おわりの時、はじまりの音(1/2)
公開 2023/09/09 14:25
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終わりの時、はじまりの音
終わりの時、はじまりの日の音が聞こえたような気がしたその幻聴を耳にとどめて、消えたあの人を追って歩いた道を知っていたのは、誰でもない誰かだったのか。それとも影の名を繋いだ人の形をした偽物だったのか。知る由もなく時間がまた進むだけだった。
目を隠した暗闇から漏れ出した光の鏡が、裏を映し出して表に向いて真実を隠した嘘を誰かは逃げ出して、影は追いかけた。伸ばした影の手が誰かを掴んで落として投げつけて、誰かだったものになって、形を失ったものは暗闇に溶けて消えて、新しく生み出された形の人は誰かを引き継いで、それが自分自身だったと記憶して生きている。例え、それが嘘でも知る必要ないし、誰も気がつかないし、そもそも心配するやつもいない。
真実と嘘が混ざり合って消えた世界を知る人物は観測者でもなく、そこに暮らす人型でもなく、空に悠々と暮らす神でもない。人の形をとった作られた者達はそれを記録して、残された紙の束を繰り返して書き綴った結果を、分岐した世界の終わりを見届けたはじまりの音を聞いた、その事情さえも誰の耳に残らずに少しずつ壊れてずれていく。
錆びついた作られた者達を一人の青年は直し続けて、その年も忘れて離れた工具が床に落ちて止まった時を、音を、記録した少女は腐敗して骨となっても、彼の声を求めてずっとそばにいて、自らの動きが取れなくなってもそこから離れることはなかった。
あの日の悲しみを、苦しみを誰かが記憶したかのように見えた風景は薄くなって消えて、それさえも偽物になって、真実を失った事情は時間と共に忘れ去った。この終わりをはじまりの音に乗せて、流れた風の雲行きが灰色に染まった雨雲になって、隠蔽した真実をすり替えて偽物に書き綴って、誰も知らないまま、時間の流れに任せて浸透するのを待っていた愚か者を処罰して、けれどそれさえも嘘だったのかもしれないと、また時間は使われて理解は追いつかずに、聞こえた真実に耳を傾けることを通り過ぎてしまって、全ては時効になった。
願った物語の中で、真実と嘘の世界に生み落とされた命は善悪の判断を損ねて、繰り返す手のひら返しを時間の流れのままに、歳をとって、生きる意味を失っては死ぬことも出来ず、暗がりの部屋で眠る誰かの影を殴ったその光が、救済の足跡の先に浮遊感を得た体が重さを思い出して、意識の前で形を失って立ち止まっていた“体”は通り抜けて、誰かに残り火をバラまいて、その姿を、とらえてもらおうとして、でも誰も知らないふりをする。無様に散った体は地面に埋もれて、深く深く沈んで長い年月が経っても見つからない位置まで落ちて、骨は足りずに、今もどこかで“体”はかつてのあの場所で立ち続けていた。
それは夢の端、目覚めぬ悪夢
それは夢の端、踏み出した足の一歩を暗闇に引かれた道に忍ばせて、名も無き音が響いても周りの音に被せられて後ろを過ぎ去った旅人は小さなペットを連れて次の出口と入口に立って、扉を開けた。その先も真っ暗で何も見えないけれど、宴会のような騒ぎようで多くの声色を感じ取れたが、その風景の色は花火のように散ってすぐに消えてしまった。旅人の横を風のように過ぎていった幽霊が花火に触れると一瞬だけその声色達は静かになって、またすぐに騒がしくなった。
『楽しそうだね』
その声を聞いた旅人は花火の方を向いたが、幽霊の姿はもうなかった。その代わり、多くの火花に輝くペンダントが落ちて、拾い上げると蓋が取れた写真には微かに見えた火から繋げた顔が、黒く塗りつぶされた偽物の顔に書き換わって、笑っていた。幽霊は省かれて、代わりに入った“誰か”が次の標的になった、のか、それとも長い付き合いか、は紡がれた言葉のうちに知らない。
