短編小説っぽい何か(212~232)
公開 2023/08/27 14:48
最終更新 2023/08/27 14:59
▽短編小説212(2021/12/4)/狂愛に堕ちた妖精の話
 止まっていた時間は無くなっていたような気がしただけの日々。それはずっと続いていた幻想の世界。花に座る妖精は澄んだ声で歌い、迷い人を引き込んで楽しんでいた。
 しかしその声はある日を境に壊れて、愛した何かを憎む日々が続いていたような、心地よいその拒みを妖精は許さなかった。迷い人が逃げるのを許さなかった。
 夢は終わらないままが救いのように、妖精は花を咲かせて舞う香りに惑わされる迷い人を掴んで離さない。このままずっと一緒にいましょう、とその声は純粋を忘れて狂愛に支配された囁きだった。

 止まっていた時間は無くなっていたような気がしただけの日々。それはずっと続いていた幻想の世界。花に座る妖精は眠りを誘う声で歌い、迷い人は血を流して腐敗して死んでいた。
 恐怖のあまり夢遊病のまま、迷い人は自らの体を引き裂いていた。それが現実だと分からないままバラバラになっても妖精は笑っていた。舞う人だったそれを浴びても触れても笑っていた。

▽短編小説213(2021/12/11)/そして誰かは、同じ夢を見続ける
 小さな夜の夢の中、悲しみに沈んだ暗い道。何処にも続かない道に倒れていた少年は目を覚ましたが、すぐにその目は誰かの手によって塞がれた。
 偽物の星空が広がって、微かな光が目に入ることなく、その夢が終わりを告げてまた始まりに戻って、失われた何かを探しては離れていく。
 誰かの夢に侵食された少年の目覚めは阻害されて、引き離された現実に戻ることも許されず、繰り返すその夢に残されて、夢を現実と錯覚した。
 時間を忘れたその夢の中、暗い道に一筋の光は最初から存在して、けれど少年の目には映らず、触れようとする手は誰かによって止められた。

 人知れずの夢の中、悲しみに沈んだ死の道。儚き命に囚われて終わらない道に少女は立っていた。誰かを待ち続けて忘れた温かな手を探していた。
 本物の星空が広がって、強き月光が目に入り、その夢が始まりを告げてまた終わりに戻って、取り戻した何かを見つけては離れていく。
 誰かの夢に侵食した少女の姿は探し求めた最後の命。待ち続けた約束の果てに死を得ても、囚われた夢から抜け出すことは叶わず、終わらない。
「助けて、たすけて……タ、す」
 言葉さえ天に奪われようとし始めても、約束は果たされることなく、誰かによって塞がれた。

▽短編小説214(2021/12/18)/悲しみに染まる雨の霊と漂う心
 空を覆いつくした白いそれから降り注いだ雨は視線を通り過ぎて地面に消えた。しかし明るさが顔を出して光が見えると通り雨だった如く姿を消した。そしてまた繰り返すように灰色のそれが近づいて降り出した雨は寒さに晒されて雪に変わった。やがて雪が積もり始めて彼はその場を後にした。

 いつか見たような風景を雨の霊は覚えていない
 生前の記憶は悲しみに染まって思い出は消えた
 修正される前の未来と修正された後の過去
 氷の扉が現れたあの日を境に忘れた記憶

 草木は枯れ果て死滅した道は彼の歩く道
 薄っすら色づいた悲しみの雨
 覚えのない記憶が積み重なった
 存在すら否定された壊れた世界

 光は遮られて失われた。生まれた影は伸びきって消えた。鏡代わりの窓に反射することなく、彼の姿は映らない。空はますます覆われて暗くなっていく。
 認識を阻害された雨の霊は死の方へ歩み続けて、悲しみに呑まれた本当の心を探していた。

▽短編小説215(2021/12/25)/孤独に染まる雪の霊と見知らぬ姿
 あの日見た氷の扉から忘れられた世界。二つの間に生まれたそれはまだ暗かった。何も聞こえないまま、擦った目が映したのは何処までも続く雪景色。彼は孤独を感じ、その一部を取り込んで消えかけた姿を現した。
 雪の霊となった彼は一人、誰かを探していた。

