闇堕ちの能力者 第二章 旅人の進む道と優しさの祈り(1/2)
公開 2025/05/24 15:21
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目を覚ますとすごく冷たかった。起き上がる体につく大量の砂と不安定な足場。どうしてこんな場所で倒れていたのだろうと首を傾げながら、夜の寒さを服の隙間から感じていた。ある程度服についた砂を落とし、ゆっくりと手を握っては開いていた。少々違和感を感じる体に彼は口を開こうとするが、風が吹いて砂が入りそうになってすぐに閉じた。
ふと横に置かれた鞄を見ておもむろに開いた。旅人らしいものがほとんどを占める中、奥に仕舞われていた一冊の本を見つけた。題名はなかったが、開いてページを見ると何かが書かれていた。それは物語のようだが、所々途切れているし、話の途中で終わって白紙が続いていた。けれどその白紙はこの砂漠の描写をして、今起きていることを勝手に綴り始めて、彼は恐怖を覚えてその本を手から落とし、そのまま本は砂に突き刺さった。
「僕は……僕は?」
そこでやっと自分の記憶が失われていることに気づいた。この場所に倒れる以前の記憶が抜け落ちていた。何かわかることはないか、と鞄を再度漁ってみると名前は見つけられた。
「碧海(へきかい)ツクシ」
その名前を何度も口にしてみるが、やっぱりしっくりこなかった。しかし自分を表すものがこの名前と不可解な本しかないなら、考えても意味はなかった。砂に刺さった本を手に取って再び中を見ると文章は増えていなかった。
不安定な足場に注意しつつ、砂漠を抜けようと歩き出した。鞄を背に、本は腕に抱えて持っていた。しかし一面に広がる砂と淡くなりつつある空はまだ寒くて足は重くなる。そして動きが止まった。歩いた距離はわからないが、どこまでも続く風景に絶望していた。疲れは感じないが、完全に止まってしまった足をもう一度動かす気にはなれず、その場にしゃがみ込んだ。すると彼の目に白い手が映り、顔を上げると真っ白な少女が立っていた。驚く気力もなく、彼はその手を取って立ち上がった。少女は手を引いてどこかに行く気はなく、彼に『もう少しで会えるから』と言って微笑んでいた。その顔に謎の懐かしさを覚えて、知らない感情が記憶として流れ込んだ。彼が少女に話しかけようとした時、砂漠は朝を迎えて空は明るく暑さが襲ってきた。その太陽の光とともに少女の姿は消えてしまったが、今まで一向に見えなかった砂漠の終わりがきた。
静かな病室で目を覚ました桜陰(さくらかげ)リイノは近くに置いていたリモコンでベッドを動かして起き上がった。ギリギリ届いたカーテンを開いて、明るい朝の光に照らされて、眩しくて一瞬目を閉じた。傷だらけだった体は治療の甲斐あって包帯は少しだけになり、点滴の回数も減ったが歩くことはまだ出来ず、ベッドの横にはいつも車椅子が置かれていた。その車椅子に座って机に置いていたお菓子の籠を持って少し離れた窓の方に向かった。そこには一羽の鳩が止まっていた。その鳩に小さなお菓子を与えると嬉しそうに食べていた。食べ終わると鳩はクッキーの入った袋を嘴で掴んで飛び去っていった。リイノは驚かずに「またね」と呟いて手を振っていた。それが最近の日課で、彼女はその鳩が何なのか気づいていた。
「何しているの?」
そう聞こえて車椅子を動かして振り返ると、少し寝ぼけた真鶸(まひわ)スイリアが立っていた。
「空を見ていただけだよ」
リイノはスイリアに対してそう返事するが、ふとももに置かれたお菓子の籠を見て「ほんとに?」と言った。すると二匹の蛇が目覚めて姿を現し、白い蛇はリイノの右腕に巻きついて、黒い蛇は開いていたお菓子の袋に頭を突っ込んでいた。
「今は『封印』の方?」
「ううん、能力は何も発動してないよ」
「……少し前までどちらか一方の能力が発動しっぱなしだったのに」
「今みたいに動ける状態じゃなかったし……それに無意識で変わると危ないから。ソルヒやセオンさん、その他にもたくさんの人と関わるならと思って」
「それは良いことだけど、かなり負担になってない? 大丈夫?」
「意外と大丈夫。あとね、ソルヒからはやめてくれ、って言われたけど、能力を発動した状態で蛇の姿を消すことが出来るようになったの」
「あー、それはソルヒが正しい。そういえば彼は退院してからどう?」
「会ってないの?」
「なんかすれ違いが起こっているみたいで、会えてないんだ」
「ソルヒは退院する前からだけど、私の病室に来ていろんな話をしたよ。最近は仕事を教えてもらって、会う時間は減っちゃっている。……あの一件があるから危険なことはしないで、とは言ったけど大丈夫か心配」
「リイノちゃんはその……闇市? の件を聞いたんだっけ?」
「少しだけ……この体に流れる《呪われた血》のこともあるし」
「怖くないの?」
「怖いというより謝りたかった。私のせいで苦しんでいたから」
「リイノちゃんのせいじゃないよ!」
「それはそうなんだけど……どうしても言いたくて」