それは夢の途中、宴会の最後の襖に手を掛けて引くと空と氷の境界線を失った水色の道が果てなく広がって歩いた足跡に氷のヒビが入って、水に溶けていくのをペットは気をつけようと足を離して飛び立つ。粉雪が降ってひび割れて壊れていこうとした氷の隙間に入り込んで繋ぎ止めて、もう一度を繰り返して、白い線は増えて脆くなっていく。
旅人が足を止めずに歩き続けてペットが肩に乗って重さで立ち止まった一度の行為を待っていたかのように、氷は崩れて旅人は凍り付いた深海の中に落ちて、残された息が途切れてもそこは現実ではない夢の世界。だから苦しいと思う感情も全て偽物に変わった。深海の地面に足をつけてゆっくりと歩いていたはずの道はいつの間にか、水の抵抗を忘れて地上の速さと変わらない程度に足は動いていた。
水草と磯巾着が揺れて魚たちが集まってくるような様子がなく、ただ水に委ねて石と草が深海の底にはあった。砂に隠れた魚も光の代わりに反射して姿をさらす魚もいない。しかし奥へ足を進めてみると、干からびた魚達が散乱して体の一部を失って飛び跳ねた死骸がペットに向かってきた。肩から離れたペットを追いかけて死骸は水風船のように当たると赤い血が顔に押付けられた。その赤も旅人の一歩でなかったことにされて、目玉は吹き出した血に染まって潰された。繰り返した事情だけを旅人は記憶して、ペットは記録した。
山になった魚達の死骸に手をつっ込んで捕まえた生きた魚を旅人は、体に残った水をまとめて捧げると、空中に浮かんでその魚と共に海の中に消えていった。ひと時の救いはまた悲劇を生みだしても、それがその時でないことを願って、旅人は血生臭くなった死骸の先に足を進めて、赤黒くなりつつある道は死骸が少なくなっていくうちに海も消えて、夢の始まりの暗闇に戻っていたが、出口と入口を表す扉は見えなかった。
ペットは肩を叩いて、旅人に伝えていた。扉のない光だけがある出口と入口を伝えていた。暗闇から生まれたその光に導かれるように歩み始めた足はペットの飛び立ちと同じくらいの頃合いで包まれて目を眩ませると、浮遊感に襲われて強い風が体を痛めつけていた。目を覚ますと浮遊感はなくなって、足は地面についていた。その代わり何かが頬に垂れていた。手にそれを取り、なめてみると血の味がした。
光の反射が鏡のようになって顔を映すと髪の隙間から血が流れていた。けれど痛みはない。味覚はさっき確認して、痛覚もあったはずなのに今はない。鏡をよくのぞいてみると砂嵐のように歪み始めて、ヒビが入って粉々に砕け散った。何も映らなくなった鏡に砕け散ったはずの硝子の欠片が一枚、鏡の枠に戻ると修復するように残りの破片も戻って、壊れたことを忘れたように時間は戻り、鏡は何事もなく映していた。しかし旅人の姿は映らず、透過したかのように後ろの風景を映していた。
色鮮やかな光が点滅して機械音が響いていた。何かが攻撃して、防御して、魔法を唱えて、それを弾いて、を繰り返す機械と玉を弾いて何かを回す機械と音に合わせて押す機械がその光の正体だった。宴会場の時と変わらない程に多くの人がいた。けれどその奥で、暗闇の中にぽつりと一つだけ、光を放って誰かが立っていた。その機械に向かって黙々と叩いている。映像が流れて光はあらゆる色に変わっていく。しかしその色は少しずつ赤に近くなってエラーを吐いているかのような文字列が現れても、少年はその場から離れないばかりか、ずっと同じ位置を叩き続けていた。
旅人が少年に聞こうとした時、ペットは嫌な予感を感じて袖を引っ張っていた。すると少年の目から何かが出てきた。それは涙ではなく、赤に染まった血の涙だった。映像は赤に滲み、壊れた液晶から現れた大量の手が少年を飲み込もうとしていた。旅人が後ろに下がると周りの人々も少年と同じように血の涙を流し、形を失って血の池を作って旅人に手を伸ばした。
『おいで、おいで、君も』