 音も声も拾わない耳の感覚に恐怖を覚えつつ、頭から抜け落ちた生前の記憶を、自分が何故死んだのかを知るために歩き続けていた。
 空を覆いつくした雲も、降り出し溶けた雨も、鳴り止め光る雷も、彼には感じ取れなかった。近くにいるような遠くにいるような何かが遮った。

 白い風景を見続けて心は少しずつ孤独に染まる。雪に残された誰かの記憶を無意識に拾い留める。それは霊となった彼に課された何かであり、そして知りたい生前から離れていく行為だった。
 霊として全てを失う前に彼は手を伸ばした。

 薄っすらと見えた光は影となり、鏡となり、闇となり、雪景色に消えた。微かに見えた少女の姿を彼は掴むことが出来なかった。

▽短編小説216(2022/1/2)/はじまりは誰の手にもなく
 誰も知らない昔のこと、消えた未来に残された少女と人の姿を失った者達は歩みを止めた。いつかの始まりに目覚めの鈴を残して眠りについた。
 それが起きないことを願いながら……

 一つの墓が壊された。そしてまた一つと忘れられた地に転がる死体。形の無いそれらはこの地に存在した力を宿して蘇った。何も知らず変わった世界に争いの火種はなく、しかし彼らの火は燃え続けていた。
 記憶の奥に交わした約束を捨てて……

 最後の力を残して目覚めた人ならざる者達は忘れた地でもう一度、あの日を繰り返す。かつての信仰も奇跡も何もかも絶望に変わって、死を超えた死を得ても終わりは見えなかった。
 無くなっていく世界を燃やし尽くして……

 願いはとうに枯れていた。しかし空から降り注ぐ光と鈴の澄んだ音は少女だった何かを目覚めさせた。彼らの方へ手を伸ばすと、彼らは力を失い、少女はそれを吸収した。
 そしてカミは赤子を産み落として……

▽短編小説217(2022/1/8・9)/目を伏せた少女に再開の時は近づく
 朽ち果てた世界へ、忘れられた地に再び集まる人ならざる者達。願いという絶望に引き寄せられて新たな始まりは一つの命。長い年月、変わらない日々は一瞬の行動の弾みで崩れ去る。
 その命は誰のもの? その命はワレのもの!

 空に誓った影は風の記憶をなくし
 海に誓った鳥は水の記憶をなくし
 山に誓った獣は土の記憶をなくし
 命(めい)に誓った妖は火の記憶をなくし
 再開の忘却の地で、人の形を得て目覚めた

 カミのために歪められて動き出した世界は一歩、また一歩と崩壊の道に進んでいく。長い年月、神の子として崇められていた少女はずっと探していた。
 繋ぎ止められた体には永遠の時間
 生まれ持った力にはカミの祝福と呪詛
 変わる時代の中、多くの死を見届けて、変わらない少女は離れたかった。誰も知らない所へ行きたかった。しかし付き纏う人の欲望から逃げることは叶わなかった。

▽短編小説218(2022/1/15)/亡失の存在と揺らぐ記憶
 何もかも無くした世界に
 降り出した雨と小さな雪
 誰も思い出せず、聞こえない音の跡
 干渉を許さない死は閉じた暗闇

 誰かがそう言ったことを覚えて、誰かを思い出せずにいる。大切な人だったのかそうでなかったのかさえ、少女にはわからない。
 雨は強くなり、白い霧が立ち込むようになっていく頃、風景は色を変えないまま、一面の雪景色を作り出し、誰かの影を虚空の視界は映した。

 何もかも忘れられた者達
 覆い尽くした雲と鳴り止まない雷
 誰も見えず、知らない声の跡
 失われた感情は開いた最後の鍵

 それが夢であったならと思う日々を繰り返しても変わらないと知りながら、閉じられた扉は開かない。その日を境に私達は消された。
 雲は濃くなり、黒い空を生み出すようになっていく頃、風景は色を切り裂いて、一線の雷は地面に突き刺さり、誰かの影を取り除くように消えた。

