ごぉるでんでぇもん⑤
公開 2024/07/22 00:25
最終更新 2024/08/04 11:48
「他でもないがの、宮のことだ。宮を嫁にやろうかと思って…」
見るに堪えない貫一の驚きようをせめて和らげようと、あぁ、いや…と隆三は慌ただしく言葉を次ぐ。
「これについてはわしも色々と考えたけれど、大いに思うところもあってな。いっそ宮は嫁にやってしまっての。お前の勉学はまだ途上だから、いっそのこと大学を卒業して四・五年もヨーロッパに留学して、すっかり仕上げたところで身を固めるとしたらどうかな」
汝の命を差し出せと迫られたとき、人は何を思うのか!恐ろしいほど色を失った貫一は虚しく、ただじっと隆三の顔を見つめ返した。隆三は弱りきった様子で長い髭を揉みに揉みつつ、
「お前に約束しておいて今さら無かったことにするのは何とも気の毒だが…これについてはわしも大いに考えたところなのだ。必ずお前のためにも悪いようにはせんから、いいかい。宮は嫁にやることにしてくれ、のう」
「……」
待てども貫一からの返事はない。隆三はますます困った様子で、
「のう、悪く取ってくれては困るよ。宮を嫁にやるから、それでうちとお前との縁を切ってしまおうと言うわけではない。いいかい、大したことはないがこの家はそっくりお前に譲るのだ、お前は変わらずわしの跡取りだ、のう。だから洋行もさせようと思っているのだ。必ず悪く取っては困るよ。約束した宮をの、他所にやると言えば何かお前に不足でもあるように聞こえるかもしれんけれど、決してそういう訳ではないのだから。そこはお前がよく承知してくれんければ困る、誤解されては困る。それにお前にしても学問を仕上げて、のう、天晴れの人物になるのが第一の望みであろう。その志を遂げさえすれば宮と一緒になるのならんの、大したことではないのだ。のう、そうだろう。しかしこれはあくまで理屈であって、お前も不服かもしれん。不服だろうと思うからわしも頼むのだ。お前に頼みがあると言うたのはこのことだ。
私はこれまでもお前を世話してきた。これからもますます世話しようと思っておる。そこに免じて、お前もこの頼みは聞いてくれ。」
慄く唇を噛み締めつつ、殊更ゆっくり吐き出した貫一の言葉は普段と別人のようであった。
「それじゃおじさんのご都合で、どうやってもミイさんを私の妻にくださる訳には参らんのですか」
「そうさな、宮の縁談を断ってやれんと言う次第ではないが、お前の気持ちはどうだ。わしの頼みは聞かずとも、また自分の勉学の邪魔になろうとも、そんなことは関係ない、何がなんでも宮が欲しいと、そう言うのかな」
「…………」
「そうではあるまい」
「…………」
黙り込んだ貫一の胸には、理を装った隆三の理不尽に憤り、責める言葉も、詰る言葉も、罵る言葉も、論破する言葉も、辱める言葉も数々沸き上がり満ち満ちていたが、隆三は神にも優る貫一の恩人である。理非を問わずおじさんに逆らうわけにはいかない…そう思えば、貫一は血が出るまで舌を噛んでも言葉にするものかと全て飲み込んだ。
また貫一は思う。恩人は与えた恩を枷にこうして迫ってきたが、しかし俺はこの枷のために膝を着こうとも宮の愛はどんな斧を使って割こうというのか。宮の愛は俺が思うほど深くなかったとしても、俺を見捨てるほど浅くはない。宮が俺を見捨てない限り、枷も理不尽も恐ろしいものか。全ては宮の心だ、愛だけが頼りなんだ。宮だけは俺を愛している。貫一は愛しい宮を想い、その父への怒りを鎮めようと努めた。
俺はいつも宮の愛を疑っていた。しかし、そうだ…この理不尽は宮の愛の力を確かめるにはちょうど良い。これは試練だ…そう試練なのだ。宮の愛の深さがこれでわかる…!
