二つの世界の終着点 第二章(1/4)
公開 2023/12/17 14:38
最終更新
2023/12/17 14:56
第二章 不気味な花と動き出す世界
意図的に引き起こされた事故 突如として現れた化け物
二つを繋ぐ疑似的能力の本当の意味は未だ見つからない
化け物が突如として出現し、能力研究所を襲った事件。そのさなか、ランはフォルトに言われた場所へ赴いていた。そこはかつて魔法の儀式に関する石板が掘り起こされた場所だった。ほとんどが掘りつくされ、何も残されていないと思われていたが、疑似的能力を使った実験が行われていたあの街、クレハが住んでいた街で異様なものが見つかった。それは遥か昔に存在していたと書かれていた遺物。その遺物は外部からの贈り物とされて、人々が扱うにはあまりにも危険なものばかりであった。
そんな場所の探索を始めたランは真っ先に掠れた文字を発見した。だがその文字は見たことないもので構成されていたため、彼では読むことが出来なかった。しかし資料として記録するため、その文字を写し取る機械で読み取った。それから奥に進み、暗くなってきたから小型の懐中電灯を取り出して照らしていると、大きな空洞に一輪の花が咲いていた。その花は暗闇を照らすように輝く橙色の花だった。記録として読み取ろうとしたが、うまく反応してくれなかったから危険承知で、その花を抜き取った。花をちゃんと見ようとした時、突然フォルトの声がして驚き、花から手を離してしまった。何かあった時にと思って無線を入れたままにしていたのが悪さをしたが、彼曰く突如現れた化け物達に対する事件が終わったと告げてきた。
『化け物に関しては今から調べるって……だからごめん、関係なかったかもしれない』
「いや、新しいものを見つけたから」
『それは何?』
「それが読めなくてさ」
『写し取ってはいるんだろう?』
「ああ。あと一輪の花が咲いていたから抜き取った」
『おい……それも写せばよかったのでは』
「何故か知らねぇけど読み取れないんだよ」
『じゃあ、早く戻ってこい』
「おう」
無線を切り、ランは地面に落としてしまった花を拾い、記録を確認して引き返した。暗闇からいきなり光が照らし、眩しさで一瞬目を閉じてしまったが、すぐに開いた。ここに来たときは違い、化け物達は倒れ込んでいた。まるで何かに操られてその糸を切られたかのように。しかしランには関係ないことだった。ひとまず戻らなければと能力を使用しようとした時、すでに上限まで来ていたらしく、体がふらつき倒れないようにしゃがみ込んだ。クレハとエイルを逃がすためとはいえ、複数人に対して自分の能力を使用したことはあまりなく、出力を誤ってしまったのかもしれないとランは後悔した。
しかし戻らないわけにもいかないとゆっくりと立ち上がって前を見た時、大きな影が彼を覆っていた。そこにいたのは馬に乗ったマウムだった。
「やっぱりフォルトの言う通り」
「……マウムか」
「能力使えなくて動けなくなっているかもしれないって……」
「そうか……それよりもガットは?」
「あいつは化け物に囲まれていたから、まだその撤去中で動けない」
「一応無事なんだな」
「無事……そうだね。ひとまず馬に乗ってくれる? 話はそれからでもできる」
「わかった」
マウムの手を借り、ランは馬に乗り、化け物を踏まないように歩き始めた。歩いている中で、爆発事故が起きた建物の近くを通り過ぎた。その時、化け物の切り裂かれた死体が散乱していた。そこから溢れた血は異様な色をして、地面に染み込んでいた。
「これは……」
「それに関してはわからない」
「そうだよな……いや、クレハとエイルは?」
「二人は大丈夫……さっき無線で連絡があって。クレハに関しては記憶が戻ったかもしれないって」
「よかった……と言っていいものか」
「俺は戻らなくてよかったんじゃないかって思っているよ。悲しいことを思い出すのはつらいから」
「つらいこと……か」
「ランもあるの? フォルトの話は有名だけど」
「一応あるな。フォルトほどじゃないけど」
「そうなんだ」
「お前が興味を持つなんて変なこともあるのな」
「そうかな」
「人に興味がないお前がそう思うなんて……変わったな」
「彼女に会ったからかな」
「クレハと話したことがあるのか?」
「うん、話したよ。でも悪い癖で酷いことも言った。それでもクレハは……ううん、なんでもない」
「なんだよ……話したくないならいいや」
会話は途切れ途切れながら続き、崩落した建物の瓦礫を踏まないように馬は慎重に進んでいた。それでも急がなければならないと分かっているようで、慎重ながら大丈夫そうな道は走っていた。それを繰り返して能力研究所に辿り着いた。二人とも馬から降りると「またね」とマウムが言って、馬を連れて行った。能力研究所の中というと化け物の後始末に追われていた。化け物に出くわして精神的に参ってしまった人のために、カウンセリングを行うための行列が別の場所で発生していた。
ひとまずフォルトの所に行こうとした時、彼の姿をスヌイが発見して呼んだ。しかし彼はすぐに気づけなかったが、何度か呼ばれて気がついた。
「スヌイ」
「えっと……なんで私を睨みつけて」
「騙したのか?」
「騙したって……何のこと?」
「は? 化け物が現れるって分かっていたんじゃないのかよ」
「あっ……そう思われても仕方ないか。でも違うんだ、私は何も」
「何も?」
「……詳しい話は部屋に行ってから話そうか」
