【雨月物語】白峯
公開 2024/09/01 21:00
最終更新 2024/12/31 16:58
逢坂の関を越えてから、秋めいた山の紅葉も見過ごしがたく、浜千鳥の足跡がどこまでも続く鳴海潟、富士の高嶺に立ち昇る煙、浮島ヶ原、清美ヶ関、大磯小磯の浦々、紫草が咲き乱れる武蔵野の原、塩竈の凪いだ海の朝景色、象潟の海人小屋、佐野の船橋、木曽の桟…どれもこれも心惹かれる名勝であるが、歌枕に詠まれた西国の名勝をひと目見たいと、ある僧は西国を目指して旅をしていた。仁安三年の秋は、葦が散る難波を経て須磨明石の浦に吹く寒風に袂を締めつつ歩みを進め、ようやく讃岐国は真尾坂の林ということろで杖を留めた。とはいえ歌枕を目指す遥かな旅路を労わるような宿りではなく、観念修行のため粗末な庵に荷を下ろしただけに過ぎなかったが。
この里の近く白峯という場所に新院様の御陵があると聞き、是非お参りしたいと僧は十月の始め頃かの白峯に登った。白峰山は奥深くまで松柏が生い茂り、青空に雲が棚引く晴天の日でさえ小雨のそぼ降るような暗さである。また背後には児ヶ嶽という険しい峰が聳え立ち、千尋の谷底からもうもうと雲霧が湧き上がってくればなお辺りは曖昧模糊として心細い心地がする。その寂寞とした山の中、木立のわずかな切れ間に、土を高く盛り上げた塚があった。野ばら蔓草に埋もれた頂に三つ重ねた石があり、ようやく塚と知れるような…そのうら寂しい有様に「これが新院様の御陵とは…」と目の前が真っ暗になるような心地がして、もしや夢を見ているのかとまで思われる。
目の前にある陵墓は、本当にあのお方の御陵だと言うのか。紫宸殿、清涼殿に御座して政務をお執りになった、百の官人にこの方こそ賢君ぞと謳われ傅かれた新院様が…。近衛院に御位をお譲りされ院御所に押し込められても、まさか鹿どもの通う跡しか見えぬ、世話する者も詣でる者もない深山の荊の下にお隠れになってしまうとは。万乗の君と言えども宿世の業は恐ろしくも影のように纏わりつき、その罪からは決して逃れられないものなのか…。世の儚さに思いを馳せると、じわりと涙が湧き出るようである。今宵は夜もすがら新院様の御霊のお慰めしようと僧は御墓の前の平らな石の上に座り、静かに経文を誦しつつもまた歌を詠み奉った。
『松山の波寄せる潟は今も昔も変わりませんのに、あなたはすっかり変わってしまわれました。』
悼む気持ちを歌に託し、心を尽くして経を上げる。袖よりしとどに滴るは夜露か涙か。
夜が更けるにつれ、深山はただならぬ夜の姿を現した。石の床、木の葉の衾はしんしんと寒く、心は澄み骨は髄まで冷え、何とはなしに凄まじい心地にさせられる。月は夜空に輝くが茂る枝葉は一筋の月明かりも漏らさない。指先さえ見えぬ暗闇の中、独りしんみりと目を閉じ誦していると「円位…円位よ」と僧を呼ぶ声がする。そっと目を開いて透かし見ると、暗闇のなか痩せ衰えた背の高い男が僧に向かい合うように立っていた。容貌も身に付けた着物の色さえはっきりせず、何者かもわからぬが僧…西行はもとより道心の法師。恐ろしいとも思わず「そこにいらしたのはどなたですか」と尋ねる。するとかの人は、先ほどの歌に歌を返そうとここへ来たのだ。と言い、
『松山の波に流され着いた船は、赦される日を待ち侘びながらやがて虚しく朽ちてしまったのだ…』
「よう来てくれた…」と言うその声は忘れもしない。目の前に現れたのは、今まさに経を捧げていたお方の御霊であった。
「…新院様!」
額づき涙を流しながら、
「しかし…どうして未だこの世に留まっておいでなのですか。穢れたこの世から解き放たれた貴方様を羨ましく思えばこそ、今宵の法施にあやかって私も仏縁を結びたいと思っておりましたのに…再びお目にかかれましたこと大変有難く存じますが、また悲しい思し召しでございます。どうぞ、今はひたすらに過去の妄執は忘れ、蓮の臺へお昇りくださいませ…!」
そう心を込めてお諌め申し上げる。しかし新院様は呵々と声を上げてお笑いになり、「お前は知らぬのか、近頃の世の乱れは朕が仕業よ。朕は生きていた頃より魔道に志を傾け、魔の力によって平治の乱を起こさせ、死してのちもなお朝家に祟りをなすのだ。ふふふ…見ておれ、今に天下に大乱を起こしてやろうぞ。」と言う。
