【今昔物語集】慈岳川人、地神に追わるる語
公開 2024/01/31 18:18
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むかしむかし、文徳天皇が崩御された頃のこと。大納言・安倍安仁様が御陵を作る場所を占定する任を承り、占定の儀式の責任者を務めた。皆を引き連れて御陵の予定地に向かい、御陵を建設する場所をここと定めたその帰り道のことである。儀式は滞りなく終わり、みなそれぞれ帰って行く。大納言殿も騎馬を進めていると、深草の北あたりに来たところで陰陽師の慈岳川人が馬を寄せて来た。この慈岳川人という陰陽師はその道においては過去の偉人にも引けを取らず、当世では並びなき陰陽師である。此度の御陵の占定の儀式を執り行ったのも彼であった。
その川人が大納言殿に馬を寄せ、何か言いたげな様子である。
「如何した、川人。私に何か用事があるのだろう。」
大納言殿が水を向けると、川人は馬を並べて声を落とした。
「私は長年陰陽道に携わり、微力ながら大納言様にお仕えしてまいりました。これまでの仕事を振り返っても術を誤ったことはございません。…しかしながら此度は大きな過ちを犯しました。土公神の坐す場所を犯してしまったのです。貴方様と私に罪を償えと、今にここへ土公神が我らを追いかけてきます。…どうなさいますか…かの神は貴方様と私を絶対に許さないでしょう。」
後ろを振り返り振り返り、落ち着かない様子で言う川人に大納言殿の背筋に冷たいものが過ぎる。
「どうするもこうするもわからんわ…何とかならんのか。」
大納言殿は血の気を失い、呆然と川人を見返す。川人はまた後ろを振り返り、険しい顔で頷いた。
「…そうは言ってもこのままではいけません。なんとか身を隠す術をやってみましょう。」
そう言って大納言殿の供奉の列を振り返り、「後から来る者はみな先に行け」と促して従者達を先へ行かせた。そうこうしているうちに陽も落ち、辺りは夕闇に包まれる。その闇に紛れて大納言殿も川人も馬を降り、尻を叩いて先へ走らせて傍らの田の中へ入った。
刈田の中に大納言殿を座らせた川人は、その上へ田んぼに干されていた稲わらを取って積み上げ、その周りを声を落として呪文を唱えながら繰り返し巡る。術をかけ終えると、川人も積み上げた藁を引き開けて中に入って来た。しかし「これで姿を隠す術を施しました。」と言い大丈夫、大丈夫ですと繰り返す川人の、しかし常ならぬ強ばった顔やわななき震える姿を見ていると大納言殿は生きた心地もしないのだった。
そうして音も立てず息を殺していると、しばらくしてざわざわ…ざわざわ…と千人もいるかと思うような大勢の足音が稲わらの山の外を通り過ぎていく。
「……。」
じっと外の様子を伺っていると、先程通り過ぎたと思われる者共がすぐに稲わらの山の前へ戻ってきた。がやがやと騒ぐ声は人の声に似ているが、やはり人の声ではなく。
「あの男が乗った馬は、この辺りで足音が軽くなった…奴らは近くに潜んでいるはず。この辺りの土をみな掘り返して探せ。隠れても必ず見つけ出すぞ。川人は古の陰陽師にも劣らぬ術者だ、[ ※欠落 ]にて身を隠す術を施しているだろう。しかし決して逃さぬ。よく探せ!」
田のあちこちから土を掘り返す音や、薄気味悪い声が聞こえる。大納言殿も川人も生きた心地もせぬまま、身を硬くして伺っていた。しかしあちらからもこちらからも、見つかりませぬと薄気味悪い声が上がる。彼らの主人と思しき人は苦々しげに唸り、
「しかしこのまま逃げられはすまい。たとえ今日は逃げ仰せたとしても、そのまま逃がしてなるものか。来る師走の晦日の夜半には、天下の隅から隅、土の中から空の上まで目に見える全てを探せ。奴らはきっとどこかに隠れている。…師走の晦日は我らの力を集め、必ず見つけ出してやろう。」