スヌイを見つけるな否やランは彼の首根っこを掴み、怒りをあらわにした。しかしすぐに離して、ため息をついた。申し訳ない感じになったスヌイだったが、「ごめん」と小さく呟いて歩き始めた。ランもそれについていき、『第一実験室』と書かれた部屋に辿り着いた。ランが持っていた花の茎を水につけて、二人は向かい合うように座った。
「さっきの話だけど、正直に言うと半分知っていた」
「半分ってどこまでだ」
「あの街で起きた事故……クレハ以外は皆死亡した。だが病院には搬送されていた。それでその死体から良くないものが見えて、遺族などの許可を取って解剖したんだよ。そしたら見たこともない細菌が見つかった。だがそれが何なのかまではまだ分かっていなかった」
「その細菌が人を化け物に変えたのか?」
「私の予想ではそうだね」
「そうか……」
「思っていたのと違うって感じか」
「研究者であるお前なら人体実験も行うだろうし、それが原因で引き起こされたのかと思っていた」
「過去にはそんなこともしたけど……だとしても多すぎだと思うが」
「確かに……ガットが狙われた理由は知っているか?」
「それが分からない。能力者なら皆狙われてもおかしくないのに」
「マウムが平気そうにしているのもよく分からないが、あいつは能力で会話できたんだろうな」
「彼も後から話を聞いてみようとは思っている。唯一化け物と会話できたはずだからね」
「……あの花はどうするんだ」
ランが持ってきた花をスヌイは見ていたが、首を傾げていた。どうやらフォルトからの連絡の中にランが探索して花を取ってきたという情報はなかったようだった。ランが一応説明するとスヌイは頷いた。
「ああ、もちろん実験に……と思ったけど一輪しかないのか」
「そもそも一輪しか咲いていなかった。あそこは何度かいろんな探索隊が出向いていると聞いていたが、今まで見つからなかったのはあまりにも異様だ」
「それは私も思う……だからこそ化け物の出現と何か関係があるかもしれない」
「そう繋げるのか」
「今はそう繋げるしかないかな。……さて文字に関してなんだが」
「それはあいつに頼むから、後から聞いてくれ」
「そうだな。わかった」
そう言いスヌイが立ち上がるとランも続けて立ち上がる。スヌイは花をよく見るために瓶の方に手をかけ、ランはそれを横目に『第一実験室』から出て行き、あいつのもとへ向かった。あいつというのは能力研究所の資料管理部にいるテレイのことで、言語理解という能力を用いてすべての言語を読み解くことが出来るが、持ち込まれた資料を読み解くため、多くの時間を要し、あまり外の現状を把握しきれていない人物でもあった。しかしランが『図書室』に辿り着いた時、本棚に倒れ込んだり床に散らばったりした死体が腐敗したまま残っていた。その片付けに追われていたが、一人の職員がランに気づいて、テレイを呼びに行った。
「……ランさん、お久しぶりです」
「ここもやられていたんですね」
「まぁ……そうだね。でもここにいた人達は皆やられずに済んだよ」
「よかった」
「……何か用があってきたのでは?」
「そうだが、忙しそうならまたあとで来る」
「いえいえ、大丈夫です。むしろスヌイさんから聞いていますよ」
「……早いな、あいつ」
「読めない文字があるとか……」
「ああ、テレさん。頼めるか?」
テレイはそれに答えるように頷き、ランから渡された画像を一枚一枚読んでいた。ランを含めた仲の良い人物はテレイと呼ばずに、テレさんと呼んでいたが、彼はそれについて何も思っていないようだった。
「あー……なんとなくわかりましたよ」
「そうか……っていうかすぐに読めるってことは見たことがあるのか」
「何度か見たことがあります。ただこの文章は初めてですね」
「それで何が書かれていたんだ?」
「『神が与えた禁断の果実を口にした者は副作用で化け物となり、人々を襲いては増やして一つの街は消滅した』……これが一つ目ですね」
「化け物って今回のと同じなのか?」
「それは調べてみないと分かりませんね」
「そうだよな……テレさん、二つ目を頼む」
「はい。『神の命に従い 天使を殺し その贈り物を我らのものへ返す』」
「……繋がってないな」
「そうですね。一つ目と二つ目ってどこにあったんですか?」
「一つ目は入ってすぐだったか? ちょっとわからねぇな……だが二つ目ははっきり覚えている。あの花があった近くだった」
「そういえばスヌイさんから花のことも少しだけお聞きしました」
「……神か」
「今までの資料をまとめるならば、この世界には神がいないと書かれていました。しかしもしそれが嘘だとすれば、神は人々を消そうとするでしょう」
「昔ここで読んだ話か」
「ランさんが何を読んだか知りませんが」
「テレさんにも話したことがある能力の話だよ。一度は消滅した能力、それなのに俺達の体に宿っている。それは何故か? ってやつ」
「……もう少し調べてみる必要がありそうですね」
「俺も手伝うよ」
「ありがとうございます……と言いたいところですが、この惨状を片付けてからでもいいですか?」
ランは頷きつつ、「それも手伝う」と言って、化け物の死体の片づけをし始めた。
それから数年後が経ち、ランが持ち帰ってきた花の研究は進んでいた、一輪だけでは心もとなかったが種となって植えてみると、自然に生えていた植物を侵食して大量の花が咲いた。ミントのような繁殖力を持っていたため、駆除が大変なことになった。また花の成分を調べていると良好な薬が作れることがわかり、その試作品はすべて実験動物達が処理していた。それを見ていたマウムは動物達の悲しみの声を聞き続けた結果、ノイローゼ状態になって「やめてくれ」と懇願しても、研究者がその手を止めることはなかった。