「……悩まなくていいからね。私もいるし、ソルヒだって今は近くにいる。だから」
「そうだね」
話が一段落して車椅子を移動し、ベッドに戻って少し検査をした後、スイリアは何かを思い出したかのように話し始めた。「この人、知っている?」とスマホをいじって見せてきた画像にはとある男性が映っていた。リイノが横に首を振るとスイリアは語り始めた。
「最近人気の俳優さんで歌もやっているの。その歌で元気をもらっている。それでこの街に来るんだって」
「そう……なんだ」
「もしかして興味ない?」
「知らないからわからない、っていうのが正しいかも……歌って何かないの?」
「確か……あった! この動画の歌を聞いてみて」
そう言ってイヤホンを繋いでスマホを渡してきた。耳につけたことを確認したスイリアが画面をタップして動画は始まった。
「……良い声の人。それにいろんな声が流れているのに、どれもこれも聞きやすい」
「そうなんだよ! 不思議だよね。ファンの間で『虹声(なないろのこえ)』と言われている」
「スイリアは好きなの?」
「最近はそうかも。病院内でも流行っていたから、てっきりリイノちゃんも知っていると思っていた」
「……私は会う人が限られているから、そういうのは疎いかも」
「そうだった、ごめん」
「そういえば、街に来るっていうのは」
「そう! 数日間、この街でコンサートするから滞在するんだって。チケットの抽選の確率がやばかったんだけど、運良く取れちゃって、今から楽しみなの」
「よかったね」
嬉しそうに話すスイリアにいまいちついていけないリイノだったが、病院内の電話が鳴って「行かなきゃ」と突然話は終わった。しかしスイリアのスマホは置かれたままで、リイノは止まった画面を眺めていた。
数時間後、昼の光が傾き始めた頃、リイノの病室に朝寒(あささむ)ルジオがやってきた。その人は警察官の方で彼女に対して話そうとした時、足元を歩いていた小さな熊が彼女めがけて走り出して飛びついた。慌てて謝ろうとするルジオに、リイノは「大丈夫」と小さな熊の頭を撫でていた。
「この前は」
「はい、無理を言ってごめんなさい。闇市のこと……聞きたいなんて言って」
「いいえ、私もリイノさんに聞きたいことがありましたし」
「……今日はどうしたんですか?」
「先日の一件で病院内の警備を厳しくすることにしまして、そのことをリイノさんに伝えておこうと思いまして」
「……またご迷惑をかけてしまいますね」
「リイノさんにとってはそうかもしれませんが、私達にとってはあなたを含め、皆を守るために行っているので。主に外の警備が強くなりますが、それに伴って特例で病院の屋上への立ち入りを許可することとなりました」
「えっ……どうして?」
「今後、リハビリをする際に外に出ることも考えていたようで、その折り合いの結果ですかね。医院長曰く、外の風景というか自然に触れてほしいとのことで……すぐに解放というわけではなく、準備が済み次第、屋上への立ち入りが許可されます。ただ屋上に行く時は私か信用出来る方……例えばセオンさんとか……」
「呼びましたか?」
いきなり声がして勢いよく振り返りびっくりして「ひぇ」とルジオは声を漏らしていた。
「屋上の話の辺りからずっといたのに気づかないから」
「いつもの、聞きに来たんですか?」
「まぁそのつもり……リイノは驚かないんだね」
「私は慣れたから。でも面識あったんですね、ルジオさんと」
「知らなかったか。本当はダメだけど得た情報の一部をルジオさんに渡している」
「それってバレないの?」
「バレたら消せばいいし、今のところは何も掴まれていないから大丈夫」
平気そうにするセオンに対して、ルジオはそれを聞いて少し怯えていた。リイノに撫でられていた小さな熊は何もわからずに首を傾けていた。
たわいもない話が交わされて、ルジオは行かなければならないところがある、と言って、やだやだ行きたくないとバタバタする小さな熊をつれて病室から出ていき、セオンと二人っきりになった。
「別に逃げなくてもよかったのに」
「……」
「まぁ本題に入れるし、こっちも長くいられないんでね」
「質問の内容が変わらないのなら、思い出せないが答えになるけど」
「いや、もう一つ聞きたくて……これはルジオさんにも聞かれたくないやつ。情報屋の繋がりで《呪われた血》の一部を研究者に渡し、人体実験以外のことをやってもらった。多少はその研究者もその血に関して知っていたらしく、効果はある程度目に見えていた。しかしマウスの実験をした際に血を取り込んでも反応がなかった。能力を得て暴走するということ……そもそも能力すらなかった」
「私には何もわからない」
「やはりそうか」
「でもマウスには能力が開花しないとかありそう。人だからこそ起きた事件って感じで」
「それは同感。しかし拒否反応も起きないとなると意味がわからない」
「誰もが能力を得るって無理な話だと思うし……もしかしたらもうその血は効果を失ったのかも」
「つまり?」
「もうその血は呪われていない。……単なる仮説だけど、私はそう思いたいな」
