【今昔物語集】官の朝庁に参る弁、鬼の為に喰らはるる語
公開 2024/01/31 18:26
最終更新 -
その昔、太政官の役所には『朝庁』というものがあった。その日は早朝から勤務のため、役人たちは夜も明けきらぬうちから松明を灯し登庁したのである。
さてそんな朝庁の朝。弁官局に務める役人…史の何某という者がうっかり遅刻してしまった。既に上役である弁殿は席に着いている頃合である。上役よりも遅く席に着くなんて不味い…と険しい顔で急ぎ役所に向かっていたのだが、内裏に到着すると既に待賢門あたりに弁殿の車が停まっている。
(あぁ、もう弁殿は参内しておられる…。)
門のところで車を降り、急ぎ役所へ向かって歩いていると役所の門の北側に弁殿の召使いや警護の者などが屯していた。
「……。」
(ダメだ…完全に出遅れた…。)
気まずい気持ちで腰を屈めて東庁へ回り、東の戸からそっと職場を覗くと…おや?と男は首を傾げた。部屋は真っ暗で火の気もなく、とても人のいる様子がない。
「…はて、弁殿はどちらに。」
門の外へ戻って屯している弁殿の従者たちに声をかけると、「はぁ…、もう早々に東庁に向かわれましたが」と彼らも怪訝な顔をしている。いよいよおかしい。ともかく東庁を確認してみようと、主殿寮の使用人を召して紙燭を灯し戸を開けて中へ入り…、
「…っうわ…!」
男は腰を抜かすほど驚いた。弁殿の円座に血塗れの頭が置かれていたのである。
「…こ、これはいったい…。」
僅かに肉や髪が残った血塗れの頭骨の傍らには、これまた血塗れの笏や沓が転がり、また扇も近くに投げ出されている。驚き震えながら紙燭を近づけて見ると、扇には弁殿の手跡で今日の予定などが書き付けられていた。
「…まさか…弁殿…なのか…?」
体を探して見回すものの敷物にぐっしょりと夥しい血が滴るのみで、体どころか指の一本さえ見当たらない。
「………。」
その場にいた誰もが言葉を失い、呆然と立ち尽くした。次第に夜が明けるにつれ役人達が登庁してくると、騒ぎを聞いて大勢集まり大騒ぎになった。残された頭は弁殿の従者が引き取って持ち帰ったという。その後、東庁では朝庁は行われなくなり、西庁でのみ行われるようになったのだそうである。
このようなことがあるので、政務とはいえ人気のない場所では重々警戒しなければならない。この出来事は清和天皇の御時と語り伝えられている。


***

史(さかん)…弁官局の四等官
弁(べん)…弁官局の三等官
古典と怪談が好きな茸です。タイッツーに生息。
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