▽短編小説219(2022/1/22)/誰かは少女の願いのまま、かわりを生きる
 静かな空間に痛みを伴う黒い影が現れて、蝕む体は食いちぎられて形を失っていく。逃げればよかったのに、と後悔してももう遅くて、少女は少女でなくなったことも気付かないまま、動いているの。
 目を閉じて日を迎えた時にはすでに壊れて、誰かは少女のふりをして砂嵐の視界を鮮明にすると、誰かの目は日常を映し出して溶け込んでいく。血塗れに思われた床に過去の匂いもなく、今という未来に少女の姿は存在すら否定した。

 感情の喪失に伴って、少女は意味を忘れた
 操り人形になって、動くだけの生きる道
 死んでいる現実に、終止符を受け入れても
 持つナイフの刃が、首を刺すことはない

 未来に希望の種なんて、最初からなかった
 眠って死を待っても、夢の妨げに助けの声
 衰弱の道に落ちても、暗闇までとても遠く
 少女は最後の絶望に、願い込めて手を出し

▽短編小説220(2022/1/29)/魔女の弟子と暗殺者 氷の魔女と始まりの花
 かつて誰も望まぬ世界に生まれた少女は、意味も知らずに置き忘れた悲しき子。旅の果てに触れた氷から凍りついた体は世界の終わりと自分の死を知る。
 そして死の終わりに新たな命を得た少女は、氷の魔女となり、周りに咲いた花が枯れないようにした。枯れれば命が擦り切れて本当の死を迎えることを恐れていた。

 誰も知らない凍りつく大地。吹雪に覆われた視界に人間は訪れない。けれど魔女殺しはうろつき始めている。少女は使い魔を使いつつ、人払いの結界を何重にも施してことなきを得ていた。
 ある日、花の手入れをしようと氷の地へ赴くと、結界のそばに今にも息絶えそうな子供が倒れていた。かつての少女のように体は少しずつ凍りつき始めていた。
 関わらなくてもよかったはずなのに、少女はその子供を助けた。過去の自分を重ね合わせていた。それから子供は少女の弟子となったが、それが全ての始まりだった。

 ふと感じ取った不快な気配は
 もう、すぐそばまでやってきていた

▽短編小説221(2022/2/5)/何もかも無い、その道の価値
 遠く果てなく続いていた道は白い壁に囲まれてもまだそこにあった。終わりはなく始まりはすでに失われた。中間と呼ばれたその道も通り過ぎて、いつかに分岐した道も忘れて、ただ光を追い続けていた。

 どうしてここにいるのかわからない
 けれど少女に伝えなければ、それだけ覚えている

 暗闇を包み込んだ白い壁は少しずつ点滅し始め、その範囲は広がっていき、色彩は多くなった。進むべき道を見失い、過去も未来もない道は繋がりを否定するように、足場は崩れ始めた。

 少女に、―――(冬の勾玉の所有者)に何もしてやれなかったこと
 君の死を受け入れて、それでも思い出せない

 いや、これは違う 自分の記憶じゃない
 僕の記憶じゃない 見知らぬ共鳴した謎
 それは研究者であって、僕ではない記憶
 じゃあ、僕は……ナニを……?

 気づいた体は上書きされて変わっていく。その意思も記憶も初期化されて、また放り出される。そして忘れられた世界を彷徨う。

▽短編小説222(2022/2/12)/同じ時間とすれ違う空間
 願いは叶わないまま、想いは届かないまま、時間だけが進み続けた。それを分かっている人はいないけれど、彼だけは知っていた。
 何処か知らない場所に閉じ込められてから、多くの記録を目にして、それを頼りに扉を開いた先にまた扉があった。繰り返す行為に意味があるのか不安になっても、彼にはそれしかなかった。

