霊の話 番外編 紅い霊編(1/2)
公開 2023/09/03 12:59
最終更新
2023/09/03 13:02
快晴の空に薄く塗った白い雲がゆっくりと流れていた。日に当たっていた地面は影を忘れて熱くなっていた。木々の隙間から入った光は影を生み、少しだけ冷たくなっていたが、もやっとした風が吹くと嫌になる暑さが襲ってきた。
墓に訪れる盆休みの人々と線香の匂いが溢れていた。爆竹と花火の煙が流れて目を痛くした。風が吹いて蝋燭の火が消えそうになって、覆い隠す手に火の先が当たって熱いと感じた。線香が立てない程に灰を散らせると最後の火が消えた。
夕暮れの涼しさから藍色の空が現れるまでは長く感じ、人々が落とした音がすぐに終わることはなかった。けれど少しずつ声がなくなって静かになった。日に当たっていた墓石は夜になって冷たくなって、止まる風が残した葉が水鉢(みずばち)に落ちていた。
墓の近くにある大きな森は霧の森と呼ばれていた。そう呼ばれる由縁は深い霧を森全体に張ることからだった。またそこは危険区域でもあった。行方不明者が後を絶たないため、入り口付近には看板と多くの規制線があった。
何処かにある墓のとある森、そこは霧の森と呼ばれ、色の霊が住む。
月が霧の森を照らし、木々の葉の隙間から影と共に光が漏れていた。森の奥に進もうとする影が微かな光を受け取って姿を現した。足元まで光が届かず暗いままだったが、草木を踏む音はあまり聞こえない。
霧の森の奥に彼らの名前が刻まれた墓がある。一つを囲むように五つ、五つを囲むように八つの墓が円状に置かれていた。彼は五つの内の一つの墓に止まった。暗くなっていた墓が月の気まぐれなのか、照らすように光を集めようとしていた。
彼は持ってきた向日葵の花を花立(はなたて)に入れた。水は入っていたが、赤く染まっていたので変えたが、その花を入れると花弁はすぐに枯れて、色素に反して透明な花立の水はまた赤に染まっていた。
「まだ……なのか」
彼はため息をついて立ち、照らされたその墓を見た。墓の上に置いてあった葉を手に取ってすぐに捨てた。墓に掘られた名前を彼は嫌っていた。
「紅い霊 フィーク……三碧 優太(みへき ゆうた)」
その名を読みながら後半の文字を傷つけようと石を投げたが、傷ひとつつかずに投げた方の石が砕け散った。そういう結果になることは最初から知っていたが、どうしても投げずにはいられなかった。
衣嚢(いのう)に入っていた写真を取り出して見た。墓からこぼれた月の光でそこに写っていたものは白黒写真の三人家族だった。しかし赤ん坊と母親は顔が見えるが、父親の顔は黒く塗りつぶされて見えなかった。それは暗いから見えないのではなく、彼がこの地に来る前からそうなっていた。衣嚢に写真を戻し、墓に散らばった枯れた花弁を取り除いていたが、少しずつ嫌になって来て途中でやめた。
木々が揺れて少し風が吹いた。止まっていた光は葉が揺らいで影が多くなって暗くなった。月の光は遮断されて彼の姿もろとも隠れてしまった。
それから森をかき分けて現れたのは青い霊 メーシェだった。紅い霊 フィークに言われた忠告を無視して、森の奥が気になって進み、微かに入り込んだ光を頼りに出口を見つけた。そこには墓があった。メーシェの名が彫られた墓もあったが、影になっていてよく見えなかった。
月の光に照らされていた一つの墓に近づいてみると、フィークの名が彫られていた。向日葵の花弁の先が赤くなって散っていた。まるで血を吸って枯れてしまったかのように染まっていた。
墓の上の方を見ると照らされた紙が置かれていた。拾い上げるとそれは一枚の白黒写真だった。そこには三人写っていて、男性と女性と女性に抱えられた赤ん坊がいた。男性は椅子に座っていて、女性は立っていた。
「これって……あれ?」
写真の裏を見ると何か書かれていた。さっきは月の光が強すぎて白く見えていたが、少し後ろに下がって調整するとそこには文字が書かれていた。
“愛する未来の息子へ 両親より”
その写真に写っていたのは家族だった。男性が軍服を着ている辺り、戦争が起きていたのではないかとメーシェは推測した。しかしどうしてフィークの墓の上にこんなものが落ちているのかわからなかった。
ひとまずフィークに聞けば何か分かるかもしれないと思い、メーシェは墓から離れて探してみたが、彼の姿はどこにもなかった。霧の森から外に出ているのかと考え、木の近くで少し待ったが帰っては来なかった。
「あいつなら知っているかもしれない……よし」
メーシェは歩き始めてとある扉を見つけて開けた。机から落ちたと思われる紙が床に散らばっていた。その他、床や棚には多くの本を重ね、黄の霊が入れた花の瓶やよくわからない置物があった。やつは窓の方を向いて、メーシェには背中を見せていた。しかし足音がしなくなったからなのか、やつはメーシェの方を向いた。
「お前か」
「……フィークはどこに?」