西行はこの勅に涙を堪えつつ、
「なんと…とても新院様とは思えない仰りよう。貴方様はもとより聡明と謳われ、王道の理もよくご存知であったはず。ではお尋ね申し上げます。そもそも保元のご謀反は、天照大御神の教えにも背かぬと思しになってお立ちになられたのですか。それとも自らの欲望によって兵を挙げられたのですか。包み隠さずお教えくださいませ。」
と奏する。すると院はさっと顔色を変え、「聞け、西行。帝位は人の極みである。帝が人倫の道を乱す時、それは天命に応え、民草の望みに従って賊を討伐する時である。そもそも永治の昔、何の咎もない朕は父帝の意を汲み三歳の体仁親王に位を譲った。その朕の心を欲深いとは言うまい。体仁が早世し、次の帝は我が皇子・重仁こそ相応しいと朕も誰もが思っておったが、美福門院の妬みに遮られ、四の宮…弟の雅仁に位を奪われたことは深く怨むも当然であろう。重仁は国を治める才があった。しかし雅仁はどうだ、あれにどれほどの器量があろうか。人の徳を選ばず、天下の政を後宮に語ろうたのは父帝の罪であろう。しかし父帝がご存命の間、朕は孝信を守り、そのような不満はおくびにも出さなかった。しかしお隠れになってはいつまでも黙っているものか。そう思い猛々しい心を起こしたのだ。臣として主君を討つことすら、天に応じ民の望みに従えば周国八百年の始まりとなる。まして国を治める位にあるものであれば、政に嘴を入れる牝鶏の首をはねても道を失うとは言うまい。貴様は出家して仏に溺れ、己が救われたいばかりに朕が讃岐に流されたのは人の道に外れた報いだと…唐土の聖天子と釈迦の教えをごちゃ混ぜにして朕に説くと申すかッ!」と御声を荒らげて仰せになる。
西行はいよいよ恐れる色もなく膝を進めて、「貴方様の仰るところは、どれほど人道の理で覆えども決して欲塵の汚れからは逃れられません。遠く唐土の例を挙げるまでもない。皇朝の昔、応神天皇は兄王子の大鷦鷯の王をおいて末子の菟道の王を皇太子となさいました。ところが父帝がお隠れになっても、大鷦鷯の王、菟道の王ともにお互い位を譲り合い即位されません。三年経っても次の天皇が決まらないことを憂いた菟道の王は『天下を煩わせたまま、どうしてのうのうと生きていられようか』と自ら命を絶ってしまわれました。そうして止むを得ず兄の大鷦鷯の王が即位されたのです。これこそ政を重んじ家族の和を尊び、誠を尽くして欲に染まらずという聖天子の道…真の王道というもの。我が国が儒教を尊び王道の助けとするのは、菟道の王が百済の王仁を召して儒学を学ばれたのがその初め。それならばこの御兄弟の君の御心が、即ち唐土の聖天子の御心とも言えましょう。
また周のはじめ頃、『武王は紂王の悪政に怒り、兵を挙げて民草を安んじた。これは臣下が王を弑逆したのではない。武王は仁に背き義に背いた、ただの紂という男を成敗したのである。』というようなことが孟子なる書に書かれていると人づてに聞きました。しかし経典、歴史書、詩文に至るまであらゆる唐土の書が我が国に渡っておりますが、かの孟子の書だけは今だ日本に伝わっておりません。この書を積んだ船は必ず暴風に遭い沈んでしまうからだとか。それは何故かと尋ねますと、我が国は天照大御神が開闢なさいましてより、その子孫たる日嗣ぎの大王が絶えることなく国を治めておられます。もしこのような屁理屈が本朝へ伝わったならば、後の世に『神孫を奪って罪なし』などと言い出す簒奪者が現れるやもしれぬと八百万の神々が懸念して、神風を起こし船を転覆させるのだとそうです。そうであれば唐土の聖天子の教えも、この国の風土にそぐわぬことは少なくないのでしょう。