スヌイはというと花の研究から離れて、化け物の解剖をしていた。その過程で元は暴走した疑似的能力を使用した人間であることがわかり、疑似的能力との関係性を調べていたが、繋がりそうな欠片が一つ足りずに悪戦苦闘していた。ランやフォルトは能力を持っていなくても戦えるように訓練所を作って、突然やってきた化け物に対して対処ができるように教えていた。
エイルは未だに思い出せずにいた。懐中時計の謎はまだ解けず、それに関する情報は何一つなかった。クレハのお世話係として行動する中、テレイがいる『図書室』から本を借りて読んでは見たが、何一つ繋がりが見えなかった。それを心配するクレハを感じ取って、何も無いように振る舞っていたが、あまりにも異様に見えたのか、クレハ以外の者達にもはっきりと悩んでいると知られてしまっていた。
クレハはエイルと一緒に暮らしていた。本当は少しの間だけそうするつもりだったのだが、当時、年齢の関係であらゆる契約が結べず、二十歳になるまでの間、一緒にいることになっていた。そして今年、二十歳となって自由の身になったのだが、エイルが完全にクレハに依存していた。彼女がいることをいいことに料理や洗濯、掃除などをすべてにおいて任せきりだったことで、彼女が数日、スヌイの所に行っている間だけで部屋は散らかっていた。
能力研究所の訓練所の特別室にエイルとクレハはいた。クレハが持つ疑似的能力の制御を目的とした訓練を毎日行っていた。条件自体が危うい状態で発動していたため、その制御を行おうとしたが、黒色は使用者が恐怖を感じて守るために、白色は『ハク』と唱えなくても自分や他者の怪我に反応して治癒を開始、または自動結界を張ることが確認された。赤色は使用者の心にたまった怒りに反応しているようで、それが条件に達した時に無条件で発動するらしく、防衛システムの藍色を除いて一番危険なものとなっている。それ以上に不明なのは藍色。藍色だけは未だに条件が見つかっていなかった。あの化け物が現れた時も暴走した疑似的能力が襲ってきた時も、クレハを守るために発動した可能性が高いが、だとしても確実に死に追いやるその力は防衛システムとして破格の性能をしていた。
これが語られる「二つの世界」の能力なら本物の使用者はどれだけ強かったのか、とエイルは考えていた。資料として読むことしか分からない「二つの世界」の話。テレイから本を借りて読んでみたけれど、すべてを理解するためにはまだ資料が足りないと彼は言っていた。探査はランやフォルトなど動ける者に託され、テレイは読むことだけに注力していた。クレハがスヌイの所に会いに行く時はエイルはテレイのもとを訪れて手伝いをしているが、彼が今必要としているものを瞬時に読み取ることが出来ない。それに関してはランの方が分かっているのだとテレイは言っていた。その度に気分が悪くなっていた。
「……エイル? また考えごと?」
「……」
「エイルってば!」
「……ああ」
「もう、お昼だから一緒に食堂に行こう」
「えっ、あれ……弁当は?」
「作ってきたよ。食堂に着いてから渡すね」
クレハがそう言い、鞄を取ってエイルの手を引いて特別室から出ようとしたがぶつかりそうになった。昼になったから多くの職員が食堂に向かって走っていくのを二人は見ながら邪魔にならないように歩いていた。食堂に辿り着くと席がほとんど埋まっていて座る場所を探していると、ランがフォルトと座って、こっちこっち、と手を振っていた。ランとフォルトは食べ終わりそうな感じで、クレハとエイルは彼女の手作り弁当を開けていた。
「やあ」
「お疲れ様」
「お二人もお疲れ様です」
「……」
「エイル、元気ねぇーなぁ? どうした」
「さっきからこの調子なの」
「ふーん……エイル」
「なんだよ」
「スヌイに会ったか?」
「スヌイ先生が何か言っていたのか」
「いや……最近見てないからどこ行ったか知らねぇ―かなって思って」
「病院にいるんじゃないのか。一応医者だし」
「あー……あとで連絡してみるか」
「それじゃ、食べ終わったし行くわ」
「またね」
フォルトが手を振り、それを返す様にクレハは手を振った。それを見てため息をつくエイルの声に気づいて「大丈夫」と声をかけてみるけれど、明らかに大丈夫じゃない雰囲気が出ていた。クレハが作ってきた弁当に一つも手をつけてないし、何か考えごとをしているようだし、スヌイが会うたびに懐中時計のことを聞いて、エイルを困らせているのを見続けていたクレハは休暇をもらえないかな、と食べながら考えていた。
「ごめん……後で食べるな」
その考えをエイルに告げることなく、彼の弁当はいつの間にか閉じられていて、席を立ち食堂から出て行ってしまった。
クレハも食べ終わって食堂から出た。午後は基本自由行動で訓練もなく、彼女には帰る選択肢もあった。だが能力研究所にいることになって、フォルトから「休暇が取れるから使ってね」と言いつつ、彼は却下されるけどね、と苦行を訴えていた。だからその権利を使おうとしたが、肝心の場所を聞かずにありそうなところを彷徨っていた。そんなことをしていると誰かに声をかけられた。
「何をしているの?」
「あっ、ガットさん。休暇が取れるって聞いたので、それを許可してくれる場所を探していて」
「どうして?」