「一つの考えとして覚えておこう。研究者とはまた話す機会もあるし、また何かあったら、リイノの記憶とともに」
「頑張って思い出すから」
「無理はするな。嫌なことも怖いこともあるだろうから」
そしてセオンは礼をして『転移』を使って一瞬でいなくなった。
薄明かりが照らす役所。点滅を繰り返していることも気づかず、パソコンの画面を見続けていた。両端に積まれた紙束に挟まれて、水鏡(すいきょう)コタラの目の下に隈(くま)が出来ていた。闇市の事件の時、『亡心(ぼうしん)』を使って、多くの人物に尋問をした後、かなりの時間が経っていたらしく、役所にいた人々だけでも回しきれない量の仕事がたまっていた。その一部を請け負っていくうちに寝不足となり、失敗はいつも以上に多くなっていた。それでも終わらず、頑張ってやり遂げようとしたが、紙束をまとめて運ぼうとした時、ふらついて倒れた。紙束は手から離れて床に散らばっていたが、コタラの体は誰かが支えて頭を打ちつけることはなかった。
「無理はするなとあれほど言ったのに……気を失っているか」
そう言いながらため息を吐き、コタラを近くのソファーまで運んで寝かせた。コタラから出前を頼まれてやってきた冬茜(ふゆあかね)ミヒシはこの街で飲食店を営んでいた。その場所は憩いの場としてではなく、料理のうまさから街の外からのお客様も多い有名店であった。しかしすべてを一人でやっているため、店は不定期で尚且つ出前が入るとそれだけで大変なので、店が開いているということすら運でしかなかった。寝かせたコタラをほっといて、その他の役所で働く人々に出前品を配っていた。ご飯をまともに取っているのかわからないほど痩せている人もいたが、どんよりしていた雰囲気が一変、おいしい料理で会話が弾んで穏やかな感じへと変わっていた。「よかった」と呟きつつ、ある程度配り終わってコタラのもとに戻ると、彼は起きて座り目をこすっていた。
「あれ? ミヒシ来てたんだ」
「出前、頼んだだろ。覚えてないのか」
「それは覚えている……意外と早いなって思ったから」
「あの電話でゆっくりしている方が馬鹿だろ」
「そ……そうかな」
「まったく。ご飯を食べろとあれほど言ったのに。それに寝てないとは……酷すぎだ」
「仕方ないよ。僕以外、市長の代わりは果たせないし、その他の業務もまだたまっているから」
「ならご飯食べている時くらいゆっくりしとけ。床の片づけは俺がやる」
「ありがとう」
その感謝の言葉も弱々しく、並べられた料理を力無くした手で持った箸では掴めなくなっていて、スプーンやフォークをもってやっと取れるくらいになっていた。ミヒシはコタラの様子を見つつ、言った通り床の片づけを始めるな否や、それ以外にも机の上に置かれていた資料の並び替えと整理整頓、途中まで打ち込まれていたパソコンの画面までのすべてを短時間で終わらせていた。計算系は飲食店絡みでよくやっているから、電卓をたたきつつ確認していた。「ここは間違っている」などと呟きながら修正し、出来上がった表を印刷して何度も見直していた。
「やっぱりミヒシの料理はおいしい」
「コタラ、全部終わったが……他に残っていることはあるか?」
「えっ、もう……僕の方のやつは机に置いてあった分で一応」
「ということは他がまだか」
「それはまた僕が受け持つから」
「お前は寝てろ!」
「……はい」
ミヒシの声は怒っていたが、その声には心配する気持ちが含まれているとコタラはわかっていた。「ごめん」と謝りつつ、仮眠で使っている部屋の方にゆっくりと歩いて行った。一人残されたミヒシは「大丈夫か?」と心配しつつ片づけた資料の一部を持って、役所のあらゆる窓口の方で引き取ってもらった。代わりに食べ終わった食器を受け取って、箱に入れて車に運んでいた。
数日が経ち、ミヒシの協力のもと、なんとか正常に戻ったコタラはリイノの住民票が抹消されていることに気づいた。闇市で商品として扱われていた彼女はある意味、道具として処理されていたからかもしれないと思った。
「でも病院か……ソルヒならリイノさんの病室、知っているかな」
そう考えを巡らせながらスマホを取り出して涼月(りょうげつ)ソルヒに電話をかけた。あの一件からソルヒとは少しずつではあるが親睦を深めて、信頼まではまだ遠いが仲は良くなっていた。数分後、ソルヒがやってきて病室までの案内を頼むと快く引き受けてくれた。手続きをするための資料をファイルに入れて持ち、ソルヒの『時計』の能力を体験して病院まで辿り着いた。そこまではよかったのだが、リイノの病室に入ろうとした時、そこにはセオンが彼女と話をしていた。
「それで何か思い出したか?」
「あまり……でも」
「でも?」
「幼い頃……孤児院でのことは少し思い出せて……でもセオンさんにとって関係ないことかもしれないけど」
「いえ、何が繋がるかわからないから、聞けることなら聞いておきたいと思っている」
「それなら」
「いや、今は……何こそこそしているんすか。そこにいるのわかってますよ。コタラさんとソルヒ」
