異様な世界と三人の記録者(2/2)
公開 2024/04/22 16:37
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 ロエアスは自らが持つ記録者としての能力を理解していた。それはとある本に登場する人物の能力を再現したもので、死を誘うことが出来るものだった。記録者としてその力を行使するなら、登場人物の死を意味していた。しかしそれは物語内で死亡するという意味ではなく、初めから存在しない現象を作り出すことを可能としていた。その能力は危険視されていて、世界の意思が気づかないわけがなかった。しかし生み出されてしまった彼はこの歪んだ世界に降り立った時、すぐに気づいてしまった。
『この世界は洗脳を受けて狂っている』
 真実は嘘に上書きされて、偽物の日常だけがこの世界を作っている。それを気づく手段は元凶がすべて潰してしまっていた。しかし物語の核心に近づくことが出来る『記録者』にとってそれは無意味に等しかった。

 その現状にフォノスとシクールは気づいていなかった。大男に触れられないことなど最初から知っていたロエアスは二人を信用していなかった。『記録者』として生み出された彼らはまだ未熟で、時間と空間の記録者の二人には及ばないと分かっていた。しかしその代わりに得た名前にふさわしい能力は強力とも言えた。
 トンネルと呼ばれた部屋が乱立した場所にさしかかった時、そこには少女がいた。彼女はおそらくこの世界における中心人物であり、この世界の鍵となる存在だとロエアスは思っていた。しかし彼女もまた元凶によって嘘の現実を植え付けられた人物だとも知っていた。
 ゆらゆらと少女はロエアスの方に歩いてくる。その目は虚ろで何も映していないように見えた。二人はすれ違って進んでいたが、一つの足音が止まった。それは少女の足で振り返ってロエアスの方を見ていた。歩みを続けるロエアスはトンネルの奥へと進んでいくが、近づく足音に彼の足は止まった。振り返る彼の目の前に少女は立っていた。
「誰?」
「やっぱり君は見えた」
「見えた?」
「そう、本来見えない者が見えている。僕は永眠の記録者 ロエアス……この世界を記録する者」
「『記録者』……ロエアス」
「うん。僕は悪い人を消してあげられる」
「悪い人なんていないよ。あの人は本物の体をくれると言ってくれた。今動いている偽物の体から本物の体へと」
「……本当に認識が歪んでいる」
「え?」
「君は嘘をつかれた。本物の体という化け物に入れられるとも知らずに」
「何を言っているの……?」
「上書きされた洗脳によって忘れてしまったかもしれないが、君はとある夢を見ていたはずだよ。それに真実は映し出されていた」
「夢? 馬鹿げたことを言わないで! そんな戯言……ただの考えに過ぎないじゃない!」
「君がそう思うならそう思えばいい。でも本当に望む体はどっちだろうね」
「……本物の体だけ」
 ボソッと呟く少女の声を最後に二人は別れる。突然消えたロエアスの姿に少女は驚いていたが、それはただ干渉の効力を失い彼が見えなくなっただけだった。登場人物としての少女に戻った彼女が通り過ぎるのを見届けてから、ロエアスはトンネルの奥へと足を進めた。
あの歪んだ文章が示していたものが真実だとすれば、この先には手術室がある。そこに踏み入れようと扉に手をかけようとした時、静電気のように弾かれた。ロエアスは少し驚きつつ、また触れようとするが弾かれた。物語の進行上の問題か、まだその扉は閉ざされていた。


 突然消えたロエアスに驚きつつ、その感情は少しずつ薄れていった。そんな会話など最初からなかったかのように、トンネルから出た少女は割り振られていた掃除をしようとぞうきんを持って部屋に向かっていた。トンネルの方も薄暗かったか、向かっている部屋もそれに近く暗かった。電気をつければそんなことはないが、窓は一つもない。錆びついた壁は拭いても拭いても綺麗になっているのかわからないが、少女は何事もなく拭き続けていた。すると廊下側が騒がしくなり、集中が切れた少女は振り返った。子供達が話しながら歩いていただけだったが、その現象に違和感があった。終わりを告げる鐘の音なしで自由に行動を許されているはずがない。その声は大きくなり、少女は耳を塞いでしゃがみ込んでいた。
 しかしそれは少女が見ていた幻覚で、廊下側には誰もいなかった。目には子供達が映っていたが、みるみるうちにその姿は化け物へと変わり通り過ぎていた。恐怖から声も出なくなっていた。その時、忘れかけていた顔を思い出した。
「ロエアス……?」
 それは永眠の記録者 ロエアスだった。登場人物として存在しない記憶は消去されるはずだった。しかし虚ろな目ははっきりと光を取り戻し、少女は右手を見て握り返していたが、大きな影が出来て彼女は顔を上げた。そこにいたのは鈍器を持った大男だった。振り下ろされた鈍器は少女を気絶させて、大男は何処かへ連れ去っていった。