重なって聞こえる呑まれた声が溢れて、かさを増して大量の手は旅人を覆い尽くしていく。息も出来ないほどに抑え込まれて手で赤い視界さえも失われて暗くなって意識を失った。
バタバタと顔を叩きつける感覚に襲われて目が覚めるとそこには割れた鏡と血の臭いがした。
起きた時、旅人は寝床の上にいた。ペットは頭の上に乗って足を動かして起こそうとしていた。頭に変な感じを抱えたまま、体を起こして立ち上がった。手を当ててみると布のようなものが頭に巻かれていた。アルコールの匂いがした。
部屋には花が飾られて、小さなテレビがあって、そこはただの病室。けれど食べかけの林檎が皿の上に乗っていることを除いては普通の病室を変わらない。病室から出てみると車椅子に乗っていたり、点滴スタンドを持って歩いたりする子供や大人、それを補助する看護師や医者が廊下にいた。ただその人達の足は動いていなかった。旅人が廊下に出て、その人達のそばを歩くと解除されたかのように時間は動き出して、人々は個々の行動を始める。
一人の医者が廊下を走ろうと止まっていた。何かの紙を持ったまま、走ることを止められていた。同じ様に旅人が近づいてみると動きはなかった。かわりに紙だけは時間を思い出して床に落ちた。それを拾おうとした時、手は貫通してそしてその紙は別の医者に奪われて中身は何も見えなかった。紙を持った医者を目で追うのをやめて、止まり続ける医者の方を見るとそこには誰もいなかった。かわりに証明書が落ちていた。それには触れられたが、すぐに破損して写真のフィルムのような虹色を発して、静電気が流れた。
『この世は終わり、そしてはじまりは未だない』
電気の流れと一緒に聞こえた声は医者の朽ちた後、背後から襲ってきた知らない声。旅人は振り返らずに前に進んだが、階段の先の廊下で患者たちは這いずっていた。車椅子は壊れて、点滴の針は腕から取れて、巻かれた包帯は取れて直接骨を見せて、看護師や医者は疲弊して衰弱し、多くの悲鳴は上がるが、誰も救いの手を差し伸べてはくれない。旅人の最後の手も届かずに、死体は散乱して腐敗して血を流すことも忘れて骨に変わっていた。重々しくなった景色を目で追わないようにしても、骨から聞こえる叫びが旅人を支配しようとして連呼する。
『助けて、助けて、た、す、け、て』
その声は骨がある限り、病院内でずっと響いていた。そして骨は旅人の足を掴もうと動き出すが、恐怖から走り始めた足には届かずに上げた手は崩れ去った。走り続けていると生身の足が見えて、白衣が揺れているのが見えて、旅人はさっきの紙を奪った医者ではないかと思ったが、気配を消されてしまって、階段を上がるところまでは視界にとらえていたからと、階段を上り続けて屋上の扉を開ける。
扉を開けるとそこに屋上はなく、夢の始まりを告げる暗闇だけが広がっていた。しかし違いがあるとすれば、医者が立っていた。そして持っていた紙を下に落として、旅人の視線を奪うと近づいて耳打ちしてきた。
『君が知る余地はないが』
紙は旅人の手にあり、その内容は理解できない。ただ一つの文は理解できる。それは薬品を作るための新たな病気を生み出す実験の実行だった。
瞬きするとその紙は消えていた。耳打ちしてきた医者も消えていた。そして旅人は煤だらけの鉄格子の檻の中にいた。向かい側にいる誰かが錆びついた鉄格子に掴んで揺らす音が聞こえて、通りかかった警棒がその頭をかち割って崩れ去った体と睨みつけていた目が静かに閉じていった。影が揺れた黒い顔が檻にとどまる旅人を見て、じっと見て、扉を開ける。
『お前の居場所はここではない』
座り込んでいた旅人が出ようとした時、黒い顔は横を見た。誰かが座っているが、影で体を隠されていた。点滅する電球の通路に当てられて、影は姿を現わして片目を失う。目からこぼれ落ちた目玉を手に抱え、髪に隠れた目の中に戻していたが、その瞳の色は両方で違うものになっていた。黒い顔は影を連れて通路からいなくなる。旅人が足を進めようとすると電球は消えて真っ暗になった。