「エイルが元気なくて心配で……毎日ここにきているみたいだし、私の訓練に付き合ってくれるし……少しでも能力研究所から離れた方がいい気がして」
「懐中時計の件もあるし」
「そうなんです……ずっと悩んでいて」
「……連れて行こうか? ただあの人は厳しくて許可が下りるか分からないけど」
「そんなに厳しいんですか?」
「まぁ……休暇を取ろうと頼み込んだ人達は皆、無理だったって聞いたから」
「……」
「でも一応、取れた人もいるんだ。ただ特例も特例ばかりで……」
「そうなんですね」
「話してみないことには憶測でしかないし、こんなところで立ち話していないで、早くした方がいいね」
「はい! お願いします」
そう言うクレハの手をガットが掴み、少し驚きながらも彼女は頷いた。ガットのカウントダウンの後に、空間移動の能力で一瞬にして辿り着いた。部屋を示す垂れ看板には『経理室』と書かれていた。コンコンと扉を軽くたたくと返事が返ってきて、開けると黙々と一人で何かをしている人がいた。
「……」
「リコレさん」
しかしガットが声をかけても集中しているのか、何かを書いているその手が止まることはなく、返事と思っていたものももしかしたらただの空耳だったのかもしれないと二人は思い始めていた。
「……あの」
「休暇なんかやらんぞ、ガット」
「いや俺じゃなくて」
「ん?」
クレハの困惑する声に反応したかと思えばガットの話をし出し、それを否定するとリコレはやっと二人を見た。
「ガットと誰……だっけ?」
「クレハです」
「あー、エイルと一緒にいる子か。初めまして、何かと面倒なことも任されているリコレです」
「初めまして……あの、休暇を」
「休暇? 用件によっては許可できないが」
「……私の休暇ではなく、彼の、エイルの休暇の話です」
「なぜ君が?」
「それは……」
「リコレさん、あまり圧をかけないでください。それもその声で」
「……さっきフォルトが来て、俺の能力で遊びやがったから元に戻すの忘れてた」
そしてコホンと咳をして息を吸って吐き出した声色は脅迫じみたものから優しいものへと変わっていた。彼が持つ音声変換の能力により、敵味方関係なく声をまねることが可能であったが、それ故にフォルトがいたずら目的でよく遊びに来ていた。
「悪いね……用件を聞こうか」
「……」
「大丈夫だよ、クレハさん……リコレさんが怒っているわけじゃないから」
「さっきはすまない。あまりしゃべらないから能力使用したままだって気づかなくてさ」
「……あ、最近、エイルがすごく悩んでいて……一日だけでも研究所から離れられないかなって思って」
「それに対して彼の意思はあるのか?」
「……わかりません」
「ならダメだな……いつもならば」
「え?」
「これに関してはちょっとな……可哀想だという声が上がっている。それにクレハも初めてここに来たということは休暇を取ったことがないのではないか?」
「一応、引っ越しなんかで取ったことは」
「それは休暇ではない……皆が申請できるものだ」
「……休暇もそうだと思うんですけど」
「そこ、ボソッと呟くな! 研究者は今休まれたら困るんだよ」
「俺らは別に研究者じゃないですよ」
「研究者だけじゃない。調査隊もこの研究所から出ているだろうが!」
「だからこそ俺を道具として扱うのはやめてください。空間転移の能力が便利なのはわかります。だからといって振り回せるのはもう嫌なんですよ」
「ガットさん……」
「じゃ……じゃあ、お前も休め」
「!」
「クレハとエイルとガット……日数はどうする? はやくしろ」
「……」
「これは好意だと受け取れ。次はないからな」
ガットは驚きすぎてすぐに頷けず固まっていた。クレハは喜んでいいのかわからなかったが、「よかった」と安堵して、止まってしまった彼の肩を軽くたたいて微笑んだ。
「……俺は一日で」
「私は……」
「ガットが一日で、エイルとクレハが三日だな」
「まだ言って」
「今回は長めにしておくから、二人で何処かに行きなさい」
「……はい、ありがとうございます」
「用件は以上だな。そうだ最後にガット」
「なんですか?」
「悪かったな」
「……いえ。それでは失礼します」
そう言い二人が出て行くのをリコレは見ていたが、いきなりかかってきた電話で軽いため息をついて受話器を取った。二人は出てから少し歩いて、ガットが口を開いた。
「やっぱり噂は本当だったんですね」
「噂って?」
「女の人だと優しくなるって話ですよ」
「そう……なの」
「と言っても今回が優しかっただけかもしれないから、本当かどうかは定かではないですが」
「でもそのおかげで休暇は取れましたね」
「まさか俺まで取れるとは思ってなかったけど」
「……ガットさんはどうするんですか?」
「一日だけだからな。ゆっくり休むとするよ。クレハはどうする?」
「エイルと何処に行くかは相談しようと思っていますが、行ってみたいところがあって……あの街って今どうなっているのかなって」
「あー」
「調査隊の方は知っているらしいんですが、教えてくれなくて」
「ちょうどいいんじゃないか」
「はい、エイル次第ですが、聞いてみようと思います」
嬉しそうにするクレハの様子を見ながらガットも言葉を交わしていた。しかしガットの方に電話がかかってきて、二人は別れた。クレハはエイルに電話しようとかけてみたが繋がらず、帰ってから伝えよう、と思った。
意図的に引き起こされた事故 突如として現れた化け物
二つを繋ぐ疑似的能力の本当の意味は未だ見つからない