 気を失った少女が目を覚ますと冷たい空気が流れていた。体は謎に固定されて動けなかった。まだ自分の意思で手は動かせている。けれど奥の方で大人達が群がっていた。
「お目覚めかい?」
「……」
「明日だといったが、君は今日行うことにした。心配しなくていい。近くに本物の体はあるから」
「……違う」
「何がだ?」
「それは」
「やっぱり悪い子だね」
「え?」
「どうして君はかかってくれないんだ。何度も何度も施してもその光は消え失せない。何故だ? おとなしくしていればいいものを。それにあのトンネルで何を話していたのかな? 独り言のようには見えなかったが……しかし君は気づいたとて何も出来ない」
 大男の目は赤くなり、少女の目の光は少しずつ虚ろに変わっていった。だが少女の心が闇に葬られる前に、その口は動いていた。

「助けて……」と。


 手術室の扉の前に立っていたロエアスを見つけたフォノスは怒って話しかけていたが、ロエアスは気にせず扉の方を向いていた。数分後、フォノスに追いつけずに辿り着いたシクールは息を整えていた。
「速いって……」
「流石、速度の記録者ってところかな?」
「ロエアス……いきなりいなくなるなよ」
「気づかない二人が悪い」
「なっ!」
「ちょっと喧嘩しないでよ」
「悪い……だけどさ」
「ロエアスも謝って」
「なんで謝る必要がある。記録者でありながらその本を読むことすら出来ず、そんな状態で信用する方がおかしい。僕はあの子を救って、元凶を消す」
「元凶? それって大男のことか」
「……」
「黙っているということはそうなんだね」
「確信はない。でも登場人物が『少女』と『大男』と『子供達』ならそうかもしれない」
「『大人達』もいただろうが」
「それは単なる記号でしかない。重要なものを持っているわけじゃないから省いた」
「じゃあ『子供達』も一緒じゃないの?」
「確かにそう言えるけど、『子供達』はいずれ化け物に変化する役目がある」
「それは物語として……ってことだよね」
「シクールの言う通りだよ」
「じゃあ完全に『大男』じゃねーかよ」
「だから待っている。ここなら奴が来る」
「ロエアス……そうとは限らないかもしれない」
「どういうこと?」
「この世界に着いてからこの本も続きを綴り始めていた。その間にこのトンネルは複数の分岐によって成り立っていることがわかった。それ故に入り口が一つというわけではないんだ。だからここで待っていても来ないかもしれない」
「なら別の入り口に行けばいい」
「別の入り口って……何個あると思ってんだよ」
「まさか」
「そのまさかだよ。三人じゃ無理だ」
「……本を貸して」
 シクールが開いていた本に対してロエアスは貸してと言いながら取り上げて、ページを読み返した。重要そうなところを指でなぞりながら読み進めていると、その指が止まりフォノスとシクールもそこを見ていた。「ちゃんと読んだの?」と愚痴をこぼしつつ、その入り口がここではなく、逆向きにある扉の方でということがわかった。
「つまり反対方向?」
「うん」
「遠回りか」
「時間はない」
「は? 時間ないってどういうことだよ!」
「少女が人間としていられる時間が少ない。だから……信用したくないけどフォノスじゃないとたどり着けない」
「俺は少女を知らないぞ」
「……記録者であればすぐに気づく。そう作られている」
「でもたどり着いたとして何をすればいい」
「足止め……大男の動きを少しでも耐えてくれればいい」
「わかった」
 そう言いフォノスは不本意であったが、二人を置いて一度トンネルを出て、別の入り口から再びトンネルに入っていた。残されたロエアスは持っていた本をシクールに渡し、少しだけ足を進めながら口を開いた。
「シクールはゆっくりでもいいからついてきて、その本は預けるから……今ならその力は発揮できる」
「ん? わからないけど頑張るよ」
「ロエアスはどうするの?」
「僕は消すだけ……そのためには少女を救わなければならない」
 そう言いながらロエアスはフォノスほどではないが走り去ってしまった。置いていかれると思ってシクールもついて行こうとしたが、本が勝手に開いて文字を綴り始めてそれが落ちないように足は止まっていた。そこに書いてあったのは登場人物としてあってはならないはずのロエアスの名を少女が呼んでいたことだった。