錆びついた鉄格子の臭いが今更、鼻に届いてそれから逃げるように旅人は歩いていた。ペットは肩に乗ったまま、何もしない。電球の跡が浮かび上がってその真ん中を歩いていくと道は徐々に狭くなって、どこかにはまった。電球の導線が火花を散らして光る。鉄格子の隙間に足がつっかえて、動けなくなっているだけだったが、その先は歯車が何重にもなって動く機械があった。よくみると歯車から人の腕や脚が出ていた。そして鉄球が歯車を過ぎ去ったかと思うと誰かの頭が玉のように飛んで、壁にぶつかると表情を失って血を残して、シュレッダーに落ちて悲惨な音が鳴ってゴミとして排出されていた。
黒い顔が警棒を振り上げると歯車が止まって、シュレッダーも止まる。ただ鉄球は動いたまま、旅人の方に向かって飛んできた。しゃがみ込み通り過ぎた先で黒い顔の頭はどこかへ飛び、首から大量の血が噴き出して倒れた。誰かはその光景に衝撃を覚えて逃げ去ろうとした矢先、足元の狭さから連なる歯車の中に落ちていった。旅人が見たのは首をはねられた黒い顔だけが血を流して倒れている姿だけだった。誰かの姿は何処にもなく、小さな揺れが発生したのと同時に止まっていた歯車は動き出し、腕や脚が大量に現れて引き裂かれる。鉄格子の柵を支えに立ち上がろうとして、柵は外れた。
『また、さよなら』
歯車の中に落ちる体が最後に聞いた耳の感覚。手を伸ばした先は点滅する電球の光。姿を消した誰かは手を振って見送って、ペットは誰かの肩に乗っていた。感覚が薄れて何も思わなくなっていく。泡のようにはじけて消えていく体が色を失って、瞼だったものが落ちていく。そして何もなくなった夢の端で答えを知る。
『あれは、――――』
それは夢の端、踏み出した足の一歩を暗闇に引かれた道に忍ばせて、名も無き音が響いても周りの音に被せられて後ろを過ぎ去った“旅人”は小さなペットを連れて次の出口と入口に立って、扉を開けた。
終わりの時、はじまりの日の音が聞こえたような気がしたその幻聴を耳にとどめて、消えたあの人を追って歩いた道を知っていたのは、誰でもない誰かだったのか。それとも影の名を繋いだ人の形をした偽物だったのか。知る由もなく時間がまた進むだけだった。
目を隠した暗闇から漏れ出した光の鏡が、裏を映し出して表に向いて真実を隠した嘘を誰かは逃げ出して、影は追いかけた。伸ばした影の手が誰かを掴んで落として投げつけて、誰かだったものになって、形を失ったものは暗闇に溶けて消えて、新しく生み出された形の人は誰かを引き継いで、それが自分自身だったと記憶して生きている。例え、それが嘘でも知る必要ないし、誰も気がつかないし、そもそも心配するやつもいない。
真実と嘘が混ざり合って消えた世界を知る人物は観測者でもなく、そこに暮らす人型でもなく、空に悠々と暮らす神でもない。人の形をとった作られた者達はそれを記録して、残された紙の束を繰り返して書き綴った結果を、分岐した世界の終わりを見届けたはじまりの音を聞いた、その事情さえも誰の耳に残らずに少しずつ壊れてずれていく。
錆びついた作られた者達を一人の青年は直し続けて、その年も忘れて離れた工具が床に落ちて止まった時を、音を、記録した少女は腐敗して骨となっても、彼の声を求めてずっとそばにいて、自らの動きが取れなくなってもそこから離れることはなかった。
あの日の悲しみを、苦しみを誰かが記憶したかのように見えた風景は薄くなって消えて、それさえも偽物になって、真実を失った事情は時間と共に忘れ去った。この終わりをはじまりの音に乗せて、流れた風の雲行きが灰色に染まった雨雲になって、隠蔽した真実をすり替えて偽物に書き綴って、誰も知らないまま、時間の流れに任せて浸透するのを待っていた愚か者を処罰して、けれどそれさえも嘘だったのかもしれないと、また時間は使われて理解は追いつかずに、聞こえた真実に耳を傾けることを通り過ぎてしまって、全ては時効になった。