「あー、やっぱりバレた」
振り返りつつセオンは少し扉を開けて覗いていた二人に向かって言った。ソルヒはすぐに声を出したが、コタラはセオンの奥、ベッドにいるリイノの姿を見ていた。
「あの子が」
「なるほど、リイノに会いに来たわけか。初めてだったからソルヒを連れて。じゃあ、俺は邪魔か」
「いや、別にいてもいいよ。僕はこれをリイノさんに書いて欲しくて持ってきただけだから」
そう言ってリイノにさっきのファイルとボールペンを渡し、わからない箇所は教えて書いてもらった。その様子を少し遠目から見ていたソルヒとセオンは話をしていた。
「何か知らないか?」
「何かって何だよ。まさかリイノに負担かけることしてないよな」
「……していない」
「……まぁ僕も知らないことあるし、知りたいっちゃ知りたいけど……あんまり蛇を怒らせるなよ。特に黒い方。能力が発動していたら……」
「今のところ触れる気はないから安心しろ。それよりも屋上に行けるようになったこと知っているか?」
「屋上って病院の?」
「ああ、簡易的な庭園になっているらしい」
「らしい? 能力で簡単に入れそうだが……見てないのか」
「リイノがいないとセンサーで引っかかるように設定しているとルジオさんが言っていた」
「なるほど」
「それに庭園の話をしたらまだ屋上に行ったことがないって言ったから。特例で入れるようになっているのにもったいないだろ」
「もったいないけど」
そう言うソルヒだったが、明らかにセオンがリイノを利用していることはわかっていた。けれど病院の屋上なんてめったに行ける場所でもないから行ってみたいとも思っていた。
手続きの資料の記入が終わり、コタラが確認するのをリイノは心配そうに見ていた。何度か見直した後「よし」と言って、コタラはリイノにお礼を述べた。コタラが用事を済ませて病室から出る前に、セオンは彼の肩を掴んでいた。
「何?」
「今から屋上行くんでついてきてほしいんですよ」
「え? ちょ……」
疑問で首を傾げた次の瞬間、『転移』を使って屋上へ飛ばし、コタラの声にならない声が響いていた。セオンは楽しいそうに笑い、ソルヒは少し心配した後、リイノの側に寄っていた。
「ソルヒ……コタラさんは?」
「セオンが屋上に飛ばしやがった」
「え? じゃあ今頃……迷惑かけて、私も屋上に行かないと」
そう言ってリイノはベッドから車椅子に座り、ソルヒを見て「動かして」と訴えていた。病室内で動かす分にはリイノ一人でも十分だが、屋上までは遠くてセオンによる『転移』ではすぐに警備を立てることが出来ないから、車椅子を押してくれる人が必要だった。ソルヒはその訴えに気づいて、車椅子を動かして病室を出ようとするが、セオンはいつの間にかいなくなっていた。笑っていたとはいえ、少しは悪いことをしたと思って『転移』で飛んだのかもしれないが、真意は定かではない。「早く行こうよ」とリイノが良い、ソルヒはセオンのことを考えるのやめて、屋上へ向かうと普段閉まっている扉が開いていた。屋上に入ると警備員に囲まれたコタラとセオンがいた。しかしリイノが屋上の敷地に入ったことでセンサーの警戒が解けて、警備員は入り口にいた二人を見て、囲みをやめて屋上の四方へと散らばった。
屋上は何もない殺風景な灰色と白色しかなかった状態から一変してあらゆる植物が植えられている庭園と車椅子が通れるくらいの道が作られていた。植物と言っても多くは花で綺麗に咲いていてソルヒは驚いていたが、リイノは背の高い花の下にある葉に触れて、自然と外の空気を感じていた。警備員から解放された二人も合流し、四人で庭園を鑑賞するかと思いきや、コタラは残った業務を終わらせるために戻りたいとセオンに『転移』を使ってほしいと頼むがそれを無視して花を見ていた。
「綺麗な花だね」
リイノがそう言って花に触れる。見たことのない形や色ばかりで、危険なのではないかと思うくらい少々恐ろしかった。だが流石に確認は入っているだろうと考えてソルヒは「そうだな」と軽く流す程度に抑えていた。車椅子を押しながら様々な花を鑑賞していると、すべての花を確認し終わったのか、セオンが独り言を呟いていた。
「……見たことのない花に見えて、実は変えられただけの色に過ぎない。青いバラという人工的に生み出されたものに似ている。造花にも見えなくはないが、確実にこの花達は生きている。……まるで何かを欺くように配置されている」
セオンはスマホで撮った花の写真と情報屋経由で得た画像を比較して見ていた。それを覗き込もうとするソルヒにリイノはまた危険なことに首を突っ込もうとしているのではないかと思って「だめだよ」と小さくソルヒに呟き、彼の足は止まった。しかしそれに気づいたセオンはソルヒに少しばかりの画像を渡し、遠くに行って誰かに電話をかけていた。その画像には花の他に見たことのない蝶もいたが、花のことを考えるとその蝶も変化に巻き込まれているだけなのではないかと思った。