 想いは閉じられたまま、願いは壊れたまま、時間は止まっていた。それを理解している人はいるけれど、少女だけは知らなかった。
 何処か知っている場所に閉じこもってから、多くの記憶を捨てて、こぼれ落ちた涙も忘れて、頬に触れた手が近づいては離れていた。

 扉を開くたびに暗くなる部屋
 彼はそこにある感触に頭が痛くなる
 風が吹くたびに温かな手の影
 少女はそこにある冷たさに首を振る

▽短編小説223(2022/2/19)/無知と狂気と少女の瞳
 昔々、あるところに名も無い少女がいました。その子は何もかも恐れられていましたが、その考えは死を迎えてからなので誰も知りませんでした。
 その瞳で見られた者は自らの体を引き裂き、血が流れていることに幸福を感じて死に至る。少女の周りにはいつも腐敗した死体が散乱していました。
 少女は吸血鬼ではありませんでした。しかし血は大量に流れて、赤く燻(くす)んだ地面は広がっていきました。そしてその地は荒廃していきました。

 少女を殺すため派遣された者達は全滅、対策を組んだとしても何の効果もありませんでした。その瞳は赤く染まって何もかも無にしました。
 しかし無意味な繰り返しも少女にとって負担となり、一矢が体に刺さると途端に阻害されていた攻撃も貫き、少女は倒れて息を引き取りました。

 しかしそれはもう終わりの合図でした。

 少女の役目はあの場所の死で完遂しました。古き印に“あの血”が流れたことで“あれ”は目を覚ましました。

 そして過ちだと気付いた時にはもう
 その地に“あれ”と少女の死体だけでした

▽短編小説224(2022/2/26)/赤子と生贄と目覚めの終止符
 冷たい空気が貫いた体をじっと見つめたものは食い荒らした骨を捨てて、新しい餌へとかぶりついた。捧げられていた供物はいつからか生贄だけを残して、災いが起きないように食い止めていた。
 しかしそれは引き起こされた。人からの偽りの信仰に嫌気がさしたものは血の海ができるほどの人を喰らい、その姿をもって暗闇に堕ちた。

 残された赤子は最後の生贄
 その小さな手を握った“それ”は
 甘味を諦めて、偽りの信仰に終止符を打った

 赤子は成長し、“それ”は手放した
 ここは神のいない世界
 何も知らない少女は生を全うしなかった

 残された記録が少女を苦しめて
 それを知った者達は生きたまま焼き殺した

 しかし一度の終わりはまだ続いていた
 少女は忘れられた地で目を覚まし
 そして“あれ”は“それ”の夢を見る

▽短編小説225(2022/3/5)/導き繋がれた世界は彼らのために
 それは知らない土地
 それは二つの世界を知らない場所
 祀られて葬られた世界は
 一つの出口を見つけて繋がった

 囚われの魂は鳥居の側から離れられなかった。その先に行くことは叶わなかった。しかし何かが通るたびに壊れていく。それは手招く未来の欠片。
 誰かに託さなければ、しかし誰のために?

 詠われの魂は楽譜の側から離れられなかった。その次に行くことは叶わなかった。しかし何かが聞くたびに壊れていく。それは手招く現在の欠片。
 誰かに伝えなければ、しかし誰のために?

 創られの魂は書籍の側から離れられなかった。その後に行くことは叶わなかった。しかし何かが開くたびに壊れていく。それは手招く過去の欠片。
 誰かに言わなければ、しかし誰のために?

 それは知らない土地
 それは二つの世界を知らない場所
 ある日、目覚めた少年は
 思い出を手に歩き出した

▽短編小説226(2022/3/12)/不安に染まる雲の霊と変わる空
 空に浮かぶ小さな雲、明るい陽の光を浴びて変わらない風景を繰り返していた日々は終わった。あの日現れた氷の扉は止まった時の中で、終わりを告げた灯火(ともしび)に暗闇を突きつけた。彼の目は何も見えなくなり、目覚めの感覚を失った。

 視界を失った理由を求めて歩き続けた。霊体となっていた彼の体は痛みを伴わず、ぶつかることもなかった。暗闇の道が続き、知らない不安が包み込み、彼は少しずつ取り込まれていた。