「あいつなら外に行ったが……用があったのか」
「えっと」
「その手に持っている紙は何だ」
「奥の墓で見つけて……あっ」
「そこには入るなとフィークに言われなかったのか」
「言われました」
「……その紙を」
「は、はい」
メーシェは一瞬の怒りの顔で硬直してしまったが、渡せと言われてゆっくりとやつの方へ伸ばすと受け取った。それが単なる紙ではなく写真であると理解し、少し驚いた顔をしたが、すぐにメーシェに渡した。
「メーシェ、お前に言い渡す」
「まさか追放ですか」
「違う」
「えっ、だって僕は」
「確かにそれについては……だがいつかは教えなければならないと思っていたから別にいい。それよりもお前は今から天界に行け」
「? 何で僕なんですか。それに僕だけでは外に出ることは」
「特別に外に出る権利をやろう。その写真に免じてだ」
「その写真に何があるんですか」
「それを知るために天界に行け」
「なぜ……」
「興味本位で森の奥に進んだ罰を受けるというならば天界に行くことはない」
「い、行きますから」
あまりの脅迫に耐え切れずに肯定してしまったメーシェは扉を出て走って森から出た。すでに朝日は上り、地面は少しずつ温かいと感じるところから熱いと思うまでになろうとしていた。墓には朝早くから人の姿もあったが、メーシェの姿をとらえる人はいなかった。
人を通り抜けて墓を下ると車道に出てきた。車道の真ん中を歩いてもメーシェには関係ないことだった。轢かれるということがなくなっていたが、たまに直前で止まる車に対しては少しビクッとしていた。
何も聞かずに飛び出してしまったことに少し後悔し始め、せめて地図をもらえばよかったと思い立ち止まった。写真が天に導いてくれるわけでもなかったため、どうしていいのかわからずに動けなくなってしまった。
一面の空色の快晴と不安定な足元の白色の雲。その雲に混じって止まった羽は風に吹かれて飛んでいった。紅いマフラーが揺れて、端に小さく狐火と剣が重なって刺繍されていた。
彼の目に映っていたのは霧に隠された大きな水晶。そしてその水晶に反射して何かが薄っすらと見えたが、それを理解しようとすると頭が痛くなった。
「あれは……」
彼の手は水晶に当てて霧は払われた。しかし見えていたものは消えてしまった。離してみてもそれが再び現れることはなかった。
揺らぐ白い神殿は破壊されて、誰かが立っていた姿を彼は記録したまま、頭の隅に置いた。
朝日は頭上に来て、地面は熱くなって微かな影を探して休みたかった。しかし土瀝青(どれきせい)と左右に家が建つ場所に影は出来ず、歩道に置かれた花壇や電灯のぼやけた影に引き寄せられて涼しくなろうとしても、もやっとした空気が漂ってむしろ暑くなった。
メーシェはくたびれて戻りたいとも思ったが、やつは森の管理者で入り口を封じてしまうことなど容易なことだろうと考えたから、肌に伝った汗を腕で拭きながら歩いていた。しかし疲れ切った体では背後から迫る何かに気づけなかった。肩を触れられた気がしてそっちの方を向いたが何もなく、また頭を触れられたと思ってあっちを向いてもなかった。でもメーシェには心当たりがあって何もせず目を閉じて止まってみた。
「……」
声には出さないが不可解に流れていた風は止まってこっちに近づいてくる気配がした。恐る恐る目を開けて見てみると攻撃態勢だった。
「ナイフを向けないで」
「何用でここに、ここは悪霊が大量発生していたから」
その声の主は風の霊 トゥーリだった。普段は天と地を結ぶ境界線の近くに住み、悪霊を殺す役目を与えられた霊で、依頼を受けて殺すを繰り返していた。そしてメーシェと同じ、狐火の印をシネラリアの花と共にネックレスとして首につけている。ただそのシネラリアの花が血塗られている理由をメーシェは知らなかった。
「……天界に用があって」
「なぜお前が、それにフィークはどうした? あいつがいないと外に出られなかったのでは」
「今回は特別で……よかった。トゥーリに会えて」
「俺は連れて行かない」
「えっ」
「別件があるから」
そう言ってトゥーリが離れようとすると前に立って止めようとしたが、ナイフを首元に当てられて怖くなって後ろに下がった。
「お前は何かしてくれるわけ」
「……」
「死を求めて他の霊に迷惑を振りまくお前に何か出来るのか?」
「それは」
「出来ない……一択だろうな」
「でも行かなきゃいけないんだよ」
「それはやつに頼まれたのか?」
「それもあるけど、この写真に何があったのか知りたいんだ」
メーシェが渡してきた写真をトゥーリは受け取って見た。よくわからないと首をかしげながらも答えを出したのか、写真を返した。
「図書館に行こう」
「へっ、何で、僕は天界に」
「別件……そこに用事がある。それが済んだら天界に行かないこともない」
「……」
「来ないのか」
「行く」