願った物語の中で、真実と嘘の世界に生み落とされた命は善悪の判断を損ねて、繰り返す手のひら返しを時間の流れのままに、歳をとって、生きる意味を失っては死ぬことも出来ず、暗がりの部屋で眠る誰かの影を殴ったその光が、救済の足跡の先に浮遊感を得た体が重さを思い出して、意識の前で形を失って立ち止まっていた“体”は通り抜けて、誰かに残り火をバラまいて、その姿を、とらえてもらおうとして、でも誰も知らないふりをする。無様に散った体は地面に埋もれて、深く深く沈んで長い年月が経っても見つからない位置まで落ちて、骨は足りずに、今もどこかで“体”はかつてのあの場所で立ち続けていた。
それは夢の端、目覚めぬ悪夢
それは夢の端、踏み出した足の一歩を暗闇に引かれた道に忍ばせて、名も無き音が響いても周りの音に被せられて後ろを過ぎ去った旅人は小さなペットを連れて次の出口と入口に立って、扉を開けた。その先も真っ暗で何も見えないけれど、宴会のような騒ぎようで多くの声色を感じ取れたが、その風景の色は花火のように散ってすぐに消えてしまった。旅人の横を風のように過ぎていった幽霊が花火に触れると一瞬だけその声色達は静かになって、またすぐに騒がしくなった。
『楽しそうだね』
その声を聞いた旅人は花火の方を向いたが、幽霊の姿はもうなかった。その代わり、多くの火花に輝くペンダントが落ちて、拾い上げると蓋が取れた写真には微かに見えた火から繋げた顔が、黒く塗りつぶされた偽物の顔に書き換わって、笑っていた。幽霊は省かれて、代わりに入った“誰か”が次の標的になった、のか、それとも長い付き合いか、は紡がれた言葉のうちに知らない。
それは夢の途中、宴会の最後の襖に手を掛けて引くと空と氷の境界線を失った水色の道が果てなく広がって歩いた足跡に氷のヒビが入って、水に溶けていくのをペットは気をつけようと足を離して飛び立つ。粉雪が降ってひび割れて壊れていこうとした氷の隙間に入り込んで繋ぎ止めて、もう一度を繰り返して、白い線は増えて脆くなっていく。
旅人が足を止めずに歩き続けてペットが肩に乗って重さで立ち止まった一度の行為を待っていたかのように、氷は崩れて旅人は凍り付いた深海の中に落ちて、残された息が途切れてもそこは現実ではない夢の世界。だから苦しいと思う感情も全て偽物に変わった。深海の地面に足をつけてゆっくりと歩いていたはずの道はいつの間にか、水の抵抗を忘れて地上の速さと変わらない程度に足は動いていた。
水草と磯巾着が揺れて魚たちが集まってくるような様子がなく、ただ水に委ねて石と草が深海の底にはあった。砂に隠れた魚も光の代わりに反射して姿をさらす魚もいない。しかし奥へ足を進めてみると、干からびた魚達が散乱して体の一部を失って飛び跳ねた死骸がペットに向かってきた。肩から離れたペットを追いかけて死骸は水風船のように当たると赤い血が顔に押付けられた。その赤も旅人の一歩でなかったことにされて、目玉は吹き出した血に染まって潰された。繰り返した事情だけを旅人は記憶して、ペットは記録した。
山になった魚達の死骸に手をつっ込んで捕まえた生きた魚を旅人は、体に残った水をまとめて捧げると、空中に浮かんでその魚と共に海の中に消えていった。ひと時の救いはまた悲劇を生みだしても、それがその時でないことを願って、旅人は血生臭くなった死骸の先に足を進めて、赤黒くなりつつある道は死骸が少なくなっていくうちに海も消えて、夢の始まりの暗闇に戻っていたが、出口と入口を表す扉は見えなかった。
ペットは肩を叩いて、旅人に伝えていた。扉のない光だけがある出口と入口を伝えていた。暗闇から生まれたその光に導かれるように歩み始めた足はペットの飛び立ちと同じくらいの頃合いで包まれて目を眩ませると、浮遊感に襲われて強い風が体を痛めつけていた。目を覚ますと浮遊感はなくなって、足は地面についていた。その代わり何かが頬に垂れていた。手にそれを取り、なめてみると血の味がした。