目を覚ますとすごく冷たかった。起き上がる体につく大量の砂と不安定な足場。どうしてこんな場所で倒れていたのだろうと首を傾げながら、夜の寒さを服の隙間から感じていた。ある程度服についた砂を落とし、ゆっくりと手を握っては開いていた。少々違和感を感じる体に彼は口を開こうとするが、風が吹いて砂が入りそうになってすぐに閉じた。
ふと横に置かれた鞄を見ておもむろに開いた。旅人らしいものがほとんどを占める中、奥に仕舞われていた一冊の本を見つけた。題名はなかったが、開いてページを見ると何かが書かれていた。それは物語のようだが、所々途切れているし、話の途中で終わって白紙が続いていた。けれどその白紙はこの砂漠の描写をして、今起きていることを勝手に綴り始めて、彼は恐怖を覚えてその本を手から落とし、そのまま本は砂に突き刺さった。
「僕は……僕は?」
そこでやっと自分の記憶が失われていることに気づいた。この場所に倒れる以前の記憶が抜け落ちていた。何かわかることはないか、と鞄を再度漁ってみると名前は見つけられた。
「碧海(へきかい)ツクシ」
その名前を何度も口にしてみるが、やっぱりしっくりこなかった。しかし自分を表すものがこの名前と不可解な本しかないなら、考えても意味はなかった。砂に刺さった本を手に取って再び中を見ると文章は増えていなかった。
不安定な足場に注意しつつ、砂漠を抜けようと歩き出した。鞄を背に、本は腕に抱えて持っていた。しかし一面に広がる砂と淡くなりつつある空はまだ寒くて足は重くなる。そして動きが止まった。歩いた距離はわからないが、どこまでも続く風景に絶望していた。疲れは感じないが、完全に止まってしまった足をもう一度動かす気にはなれず、その場にしゃがみ込んだ。すると彼の目に白い手が映り、顔を上げると真っ白な少女が立っていた。驚く気力もなく、彼はその手を取って立ち上がった。少女は手を引いてどこかに行く気はなく、彼に『もう少しで会えるから』と言って微笑んでいた。その顔に謎の懐かしさを覚えて、知らない感情が記憶として流れ込んだ。彼が少女に話しかけようとした時、砂漠は朝を迎えて空は明るく暑さが襲ってきた。その太陽の光とともに少女の姿は消えてしまったが、今まで一向に見えなかった砂漠の終わりがきた。
静かな病室で目を覚ました桜陰(さくらかげ)リイノは近くに置いていたリモコンでベッドを動かして起き上がった。ギリギリ届いたカーテンを開いて、明るい朝の光に照らされて、眩しくて一瞬目を閉じた。傷だらけだった体は治療の甲斐あって包帯は少しだけになり、点滴の回数も減ったが歩くことはまだ出来ず、ベッドの横にはいつも車椅子が置かれていた。その車椅子に座って机に置いていたお菓子の籠を持って少し離れた窓の方に向かった。そこには一羽の鳩が止まっていた。その鳩に小さなお菓子を与えると嬉しそうに食べていた。食べ終わると鳩はクッキーの入った袋を嘴で掴んで飛び去っていった。リイノは驚かずに「またね」と呟いて手を振っていた。それが最近の日課で、彼女はその鳩が何なのか気づいていた。
「何しているの?」
そう聞こえて車椅子を動かして振り返ると、少し寝ぼけた真鶸(まひわ)スイリアが立っていた。
「空を見ていただけだよ」
リイノはスイリアに対してそう返事するが、ふとももに置かれたお菓子の籠を見て「ほんとに?」と言った。すると二匹の蛇が目覚めて姿を現し、白い蛇はリイノの右腕に巻きついて、黒い蛇は開いていたお菓子の袋に頭を突っ込んでいた。
「今は『封印』の方?」
「ううん、能力は何も発動してないよ」
「……少し前までどちらか一方の能力が発動しっぱなしだったのに」
「今みたいに動ける状態じゃなかったし……それに無意識で変わると危ないから。ソルヒやセオンさん、その他にもたくさんの人と関わるならと思って」
「それは良いことだけど、かなり負担になってない? 大丈夫?」
「意外と大丈夫。あとね、ソルヒからはやめてくれ、って言われたけど、能力を発動した状態で蛇の姿を消すことが出来るようになったの」
「あー、それはソルヒが正しい。そういえば彼は退院してからどう?」
「会ってないの?」
「なんかすれ違いが起こっているみたいで、会えてないんだ」
「ソルヒは退院する前からだけど、私の病室に来ていろんな話をしたよ。最近は仕事を教えてもらって、会う時間は減っちゃっている。……あの一件があるから危険なことはしないで、とは言ったけど大丈夫か心配」
「リイノちゃんはその……闇市? の件を聞いたんだっけ?」
「少しだけ……この体に流れる《呪われた血》のこともあるし」
「怖くないの?」
「怖いというより謝りたかった。私のせいで苦しんでいたから」
「リイノちゃんのせいじゃないよ!」
「それはそうなんだけど……どうしても言いたくて」
「……悩まなくていいからね。私もいるし、ソルヒだって今は近くにいる。だから」
「そうだね」
話が一段落して車椅子を移動し、ベッドに戻って少し検査をした後、スイリアは何かを思い出したかのように話し始めた。「この人、知っている?」とスマホをいじって見せてきた画像にはとある男性が映っていた。リイノが横に首を振るとスイリアは語り始めた。