それに詩経にもあるではありませんか。『兄弟同士内輪で争っても、外敵は手を取って退けよ』と。だと言うのに身内への愛情もお忘れになり、あまつさえお隠れになった鳥羽院の御肌も朽ちぬうちに、御旗をたなびかせ弓末を振り立て玉座を争われるのは不孝の極みではございませんか。天下は神より授けられしもの。人間が欲望のままに奪おうとしても奪えないものでございますのに…。たとえ民草が重仁王の即位を望んだとしても、徳政を布き民を労らず、道ならぬ行いで天下を乱したなら、昨日まで君を慕っていた民草も今日はたちまち怨敵となりましょう。そうして貴方様は本懐も遂げられず、前代未聞の刑を課せられ、このような鄙の国の土となってしまわれた。我が君、どうかお願いでございます。昔の怨みはもうお忘れになって浄土へお帰りください。どうか…」と憚ることなく奏上した。
「………。」
院は深々とため息をつき、
「今さら朕の過ちを糾すか……そうであろう、お前はそう言うであろうな。しかしどうしろと言うのだ。この島に流されてより、綾高遠の松山の屋敷に押し込められ、日に三度の食事を運んでくる以外に傍に仕える者もなし。ただ小夜の枕に空飛ぶ雁の訪れを聞けば、都へ行くのかと懐かしく。朝が来るたび、暁に洲崎で騒ぐ浜千鳥の声にさえ我が心は砕かれるのだ…この侘しい暮らしは夢ではないのだと。カラスの頭が白くなろうとも朕が都へ帰る望みはない。それならば海辺の鬼となる外ないではないか…。
ひたすら後世のためにと五部の大乗経を写したが、貝鐘の音も聞こえぬ荒磯にただ留めおくのはあまりに侘しい。せめて写した経だけは都の中へ入れて欲しいと、仁和寺の御室…覚性法親王の許へ
『浜千鳥の手跡は都へ飛んで行きますが、その身は松山にて許される日を待ちながら寂しく鳴いているのです』…と歌を添えてな。
だと言うのに差し出がましい少納言信西め。『もしや呪詛では』などと奏上しよって、朕が書き写した経は全てそのまま突き返された。これほど惨い仕打ちがあろうか…!
古から大和、唐土ともに玉座を争い兄弟が敵対する例は珍しくないが、罪深いことをと悔いればこそ己と向き合い懺悔のために写した御経だと言うのに。いかに妨げる者がいようとも天皇の身内は減刑するという令をも違えて筆の跡さえ都に入れさせぬなど、それほどの仕打ちをどうして忘れられよう。ならばよかろう、この経を魔道に捧げて恨みを果たさん。そう一筋に思い定めて指の腹を破り、我が血をもって願文をしたため経と共に志戸の海に沈めたのだ。それより後は人にも会わず深く閉じこもり、ひとえに魔王となるべく大願を誓い祈念しておった…そこで起こったのが平治の乱よ。
まず高い位を望む信頼の驕った心を唆し、義朝と結託させた。かの義朝こそ忌々しい仇よ。父の為義はじめ兄弟達はみな朕のために命を捨てたものを、彼奴ひとりは朕に弓を引いた。保元の乱においては為義の勇猛さ、為義、忠政の策に勝ち目が見えたが、西南の風に焼き討ちされ、陣を敷いた白川の宮を逃れてより如意ヶ嶽の険しい山道に足を破られ、木こりが刈り置いた椎の薪で雨露を凌ぎ…遂に捕らえられてこの島に流されるまで、あの義朝めのずる賢い策謀に散々苦しめられた。その報いとして彼奴の心を虎狼の如き残忍貪欲な獣に変え、信頼と共謀するよう唆してやったのだ。すると彼奴め、地神に逆らった罪により武で劣る清盛にまんまと追い討たれたわ。そして父・為義を殺した不孝の報いを受け、逃げた先で家の子に嵌められ討たれた。これは天神の祟りを蒙ったものよ。
また少納言信西は、常日頃から博士ぶりを鼻にかけ、人を寄せ付けぬ捻くれ者。この傲慢な心を唆して信頼、義朝と敵対させれば、とうとう家を捨て宇治山に穴を掘って隠れたが最期は探し出されて六条河原に首を晒された。これは雅仁に阿り、朕の経を突き返した罪を負うたものよ。この勢いで応保の夏は美福門院の命を脅かし、長寛の春は朕に楯突いた忠通めを祟り…その秋に朕もまたこの世を去ったが、この胸に燃える怨みの炎は尽きることはなかった。尽きるどころか更に燃え上がり、ついに大魔王となって三百余類の悪鬼物の怪を従える首魁となったのだ。我が眷属は人の幸いを見ては転じて禍となし、世が治まるを見れば忽ち諍いを起こさせる。しかし清盛だけは人果大にして親族、氏族みな高い位に連なり、思うさま政を動かしておる。重盛が忠義で支えておるゆえ未だ報いの時が訪れぬのだ。…しかし西行よ、よく見ておれ。平氏の栄華とて長くはない。雅仁めが朕に負わせた仕打ちの辛さを彼奴めにも味わわせてやろうぞ。」と御声はさらに恐ろしく轟く。
