おわりの時、はじまりの音(2/2)
公開 2023/09/09 14:31
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虚偽の神、悪魔の囁き
 神の仰せのままに作られた国は誰もが幸せを望んでいたが、その幸福を手に入れたのは誰もいなかった。神の言葉は批判を繰り返して、処罰した人間は殺された。神に手を挙げるものは全て死体と変わり、心の内に秘めた悪口さえも神の耳には筒抜けて、怯えながら暮らすしかなかった。国を飛び出した愚か者は焼失し、灰となって畑の肥料になった。
 神は人間だった。儀式によって依り代となった人間は体だけを残して死んだ。術者は全て神の生贄と化し、その血は神を維持するために利用された。緑色に輝いていた神聖な目は血のせいで赤に染まり、髪は血の気を失ったかのように白くなった。生き残った術者に神と呼ばれて、この地に舞い降りた悪魔はその者さえ殺した。

 ペットにたたき起こされた旅人は目を覚ました。日差しが強いことを思い出させて来るほど長い眠りを強いられていた彼の目覚めは悪い。永遠の悪夢に囚われた理由はわからなかったが、彼自身がこの世に存在しないものであることはなんとなく理解していた。
 何かを見つけるための旅人、名前はない。ペットにも与えられていない。誰かに干渉した後、ずっと夢の世界を彷徨い続けて、悪夢の世界に足を踏み入れたことを最後にそこから抜け出せなくなっていた。幾度となく記憶がリセットされる中で、誰かは旅人を助けた。振って別れを告げる手は救いのために伸ばされて、歯車に落ちる彼の腕を掴んでいた。そして名を告げられたが、その名を口にする前に旅人は目を覚まし、その時、その名も忘れてしまった。
 目覚めたこの世界が現実なのかははっきりせず、けれど悪夢になかった痛みは感じられた。頭に巻かれた包帯がそのままになっていることに気がかりであったが、それ以外は変わっていなかった。窓から見えた風景は雲一つない快晴の空で、光に当たって白く見えた鳥が飛び去っていった。白いベッドと白い壁、机と棚と椅子があって、扉があるくらいの部屋。起き上がろうとしたら足にズキッとする痛みが走って、毛布を取ってみると左足は義足になっていた。
『あれは夢、そしてこれも夢』
 旅人の頭に誰かの声が響いて伝えてきた。それを夢と錯覚した後、足の痛みはなくなって、義足はなかったことにされた。左足は元の人の足に戻り、金属の重なる音は聞こえなくなった。悪夢の見過ぎで目の錯覚を受けたのかと思ったが、さっきまであった重さを嘘とはとらえられなかったが、目にはもうそれらは映っていない。脳はそれ以上の理解を、答えを紐解いてはくれない。首を振って前を見て、机に置いてあった鞄を手に取り肩にかけて、ベッドから立ち、扉の方へ向かった。ペットも浮遊しながら旅人についていく。部屋から出た廊下には赤いカーペットが敷かれていた。
『豪華なものほど本当の色は見えない』
 また誰かの声が旅人に言った。ペットは首をかしげて立ち止まった旅人に疑問を投げるが、答えは何も無い。空の明かりで電気はついていなかったが、影になっているのか薄暗く、また所々カーペットが曲がっているのか、足に引っかかって転んでしまいそうな感じになったがとどまった。赤いカーペットは螺旋階段の先にもあり、それを降りていくと大きな扉と二つの甲冑姿の置物があった。それは扉を守るように長い剣でバツを描き固定されていたが、旅人がそれらの前に立つと長い剣の傾きはなくなり、扉は正常に開かれた。
 しかし扉が開いた時、右腕に違和感を持ち見てみると一瞬、その腕は義手になっていたような気がしたが、肌色が見えて気のせいかと思いつつ、さっきのことと照らし合わせようとしたが、脳は否定して、また誰かに押された衝撃で扉から離れて閉まってしまった。

