【北越雪譜】北高和尚(二編 巻之三)
公開 2024/01/29 18:34
最終更新
-
魚沼郡雲洞村の雲洞庵は越後国四大寺の一つである。四大寺とは滝谷の慈光寺、村上の耕雲寺、伊弥彦の指月寺、雲洞村の雲洞庵を指すが、この雲洞庵の十三世・通天和尚はかの霜台君…謙信公のこと…の親族にあたる方で、大変徳の高い方であったと今でも逸話が残っている。謙信公の跡を継いだ景勝公も、この寺で学問を学んだとのことである。
一国の大寺であるから古文書や宝物も多くつたわっているが、その中に『火車落としの衣』と呼ばれる血の痕が着いた香染めの袈裟がある。これが『火車落とし』と名付けられ宝物とされたのは、天正の頃にこの雲洞庵にいらした十世・北高和尚という学問も仁徳も備えた尊者に由来する。
その頃この寺近くの三郎丸村の農家に不幸があったが、折悪く雪が降り続き、吹雪も止まないため三、四日晴れを待って葬式を延ばしていた。しかしそれでも晴れる気配がないため強いて棺を仕立てて、北高和尚を迎えて、親族はもちろん参列の人々も蓑笠を着て雪の中を旦那寺である雲洞庵へ送っていく…その雪道も、もう半分というあたりにきた時。
突如として猛風が起こり、雪雲りの白い空はみるみる黒雲に覆われ暗闇に閉ざされた。するとざわざわと困惑する人々の中から、あっと声が上がった。どこからともなく火の玉が飛んできて、棺の上に覆いかかったのである。火の玉の中には、尾が二股に分かれた見たこともない大猫が鋭い牙を鳴らし、ふんふんと鼻を嗅がせて、棺を目がけて今にも飛び掛かろうしている。参列の人々はこれを見て棺を打ち捨て、こけ転がりながら逃げ惑う。しかし北高和尚は少しも恐れる様子もなく、様々な呪文を唱えて大音声で一喝。パァン!と鉄如意を振り上げて、棺へ飛びつく大猫の頭を強かに打った。頭をかち割ったのだろう迸った血が衣を汚し、ぎゃっ!と声を上げて妖怪はたちどころに逃げ去った。すると風も止み、雪も晴れ、何の支障もなく葬儀が行われたと寺の旧い記録に残っている。この時、北高和尚がお召になっていた袈裟を火車落としの法衣として、今に伝わっている。
〇編集の京山人百樹の追記。
私が越の国へ旅して塩沢にいた際に、牧之老人に伴われて雲洞庵にお邪魔した(塩沢から一里ほどです)。庵主さんにもお話を伺い、かの火車落としの袈裟というもの、その他の宝物・古文書の類もすべて拝見した。なるほど大寺だけあって、『祈祷』の二文字を大書した竪額は順徳院の震筆…佐渡へ配流された時の震筆だろう…と思われる。門前には直江山城守…直江兼続公…から下された制札があり、兵に放火私伐を禁じるとの文が記されている。庭の池のほとりには智勇の良将・宇佐美駿河守…宇佐美定満…刃死の古い塚があるが、先年牧之老人が施主になり新たに墓碑を建てた。これは不朽の善行と言えるだろう。本文に火車というのは、いわゆる夜叉であろう。夜叉の怪は唐土の書にも沢山散見される。
***
※ 越後国四大寺…新潟県五泉市の滝谷慈光寺のホームページより「越後往古四ケ道場」参照。
※鉄如意…説法をする僧侶が持つ鉄の杖
※順徳院…後鳥羽院とともに承久の乱を起こし、佐渡へ配流された。
一国の大寺であるから古文書や宝物も多くつたわっているが、その中に『火車落としの衣』と呼ばれる血の痕が着いた香染めの袈裟がある。これが『火車落とし』と名付けられ宝物とされたのは、天正の頃にこの雲洞庵にいらした十世・北高和尚という学問も仁徳も備えた尊者に由来する。
その頃この寺近くの三郎丸村の農家に不幸があったが、折悪く雪が降り続き、吹雪も止まないため三、四日晴れを待って葬式を延ばしていた。しかしそれでも晴れる気配がないため強いて棺を仕立てて、北高和尚を迎えて、親族はもちろん参列の人々も蓑笠を着て雪の中を旦那寺である雲洞庵へ送っていく…その雪道も、もう半分というあたりにきた時。
突如として猛風が起こり、雪雲りの白い空はみるみる黒雲に覆われ暗闇に閉ざされた。するとざわざわと困惑する人々の中から、あっと声が上がった。どこからともなく火の玉が飛んできて、棺の上に覆いかかったのである。火の玉の中には、尾が二股に分かれた見たこともない大猫が鋭い牙を鳴らし、ふんふんと鼻を嗅がせて、棺を目がけて今にも飛び掛かろうしている。参列の人々はこれを見て棺を打ち捨て、こけ転がりながら逃げ惑う。しかし北高和尚は少しも恐れる様子もなく、様々な呪文を唱えて大音声で一喝。パァン!と鉄如意を振り上げて、棺へ飛びつく大猫の頭を強かに打った。頭をかち割ったのだろう迸った血が衣を汚し、ぎゃっ!と声を上げて妖怪はたちどころに逃げ去った。すると風も止み、雪も晴れ、何の支障もなく葬儀が行われたと寺の旧い記録に残っている。この時、北高和尚がお召になっていた袈裟を火車落としの法衣として、今に伝わっている。
〇編集の京山人百樹の追記。
私が越の国へ旅して塩沢にいた際に、牧之老人に伴われて雲洞庵にお邪魔した(塩沢から一里ほどです)。庵主さんにもお話を伺い、かの火車落としの袈裟というもの、その他の宝物・古文書の類もすべて拝見した。なるほど大寺だけあって、『祈祷』の二文字を大書した竪額は順徳院の震筆…佐渡へ配流された時の震筆だろう…と思われる。門前には直江山城守…直江兼続公…から下された制札があり、兵に放火私伐を禁じるとの文が記されている。庭の池のほとりには智勇の良将・宇佐美駿河守…宇佐美定満…刃死の古い塚があるが、先年牧之老人が施主になり新たに墓碑を建てた。これは不朽の善行と言えるだろう。本文に火車というのは、いわゆる夜叉であろう。夜叉の怪は唐土の書にも沢山散見される。
***
※ 越後国四大寺…新潟県五泉市の滝谷慈光寺のホームページより「越後往古四ケ道場」参照。
※鉄如意…説法をする僧侶が持つ鉄の杖
※順徳院…後鳥羽院とともに承久の乱を起こし、佐渡へ配流された。