化け物が突如として出現し、能力研究所を襲った事件。そのさなか、ランはフォルトに言われた場所へ赴いていた。そこはかつて魔法の儀式に関する石板が掘り起こされた場所だった。ほとんどが掘りつくされ、何も残されていないと思われていたが、疑似的能力を使った実験が行われていたあの街、クレハが住んでいた街で異様なものが見つかった。それは遥か昔に存在していたと書かれていた遺物。その遺物は外部からの贈り物とされて、人々が扱うにはあまりにも危険なものばかりであった。
そんな場所の探索を始めたランは真っ先に掠れた文字を発見した。だがその文字は見たことないもので構成されていたため、彼では読むことが出来なかった。しかし資料として記録するため、その文字を写し取る機械で読み取った。それから奥に進み、暗くなってきたから小型の懐中電灯を取り出して照らしていると、大きな空洞に一輪の花が咲いていた。その花は暗闇を照らすように輝く橙色の花だった。記録として読み取ろうとしたが、うまく反応してくれなかったから危険承知で、その花を抜き取った。花をちゃんと見ようとした時、突然フォルトの声がして驚き、花から手を離してしまった。何かあった時にと思って無線を入れたままにしていたのが悪さをしたが、彼曰く突如現れた化け物達に対する事件が終わったと告げてきた。
『化け物に関しては今から調べるって……だからごめん、関係なかったかもしれない』
「いや、新しいものを見つけたから」
『それは何?』
「それが読めなくてさ」
『写し取ってはいるんだろう?』
「ああ。あと一輪の花が咲いていたから抜き取った」
『おい……それも写せばよかったのでは』
「何故か知らねぇけど読み取れないんだよ」
『じゃあ、早く戻ってこい』
「おう」
無線を切り、ランは地面に落としてしまった花を拾い、記録を確認して引き返した。暗闇からいきなり光が照らし、眩しさで一瞬目を閉じてしまったが、すぐに開いた。ここに来たときは違い、化け物達は倒れ込んでいた。まるで何かに操られてその糸を切られたかのように。しかしランには関係ないことだった。ひとまず戻らなければと能力を使用しようとした時、すでに上限まで来ていたらしく、体がふらつき倒れないようにしゃがみ込んだ。クレハとエイルを逃がすためとはいえ、複数人に対して自分の能力を使用したことはあまりなく、出力を誤ってしまったのかもしれないとランは後悔した。
しかし戻らないわけにもいかないとゆっくりと立ち上がって前を見た時、大きな影が彼を覆っていた。そこにいたのは馬に乗ったマウムだった。
「やっぱりフォルトの言う通り」
「……マウムか」
「能力使えなくて動けなくなっているかもしれないって……」
「そうか……それよりもガットは?」
「あいつは化け物に囲まれていたから、まだその撤去中で動けない」
「一応無事なんだな」
「無事……そうだね。ひとまず馬に乗ってくれる? 話はそれからでもできる」
「わかった」
マウムの手を借り、ランは馬に乗り、化け物を踏まないように歩き始めた。歩いている中で、爆発事故が起きた建物の近くを通り過ぎた。その時、化け物の切り裂かれた死体が散乱していた。そこから溢れた血は異様な色をして、地面に染み込んでいた。
「これは……」
「それに関してはわからない」
「そうだよな……いや、クレハとエイルは?」
「二人は大丈夫……さっき無線で連絡があって。クレハに関しては記憶が戻ったかもしれないって」
「よかった……と言っていいものか」
「俺は戻らなくてよかったんじゃないかって思っているよ。悲しいことを思い出すのはつらいから」
「つらいこと……か」
「ランもあるの? フォルトの話は有名だけど」
「一応あるな。フォルトほどじゃないけど」
「そうなんだ」
「お前が興味を持つなんて変なこともあるのな」
「そうかな」
「人に興味がないお前がそう思うなんて……変わったな」
「彼女に会ったからかな」
「クレハと話したことがあるのか?」
「うん、話したよ。でも悪い癖で酷いことも言った。それでもクレハは……ううん、なんでもない」
「なんだよ……話したくないならいいや」
会話は途切れ途切れながら続き、崩落した建物の瓦礫を踏まないように馬は慎重に進んでいた。それでも急がなければならないと分かっているようで、慎重ながら大丈夫そうな道は走っていた。それを繰り返して能力研究所に辿り着いた。二人とも馬から降りると「またね」とマウムが言って、馬を連れて行った。能力研究所の中というと化け物の後始末に追われていた。化け物に出くわして精神的に参ってしまった人のために、カウンセリングを行うための行列が別の場所で発生していた。
ひとまずフォルトの所に行こうとした時、彼の姿をスヌイが発見して呼んだ。しかし彼はすぐに気づけなかったが、何度か呼ばれて気がついた。
「スヌイ」
「えっと……なんで私を睨みつけて」
「騙したのか?」
「騙したって……何のこと?」
「は? 化け物が現れるって分かっていたんじゃないのかよ」
「あっ……そう思われても仕方ないか。でも違うんだ、私は何も」
「何も?」
「……詳しい話は部屋に行ってから話そうか」
スヌイを見つけるな否やランは彼の首根っこを掴み、怒りをあらわにした。しかしすぐに離して、ため息をついた。申し訳ない感じになったスヌイだったが、「ごめん」と小さく呟いて歩き始めた。ランもそれについていき、『第一実験室』と書かれた部屋に辿り着いた。ランが持っていた花の茎を水につけて、二人は向かい合うように座った。