 囁きは誰のものでもなく、悪魔が放った戯言でもない。浮かび上がった白い魂が神の殻を被った悪魔の側を駆け巡って、吸収されるまでに多くの人間が犠牲になっても、その腹は満たせそうにない。幸福のために呼び出すはずだった神は既に悪魔の腹の中。かわりに呼び出された元凶は干渉の世界で夢を作り、見つけた餌を取り込んで悪夢を振りまく。けれどうまくはいかず、一人は捕らえられず、また空中分解して、またここに来る。記憶はなく、記録はない。
『お前の居場所はここではない』
 誰かが悪魔に囁いた。その声は透明な泡となって消えていく。声の主はわからず、不定期に聞こえる音のように流していた。夢の一部と化して存在する物体。この姿も偽物の紛い物。術師の死体、体は分散し、顔のパーツはバラバラに引き裂かれ、目玉は主から離れて転がっていた。その目玉は色を失って、血管の赤い糸も絨毯に染み込んで白い球体へと変わり果てた。踏みつぶされた足に飛び散る血を払って、なめとったその味は希望に満ちた苦いものだった。悪魔にとってそれはまずいもので、憎悪に傾くほど美味しくなるが、幸せを願った愚か者の死体のどれをとっても味はよくなかった。

 扉の先は死体の山と建物に飛び散った戦いの後が残っていた。壁にはられた張り紙に血が染まり、その字は読めなくなっていたが、そこに描かれていた顔は悲鳴をあげていた。
『幸福の先に見たのは残酷な神の音』
 風によって運ばれて旅人の手に渡った小さな紙にそう書かれていた。土瀝青の灰色が赤に上書きされて染み込んで固まった黒になり、凸凹になった道を進む。崩れて中身が見えた建物の突き刺さった破片は数知れず、下敷きになった人々の救いを求めた手に重なった管から流れた血と涙が混ざり合い、干からびていた。
「助けて」
 どこからか聞こえる声を頼りに旅人が向かってみると腹から血を流して歩いてくる人物がいた。しかしその方向は燃え盛る炎の場所。その人物を追うように群がる虚ろな眼をした人間達。人物は捕まって連れていかれて、炎に手を伸ばして誰かの名を叫んでいた。旅人とペットを置いてけぼりにして通り過ぎたそれらは人ならざる醜い顔に変わり、何か分からない呪文を唱えていた。
 旅人はその炎の場所へ向かう。そこは火葬場だった。しかし自殺という形で身投げした人間達が安らかな顔をして眠って燃えるのを待っていた。その炎は風に吹かれても消えることなく、足されることもなく、一定の大きさにとどまっていた。
『幸福は死の中に』
 炎から復元された紙に書かれていた言葉。幸福を願った者達の末路。神に遣わされた真実の香り。その音は既に崩壊し、不協和音の中に漂っていた。

 炎に魅入られた幸せと望みに反した絶望は誰かの中では不要で、誰かの中では必要だった。しかし誰もがそれを求めていたわけでもなく、誰もがそれを与えていたわけでもない。知らぬ間に肯定して否定した世界は既に終了していた。けれど誰かの声を聞いた時から終了の知らせは延長されて、未来の見えない継続を強いられていた。
 全ての魂を吸収するのが終わりを告げる出来事だったが、悪夢から脱した旅人とペットが現れて、それを止める手立てが出来て、また修正の破壊が始まった。夢と現実の境目の端に見たものは誰でもない真実だけだった。

 旅人は炎を避けて通り続けて崩壊を免れていた一つの建物にたどり着いた。しかしそこは血飛沫が貫通したかのように壁に現れて流れた跡が残って、乾いて黒のしみになって地面には大量の武器や防具が散乱していた。その側にバラバラになった骨がひび割れて空洞が出来ていた。
『もう少し、夢の側で』
 骨になった手の中にあったその紙は願いそのものだった。例えこの世界が間違った道を永遠に進み続けていても夢ならばやり直せると、けれどここに生きる者達にとってそれは現実で未来を見つめるために存在する世界。だからその願いは叶わない。それでも背けたいほどに修正することが出来ない世界に奇跡が起きるのなら、誰でもいい、叶えてくれと、願いは旅人に託された。