止まった足と空気をひっくり返した写真の力のおかげで何とか説得できたが、まだ少しだけ怖い顔をするトゥーリの横を歩くことなく、後ろからついて行った。
もやっとした空気の流れが生ぬるい風に変わって、少しずつ涼しくなり寒くなった。そう感じたのはメーシェだけで、トゥーリは何も思わず進んでいた。土瀝青の道は少しずつ草木が絡まるようになり、周りの建物も古びて崩れそうな感じに変わっていた。しかしトゥーリの言っていた図書館だけはその影響を受けずに傷ひとつなかった。
入り口に立って勝手に硝子戸が開くとすぐに受付があった。そこに一人の女性が立っていて、メーシェを置いてトゥーリは話しかけようとしたが、その女性が先に話し始めた。
「リャウルさんのお知り合いの方ですね。少々お待ちください」
そう言い、その女性が姿を消したのでメーシェは少し驚いた。
「き、消えた……」
「何に驚く? 同じ幽霊に驚くところがどこにある」
「幽霊?」
「知らなかったのか。フィークと共に一度、訪れたことがあるというのは聞いたが?」
「その時はそんな幽霊いなかったから」
「じゃあ、ここから入ったわけじゃないのか……」
何かを思いながらトゥーリが黙ると階段を降りる音がして、そっちの方を見るとさっきの女性と茶の霊 リャウルがいた。
「お待たせいたしました」
女性はそれを言い、自分が持っていた本をリャウルに渡し、二人に対して礼をすると振り返り階段を昇って行った。
「今日は」
「“蝶”について何か知らないか?」
「……いつも言っていますが、詳しく言ってもらわなければ探せませんよ」
「じゃあ、“蝶”と“半の霊”ならどうだ?」
「……そうですね。あの事件のことを知りたいのですか?」
「それもあるが、それ以上のことを知りたい」
「一つ、あるにはあるのですが、情報がかなり少ないのであなたの欲しいものは見つからないかと」
「かまわない。それをくれ」
それがいつものことなのか、リャウルとトゥーリの会話をメーシェは追うことしか出来なかった。一度会話が終わるとリャウルが衣嚢から取り出した紙とペンで何かを書き、それをトゥーリに渡すとメーシェのそばからいなくなってしまった。メーシェがあたふたしているとリャウルが話しかけた。
「あなたのことはあの方から聞いています。天界に行かなければならないのですね」
「……そうなんだ」
「しかしこの図書館にいらっしゃるとは……これは必然なのでしょうか」
「何のことだ」
「私についてきてください」
そう言い、リャウルが歩き始めてしまったので、メーシェは置いて行かれないようについて行った。受付を過ぎ、一階から本棚が並び、そこに本がびっしりと隙間なくつまっていた。壁近くの黒板には注意事項を記した紙と連絡用なのか白墨(はくぼく)で暗号のように書かれていた。
周りを見ながら歩いていたメーシェは前を気にしていなくて、リャウルが止まったことに気づけずに背中にぶつかった。
「痛っ」
「着きましたよ……って大丈夫ですか」
ぶつかって頭を触るメーシェをリャウルは気遣っていたが、平気だ、と返事を聞き、本棚に手を伸ばして一冊の本を取り、メーシェに渡してきた。
「これは?」
「彼の生前に関わる本です」
「彼って……フィークのことか?」
「はい、そして……」
話を続けようとするリャウルに対して、メーシェは勝手にその本を開いてみた。題名に何重にも線が引かれていた。本文は所々、黒く塗りつぶされ見えなくなっていたが、読めない程ではなかった。
「名前が伏せられている?」
「最初にその本を開いた時からそうでした。だから私にもわかりません。しかし最後まで読んでみてください。フィークさんのことを少しでも知ることが出来るかもしれません」
リャウルが遠くの机の方を見て読むように促した。メーシェもトゥーリの案内なしに天界に行くことは出来ないと思い、時間つぶしに開いたその本を読むことにした。机に本を置き、椅子に座って読もうとしたが、さっきと打って変わって、何重に引かれた線は二本線まで減り読むことが出来た。
「『笹の霊の世界 そして未来の子供へ継ぐ』……さっきまで読めなかったが。笹の霊? 僕と同じ霊なのか? でも聞いたことがない」
その本の内容はとある火災事件が世界を巻き込む引き金となり戦争が起きた。そこで生きた青年と仲間達、そして途中で出会った少女。戦争の中で生きた彼らの物語。後に青年と少女は結婚し、子供を産むことになった。しかし青年は最後の戦争中に死亡。少女も異国の人として捕えられて、子供と引き離されてしまった。
「どうして青年の名前は……わからない。だけどこの子供の名前は知っている。霧の森の奥の墓に書かれていた」
三碧 優太(みへき ゆうた)
異国人から引き離した子供。名字は軍に入った時に我らがつけたもの。彼の父親はかの有名な方であり、その優秀さは引き継がれているだろう。彼に隊長の命を与えよ。
―― ――(――――― ―――)