「……我が君…貴方様はそうまでも魔界の悪業に繋がれ、仏の光も届かぬところにおいでなのですか。それならばもう、何も申し上げますまい…」
西行はそう言ったきり黙り込み、ただ静かに院に向かい合っていた。
すると俄に地鳴りして峰谷が揺り動き、鬱蒼と茂る木々もなぎ倒さんばかりの猛烈な風が巻き起こり、土煙を空に吹き上げる。驚き見回す西行の目の前がわっと突然明るくなった。
「………!」
見る見る間に一段の陰火が院の足元から燃え上がり、無明の闇でしかなかった山も谷も昼のごとく明るく青く照らし出した。呆然と院のお姿を伺うと、御顔は朱を注いだように赤く、茨のように縺れ乱れた髪は膝の辺りまで垂れ下がり、 白い眼を釣り上げて二度三度苦しげに熱い吐息を繰り返す。
すっかり煤け草臥れた柿色の御衣、ぼろぼろの衣から覗く手足の爪は獣のように鋭く、さながら魔王の如きおぞましい院のお姿を西行はただ呆然と見つめていた。
「相模、相模」
虚空を睨んだ院のお声が轟ろくと「あい」と奇妙な声が答えて、鳶のような怪鳥が虚空から飛び来て御前に平伏した。相模よ、と院は怪鳥を見下ろし、
「何故さっさと重盛の命を奪い、雅仁、清盛らを苦しめぬのだ。」
と仰せになる。相模なる怪鳥が
「恐れながら…上皇の幸運は未だ尽きず、清盛めは重盛の忠信が厚く我らは近づけませぬ。しかし今より干支が一巡りもすれば重盛の命運も尽きましょう。重盛めが死ねば平家の命運もまた滅びまする。」
と奏すると、院は手を打ってお悦びになり「かの怨敵どもは尽くあの瀬戸の海に滅ぼすのだ。…ふふふ…その様、ここから見届けてやろう。」
お声は峰谷に轟き、その凄まじさは言うべくもない。かつて主君と仰いだお方の、魔道に堕ちた浅ましいありさま…堪えきれぬ涙を振るい、西行は再び随縁の心をすすめんと一首の歌を奉った。
「『我が君ッ…かつて国を治めておられたとしても、死してまで現世にしがみついて何になりましょう。魂に尊きも賎しきもないではありませんか』…!」
俗世から解き放たれた貴方様を縛るしがらみはもう何も無いのです。どうか、もうこれ以上ご自身を貶めることはお止め下さい…とその一心で。
「『魂に尊きも賎しきもない』か…。」
この言葉をお聞きになった院は感じ入ったご様子であったが、やがてお顔が和らぎ、陰火もようよう薄く消えてゆくとともに、院のお体も薄らいでふいと掻き消えてしまった。怪鳥もどこへ行ったのか跡形もなく、十日あまりの月は峰に隠れ、深い森の夜は再び闇に包まれて。まるで夢を見ていたようであった。ほどなくして空がぼんやりと明けはじめ、朝鳥の囀りが谷間に響き渡ると、西行は重ねて金剛経一巻を誦じ院の冥福を祈った。
-この世の全ては夢幻のようなもの。泡のように浮かんでは消え、影のように実体がないもの
-それは露のように儚く、雷のように瞬きの間に消えてしまうもの…
「………。」
合わせていた手を下ろし、明るくなりはじめた森の中に立ち上がる。山を降りて庵に帰った西行は、ひとり昨夜の出来事を思い出してみた。平治の乱から人々の動静、年月に至るまで院が知りようのないことまで全て院の仰る通りであった。
(……誰にも言うまい。)
彼は深く慎み、不思議な一夜の邂逅を誰にも漏らすことはなかった。
それから十三年を経た治承三年の秋。平重盛が病でこの世を去ると、平相国入道は後白河院を恨んで鳥羽の離宮へ幽閉し、重ねて福原の茅の宮へ押し込めてしまった。しかし源頼朝が東風と競って起こり、木曽義仲が北雪を払って立ち上がると、平氏の一門はことごとく西海の海に漂い、遂には讃岐の海、志戸、屋島に至って武で鳴らした兵達は巨魚の腹に葬られ、赤間が関、壇ノ浦に逃れた末に幼い帝は海に沈み、一門の武将たちも残らずここに滅んだ。それさえ崇徳院のお言葉と露も違わなかったのだから、恐ろしくも奇怪な語り草である。その後、院の御廟は玉で飾り色彩を施した宮が建立され、人々は畏怖を込めて崇め奉った。讃岐へ渡る人は必ずみてぐらを捧げて参拝するべき神なのだという。

**参考**

【雑談】崇徳院の御遺詠
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