「…嫁にやると仰いますが、どちらに嫁がせるおつもりですか」
「それはまだしっかりと決まっておらんがの、下谷に富山銀行というのがある。それ、富山重平な、あれの息子の嫁に欲しいと言う話があるでの」
あの箕輪のかるた会で金三百円の金剛石をひけらかしていた男か。貫一は密かに嘲笑った。しかし又あまりにも意外な相手に驚き、続いて口の端で笑った。
いや、意外でもないか…目もあれば心もあるのだから、いやしくも俺の宮のような美女に惚れないわけがない。それにしてもわからないのはおじさんの心だ。俺との十年の約束は軽々しく破るほど薄っぺらいものではない。その上どうして一人娘を嫁に出そうだなんて…俺を揶揄っているんだろうか、それとも頭がおかしくなってしまったんじゃ…。
この話自体が隆三の本心などではなく、むしろ自分が疑った通り揶揄っているか、本当にアタマでもやられたというのが正しのではと貫一は思った。
貫一はライバルが例の金剛石と聞いて、一度は矜恃を傷つけられ、辱められたようにカッときたが既に勝敗は見えている。俺はただ腕を組んでこの弱敵が倒れるのを見てやろう、と思えば心は少し落ち着いた。
「は、はぁ、富山重平…聞いております。えらい資産家で」
この一言に今度は隆三の顔がカッと朱が差した。
「…これについてはわしも大いに考えたのだ。何しろお前との約束もあることだし、また一人娘のことでもあるし。しかしお前の将来についても、宮の一身についても、またわしらもだんだん歳をとることも考えてみれば、だ。その老後だのあれそれ考えてみると、この鴫沢の家にはお前も知っての通りこれという親類もない。何かにつけて誠に心細いわ、のう。わしたちはだんだん歳をとるばかり、お前達はまだ若い。ここに頼もしい親類があれば、どれほど心強いか知れんて、のう。そこで富山ならば親類に持っても恥ずかしくない家柄だ。気の毒と思いながらお前との約束を反故にするのも、わしたちが一人娘を他所に嫁にやってしまうのも、つまりは銘々の行く末を思ってするのに他ならんのだ。
それに富山からたっての願いでな、『無理に一人娘を貰うということであれば、息子夫婦は鴫沢の子も同様、富山も鴫沢も一家のつもりで決して鴫沢家を疎かにしません。娘が家にいなくなって不都合があるということであれば、いかようにでも不都合がないよう計らうから』とのう、それはもう随分こちらを慮ってくてのう。
決して欲ではないが、いい親類を持つというものは人で言えばとりもなおさず良い友達で。お前にしてもそうだろう。良い友達がいれば何でも相談できる、何かの力になる、のう。いわば親類は一家の友達だ。
お前がこれから世の中に出るにしても、大層助けになるというもの。それやこれや考えてみると宮は家を継がせるよりも嫁にやった方が誰のため、彼のためではない。四方八方誰にとっても良いのだ。だから必ず悪くとってくれては困るよ、のう。わしだって年甲斐もなく好き好んでお前や宮の為にならんことをしようとは思わんよ。お前もよくそこを考えてみてくれ。
わしもこうして頼むからには、お前の頼みも聞こう。今年卒業してすぐに洋行でもしたいと思うなら、そういうことならわしもひとつ奮発しようではないか。すぐに宮と一緒になってわし達を安心させてくれるより、お前ももう少し辛抱して、いっそのこと博士になってわしらを喜ばせてくれんか」
隆三は、さも思い通り貫一を説き伏せたという顔で、ゆっくりと髭を撫でている。
貫一は隆三の話が進むにつれ、ようやく彼の本心がはっきりとわかった。それはもう火を見るより明らかに。疲れも見せず千語万語と舌を弄するのは、つまりは『利』の一字を覆い隠さんがため。貧しい者が盗みを働くのは世の常であるが、窮せざる者がなお富を欲して盗みを働こうというのか。俺も穢れたこの世に生まれたならば、知らぬ間に穢れに塗れ、あるいは穢らわしい考えを起こし、あるいは穢らわしい行いに手を染めることもあるだろう。しかし穢れた己を知りながら、なお己を穢すようなことをするだろうか。妻を売って土地を買う!それは穢れも穢れたり、最も穢らわしい者ではないか。
世は穢れ、人もまた穢れにまみれたが、俺は常に俺の恩人だけは穢れに染まらない潔白の人だと信じていた。信じて疑わなかった。すぐ忘れてしまうような夢より淡い小恩さえ忘れず貧しい孤児を養う志は、彼の潔白を証明して余りであるものだったというのに。これが人間の浅ましさか、見抜けぬ俺が愚かだったのか、恩人は酷くも俺を欺いた。この世は誰も彼も穢れてしまった。悲しもうにも、既に穢れにまみれたこの世をどう悲しめと言うのか。それなら俺は、今この穢れた世を喜ぼうか。これほど穢れてしまった世の中にも、ただひとつ穢れを知らぬものがある。喜ばしいものがあるじゃないか。
貫一は愛しい宮の面影を思う。
俺は例え喉元に刃を突きつけられ『愛を貫くか、死か』と迫られても屈したりはしない。『皇帝の王冠に飾られた金剛石をやる』と言われたって、宮の心は動かすことなど出来るものか。俺と宮との愛こそ、汚泥の中に輝く玉のようなものなのだ。俺はこの唯一穢れざる輝きを抱いて、この世の全ての穢れを忘れよう。
貫一はそう自分を慰め堪えつつ、隆三の巧言を憎み恨めしく思いながら、敢えてさりげない素振りで聞いていた。
「それで、この話はミイさんも知っているのですか」
「薄々は知っている」
「ではまだミイさんの意見は聞いていらっしゃらないので?」
「うぅん…それは、何だ。ちょっと聞いたがの」
「ミイさんは何と言っていましたか」
「宮か?宮は別にどうということはないのだ。お父様、お母様の宜しいようにと言うんでな、宮の方には異存はないのだ。宮にも何から何まで訳を説いて聞かしたら、そういうことなら…と。ようやく納得しての」
絶対に嘘だ、とそう思いながらも貫一の心臓はドキリと跳ねた。
「…はぁ、ミイさんは…承知をしたんですか?」
「そう、あれも異存はないのだ。だからお前も承知してくれ、のう。理不尽を言っているように聞こえるかもしれんが、その実少しも理不尽なことではないのだ。わしの話しは、お前にもよくわかったろう、のう。」
「…はい」
「わしの話しをわかってくれたら、お前も快く承知してくれ、のう。のう、貫一」
「はい」
「それではお前も承知をしてくれるな。これでわしも大いに安心した。詳しいことはいずれまたゆっくり話そう。あぁ、お前の頼みも聴いてやるから、まあ色々よく考えておいてくれ」
「はい」
古典と怪談が好きな茸です。タイッツーに生息。
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