かの有名な方。―――――――――――――――――――――――――――――。――――――――――――――――――――。――――――――――――――。―――――――――。
しかしメーシェがその頁を開いた時、伏せられていた文字が少しだけ読めたが、すぐにその文字は消えてしまった。
「何か……」
「よっ」
いきなり呼びかけられて肩をビクッとするとくすくすとトゥーリが笑っていた。調べ物が終わったのか、メーシェの前に現れて座った。
「こんな伏字ばかりの本を読んで楽しいのか」
「リャウルさんがフィークのことが分かる本だって言ったんだ」
「それで何か分かったのか?」
「分からない。まだ途中だから……でもトゥーリの方が終わったなら」
「まぁ、終わったと言えばまだなんだがな。悪霊が俺のことを“蝶の生き残りか”って言ったのが気になって調べていたんだが、少しはわかったよ」
「その蝶っていうのは一体?」
「さぁ? 今話す内容でもないかなって……お前は天界に行く、俺はただの案内人だ」
「……」
「ここは図書館だ。その本が途中なら借りればいい」
「それは出来ません」
「リャウル」
「その本は特別で借りられないのです」
「特別?」
「とある者達が残した神に触れることのない場所で保存するようにと言われています。ただそれが誰の命令なのかはわかりませんが……なので外に持ち出すことが出来ないのです」
「そうですか……わかりました」
メーシェは渋々、椅子から立ち上がりその本をリャウルに渡した。
その空の存在を確認することは出来なかった。雲に覆われた世界は薄暗く、視界を歪ませるほどの煙が立ち込めていた。多くの色を飲み込むように流れ着いた灰色の風景は何かが壊れたように動いていた。
彼のまたその中に生まれて育った加害者であり、被害者でもあるその姿はすでに壊れていた。
時はすでに彼の元では流れていなかった。最初に見た風景にあの人は映っていなかった。母はあの人の話をしてくれるけれど、その名も姿も彼の耳を通して理解することが出来なかった。何かの雑音に遮られて聞こえなかった。
母は静かに暮らしたかったけれど、誰かが彼らを見つけて、誰かは彼のことをあの人の代わりだと言った。母は子供だった彼を引き離そうとしなかったから殺された。母の声は異国の者だから切り捨てられた。
『返して……あの子は』
彼に残った最後の母の言葉が忘れられず、連れていかれた先で暴れていたが、弱い力では対抗すら出来なかった。僅かな食事に投げつけられた泥と殴り蹴りの反復を毎日彼に向かって行っていたが、飽きたのかそれすらしなくなり彼は衰弱していった。
視界が歪み、音がしない牢屋の中、少しの風が通り過ぎるだけだった。このまま死を迎えてもおかしいくらいに意識は薄くなっていたが、重たい鉄格子の音がした。
『……子供がいます。少し冷たいですが、まだ息が……はい』
誰かと重なる声が聞こえていたが、それを聞き取るほどの力は残っていなかった。そして意識は遠のいていった。
目を覚ました時、映った視界は黒から白に変わっていた。それは病院の天井だった。右腕に点滴が繋がっていた。
『よかった。これでまた一人確保できますね』
彼は医師の言葉の意味が理解できなかった。脳がまだ考えを拒否しているか、聞こうとしていないか、ではなくただ子供ながらそれを理解する脳は持ち合わせていなかった。
治療はすぐに始められて、他の患者よりも優先的に回されて退院したが、自由は認められず、すぐに知らない場所へ連れていかれた。
『お願いします』
看護師はそう言って彼を誰かに預けた。両者手を振るが、彼はその手を挙げることが出来なかった。
それから数年後、彼は預けられた先で兵士になった。灰色の雲は分厚くなって辺りは薄暗くなっていた。人は少なくそれが仲間だと彼は思っていない。
『三碧 優太』
彼は名を呼ばれて銃を渡された。それは本番用の人殺し可能の銃。そして礼をして次の誰かに同じ銃が渡される前にその引き金を引いて殺した。その光景にそこにいた人々は混乱して発砲する者もいたが、その者も殺されていた。彼は死者に近づいてその洋袴(ズボン)の衣嚢から写真とお守りを取り出した。それは誰かに見つかる前に母がくれたもので、写真は彼の赤ん坊の時の家族で写ったものだが、あの人の顔が黒く塗りつぶされてわからない。お守りは樒(しきみ)の花が入った硝子玉を小さい巾着袋に入れているもの。それらは彼が入院している間に奪われていたもので、この軍師施設にあることを知ったのは少し経ってからだった。
同じ訓練生の中にも同じ状況に陥った者がいて、彼は仲間と思わず一人で実行しようとするのを他の人が伝えたのか、協力する輩が増えていった。そして決行の日は卒業式中の銃受け渡しの時、彼の手に渡った後に軍長の頭を貫くことになった。受け取っていなかった者が混乱に乗じて乱射させることになり、裏切り者は全て射殺された。