 フォノスはひとりでに反対側の入り口に辿り着き、その扉を開けようとした時、声が聞こえた。それは少女が大男に対して反抗しようとしているものだったが、その声は徐々に小さくなっていた。扉の小さい窓から大男が少女に向かって何かを振り降ろそうとしていた時、フォノスは扉を開けて大男に向かって腰につけていた小型ナイフを投げた。突然のことで大男は反応できず、顔にナイフが突き刺さって手に持っていた鈍器は床に落ちていた。囚われた少女は驚きつつ、フォノスの行動を見てすぐにロエアスと同じなのだと理解した。
「貴様……何者?」
「急所を狙ったつもりが外れたか」
「だから……誰だと聞いている!」
「その状態で喋れるってことはすでに化け物か」
「……」
「俺は速度の記録者 フォノス……今はロエアスに動かされている駒でしかないがな」
「『記録者』……やはり来たか。世界を記録する者……いや世界を修正する者」
「ふーん」
「お前達の自由にはさせない」
「化け物風情が……まぁ俺は足止めでしかないねぇけど」
 フォノスは言い終わると一瞬にして少女を拘束していたものを切って解放していた。逃げようとする少女だったが、大男のみならずその他の大人達も集まってきていた。大人達は少女を取り囲もうとして、逃げ道を一つまた一つと潰していって、少女はすり抜けようにもその隙間は少しずつ狭まっていた。扉の方にはまだ遠く、その扉も閉めようと大人達が手をかけた時、ロエアスが滑り込んで扉の主導権を取った。大人達にはロエアスが見えていないようで、扉が謎の力によって閉じることが出来ないことに不思議がっていた。
「ロエアス!」
「こっちに来て」
 少女が呼ぶ名に大男は反応し、さっきまで頭に刺さっていたナイフを無理やり引き抜いた。大量の血が噴き出しながらもフォノスの動きを回避して、少女の背後に鈍器を振り下ろした。しかし遅れてやってきたシクールが入ってきた時、その鈍器は少女に当たることはなかった。シクールを中心として張られた結界は本の文章量に比例して広くなる。そしてその対象は記録者と守りたいと思った者に限る。それを知っていたロエアスはシクールに本を持たせ、能力が発動するのを待っていた。
「ふぇ!? ってあれ? 私にこんな力が」
「シクール……間に合って良かった」
「えっと」
「もう大丈夫だからここからは僕に任せて」
「ロエアス?」
「君はもう苦しむ必要はない。あの大男さえ消してしまえば、君が化け物になることもない。元の生活に戻れるよ」
「……元の生活って何?」
「それは……君が望む未来の形だよ。大男を消した後、君は僕達を忘れる」
「忘れてしまうの?」
「本来『記録者』は登場人物ではない。それはどの世界においても同じことだ。だから登場人物である以上、君は忘れてしまう。でも安心してほしい。この物語は守り続けるから」
「……うん。ならこれをあげる」
 そう言い少女がポケットから取り出したのはアネモネの花びらが入った小さな硝子玉だった。その花びらは青く、その硝子玉をロエアスの手に乗せて少女はその手ごと握ってすぐに離した。
 ロエアスはゆっくりと結界から抜け出し、大男の方へと歩んでいた。大男はというと大量の血を噴き出し、フォノスの動きに翻弄されて動き回った結果、最後の一振りさえも結界に阻まれて、その力は赤い目を残して失われつつあった。しかしその赤い目がすべてを悲惨にした元凶であり、洗脳という名の真実の上書きでこの世界は歪んでしまった。
 大男はロエアスを捉えると重い体を動かして立ち上がった。身長は圧倒的に大男の方が高く、その手はロエアスの頭を掴もうとしていた。しかしその力はすでに弱くてゆっくりで、ロエアスがかわすと血塗れの大男の顔に手を当てた。
「お前はここで終わる」
「……分かっているのか」
「分かっているともこの世界がどうなっているか」
「ならばやめろ」
「お前の望んだ幸せがすべての人に当てはまると思うな」
 ロエアスの触れている場所から少しずつ大男の姿が消え始め、悲鳴を上げる間もなく消え去った。大男がいなくなり大人達もその姿を失いつつあった。それどころか手術室は剥がれ落ちて白い空間へと変わっていた。少女も光に包まれて、ロエアスの姿が遠くなっていた。
「助けてくれてありがとう」
 すべてが失われて再構築される前に少女は最後の力を振り絞って感謝を述べていた。その言葉が三人の記録者達に届いていたかは不明だったが、ロエアスは「さようなら」と呟いていた。