 氷の扉に弾かれて、忘れられた世界に残された者
 その意味を理解した時、消滅する

 暗闇の道は何処までも続き、理由などとうに枯れていた。雲の霊は止まっていた。その意味を追うことも放棄して座り込み、静かな空気を感じていた。すると冷たい水が肌に落ちた。
 見えないながら空の方を向き、雫は目に落ちた。雨を感じるとその音が広がっていく。包み込んでいた不安が少し軽くなって、何かを取り戻していた。

 雨の霊はその空を不思議そうにとらえて
 雲の霊は変わる空に手を伸ばした

▽短編小説227(2022/03/19)/願いの十字架と新たな世界
 ある世界の十字架は呪われていた。二つの世界に取り込まれた力は少女を繋ぎ止めた。そして何度も繰り返した未来はいつも同じ結果しか残さなかった。歪む運命を切り裂いた名もなき者は鎌を振り回してたった一つの願いのために動いていた。
 最初の少女がそれを止めることも出来ずに、数えきれない同じ顔の死体が増えていく。名もなき者はその感情を知らないまま、また殺していた。

 しかしこの世界の十字架は呪われていない。そう言っていたのは本当の意味を知らない人間達。
 願いを叶える十字架の力は四つ、使用ごとにその力は失われた。そして最後の一つが使われずに三つは消費されたまま、長い年月が経った。

 形見として受け取った少女は見知らぬ大人達に追われていたが、逃げ場を失い、十字架に手をかけようとした時、その大人は投げ飛ばされていた。少女の目の前にいたのは黒髪の青年だった。
「我が主人(あるじ)、命令を」
 その目は最後の十字架の宝石のように赤かった。

▽短編小説228(2022/03/26)/怒りに染まる雷の霊と違える空
 その輝きは彼の体を貫いた。扉は開かれて全てが書き換えられた後、その体は燃えて炭になっていた。透明な姿の側でその音は響いていた。
 その音に恐怖を覚えて走り出すことも叶わずに、雷はもう一度、彼を貫いて染め上げた。痺れた姿は他者の怒りと共に作り変えられて、彼は自分自身を失った。

 何も知らないまま、不穏な音と共に
 その怒りは彼の想いを封じ込めた

 雷は彼の側で鳴り続ける
 その目にある光は彼に残された自分である印
 その奥は怒りに侵食された偽りの無知の心

 誰もいない世界、忘れられた場所。交わることのない時間に、最後の奇跡は白く積もり始めた。雷によって切り離された土地は彼の認識から排除された。けれど曇った空から零れた光る雪は彼の動きを止めた。
 しかし振り返らない彼は進み続ける。切り離された土地には一瞬にして雪が積もり、その目は彼を見ていた。

 雪の霊は震える手を伸ばし
 雷の霊はその手に気づくことはない

▽短編小説229(2022/04/02)/霊の話 外伝② 記憶(いろ)が失われた世界
 彼らの物語に手を伸ばして触れようとした想いは取り残された橙の霊には不要な行為だった。終焉の端、許されない干渉が霊としての姿を縛り付けていた。
 それはもう終わった世界。橙の霊は懐中時計を見つめていた。彼らの世界を知り、動き出した針は再び動かなくなって暗闇の扉は閉じられた。

 全てを知った彼らの想いは世界を巻き戻した。修正される前の世界へと、彼らが生まれる前にと。けれど振り出しには戻らない。既に壊れた歯車が別の何かを生み出してしまったから、歩き出した未来は何もかも失われた世界となった。
 それを知るのは橙の霊だけだった。干渉を免れた彼は多くの蝶が記憶(いろ)を失い、飛び去るのを見ていることしか出来なかった。

 しかし彼もまた少しずつ記憶(いろ)を失いつつあった。何もなかったあの頃に戻っていく。墓に触れる前の風景さえ忘れていく。存在の意味もその感情もいつか無に帰る。
 それでも終焉の端だけは残り続けて、扉はまだ閉じられていた。隙間の無い扉に手をかけた。