墓に訪れる盆休みの人々と線香の匂いが溢れていた。爆竹と花火の煙が流れて目を痛くした。風が吹いて蝋燭の火が消えそうになって、覆い隠す手に火の先が当たって熱いと感じた。線香が立てない程に灰を散らせると最後の火が消えた。
夕暮れの涼しさから藍色の空が現れるまでは長く感じ、人々が落とした音がすぐに終わることはなかった。けれど少しずつ声がなくなって静かになった。日に当たっていた墓石は夜になって冷たくなって、止まる風が残した葉が水鉢(みずばち)に落ちていた。
墓の近くにある大きな森は霧の森と呼ばれていた。そう呼ばれる由縁は深い霧を森全体に張ることからだった。またそこは危険区域でもあった。行方不明者が後を絶たないため、入り口付近には看板と多くの規制線があった。
何処かにある墓のとある森、そこは霧の森と呼ばれ、色の霊が住む。
月が霧の森を照らし、木々の葉の隙間から影と共に光が漏れていた。森の奥に進もうとする影が微かな光を受け取って姿を現した。足元まで光が届かず暗いままだったが、草木を踏む音はあまり聞こえない。
霧の森の奥に彼らの名前が刻まれた墓がある。一つを囲むように五つ、五つを囲むように八つの墓が円状に置かれていた。彼は五つの内の一つの墓に止まった。暗くなっていた墓が月の気まぐれなのか、照らすように光を集めようとしていた。
彼は持ってきた向日葵の花を花立(はなたて)に入れた。水は入っていたが、赤く染まっていたので変えたが、その花を入れると花弁はすぐに枯れて、色素に反して透明な花立の水はまた赤に染まっていた。
「まだ……なのか」
彼はため息をついて立ち、照らされたその墓を見た。墓の上に置いてあった葉を手に取ってすぐに捨てた。墓に掘られた名前を彼は嫌っていた。
「紅い霊 フィーク……三碧 優太(みへき ゆうた)」
その名を読みながら後半の文字を傷つけようと石を投げたが、傷ひとつつかずに投げた方の石が砕け散った。そういう結果になることは最初から知っていたが、どうしても投げずにはいられなかった。
衣嚢(いのう)に入っていた写真を取り出して見た。墓からこぼれた月の光でそこに写っていたものは白黒写真の三人家族だった。しかし赤ん坊と母親は顔が見えるが、父親の顔は黒く塗りつぶされて見えなかった。それは暗いから見えないのではなく、彼がこの地に来る前からそうなっていた。衣嚢に写真を戻し、墓に散らばった枯れた花弁を取り除いていたが、少しずつ嫌になって来て途中でやめた。
木々が揺れて少し風が吹いた。止まっていた光は葉が揺らいで影が多くなって暗くなった。月の光は遮断されて彼の姿もろとも隠れてしまった。
それから森をかき分けて現れたのは青い霊 メーシェだった。紅い霊 フィークに言われた忠告を無視して、森の奥が気になって進み、微かに入り込んだ光を頼りに出口を見つけた。そこには墓があった。メーシェの名が彫られた墓もあったが、影になっていてよく見えなかった。
月の光に照らされていた一つの墓に近づいてみると、フィークの名が彫られていた。向日葵の花弁の先が赤くなって散っていた。まるで血を吸って枯れてしまったかのように染まっていた。
墓の上の方を見ると照らされた紙が置かれていた。拾い上げるとそれは一枚の白黒写真だった。そこには三人写っていて、男性と女性と女性に抱えられた赤ん坊がいた。男性は椅子に座っていて、女性は立っていた。
「これって……あれ?」
写真の裏を見ると何か書かれていた。さっきは月の光が強すぎて白く見えていたが、少し後ろに下がって調整するとそこには文字が書かれていた。
“愛する未来の息子へ 両親より”
その写真に写っていたのは家族だった。男性が軍服を着ている辺り、戦争が起きていたのではないかとメーシェは推測した。しかしどうしてフィークの墓の上にこんなものが落ちているのかわからなかった。
ひとまずフィークに聞けば何か分かるかもしれないと思い、メーシェは墓から離れて探してみたが、彼の姿はどこにもなかった。霧の森から外に出ているのかと考え、木の近くで少し待ったが帰っては来なかった。
「あいつなら知っているかもしれない……よし」
メーシェは歩き始めてとある扉を見つけて開けた。机から落ちたと思われる紙が床に散らばっていた。その他、床や棚には多くの本を重ね、黄の霊が入れた花の瓶やよくわからない置物があった。やつは窓の方を向いて、メーシェには背中を見せていた。しかし足音がしなくなったからなのか、やつはメーシェの方を向いた。
「お前か」
「……フィークはどこに?」
「あいつなら外に行ったが……用があったのか」
「えっと」
「その手に持っている紙は何だ」
「奥の墓で見つけて……あっ」
「そこには入るなとフィークに言われなかったのか」
「言われました」
「……その紙を」
「は、はい」
メーシェは一瞬の怒りの顔で硬直してしまったが、渡せと言われてゆっくりとやつの方へ伸ばすと受け取った。それが単なる紙ではなく写真であると理解し、少し驚いた顔をしたが、すぐにメーシェに渡した。