そう言うとがやがやと足音は遠ざかって行った。
足音が絶えてしばらくして、稲わらの山から大納言殿と川人が飛び出してきた。
「…どうしたらよいのだ!あのように探されたら、我らは決して逃げられぬぞ!」
恐ろしさに顔色を失くした大納言殿が川人に迫ると、川人も険しい顔で頷いた。
「そうであれば…晦日の夜は誰にも気付かれないよう、私と貴方様だけで幾重にも術を施して隠れるしかありません。…詳しくは師走の晦日近くになってからお話します。」
川人はそう言うと、河原に休んでいた馬に近づいて各々分かれて家に帰った。
さて師走の晦日、その日になって川人はようやく大納言の屋敷を訪れ「…誰にも気付かれないよう、夕暮れ時にただ一人で二条通りと西大宮大路との辻へお越しください。そこで落ち合いましょう。」と伝えた。夕暮れ時、賎しい者に扮した大納言殿は市井の人々に紛れてただ一人、二条通りと西大宮大路の辻に向かった。辻に着いて見回すと、川人はすでにそこに立って待っていた。
「…こちらへ」
そうして二人は連れ立って嵯峨寺へ向かった。
嵯峨寺の御堂の天井裏へ二人はよじ登り、川人は一心に咒を唱え、大納言殿は神仏の加護を求めて印を結び真言を唱える。そうしてじっと座っていると、月も真上に上がる頃。
ふいにゾッ…と全身の毛穴が開くような恐ろしさに二人は言葉を失った。すると生臭い、ぬるい風が御堂に吹き渡り、続いてガタガタガタッ…!と地震のような地響き二人の真下…御堂の中を通り抜けた。
「……ッ……!」
何が起こったのかわからない。ただあの日の恐怖が蘇り、恐ろしさのまま二人は身を固くして黙り込んだまま…そしてようやく遠くに一番鶏の声を聞く頃。天井裏から転がるように降りた二人は、這う這うの体でまだ薄暗い夜明けの空の下を駆け戻ったのだった。道を分かれる折に川人は、
「もう大丈夫です。…しかしながら、私でなければこの術を以てしても逃げられなかったでしょう。」
そう大納言殿に言い、背を向けて帰っていった。大納言殿は心の底から安堵し、川人を伏し拝んでから屋敷に戻ったという。
『やはり川人は比類なき陰陽師である』と伝わっているのも頷ける逸話である。
その川人が大納言殿に馬を寄せ、何か言いたげな様子である。
「如何した、川人。私に何か用事があるのだろう。」
大納言殿が水を向けると、川人は馬を並べて声を落とした。
「私は長年陰陽道に携わり、微力ながら大納言様にお仕えしてまいりました。これまでの仕事を振り返っても術を誤ったことはございません。…しかしながら此度は大きな過ちを犯しました。土公神の坐す場所を犯してしまったのです。貴方様と私に罪を償えと、今にここへ土公神が我らを追いかけてきます。…どうなさいますか…かの神は貴方様と私を絶対に許さないでしょう。」
後ろを振り返り振り返り、落ち着かない様子で言う川人に大納言殿の背筋に冷たいものが過ぎる。
「どうするもこうするもわからんわ…何とかならんのか。」
大納言殿は血の気を失い、呆然と川人を見返す。川人はまた後ろを振り返り、険しい顔で頷いた。
「…そうは言ってもこのままではいけません。なんとか身を隠す術をやってみましょう。」
そう言って大納言殿の供奉の列を振り返り、「後から来る者はみな先に行け」と促して従者達を先へ行かせた。そうこうしているうちに陽も落ち、辺りは夕闇に包まれる。その闇に紛れて大納言殿も川人も馬を降り、尻を叩いて先へ走らせて傍らの田の中へ入った。
