【江談抄】公忠の弁たちまちに頓滅するも蘇生し、にはかに参内する事
公開 2024/02/01 22:36
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※ 江談抄 第三「雑事」より
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公忠の弁は何の前触れもなく急死して、三日ほど経ってから生き返ったのだそうだ。生き返った公忠の弁はすぐさま家の者を呼び、「私を内裏に連れて行け」と言ったのだそうだよ。
家人は動転して何を馬鹿なことをと取り合わないが、あまりにも何度も何度も頼むものだからとうとう折れ、何とか体を支えて参内したそうだ。清涼殿の滝口の戸の方から参り、どうしても帝にお伝えしたいことがあると取次を頼むと、時の醍醐天皇は大いに驚き公忠の弁をお召になった。
醍醐天皇の前に召された公忠の弁は、未だ優れぬ顔色ながら真剣な目で、
「目の前が真っ暗になったと思ったら、気が付くと私は冥府におりました。物陰からそっと覗くと、冥府の門の前には身の丈が一丈もある男が立っており、彼は紫の衣袍を着て金字で書かれた書状を掲げて『無実の者を大宰府に流した罪に始まり、災害、戦と全て延喜の主…醍醐帝の所業は決して軽いものではありません。』と堂上に居並ぶ人々に訴えます。堂上には朱と紫の印綬を結んだ人々が三十人ばかり居りました。すると二番目の席に座っている者が…彼がかの野相公でしょうか。その男が笑って言うのです。
『延喜の帝は全くもって何を考えているのやら。厄落としに改元でもするのかな。』と…彼らの審議が終わると、まるで夢から醒めるように私は生き返ったのでございます。」
と奏上したのだそうだ。この奏上をお聞きになった醍醐帝はすぐさま元号を延喜から延長へと改められたのだそうだ。
…そんなことを江都督は話されていた。それから話は昔の話に及んだ。
※印綬(いんじゅ)…身分を表す腰に巻く組紐。
※江談抄 第三「野篁は閻魔庁の第二の冥官為る事」より、篁に助けられた高藤が『気が付くと閻魔庁にいて、彼が第二の冥官だった』と話したことから、こちらで笑ったのも小野篁ではないかと。
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公忠の弁は何の前触れもなく急死して、三日ほど経ってから生き返ったのだそうだ。生き返った公忠の弁はすぐさま家の者を呼び、「私を内裏に連れて行け」と言ったのだそうだよ。
家人は動転して何を馬鹿なことをと取り合わないが、あまりにも何度も何度も頼むものだからとうとう折れ、何とか体を支えて参内したそうだ。清涼殿の滝口の戸の方から参り、どうしても帝にお伝えしたいことがあると取次を頼むと、時の醍醐天皇は大いに驚き公忠の弁をお召になった。
醍醐天皇の前に召された公忠の弁は、未だ優れぬ顔色ながら真剣な目で、
「目の前が真っ暗になったと思ったら、気が付くと私は冥府におりました。物陰からそっと覗くと、冥府の門の前には身の丈が一丈もある男が立っており、彼は紫の衣袍を着て金字で書かれた書状を掲げて『無実の者を大宰府に流した罪に始まり、災害、戦と全て延喜の主…醍醐帝の所業は決して軽いものではありません。』と堂上に居並ぶ人々に訴えます。堂上には朱と紫の印綬を結んだ人々が三十人ばかり居りました。すると二番目の席に座っている者が…彼がかの野相公でしょうか。その男が笑って言うのです。
『延喜の帝は全くもって何を考えているのやら。厄落としに改元でもするのかな。』と…彼らの審議が終わると、まるで夢から醒めるように私は生き返ったのでございます。」
と奏上したのだそうだ。この奏上をお聞きになった醍醐帝はすぐさま元号を延喜から延長へと改められたのだそうだ。
…そんなことを江都督は話されていた。それから話は昔の話に及んだ。
※印綬(いんじゅ)…身分を表す腰に巻く組紐。
※江談抄 第三「野篁は閻魔庁の第二の冥官為る事」より、篁に助けられた高藤が『気が付くと閻魔庁にいて、彼が第二の冥官だった』と話したことから、こちらで笑ったのも小野篁ではないかと。