「さっきの話だけど、正直に言うと半分知っていた」
「半分ってどこまでだ」
「あの街で起きた事故……クレハ以外は皆死亡した。だが病院には搬送されていた。それでその死体から良くないものが見えて、遺族などの許可を取って解剖したんだよ。そしたら見たこともない細菌が見つかった。だがそれが何なのかまではまだ分かっていなかった」
「その細菌が人を化け物に変えたのか?」
「私の予想ではそうだね」
「そうか……」
「思っていたのと違うって感じか」
「研究者であるお前なら人体実験も行うだろうし、それが原因で引き起こされたのかと思っていた」
「過去にはそんなこともしたけど……だとしても多すぎだと思うが」
「確かに……ガットが狙われた理由は知っているか?」
「それが分からない。能力者なら皆狙われてもおかしくないのに」
「マウムが平気そうにしているのもよく分からないが、あいつは能力で会話できたんだろうな」
「彼も後から話を聞いてみようとは思っている。唯一化け物と会話できたはずだからね」
「……あの花はどうするんだ」
ランが持ってきた花をスヌイは見ていたが、首を傾げていた。どうやらフォルトからの連絡の中にランが探索して花を取ってきたという情報はなかったようだった。ランが一応説明するとスヌイは頷いた。
「ああ、もちろん実験に……と思ったけど一輪しかないのか」
「そもそも一輪しか咲いていなかった。あそこは何度かいろんな探索隊が出向いていると聞いていたが、今まで見つからなかったのはあまりにも異様だ」
「それは私も思う……だからこそ化け物の出現と何か関係があるかもしれない」
「そう繋げるのか」
「今はそう繋げるしかないかな。……さて文字に関してなんだが」
「それはあいつに頼むから、後から聞いてくれ」
「そうだな。わかった」
そう言いスヌイが立ち上がるとランも続けて立ち上がる。スヌイは花をよく見るために瓶の方に手をかけ、ランはそれを横目に『第一実験室』から出て行き、あいつのもとへ向かった。あいつというのは能力研究所の資料管理部にいるテレイのことで、言語理解という能力を用いてすべての言語を読み解くことが出来るが、持ち込まれた資料を読み解くため、多くの時間を要し、あまり外の現状を把握しきれていない人物でもあった。しかしランが『図書室』に辿り着いた時、本棚に倒れ込んだり床に散らばったりした死体が腐敗したまま残っていた。その片付けに追われていたが、一人の職員がランに気づいて、テレイを呼びに行った。
「……ランさん、お久しぶりです」
「ここもやられていたんですね」
「まぁ……そうだね。でもここにいた人達は皆やられずに済んだよ」
「よかった」
「……何か用があってきたのでは?」
「そうだが、忙しそうならまたあとで来る」
「いえいえ、大丈夫です。むしろスヌイさんから聞いていますよ」
「……早いな、あいつ」
「読めない文字があるとか……」
「ああ、テレさん。頼めるか?」
テレイはそれに答えるように頷き、ランから渡された画像を一枚一枚読んでいた。ランを含めた仲の良い人物はテレイと呼ばずに、テレさんと呼んでいたが、彼はそれについて何も思っていないようだった。
「あー……なんとなくわかりましたよ」
「そうか……っていうかすぐに読めるってことは見たことがあるのか」
「何度か見たことがあります。ただこの文章は初めてですね」
「それで何が書かれていたんだ?」
「『神が与えた禁断の果実を口にした者は副作用で化け物となり、人々を襲いては増やして一つの街は消滅した』……これが一つ目ですね」
「化け物って今回のと同じなのか?」
「それは調べてみないと分かりませんね」
「そうだよな……テレさん、二つ目を頼む」
「はい。『神の命に従い 天使を殺し その贈り物を我らのものへ返す』」
「……繋がってないな」
「そうですね。一つ目と二つ目ってどこにあったんですか?」
「一つ目は入ってすぐだったか? ちょっとわからねぇな……だが二つ目ははっきり覚えている。あの花があった近くだった」
「そういえばスヌイさんから花のことも少しだけお聞きしました」
「……神か」
「今までの資料をまとめるならば、この世界には神がいないと書かれていました。しかしもしそれが嘘だとすれば、神は人々を消そうとするでしょう」
「昔ここで読んだ話か」
「ランさんが何を読んだか知りませんが」
「テレさんにも話したことがある能力の話だよ。一度は消滅した能力、それなのに俺達の体に宿っている。それは何故か? ってやつ」
「……もう少し調べてみる必要がありそうですね」
「俺も手伝うよ」
「ありがとうございます……と言いたいところですが、この惨状を片付けてからでもいいですか?」
ランは頷きつつ、「それも手伝う」と言って、化け物の死体の片づけをし始めた。
それから数年後が経ち、ランが持ち帰ってきた花の研究は進んでいた、一輪だけでは心もとなかったが種となって植えてみると、自然に生えていた植物を侵食して大量の花が咲いた。ミントのような繁殖力を持っていたため、駆除が大変なことになった。また花の成分を調べていると良好な薬が作れることがわかり、その試作品はすべて実験動物達が処理していた。それを見ていたマウムは動物達の悲しみの声を聞き続けた結果、ノイローゼ状態になって「やめてくれ」と懇願しても、研究者がその手を止めることはなかった。