光の反射が鏡のようになって顔を映すと髪の隙間から血が流れていた。けれど痛みはない。味覚はさっき確認して、痛覚もあったはずなのに今はない。鏡をよくのぞいてみると砂嵐のように歪み始めて、ヒビが入って粉々に砕け散った。何も映らなくなった鏡に砕け散ったはずの硝子の欠片が一枚、鏡の枠に戻ると修復するように残りの破片も戻って、壊れたことを忘れたように時間は戻り、鏡は何事もなく映していた。しかし旅人の姿は映らず、透過したかのように後ろの風景を映していた。
色鮮やかな光が点滅して機械音が響いていた。何かが攻撃して、防御して、魔法を唱えて、それを弾いて、を繰り返す機械と玉を弾いて何かを回す機械と音に合わせて押す機械がその光の正体だった。宴会場の時と変わらない程に多くの人がいた。けれどその奥で、暗闇の中にぽつりと一つだけ、光を放って誰かが立っていた。その機械に向かって黙々と叩いている。映像が流れて光はあらゆる色に変わっていく。しかしその色は少しずつ赤に近くなってエラーを吐いているかのような文字列が現れても、少年はその場から離れないばかりか、ずっと同じ位置を叩き続けていた。
旅人が少年に聞こうとした時、ペットは嫌な予感を感じて袖を引っ張っていた。すると少年の目から何かが出てきた。それは涙ではなく、赤に染まった血の涙だった。映像は赤に滲み、壊れた液晶から現れた大量の手が少年を飲み込もうとしていた。旅人が後ろに下がると周りの人々も少年と同じように血の涙を流し、形を失って血の池を作って旅人に手を伸ばした。
『おいで、おいで、君も』
重なって聞こえる呑まれた声が溢れて、かさを増して大量の手は旅人を覆い尽くしていく。息も出来ないほどに抑え込まれて手で赤い視界さえも失われて暗くなって意識を失った。
バタバタと顔を叩きつける感覚に襲われて目が覚めるとそこには割れた鏡と血の臭いがした。
起きた時、旅人は寝床の上にいた。ペットは頭の上に乗って足を動かして起こそうとしていた。頭に変な感じを抱えたまま、体を起こして立ち上がった。手を当ててみると布のようなものが頭に巻かれていた。アルコールの匂いがした。
部屋には花が飾られて、小さなテレビがあって、そこはただの病室。けれど食べかけの林檎が皿の上に乗っていることを除いては普通の病室を変わらない。病室から出てみると車椅子に乗っていたり、点滴スタンドを持って歩いたりする子供や大人、それを補助する看護師や医者が廊下にいた。ただその人達の足は動いていなかった。旅人が廊下に出て、その人達のそばを歩くと解除されたかのように時間は動き出して、人々は個々の行動を始める。
一人の医者が廊下を走ろうと止まっていた。何かの紙を持ったまま、走ることを止められていた。同じ様に旅人が近づいてみると動きはなかった。かわりに紙だけは時間を思い出して床に落ちた。それを拾おうとした時、手は貫通してそしてその紙は別の医者に奪われて中身は何も見えなかった。紙を持った医者を目で追うのをやめて、止まり続ける医者の方を見るとそこには誰もいなかった。かわりに証明書が落ちていた。それには触れられたが、すぐに破損して写真のフィルムのような虹色を発して、静電気が流れた。
『この世は終わり、そしてはじまりは未だない』
電気の流れと一緒に聞こえた声は医者の朽ちた後、背後から襲ってきた知らない声。旅人は振り返らずに前に進んだが、階段の先の廊下で患者たちは這いずっていた。車椅子は壊れて、点滴の針は腕から取れて、巻かれた包帯は取れて直接骨を見せて、看護師や医者は疲弊して衰弱し、多くの悲鳴は上がるが、誰も救いの手を差し伸べてはくれない。旅人の最後の手も届かずに、死体は散乱して腐敗して血を流すことも忘れて骨に変わっていた。重々しくなった景色を目で追わないようにしても、骨から聞こえる叫びが旅人を支配しようとして連呼する。
