰り返す苦しみの始まり、と少しトラウマを感じていた。あの二人がいなくなって時間が経てば、また忘れられるかもしれない。自分の力が弱まった原因ではあるけど、今はその二人の方がまだ信用出来た。
昨夜、さくらは左腕の治癒が完了したから一度家に帰って、また旅をしようと思っていると言った。理夏は「勝負は?」と聞いていたが、さくらの返事はなく、シラは話が楽しくてわかっていなかった。それに昔は自分も旅をしていろんな場所に行っていた。ここに縛られずとも、みんなを守る目的は変わらないような気がした。
「あっ、ここにいた」
その声に振り返るとそこにさくらと理夏がいた。村はまだ静かに太陽の光が出始めて、外に出ている者はその二人以外いなかった。
「どうしたの?」
「旅……しようかなって」
「え?」
「いいのか。村の人達はすごく感謝して、忘れないと約束してくれたのに」
「もう忘れられるのが怖いの。わがままだってわかっているけど」
「……まぁいいんじゃない? あたしは関係ないし」
「関係……そうだよね。……ないよね」
しょんぼりするシラに理夏は流石に悪いと思ったのか、少し慌てていた。さくらは「まったく……」と呟いて、鞄から一通の手紙を取り出した。
「これは?」
「村の人達から預かった手紙。読んでみて」
シラは封筒を開けて手紙を読み始めた。そこには感謝と謝罪、本当はずっとこの村を守っていてほしいこと。けれど縛りつけたくないこと。最後に自由に生きてほしいと書かれていた。読みながらシラはボロボロと泣き出しながら頷いていた。
「私……やっぱりこの村を出る」
「そっか」
「さくら」
「?」
「一緒に行ってもいい? 『厄災』の話……手伝いたいの! みんなを守りたいから」
そう言われてさくらはかなり驚いていたが、理夏は「別にいいんじゃね」と軽く返事していた。さくらは少し考えた後「いいよ」と言い、シラは「やったー!」と嬉しそうに言った。
三人は決意を新たに進む。この世界に散らばった『厄災』の赤子達を探し出し、すべてを止めるために。
桜詩凛の読みは「さくらしりん」で、由来は二つ。一つは元から使っていた桜子凛花が長いと思ったため、短くするために「桜」と「凛」を取り、その間に当時から書いていた「詩」をいれたもの。もう一つは『複雑な生き方をする少女』に登場する「さくら、黒蛇、シラ、理夏(りか)、ラナン」の頭文字を取ったものとなってい…
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