スヌイはというと花の研究から離れて、化け物の解剖をしていた。その過程で元は暴走した疑似的能力を使用した人間であることがわかり、疑似的能力との関係性を調べていたが、繋がりそうな欠片が一つ足りずに悪戦苦闘していた。ランやフォルトは能力を持っていなくても戦えるように訓練所を作って、突然やってきた化け物に対して対処ができるように教えていた。
エイルは未だに思い出せずにいた。懐中時計の謎はまだ解けず、それに関する情報は何一つなかった。クレハのお世話係として行動する中、テレイがいる『図書室』から本を借りて読んでは見たが、何一つ繋がりが見えなかった。それを心配するクレハを感じ取って、何も無いように振る舞っていたが、あまりにも異様に見えたのか、クレハ以外の者達にもはっきりと悩んでいると知られてしまっていた。
クレハはエイルと一緒に暮らしていた。本当は少しの間だけそうするつもりだったのだが、当時、年齢の関係であらゆる契約が結べず、二十歳になるまでの間、一緒にいることになっていた。そして今年、二十歳となって自由の身になったのだが、エイルが完全にクレハに依存していた。彼女がいることをいいことに料理や洗濯、掃除などをすべてにおいて任せきりだったことで、彼女が数日、スヌイの所に行っている間だけで部屋は散らかっていた。
能力研究所の訓練所の特別室にエイルとクレハはいた。クレハが持つ疑似的能力の制御を目的とした訓練を毎日行っていた。条件自体が危うい状態で発動していたため、その制御を行おうとしたが、黒色は使用者が恐怖を感じて守るために、白色は『ハク』と唱えなくても自分や他者の怪我に反応して治癒を開始、または自動結界を張ることが確認された。赤色は使用者の心にたまった怒りに反応しているようで、それが条件に達した時に無条件で発動するらしく、防衛システムの藍色を除いて一番危険なものとなっている。それ以上に不明なのは藍色。藍色だけは未だに条件が見つかっていなかった。あの化け物が現れた時も暴走した疑似的能力が襲ってきた時も、クレハを守るために発動した可能性が高いが、だとしても確実に死に追いやるその力は防衛システムとして破格の性能をしていた。
これが語られる「二つの世界」の能力なら本物の使用者はどれだけ強かったのか、とエイルは考えていた。資料として読むことしか分からない「二つの世界」の話。テレイから本を借りて読んでみたけれど、すべてを理解するためにはまだ資料が足りないと彼は言っていた。探査はランやフォルトなど動ける者に託され、テレイは読むことだけに注力していた。クレハがスヌイの所に会いに行く時はエイルはテレイのもとを訪れて手伝いをしているが、彼が今必要としているものを瞬時に読み取ることが出来ない。それに関してはランの方が分かっているのだとテレイは言っていた。その度に気分が悪くなっていた。
「……エイル? また考えごと?」
「……」
「エイルってば!」
「……ああ」
「もう、お昼だから一緒に食堂に行こう」
「えっ、あれ……弁当は?」
「作ってきたよ。食堂に着いてから渡すね」
クレハがそう言い、鞄を取ってエイルの手を引いて特別室から出ようとしたがぶつかりそうになった。昼になったから多くの職員が食堂に向かって走っていくのを二人は見ながら邪魔にならないように歩いていた。食堂に辿り着くと席がほとんど埋まっていて座る場所を探していると、ランがフォルトと座って、こっちこっち、と手を振っていた。ランとフォルトは食べ終わりそうな感じで、クレハとエイルは彼女の手作り弁当を開けていた。
「やあ」
「お疲れ様」
「お二人もお疲れ様です」
「……」
「エイル、元気ねぇーなぁ? どうした」
「さっきからこの調子なの」
「ふーん……エイル」
「なんだよ」
「スヌイに会ったか?」
「スヌイ先生が何か言っていたのか」
「いや……最近見てないからどこ行ったか知らねぇ―かなって思って」
「病院にいるんじゃないのか。一応医者だし」
「あー……あとで連絡してみるか」
「それじゃ、食べ終わったし行くわ」
「またね」
フォルトが手を振り、それを返す様にクレハは手を振った。それを見てため息をつくエイルの声に気づいて「大丈夫」と声をかけてみるけれど、明らかに大丈夫じゃない雰囲気が出ていた。クレハが作ってきた弁当に一つも手をつけてないし、何か考えごとをしているようだし、スヌイが会うたびに懐中時計のことを聞いて、エイルを困らせているのを見続けていたクレハは休暇をもらえないかな、と食べながら考えていた。
「ごめん……後で食べるな」
その考えをエイルに告げることなく、彼の弁当はいつの間にか閉じられていて、席を立ち食堂から出て行ってしまった。
クレハも食べ終わって食堂から出た。午後は基本自由行動で訓練もなく、彼女には帰る選択肢もあった。だが能力研究所にいることになって、フォルトから「休暇が取れるから使ってね」と言いつつ、彼は却下されるけどね、と苦行を訴えていた。だからその権利を使おうとしたが、肝心の場所を聞かずにありそうなところを彷徨っていた。そんなことをしていると誰かに声をかけられた。
「何をしているの?」
「あっ、ガットさん。休暇が取れるって聞いたので、それを許可してくれる場所を探していて」
「どうして?」
「エイルが元気なくて心配で……毎日ここにきているみたいだし、私の訓練に付き合ってくれるし……少しでも能力研究所から離れた方がいい気がして」
「懐中時計の件もあるし」
「そうなんです……ずっと悩んでいて」
「……連れて行こうか? ただあの人は厳しくて許可が下りるか分からないけど」
「そんなに厳しいんですか?」