刈田の中に大納言殿を座らせた川人は、その上へ田んぼに干されていた稲わらを取って積み上げ、その周りを声を落として呪文を唱えながら繰り返し巡る。術をかけ終えると、川人も積み上げた藁を引き開けて中に入って来た。しかし「これで姿を隠す術を施しました。」と言い大丈夫、大丈夫ですと繰り返す川人の、しかし常ならぬ強ばった顔やわななき震える姿を見ていると大納言殿は生きた心地もしないのだった。
そうして音も立てず息を殺していると、しばらくしてざわざわ…ざわざわ…と千人もいるかと思うような大勢の足音が稲わらの山の外を通り過ぎていく。
「……。」
じっと外の様子を伺っていると、先程通り過ぎたと思われる者共がすぐに稲わらの山の前へ戻ってきた。がやがやと騒ぐ声は人の声に似ているが、やはり人の声ではなく。
「あの男が乗った馬は、この辺りで足音が軽くなった…奴らは近くに潜んでいるはず。この辺りの土をみな掘り返して探せ。隠れても必ず見つけ出すぞ。川人は古の陰陽師にも劣らぬ術者だ、[ ※欠落 ]にて身を隠す術を施しているだろう。しかし決して逃さぬ。よく探せ!」
田のあちこちから土を掘り返す音や、薄気味悪い声が聞こえる。大納言殿も川人も生きた心地もせぬまま、身を硬くして伺っていた。しかしあちらからもこちらからも、見つかりませぬと薄気味悪い声が上がる。彼らの主人と思しき人は苦々しげに唸り、
「しかしこのまま逃げられはすまい。たとえ今日は逃げ仰せたとしても、そのまま逃がしてなるものか。来る師走の晦日の夜半には、天下の隅から隅、土の中から空の上まで目に見える全てを探せ。奴らはきっとどこかに隠れている。…師走の晦日は我らの力を集め、必ず見つけ出してやろう。」
そう言うとがやがやと足音は遠ざかって行った。
足音が絶えてしばらくして、稲わらの山から大納言殿と川人が飛び出してきた。
「…どうしたらよいのだ!あのように探されたら、我らは決して逃げられぬぞ!」
恐ろしさに顔色を失くした大納言殿が川人に迫ると、川人も険しい顔で頷いた。
「そうであれば…晦日の夜は誰にも気付かれないよう、私と貴方様だけで幾重にも術を施して隠れるしかありません。…詳しくは師走の晦日近くになってからお話します。」
川人はそう言うと、河原に休んでいた馬に近づいて各々分かれて家に帰った。
さて師走の晦日、その日になって川人はようやく大納言の屋敷を訪れ「…誰にも気付かれないよう、夕暮れ時にただ一人で二条通りと西大宮大路との辻へお越しください。そこで落ち合いましょう。」と伝えた。夕暮れ時、賎しい者に扮した大納言殿は市井の人々に紛れてただ一人、二条通りと西大宮大路の辻に向かった。辻に着いて見回すと、川人はすでにそこに立って待っていた。
「…こちらへ」
そうして二人は連れ立って嵯峨寺へ向かった。
嵯峨寺の御堂の天井裏へ二人はよじ登り、川人は一心に咒を唱え、大納言殿は神仏の加護を求めて印を結び真言を唱える。そうしてじっと座っていると、月も真上に上がる頃。
ふいにゾッ…と全身の毛穴が開くような恐ろしさに二人は言葉を失った。すると生臭い、ぬるい風が御堂に吹き渡り、続いてガタガタガタッ…!と地震のような地響き二人の真下…御堂の中を通り抜けた。
「……ッ……!」
何が起こったのかわからない。ただあの日の恐怖が蘇り、恐ろしさのまま二人は身を固くして黙り込んだまま…そしてようやく遠くに一番鶏の声を聞く頃。天井裏から転がるように降りた二人は、這う這うの体でまだ薄暗い夜明けの空の下を駆け戻ったのだった。道を分かれる折に川人は、
「もう大丈夫です。…しかしながら、私でなければこの術を以てしても逃げられなかったでしょう。」
そう大納言殿に言い、背を向けて帰っていった。大納言殿は心の底から安堵し、川人を伏し拝んでから屋敷に戻ったという。
『やはり川人は比類なき陰陽師である』と伝わっているのも頷ける逸話である。