 快晴の空に浮かぶ白い雲、それを遮る木々からこぼれる光が目覚めの合図になっていた。まばらな影が覆い尽くす少女の姿を子供達が見ていた。公園の一角、何百年前から存在する巨木が生い茂る場所。そこで子供達は秘密基地を作っていた。
「お姉ちゃん」
「うん?」
「さっき、綺麗なお花を見つけたんだよ」
 そう言い子供達は少女を引っ張って秘密基地から抜け出し、巨木の下に咲いている一輪の花のところにきた。それはひなげしの花だった。少女はそれを見て涙がこぼれていた。その花に対して何の感情もないはずなのに、何も知らないはずなのにその涙は止まらなかった。その様子に子供達は慌てていたが、少女は何も無いと言って心配かけまいとして涙を拭き取った。

 夕方になり迎えに来る親御さんに紛れて、子供達とともに少女は家に戻っていた。夜遅くまで働いている両親に変わって、料理を作って飼っている猫の世話をしていた。
「ありがとう……もう名も忘れてしまったけれど」
 そう呟いて猫はニャーと鳴いていた。猫を撫でていると玄関のチャイムが鳴り、少女は笑顔で両親を迎えていた。

 少女の望んだ幸せは未来永劫崩れることはない。ずっと彼らが守っているのだから。


 世界の書庫に強制的に戻されていた三人の記録者は転移の本をダメにしていた。そもそも一度きりの使用だったのかすら不明で、少女は三人を怒れずにいた。ロエアスは疲れた様子で寝ようと何処からか持ってきた枕を手にして椅子を探していたが、少女に捕まってフォノスとシクールとともに立たされていた。
「ねぇ、僕は寝たい」
「もう少しで読み終わるから待って」
「読み終わるまで寝てもいい?」
「……ちゃんと記録されているね」
「……もういい?」
「本当に消しちゃったの」
「消したよ。それが登場人物達にとって幸せだと思ったから」
「そう」
「じゃあ、僕は寝るから」
「おい!」
「フォノス、君に止められる筋合いはないんだけど」
「俺の能力、最初から分かっていたのか?」
「分かっていたと言えば嘘になる……けどある程度は」
「なんでお前だけ詳しいんだよ」
「それは知らないよ……でも危険だからこそ必要だと植えつけたんじゃないの? 僕はそう思っている」
「そうかよ」
「もう何もない? シクールはどう?」
「寝てしまえばもう起きないのですか?」
「そんなことはないけど……時間の概念がないこの空間じゃ、いつ起きるか分からないよ」
「私は……私の記憶には―――に関する記憶がない。だから知っていること」
「僕も詳しくは知らない。この能力が教えてくれたことだけしか」
「そうでしたか」
「じゃあ、おやすみ」
 そう言ってロエアスは二人の記録者のもとから離れていった。残されたフォノスとシクールもそれぞれ離れて行動し始めるが、その移動は本を読み漁ることしかなかった。


 世界の書庫に隠された暗闇、その水面に浮かぶ謎の姿。静かな雨音と弾く雫だけが響いていた。それは目を閉じて音を聞いていたが、そこにやってきたのは凍った本を持った者だった。その者は姿を変えてずっと探して、やっとたどり着いた。すべてを失っても水晶の欠片が心に刺さり、会わなければと願い続けた。
「君ならばすべてを知っている。だから教えてほしい……この私という人間を」
 その者は凍った本を差し出し、謎の姿は氷を溶かして本は自ら開かれた。ページはある一枚を示し、その文字は少しずつ白紙へと変わるように溶けていた。
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