「最近人気の俳優さんで歌もやっているの。その歌で元気をもらっている。それでこの街に来るんだって」
「そう……なんだ」
「もしかして興味ない?」
「知らないからわからない、っていうのが正しいかも……歌って何かないの?」
「確か……あった! この動画の歌を聞いてみて」
そう言ってイヤホンを繋いでスマホを渡してきた。耳につけたことを確認したスイリアが画面をタップして動画は始まった。
「……良い声の人。それにいろんな声が流れているのに、どれもこれも聞きやすい」
「そうなんだよ! 不思議だよね。ファンの間で『虹声(なないろのこえ)』と言われている」
「スイリアは好きなの?」
「最近はそうかも。病院内でも流行っていたから、てっきりリイノちゃんも知っていると思っていた」
「……私は会う人が限られているから、そういうのは疎いかも」
「そうだった、ごめん」
「そういえば、街に来るっていうのは」
「そう! 数日間、この街でコンサートするから滞在するんだって。チケットの抽選の確率がやばかったんだけど、運良く取れちゃって、今から楽しみなの」
「よかったね」
嬉しそうに話すスイリアにいまいちついていけないリイノだったが、病院内の電話が鳴って「行かなきゃ」と突然話は終わった。しかしスイリアのスマホは置かれたままで、リイノは止まった画面を眺めていた。
数時間後、昼の光が傾き始めた頃、リイノの病室に朝寒(あささむ)ルジオがやってきた。その人は警察官の方で彼女に対して話そうとした時、足元を歩いていた小さな熊が彼女めがけて走り出して飛びついた。慌てて謝ろうとするルジオに、リイノは「大丈夫」と小さな熊の頭を撫でていた。
「この前は」
「はい、無理を言ってごめんなさい。闇市のこと……聞きたいなんて言って」
「いいえ、私もリイノさんに聞きたいことがありましたし」
「……今日はどうしたんですか?」
「先日の一件で病院内の警備を厳しくすることにしまして、そのことをリイノさんに伝えておこうと思いまして」
「……またご迷惑をかけてしまいますね」
「リイノさんにとってはそうかもしれませんが、私達にとってはあなたを含め、皆を守るために行っているので。主に外の警備が強くなりますが、それに伴って特例で病院の屋上への立ち入りを許可することとなりました」
「えっ……どうして?」
「今後、リハビリをする際に外に出ることも考えていたようで、その折り合いの結果ですかね。医院長曰く、外の風景というか自然に触れてほしいとのことで……すぐに解放というわけではなく、準備が済み次第、屋上への立ち入りが許可されます。ただ屋上に行く時は私か信用出来る方……例えばセオンさんとか……」
「呼びましたか?」
いきなり声がして勢いよく振り返りびっくりして「ひぇ」とルジオは声を漏らしていた。
「屋上の話の辺りからずっといたのに気づかないから」
「いつもの、聞きに来たんですか?」
「まぁそのつもり……リイノは驚かないんだね」
「私は慣れたから。でも面識あったんですね、ルジオさんと」
「知らなかったか。本当はダメだけど得た情報の一部をルジオさんに渡している」
「それってバレないの?」
「バレたら消せばいいし、今のところは何も掴まれていないから大丈夫」
平気そうにするセオンに対して、ルジオはそれを聞いて少し怯えていた。リイノに撫でられていた小さな熊は何もわからずに首を傾けていた。
たわいもない話が交わされて、ルジオは行かなければならないところがある、と言って、やだやだ行きたくないとバタバタする小さな熊をつれて病室から出ていき、セオンと二人っきりになった。
「別に逃げなくてもよかったのに」
「……」
「まぁ本題に入れるし、こっちも長くいられないんでね」
「質問の内容が変わらないのなら、思い出せないが答えになるけど」
「いや、もう一つ聞きたくて……これはルジオさんにも聞かれたくないやつ。情報屋の繋がりで《呪われた血》の一部を研究者に渡し、人体実験以外のことをやってもらった。多少はその研究者もその血に関して知っていたらしく、効果はある程度目に見えていた。しかしマウスの実験をした際に血を取り込んでも反応がなかった。能力を得て暴走するということ……そもそも能力すらなかった」
「私には何もわからない」
「やはりそうか」
「でもマウスには能力が開花しないとかありそう。人だからこそ起きた事件って感じで」
「それは同感。しかし拒否反応も起きないとなると意味がわからない」
「誰もが能力を得るって無理な話だと思うし……もしかしたらもうその血は効果を失ったのかも」
「つまり?」
「もうその血は呪われていない。……単なる仮説だけど、私はそう思いたいな」
「一つの考えとして覚えておこう。研究者とはまた話す機会もあるし、また何かあったら、リイノの記憶とともに」
「頑張って思い出すから」
「無理はするな。嫌なことも怖いこともあるだろうから」
そしてセオンは礼をして『転移』を使って一瞬でいなくなった。