「メーシェ、お前に言い渡す」
「まさか追放ですか」
「違う」
「えっ、だって僕は」
「確かにそれについては……だがいつかは教えなければならないと思っていたから別にいい。それよりもお前は今から天界に行け」
「? 何で僕なんですか。それに僕だけでは外に出ることは」
「特別に外に出る権利をやろう。その写真に免じてだ」
「その写真に何があるんですか」
「それを知るために天界に行け」
「なぜ……」
「興味本位で森の奥に進んだ罰を受けるというならば天界に行くことはない」
「い、行きますから」
あまりの脅迫に耐え切れずに肯定してしまったメーシェは扉を出て走って森から出た。すでに朝日は上り、地面は少しずつ温かいと感じるところから熱いと思うまでになろうとしていた。墓には朝早くから人の姿もあったが、メーシェの姿をとらえる人はいなかった。
人を通り抜けて墓を下ると車道に出てきた。車道の真ん中を歩いてもメーシェには関係ないことだった。轢かれるということがなくなっていたが、たまに直前で止まる車に対しては少しビクッとしていた。
何も聞かずに飛び出してしまったことに少し後悔し始め、せめて地図をもらえばよかったと思い立ち止まった。写真が天に導いてくれるわけでもなかったため、どうしていいのかわからずに動けなくなってしまった。
一面の空色の快晴と不安定な足元の白色の雲。その雲に混じって止まった羽は風に吹かれて飛んでいった。紅いマフラーが揺れて、端に小さく狐火と剣が重なって刺繍されていた。
彼の目に映っていたのは霧に隠された大きな水晶。そしてその水晶に反射して何かが薄っすらと見えたが、それを理解しようとすると頭が痛くなった。
「あれは……」
彼の手は水晶に当てて霧は払われた。しかし見えていたものは消えてしまった。離してみてもそれが再び現れることはなかった。
揺らぐ白い神殿は破壊されて、誰かが立っていた姿を彼は記録したまま、頭の隅に置いた。
朝日は頭上に来て、地面は熱くなって微かな影を探して休みたかった。しかし土瀝青(どれきせい)と左右に家が建つ場所に影は出来ず、歩道に置かれた花壇や電灯のぼやけた影に引き寄せられて涼しくなろうとしても、もやっとした空気が漂ってむしろ暑くなった。
メーシェはくたびれて戻りたいとも思ったが、やつは森の管理者で入り口を封じてしまうことなど容易なことだろうと考えたから、肌に伝った汗を腕で拭きながら歩いていた。しかし疲れ切った体では背後から迫る何かに気づけなかった。肩を触れられた気がしてそっちの方を向いたが何もなく、また頭を触れられたと思ってあっちを向いてもなかった。でもメーシェには心当たりがあって何もせず目を閉じて止まってみた。
「……」
声には出さないが不可解に流れていた風は止まってこっちに近づいてくる気配がした。恐る恐る目を開けて見てみると攻撃態勢だった。
「ナイフを向けないで」
「何用でここに、ここは悪霊が大量発生していたから」
その声の主は風の霊 トゥーリだった。普段は天と地を結ぶ境界線の近くに住み、悪霊を殺す役目を与えられた霊で、依頼を受けて殺すを繰り返していた。そしてメーシェと同じ、狐火の印をシネラリアの花と共にネックレスとして首につけている。ただそのシネラリアの花が血塗られている理由をメーシェは知らなかった。
「……天界に用があって」
「なぜお前が、それにフィークはどうした? あいつがいないと外に出られなかったのでは」
「今回は特別で……よかった。トゥーリに会えて」
「俺は連れて行かない」
「えっ」
「別件があるから」
そう言ってトゥーリが離れようとすると前に立って止めようとしたが、ナイフを首元に当てられて怖くなって後ろに下がった。
「お前は何かしてくれるわけ」
「……」
「死を求めて他の霊に迷惑を振りまくお前に何か出来るのか?」
「それは」
「出来ない……一択だろうな」
「でも行かなきゃいけないんだよ」
「それはやつに頼まれたのか?」
「それもあるけど、この写真に何があったのか知りたいんだ」
メーシェが渡してきた写真をトゥーリは受け取って見た。よくわからないと首をかしげながらも答えを出したのか、写真を返した。
「図書館に行こう」
「へっ、何で、僕は天界に」
「別件……そこに用事がある。それが済んだら天界に行かないこともない」
「……」
「来ないのか」
「行く」
止まった足と空気をひっくり返した写真の力のおかげで何とか説得できたが、まだ少しだけ怖い顔をするトゥーリの横を歩くことなく、後ろからついて行った。
もやっとした空気の流れが生ぬるい風に変わって、少しずつ涼しくなり寒くなった。そう感じたのはメーシェだけで、トゥーリは何も思わず進んでいた。土瀝青の道は少しずつ草木が絡まるようになり、周りの建物も古びて崩れそうな感じに変わっていた。しかしトゥーリの言っていた図書館だけはその影響を受けずに傷ひとつなかった。