「まぁ……休暇を取ろうと頼み込んだ人達は皆、無理だったって聞いたから」
「……」
「でも一応、取れた人もいるんだ。ただ特例も特例ばかりで……」
「そうなんですね」
「話してみないことには憶測でしかないし、こんなところで立ち話していないで、早くした方がいいね」
「はい! お願いします」
そう言うクレハの手をガットが掴み、少し驚きながらも彼女は頷いた。ガットのカウントダウンの後に、空間移動の能力で一瞬にして辿り着いた。部屋を示す垂れ看板には『経理室』と書かれていた。コンコンと扉を軽くたたくと返事が返ってきて、開けると黙々と一人で何かをしている人がいた。
「……」
「リコレさん」
しかしガットが声をかけても集中しているのか、何かを書いているその手が止まることはなく、返事と思っていたものももしかしたらただの空耳だったのかもしれないと二人は思い始めていた。
「……あの」
「休暇なんかやらんぞ、ガット」
「いや俺じゃなくて」
「ん?」
クレハの困惑する声に反応したかと思えばガットの話をし出し、それを否定するとリコレはやっと二人を見た。
「ガットと誰……だっけ?」
「クレハです」
「あー、エイルと一緒にいる子か。初めまして、何かと面倒なことも任されているリコレです」
「初めまして……あの、休暇を」
「休暇? 用件によっては許可できないが」
「……私の休暇ではなく、彼の、エイルの休暇の話です」
「なぜ君が?」
「それは……」
「リコレさん、あまり圧をかけないでください。それもその声で」
「……さっきフォルトが来て、俺の能力で遊びやがったから元に戻すの忘れてた」
そしてコホンと咳をして息を吸って吐き出した声色は脅迫じみたものから優しいものへと変わっていた。彼が持つ音声変換の能力により、敵味方関係なく声をまねることが可能であったが、それ故にフォルトがいたずら目的でよく遊びに来ていた。
「悪いね……用件を聞こうか」
「……」
「大丈夫だよ、クレハさん……リコレさんが怒っているわけじゃないから」
「さっきはすまない。あまりしゃべらないから能力使用したままだって気づかなくてさ」
「……あ、最近、エイルがすごく悩んでいて……一日だけでも研究所から離れられないかなって思って」
「それに対して彼の意思はあるのか?」
「……わかりません」
「ならダメだな……いつもならば」
「え?」
「これに関してはちょっとな……可哀想だという声が上がっている。それにクレハも初めてここに来たということは休暇を取ったことがないのではないか?」
「一応、引っ越しなんかで取ったことは」
「それは休暇ではない……皆が申請できるものだ」
「……休暇もそうだと思うんですけど」
「そこ、ボソッと呟くな! 研究者は今休まれたら困るんだよ」
「俺らは別に研究者じゃないですよ」
「研究者だけじゃない。調査隊もこの研究所から出ているだろうが!」
「だからこそ俺を道具として扱うのはやめてください。空間転移の能力が便利なのはわかります。だからといって振り回せるのはもう嫌なんですよ」
「ガットさん……」
「じゃ……じゃあ、お前も休め」
「!」
「クレハとエイルとガット……日数はどうする? はやくしろ」
「……」
「これは好意だと受け取れ。次はないからな」
ガットは驚きすぎてすぐに頷けず固まっていた。クレハは喜んでいいのかわからなかったが、「よかった」と安堵して、止まってしまった彼の肩を軽くたたいて微笑んだ。
「……俺は一日で」
「私は……」
「ガットが一日で、エイルとクレハが三日だな」
「まだ言って」
「今回は長めにしておくから、二人で何処かに行きなさい」
「……はい、ありがとうございます」
「用件は以上だな。そうだ最後にガット」
「なんですか?」
「悪かったな」
「……いえ。それでは失礼します」
そう言い二人が出て行くのをリコレは見ていたが、いきなりかかってきた電話で軽いため息をついて受話器を取った。二人は出てから少し歩いて、ガットが口を開いた。
「やっぱり噂は本当だったんですね」
「噂って?」
「女の人だと優しくなるって話ですよ」
「そう……なの」
「と言っても今回が優しかっただけかもしれないから、本当かどうかは定かではないですが」
「でもそのおかげで休暇は取れましたね」
「まさか俺まで取れるとは思ってなかったけど」
「……ガットさんはどうするんですか?」
「一日だけだからな。ゆっくり休むとするよ。クレハはどうする?」
「エイルと何処に行くかは相談しようと思っていますが、行ってみたいところがあって……あの街って今どうなっているのかなって」
「あー」
「調査隊の方は知っているらしいんですが、教えてくれなくて」
「ちょうどいいんじゃないか」
「はい、エイル次第ですが、聞いてみようと思います」
嬉しそうにするクレハの様子を見ながらガットも言葉を交わしていた。しかしガットの方に電話がかかってきて、二人は別れた。クレハはエイルに電話しようとかけてみたが繋がらず、帰ってから伝えよう、と思った。
桜詩凛の読みは「さくらしりん」で、由来は二つ。一つは元から使っていた桜子凛花が長いと思ったため、短くするために「桜」と「凛」を取り、その間に当時から書いていた「詩」をいれたもの。もう一つは『複雑な生き方をする少女』に登場する「さくら、黒蛇、シラ、理夏(りか)、ラナン」の頭文字を取ったものとなってい…
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