 あの日、失われた世界はまだ

▽短編小説230(2022/04/09)/虚偽の世界と二つの記憶
 氷の扉が開かれて三匹の蝶が飛び去った日、橙の霊は全てを失い、彼らの物語は終わりを告げた。再び生まれ直した色付き霊達は忘れたまま、時だけが過ぎていた。半の霊は透明な蝶を自由にして、その目は完全な神の奴隷になっていた。
 菘の霊の干渉も受けずに進み始めた世界は誰も疑問を持たない、誰も不思議がらない。真実は最初からなかったようにこの世界は壊れていた。

 菘の霊だけが覚えていた記憶が嘘のように消えて
 修正されたはずの世界は死んでいた

 しかしその境界線に雨が降っていた。揺らぐ透明な壁に触れて、何もなかった世界は色付いた。偽物の色は雨の霊が歩くたびに、本物の色に変わっていた。その目は虚ろで死を運び入れていた。
 歩みを進めていた雨の霊はこの壊れた世界から追い出されて消えそうになっていた橙の霊を見つけた。助けを求めて手を伸ばすが、橙の霊に雨の霊の姿は映っていなかった。

 雨の霊は手を取り、流れ落ちる記憶を
 死は何処までも追い続けて
 橙の霊はそれを受け取って、失われた記憶を
 色付く懐かしき思い出に重ねて
 誰もいらない世界を作り出す

▽短編小説231(2022/4/16)/託された風の霊は忘れた彼を刺す
 二つの記憶が交わる頃、再開した世界は進む道をすでに誤っていた。罪を持つとされた灰の霊と共に霧の森にいた四人の霊はその世界に疑いを持たず、色を少しずつ失い、透明な他の霊と変わらない姿になった。霧の森の存在の意味を忘れて、狐火の証は消え去った。
 天界でも同じことが起きていた。あの世界の記憶を持つ緑の霊でさえ、その記憶が本物か判断できなかった。五匹の蝶の記憶が失われたせいで、それに関わる他の霊達もその出会いを奪われた。

 しかし風の霊は透明にならなかった。死神に託された依頼書を手に薄れゆく記憶の中で橙の霊を探していた。それがかつて同じ色つき霊と呼ばれていたにも関わらず、風の霊の頭には無かった。

 ただその目は濁らず、対象を見つめていた
 その手が重なる前に、終わらせなければ

 風の霊はナイフを見つめて
 シネラリアの花の血が消えてしまう前に

 世界が分断し、本当の意味で壊れる前に
 その死を、その希望を、取り除く

▽短編小説232(2022/04/23)/真実の終わりと始まりの『氷の扉』
 神は恐れて、彼らを閉じ込めた
 前世を封じ込めた転生の罪を与えた
 夢の世界に置かれた半の霊とともに
 透明な蝶は何も疑わなかった

 しかしある者はそこへ踏み入れた
 触れた夢は改変を起こして
 五匹の蝶は真実の記憶を持って飛び立った
 そしてそれぞれ、色つき霊達は取り戻した

 真実を知った彼らは元凶の神を殺した
 霧の森は役目を終えて、彼らは自由を得た
 色つき霊達はそれぞれの道を歩くはずだった
 しかし視界が暗転して、橙の霊は地上にいた
 強い光に照らされて『氷の扉』が開いていた

 世界は何者かの手によって巻き戻った
 『氷の扉』が開いたある日に

 しかし橙の霊は覚えていた
 『色つき霊達が残した記憶』を

 それは可能性の物語
 それは忘れられた者達の出会いの奇跡
桜詩凛の読みは「さくらしりん」で、由来は二つ。一つは元から使っていた桜子凛花が長いと思ったため、短くするために「桜」と「凛」を取り、その間に当時から書いていた「詩」をいれたもの。もう一つは『複雑な生き方をする少女』に登場する「さくら、黒蛇、シラ、理夏(りか)、ラナン」の頭文字を取ったものとなってい…
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