入り口に立って勝手に硝子戸が開くとすぐに受付があった。そこに一人の女性が立っていて、メーシェを置いてトゥーリは話しかけようとしたが、その女性が先に話し始めた。
「リャウルさんのお知り合いの方ですね。少々お待ちください」
そう言い、その女性が姿を消したのでメーシェは少し驚いた。
「き、消えた……」
「何に驚く? 同じ幽霊に驚くところがどこにある」
「幽霊?」
「知らなかったのか。フィークと共に一度、訪れたことがあるというのは聞いたが?」
「その時はそんな幽霊いなかったから」
「じゃあ、ここから入ったわけじゃないのか……」
何かを思いながらトゥーリが黙ると階段を降りる音がして、そっちの方を見るとさっきの女性と茶の霊 リャウルがいた。
「お待たせいたしました」
女性はそれを言い、自分が持っていた本をリャウルに渡し、二人に対して礼をすると振り返り階段を昇って行った。
「今日は」
「“蝶”について何か知らないか?」
「……いつも言っていますが、詳しく言ってもらわなければ探せませんよ」
「じゃあ、“蝶”と“半の霊”ならどうだ?」
「……そうですね。あの事件のことを知りたいのですか?」
「それもあるが、それ以上のことを知りたい」
「一つ、あるにはあるのですが、情報がかなり少ないのであなたの欲しいものは見つからないかと」
「かまわない。それをくれ」
それがいつものことなのか、リャウルとトゥーリの会話をメーシェは追うことしか出来なかった。一度会話が終わるとリャウルが衣嚢から取り出した紙とペンで何かを書き、それをトゥーリに渡すとメーシェのそばからいなくなってしまった。メーシェがあたふたしているとリャウルが話しかけた。
「あなたのことはあの方から聞いています。天界に行かなければならないのですね」
「……そうなんだ」
「しかしこの図書館にいらっしゃるとは……これは必然なのでしょうか」
「何のことだ」
「私についてきてください」
そう言い、リャウルが歩き始めてしまったので、メーシェは置いて行かれないようについて行った。受付を過ぎ、一階から本棚が並び、そこに本がびっしりと隙間なくつまっていた。壁近くの黒板には注意事項を記した紙と連絡用なのか白墨(はくぼく)で暗号のように書かれていた。
周りを見ながら歩いていたメーシェは前を気にしていなくて、リャウルが止まったことに気づけずに背中にぶつかった。
「痛っ」
「着きましたよ……って大丈夫ですか」
ぶつかって頭を触るメーシェをリャウルは気遣っていたが、平気だ、と返事を聞き、本棚に手を伸ばして一冊の本を取り、メーシェに渡してきた。
「これは?」
「彼の生前に関わる本です」
「彼って……フィークのことか?」
「はい、そして……」
話を続けようとするリャウルに対して、メーシェは勝手にその本を開いてみた。題名に何重にも線が引かれていた。本文は所々、黒く塗りつぶされ見えなくなっていたが、読めない程ではなかった。
「名前が伏せられている?」
「最初にその本を開いた時からそうでした。だから私にもわかりません。しかし最後まで読んでみてください。フィークさんのことを少しでも知ることが出来るかもしれません」
リャウルが遠くの机の方を見て読むように促した。メーシェもトゥーリの案内なしに天界に行くことは出来ないと思い、時間つぶしに開いたその本を読むことにした。机に本を置き、椅子に座って読もうとしたが、さっきと打って変わって、何重に引かれた線は二本線まで減り読むことが出来た。
「『笹の霊の世界 そして未来の子供へ継ぐ』……さっきまで読めなかったが。笹の霊? 僕と同じ霊なのか? でも聞いたことがない」
その本の内容はとある火災事件が世界を巻き込む引き金となり戦争が起きた。そこで生きた青年と仲間達、そして途中で出会った少女。戦争の中で生きた彼らの物語。後に青年と少女は結婚し、子供を産むことになった。しかし青年は最後の戦争中に死亡。少女も異国の人として捕えられて、子供と引き離されてしまった。
「どうして青年の名前は……わからない。だけどこの子供の名前は知っている。霧の森の奥の墓に書かれていた」
三碧 優太(みへき ゆうた)
異国人から引き離した子供。名字は軍に入った時に我らがつけたもの。彼の父親はかの有名な方であり、その優秀さは引き継がれているだろう。彼に隊長の命を与えよ。
―― ――(――――― ―――)
かの有名な方。―――――――――――――――――――――――――――――。――――――――――――――――――――。――――――――――――――。―――――――――。
しかしメーシェがその頁を開いた時、伏せられていた文字が少しだけ読めたが、すぐにその文字は消えてしまった。
「何か……」
「よっ」
いきなり呼びかけられて肩をビクッとするとくすくすとトゥーリが笑っていた。調べ物が終わったのか、メーシェの前に現れて座った。