『助けて、助けて、た、す、け、て』
その声は骨がある限り、病院内でずっと響いていた。そして骨は旅人の足を掴もうと動き出すが、恐怖から走り始めた足には届かずに上げた手は崩れ去った。走り続けていると生身の足が見えて、白衣が揺れているのが見えて、旅人はさっきの紙を奪った医者ではないかと思ったが、気配を消されてしまって、階段を上がるところまでは視界にとらえていたからと、階段を上り続けて屋上の扉を開ける。
扉を開けるとそこに屋上はなく、夢の始まりを告げる暗闇だけが広がっていた。しかし違いがあるとすれば、医者が立っていた。そして持っていた紙を下に落として、旅人の視線を奪うと近づいて耳打ちしてきた。
『君が知る余地はないが』
紙は旅人の手にあり、その内容は理解できない。ただ一つの文は理解できる。それは薬品を作るための新たな病気を生み出す実験の実行だった。
瞬きするとその紙は消えていた。耳打ちしてきた医者も消えていた。そして旅人は煤だらけの鉄格子の檻の中にいた。向かい側にいる誰かが錆びついた鉄格子に掴んで揺らす音が聞こえて、通りかかった警棒がその頭をかち割って崩れ去った体と睨みつけていた目が静かに閉じていった。影が揺れた黒い顔が檻にとどまる旅人を見て、じっと見て、扉を開ける。
『お前の居場所はここではない』
座り込んでいた旅人が出ようとした時、黒い顔は横を見た。誰かが座っているが、影で体を隠されていた。点滅する電球の通路に当てられて、影は姿を現わして片目を失う。目からこぼれ落ちた目玉を手に抱え、髪に隠れた目の中に戻していたが、その瞳の色は両方で違うものになっていた。黒い顔は影を連れて通路からいなくなる。旅人が足を進めようとすると電球は消えて真っ暗になった。
錆びついた鉄格子の臭いが今更、鼻に届いてそれから逃げるように旅人は歩いていた。ペットは肩に乗ったまま、何もしない。電球の跡が浮かび上がってその真ん中を歩いていくと道は徐々に狭くなって、どこかにはまった。電球の導線が火花を散らして光る。鉄格子の隙間に足がつっかえて、動けなくなっているだけだったが、その先は歯車が何重にもなって動く機械があった。よくみると歯車から人の腕や脚が出ていた。そして鉄球が歯車を過ぎ去ったかと思うと誰かの頭が玉のように飛んで、壁にぶつかると表情を失って血を残して、シュレッダーに落ちて悲惨な音が鳴ってゴミとして排出されていた。
黒い顔が警棒を振り上げると歯車が止まって、シュレッダーも止まる。ただ鉄球は動いたまま、旅人の方に向かって飛んできた。しゃがみ込み通り過ぎた先で黒い顔の頭はどこかへ飛び、首から大量の血が噴き出して倒れた。誰かはその光景に衝撃を覚えて逃げ去ろうとした矢先、足元の狭さから連なる歯車の中に落ちていった。旅人が見たのは首をはねられた黒い顔だけが血を流して倒れている姿だけだった。誰かの姿は何処にもなく、小さな揺れが発生したのと同時に止まっていた歯車は動き出し、腕や脚が大量に現れて引き裂かれる。鉄格子の柵を支えに立ち上がろうとして、柵は外れた。
『また、さよなら』
歯車の中に落ちる体が最後に聞いた耳の感覚。手を伸ばした先は点滅する電球の光。姿を消した誰かは手を振って見送って、ペットは誰かの肩に乗っていた。感覚が薄れて何も思わなくなっていく。泡のようにはじけて消えていく体が色を失って、瞼だったものが落ちていく。そして何もなくなった夢の端で答えを知る。
『あれは、――――』
それは夢の端、踏み出した足の一歩を暗闇に引かれた道に忍ばせて、名も無き音が響いても周りの音に被せられて後ろを過ぎ去った“旅人”は小さなペットを連れて次の出口と入口に立って、扉を開けた。
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