 建物の前に立つ人物を悪魔は知っている。けれどその姿を悪魔は知らない。悪夢の果てに姿を変えた旅人は記憶の他に体を変えられていた。もう人の身ではない旅人をここで消し去り、何もない世界へ送り出すことがこの世界の終わりを告げる鐘が鳴る手段だった。けれどもうすでに遅く、彼は“旅人”ではない。彼は既に夢の一部と化している。それを自覚はしていない。
 何かを頼りに歩いた道は終焉の時からわかっていたこと。神を飲み込み悪魔として召喚されるあの日から全て知っていたこと。誰もが信じようとしなかった出来事が既に起こって、信じた出来事は何一つ起きなかった。もう終わりなのだと理解はしていた。しかし悪魔は最後の魂を吸収した時、旅人だった彼と巡り合った。そして口を開いた言葉に心当たりがあった。かつて誰かもその言葉を口にした。ただその名を悪魔は知らない。
『虚偽の神、終焉の灯にて全ての懺悔を』
 二人が立つ間に一枚の紙は降ってきた。それを手にした――は崩壊する世界の別れを見届けて、――は誰かの後姿を見た。その姿は人の形をした砂嵐で覆われて、手を出した。その手を取った――にそれは笑い、強く握りしめた手から砂がこぼれ落ちて人型は砂の山になる。
『あなたはそれを知り、そしてはじまりの音を聞く』
 語り部のように空間に広がった言葉は世界の崩壊と合わせて聞こえなくなって、目にした光景をあの日の決別に合わせて、土に埋まった骨は掘り起こされた。温かな光が貫通して見えた痛みを覚えていた。金属音が重なって人の声は遠くなる。
『姿変わりし、全てを飲み込む』
 終わりの鐘は一つだけ鳴って、はじまりの鐘は何度も繰り返した。けれどどちらの音も彼の耳には届かず、その光景を見ているだけだった。無音の世界で想像するだけの感情は誰の声も響かない。埋もれていたぬいぐるみが切られて綿を出しているのが、彼には本物の生き物が死んでいるようにしか見えなかった。
 彼は掘り返された骨がすべて回収されるまで見続けて誰もいなくなった。彼を認識する者はいない。人ならざる者に目を向けるものはなく、夢を穢した者に救済の眼差しは訪れず、真実はとうに枯れて、虚偽の光は彼を導く。散った悪魔の命と共にペットは姿を消した。一人ぼっちの彼を慰めるものはいない。そして誰かの声も“あれ”から聞こえない。

『無音の掛け声、終わりの時』
 見つめるべき視線は何処にもなく、彼はもう旅人から離れてしまった。旅人という役目を失った彼に声を掛ける誰かはいなかった。椅子から立ち上がった誰かを、誰も止めやしない。空に浮かんだ泡が弾けて水蒸気になるまでに、消えた水の音色は夢の音。
 救うはずだった彼の選択は破綻し、もう手助けは出来ない。修正の道は既に途切れて、未来の道は分散して異なる方向へ歩き出した彼の足を止める手段はない。自ら選んだ道に否定の言葉は掛けられない。

『これでは終われない』

再現の丘、最後の夢
 誰かの進む道に壊れた橋があったならそれを直す技術をもってしても意図的なものはまた破壊されて、繰り返した先に見えた未来はすぐに過去に変わる。それを阻止しようと再現した過去の出来事を誰かは否定して、あの時に亡くなった旅人のために費やした。けれど夢に落ちて記憶を失った彼を救う手段は何処にもなく、ただ時間だけが過ぎていた。
 再現の夢の中、一人の彼に託した思いは届かず、失われた記憶は戻らず、残り火もなくて暗闇の夢の端で誰も知らない出口を探して、謝ることも出来ない機械の中で涙を流した。悪夢のバグが現れて、無理くり干渉した悪魔は神が残した祈りを伝えようとしたが、その姿に恐れた旅人は壊れゆく世界の夢の破片を拾って現実で目を覚ました。けれど体は地中に埋まって肉体を失った骨に変わり果てて、自らの体は霊体となっていた。

 何度も繰り返した
 けれどうまくはいかなかった
 誰もその真実を受け入れることは出来なかった
 だから失敗した
 過去に囚われた“彼”と“誰か”は光をなくした
 未来を見る目はどこにもなかった

 殺された真実を理解することが出来たならこの再現も夢もなかったはずなのに
 あの日離した手を繋いだままだったならこの現実を見ることもなかったはずなのに

『願いはもう叶わない』
 終わりの時、はじまりの音が鳴ったあの日、全てが間違いだって気づいていれば、彼を閉じ込めることはなかったはずなのに、死を受け入れなかった誰かの願いが繋がってしまった。過去と未来を繋いだ歪な世界で、誰もが幸せになる現実を夢見た希望は最初からなかった。夢はエラーを吐き、少しずつ崩壊の道を進んでいた。多くの攻撃を対処するほどの力はもう残っていない。
『最後の夢は告げられて、私は――』
 手のひらに残された欠片を握って目を閉じた。夢から生まれたバグに浸食されて自らの姿が変わっていこうとも、真実の記憶がなくなっていこうとも、諦めたくはなかった。
 けれどバグは誰かを飲み込んで消滅させた。一つの欠片を残して、消滅した。

 何もなくなった暗闇の中、一人ぼっちになった彼は足に当たった欠片を拾い上げた。
 そしてそこに反射した風景を封じられた頭の奥で解かれて思い出した。
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