「こんな伏字ばかりの本を読んで楽しいのか」
「リャウルさんがフィークのことが分かる本だって言ったんだ」
「それで何か分かったのか?」
「分からない。まだ途中だから……でもトゥーリの方が終わったなら」
「まぁ、終わったと言えばまだなんだがな。悪霊が俺のことを“蝶の生き残りか”って言ったのが気になって調べていたんだが、少しはわかったよ」
「その蝶っていうのは一体?」
「さぁ? 今話す内容でもないかなって……お前は天界に行く、俺はただの案内人だ」
「……」
「ここは図書館だ。その本が途中なら借りればいい」
「それは出来ません」
「リャウル」
「その本は特別で借りられないのです」
「特別?」
「とある者達が残した神に触れることのない場所で保存するようにと言われています。ただそれが誰の命令なのかはわかりませんが……なので外に持ち出すことが出来ないのです」
「そうですか……わかりました」
メーシェは渋々、椅子から立ち上がりその本をリャウルに渡した。
その空の存在を確認することは出来なかった。雲に覆われた世界は薄暗く、視界を歪ませるほどの煙が立ち込めていた。多くの色を飲み込むように流れ着いた灰色の風景は何かが壊れたように動いていた。
彼のまたその中に生まれて育った加害者であり、被害者でもあるその姿はすでに壊れていた。
時はすでに彼の元では流れていなかった。最初に見た風景にあの人は映っていなかった。母はあの人の話をしてくれるけれど、その名も姿も彼の耳を通して理解することが出来なかった。何かの雑音に遮られて聞こえなかった。
母は静かに暮らしたかったけれど、誰かが彼らを見つけて、誰かは彼のことをあの人の代わりだと言った。母は子供だった彼を引き離そうとしなかったから殺された。母の声は異国の者だから切り捨てられた。
『返して……あの子は』
彼に残った最後の母の言葉が忘れられず、連れていかれた先で暴れていたが、弱い力では対抗すら出来なかった。僅かな食事に投げつけられた泥と殴り蹴りの反復を毎日彼に向かって行っていたが、飽きたのかそれすらしなくなり彼は衰弱していった。
視界が歪み、音がしない牢屋の中、少しの風が通り過ぎるだけだった。このまま死を迎えてもおかしいくらいに意識は薄くなっていたが、重たい鉄格子の音がした。
『……子供がいます。少し冷たいですが、まだ息が……はい』
誰かと重なる声が聞こえていたが、それを聞き取るほどの力は残っていなかった。そして意識は遠のいていった。
目を覚ました時、映った視界は黒から白に変わっていた。それは病院の天井だった。右腕に点滴が繋がっていた。
『よかった。これでまた一人確保できますね』
彼は医師の言葉の意味が理解できなかった。脳がまだ考えを拒否しているか、聞こうとしていないか、ではなくただ子供ながらそれを理解する脳は持ち合わせていなかった。
治療はすぐに始められて、他の患者よりも優先的に回されて退院したが、自由は認められず、すぐに知らない場所へ連れていかれた。
『お願いします』
看護師はそう言って彼を誰かに預けた。両者手を振るが、彼はその手を挙げることが出来なかった。
それから数年後、彼は預けられた先で兵士になった。灰色の雲は分厚くなって辺りは薄暗くなっていた。人は少なくそれが仲間だと彼は思っていない。
『三碧 優太』
彼は名を呼ばれて銃を渡された。それは本番用の人殺し可能の銃。そして礼をして次の誰かに同じ銃が渡される前にその引き金を引いて殺した。その光景にそこにいた人々は混乱して発砲する者もいたが、その者も殺されていた。彼は死者に近づいてその洋袴(ズボン)の衣嚢から写真とお守りを取り出した。それは誰かに見つかる前に母がくれたもので、写真は彼の赤ん坊の時の家族で写ったものだが、あの人の顔が黒く塗りつぶされてわからない。お守りは樒(しきみ)の花が入った硝子玉を小さい巾着袋に入れているもの。それらは彼が入院している間に奪われていたもので、この軍師施設にあることを知ったのは少し経ってからだった。
同じ訓練生の中にも同じ状況に陥った者がいて、彼は仲間と思わず一人で実行しようとするのを他の人が伝えたのか、協力する輩が増えていった。そして決行の日は卒業式中の銃受け渡しの時、彼の手に渡った後に軍長の頭を貫くことになった。受け取っていなかった者が混乱に乗じて乱射させることになり、裏切り者は全て射殺された。
桜詩凛の読みは「さくらしりん」で、由来は二つ。一つは元から使っていた桜子凛花が長いと思ったため、短くするために「桜」と「凛」を取り、その間に当時から書いていた「詩」をいれたもの。もう一つは『複雑な生き方をする少女』に登場する「さくら、黒蛇、シラ、理夏(りか)、ラナン」の頭文字を取ったものとなってい…
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