薄明かりが照らす役所。点滅を繰り返していることも気づかず、パソコンの画面を見続けていた。両端に積まれた紙束に挟まれて、水鏡(すいきょう)コタラの目の下に隈(くま)が出来ていた。闇市の事件の時、『亡心(ぼうしん)』を使って、多くの人物に尋問をした後、かなりの時間が経っていたらしく、役所にいた人々だけでも回しきれない量の仕事がたまっていた。その一部を請け負っていくうちに寝不足となり、失敗はいつも以上に多くなっていた。それでも終わらず、頑張ってやり遂げようとしたが、紙束をまとめて運ぼうとした時、ふらついて倒れた。紙束は手から離れて床に散らばっていたが、コタラの体は誰かが支えて頭を打ちつけることはなかった。
「無理はするなとあれほど言ったのに……気を失っているか」
そう言いながらため息を吐き、コタラを近くのソファーまで運んで寝かせた。コタラから出前を頼まれてやってきた冬茜(ふゆあかね)ミヒシはこの街で飲食店を営んでいた。その場所は憩いの場としてではなく、料理のうまさから街の外からのお客様も多い有名店であった。しかしすべてを一人でやっているため、店は不定期で尚且つ出前が入るとそれだけで大変なので、店が開いているということすら運でしかなかった。寝かせたコタラをほっといて、その他の役所で働く人々に出前品を配っていた。ご飯をまともに取っているのかわからないほど痩せている人もいたが、どんよりしていた雰囲気が一変、おいしい料理で会話が弾んで穏やかな感じへと変わっていた。「よかった」と呟きつつ、ある程度配り終わってコタラのもとに戻ると、彼は起きて座り目をこすっていた。
「あれ? ミヒシ来てたんだ」
「出前、頼んだだろ。覚えてないのか」
「それは覚えている……意外と早いなって思ったから」
「あの電話でゆっくりしている方が馬鹿だろ」
「そ……そうかな」
「まったく。ご飯を食べろとあれほど言ったのに。それに寝てないとは……酷すぎだ」
「仕方ないよ。僕以外、市長の代わりは果たせないし、その他の業務もまだたまっているから」
「ならご飯食べている時くらいゆっくりしとけ。床の片づけは俺がやる」
「ありがとう」
その感謝の言葉も弱々しく、並べられた料理を力無くした手で持った箸では掴めなくなっていて、スプーンやフォークをもってやっと取れるくらいになっていた。ミヒシはコタラの様子を見つつ、言った通り床の片づけを始めるな否や、それ以外にも机の上に置かれていた資料の並び替えと整理整頓、途中まで打ち込まれていたパソコンの画面までのすべてを短時間で終わらせていた。計算系は飲食店絡みでよくやっているから、電卓をたたきつつ確認していた。「ここは間違っている」などと呟きながら修正し、出来上がった表を印刷して何度も見直していた。
「やっぱりミヒシの料理はおいしい」
「コタラ、全部終わったが……他に残っていることはあるか?」
「えっ、もう……僕の方のやつは机に置いてあった分で一応」
「ということは他がまだか」
「それはまた僕が受け持つから」
「お前は寝てろ!」
「……はい」
ミヒシの声は怒っていたが、その声には心配する気持ちが含まれているとコタラはわかっていた。「ごめん」と謝りつつ、仮眠で使っている部屋の方にゆっくりと歩いて行った。一人残されたミヒシは「大丈夫か?」と心配しつつ片づけた資料の一部を持って、役所のあらゆる窓口の方で引き取ってもらった。代わりに食べ終わった食器を受け取って、箱に入れて車に運んでいた。
数日が経ち、ミヒシの協力のもと、なんとか正常に戻ったコタラはリイノの住民票が抹消されていることに気づいた。闇市で商品として扱われていた彼女はある意味、道具として処理されていたからかもしれないと思った。
「でも病院か……ソルヒならリイノさんの病室、知っているかな」
そう考えを巡らせながらスマホを取り出して涼月(りょうげつ)ソルヒに電話をかけた。あの一件からソルヒとは少しずつではあるが親睦を深めて、信頼まではまだ遠いが仲は良くなっていた。数分後、ソルヒがやってきて病室までの案内を頼むと快く引き受けてくれた。手続きをするための資料をファイルに入れて持ち、ソルヒの『時計』の能力を体験して病院まで辿り着いた。そこまではよかったのだが、リイノの病室に入ろうとした時、そこにはセオンが彼女と話をしていた。
「それで何か思い出したか?」
「あまり……でも」
「でも?」
「幼い頃……孤児院でのことは少し思い出せて……でもセオンさんにとって関係ないことかもしれないけど」
「いえ、何が繋がるかわからないから、聞けることなら聞いておきたいと思っている」
「それなら」
「いや、今は……何こそこそしているんすか。そこにいるのわかってますよ。コタラさんとソルヒ」
「あー、やっぱりバレた」
振り返りつつセオンは少し扉を開けて覗いていた二人に向かって言った。ソルヒはすぐに声を出したが、コタラはセオンの奥、ベッドにいるリイノの姿を見ていた。
「あの子が」
「なるほど、リイノに会いに来たわけか。初めてだったからソルヒを連れて。じゃあ、俺は邪魔か」
「いや、別にいてもいいよ。僕はこれをリイノさんに書いて欲しくて持ってきただけだから」
そう言ってリイノにさっきのファイルとボールペンを渡し、わからない箇所は教えて書いてもらった。その様子を少し遠目から見ていたソルヒとセオンは話をしていた。
「何か知らないか?」
「何かって何だよ。まさかリイノに負担かけることしてないよな」
「……していない」
「……まぁ僕も知らないことあるし、知りたいっちゃ知りたいけど……あんまり蛇を怒らせるなよ。特に黒い方。能力が発動していたら……」
「今のところ触れる気はないから安心しろ。それよりも屋上に行けるようになったこと知っているか?」
「屋上って病院の?」
「ああ、簡易的な庭園になっているらしい」
「らしい? 能力で簡単に入れそうだが……見てないのか」
「リイノがいないとセンサーで引っかかるように設定しているとルジオさんが言っていた」
「なるほど」
「それに庭園の話をしたらまだ屋上に行ったことがないって言ったから。特例で入れるようになっているのにもったいないだろ」
「もったいないけど」
そう言うソルヒだったが、明らかにセオンがリイノを利用していることはわかっていた。けれど病院の屋上なんてめったに行ける場所でもないから行ってみたいとも思っていた。
手続きの資料の記入が終わり、コタラが確認するのをリイノは心配そうに見ていた。何度か見直した後「よし」と言って、コタラはリイノにお礼を述べた。コタラが用事を済ませて病室から出る前に、セオンは彼の肩を掴んでいた。
「何?」
「今から屋上行くんでついてきてほしいんですよ」
「え? ちょ……」
疑問で首を傾げた次の瞬間、『転移』を使って屋上へ飛ばし、コタラの声にならない声が響いていた。セオンは楽しいそうに笑い、ソルヒは少し心配した後、リイノの側に寄っていた。
「ソルヒ……コタラさんは?」
「セオンが屋上に飛ばしやがった」
「え? じゃあ今頃……迷惑かけて、私も屋上に行かないと」
そう言ってリイノはベッドから車椅子に座り、ソルヒを見て「動かして」と訴えていた。病室内で動かす分にはリイノ一人でも十分だが、屋上までは遠くてセオンによる『転移』ではすぐに警備を立てることが出来ないから、車椅子を押してくれる人が必要だった。ソルヒはその訴えに気づいて、車椅子を動かして病室を出ようとするが、セオンはいつの間にかいなくなっていた。笑っていたとはいえ、少しは悪いことをしたと思って『転移』で飛んだのかもしれないが、真意は定かではない。「早く行こうよ」とリイノが良い、ソルヒはセオンのことを考えるのやめて、屋上へ向かうと普段閉まっている扉が開いていた。屋上に入ると警備員に囲まれたコタラとセオンがいた。しかしリイノが屋上の敷地に入ったことでセンサーの警戒が解けて、警備員は入り口にいた二人を見て、囲みをやめて屋上の四方へと散らばった。
屋上は何もない殺風景な灰色と白色しかなかった状態から一変してあらゆる植物が植えられている庭園と車椅子が通れるくらいの道が作られていた。植物と言っても多くは花で綺麗に咲いていてソルヒは驚いていたが、リイノは背の高い花の下にある葉に触れて、自然と外の空気を感じていた。警備員から解放された二人も合流し、四人で庭園を鑑賞するかと思いきや、コタラは残った業務を終わらせるために戻りたいとセオンに『転移』を使ってほしいと頼むがそれを無視して花を見ていた。
「綺麗な花だね」
リイノがそう言って花に触れる。見たことのない形や色ばかりで、危険なのではないかと思うくらい少々恐ろしかった。だが流石に確認は入っているだろうと考えてソルヒは「そうだな」と軽く流す程度に抑えていた。車椅子を押しながら様々な花を鑑賞していると、すべての花を確認し終わったのか、セオンが独り言を呟いていた。
「……見たことのない花に見えて、実は変えられただけの色に過ぎない。青いバラという人工的に生み出されたものに似ている。造花にも見えなくはないが、確実にこの花達は生きている。……まるで何かを欺くように配置されている」
セオンはスマホで撮った花の写真と情報屋経由で得た画像を比較して見ていた。それを覗き込もうとするソルヒにリイノはまた危険なことに首を突っ込もうとしているのではないかと思って「だめだよ」と小さくソルヒに呟き、彼の足は止まった。しかしそれに気づいたセオンはソルヒに少しばかりの画像を渡し、遠くに行って誰かに電話をかけていた。その画像には花の他に見たことのない蝶もいたが、花のことを考えるとその蝶も変化に巻き込まれているだけなのではないかと思った。
桜詩凛の読みは「さくらしりん」で、由来は二つ。一つは元から使っていた桜子凛花が長いと思ったため、短くするために「桜」と「凛」を取り、その間に当時から書いていた「詩」をいれたもの。もう一つは『複雑な生き方をする少女』に登場する「さくら、黒蛇、シラ、理夏(りか)、ラナン」の頭文字を取ったものとなってい…
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