教科書に載らなそうな徒然草
公開 2024/01/02 22:09
最終更新
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〇第三段
様々なことに秀でていても、色恋に興味のない男は物足りない。折角の玉の盃なのに、底が抜けているようなものである。
袖にされては露霜にあたった草木のように萎れ、諦められずに彷徨い歩き、親の諌めや世間の謗りを避けることに苦心し、上手くゆかぬ恋に思い乱れ、独り寝の床に眠れぬ夜を過ごすような…そんな男こそ風情があるものである。
まぁ、そうは言ってもやたらと粉をかけて手を出すのではなく、なかなか靡かず、女が焦れるような男こそ理想の男である。
***
〇第十一段
神無月の頃、来栖野というところを越えてある山里へ旅をした折。長い長い苔の細道を踏み分けて進むと心細げに建つ庵があった。
木の葉に埋もれた懸け樋からポツリ…ポツリ…と滴る雫の他につゆほども訪れる人もなく、閼伽棚には秋らしく菊とや紅葉の枝が無造作に活けてある。
「なるほど、ここに住まう方の心ばえを表すようだ」としみじみと眺めていたのだが…。ふと見ると向こうの庭にたわわに実をつけた大きな蜜柑の木が植わっていたが、木の周りがそれはそれは厳重に囲われていた。なんだか少し興醒めして、「この木さえなければなぁ…」と思ったものでした。
※ 閼伽棚…仏供の花や水を置く棚。
***
〇第十三段
同じ考えの人と静かに語り合い、おもしろいことも、世の中の儘ならないことも、正直に吐露して慰め合えたらいいのだけれど。そんな人はいないだろうが、自分と全く同じ考え方をする人がいたら…それは独りきりでいるのと変わらないと思う。お互いの考えを「確かにそうだ」と頷いたり、些か納得できないことには「いや、私はこう思うよ」と言い返し、あーだのこーだの言い合いを経て「そうだろ?」とでも語り合えば、無為な孤独も幾らかは癒されるだろうけども。
実際にはそんな人はそういない。ちょっとした不満も共有できない人とは当たり障りのない会話をすることはあっても『心を通わせる友』と言うには程遠い。…侘しいものである。
***
〇第二十段
何とかいう世捨て人が「妻子を持たぬ身には、ただ季節の移り変わりだけが惜しまれるのだ」と言ったとか。その通りだと思う。
***
〇第二十六段
風も吹かぬのに容易く散る心の花…と言うけれど。睦み合った年月や胸をときめかせた言の葉など思うと、恋は必ず終わってしまうものとはいえ亡き人との別れよりずっと辛いものである。だから真っ白な糸が色に染まってしまうことを悲しみ、行く路が別れてしまうことを嘆く人もいるだろう。
堀川院の百首の中にも『昔愛した人の家はすっかり荒れ果ててしまった。庭に生い茂る茅萱に紛れて菫を見つけた。…君はどうしているのだろう。』という歌がある。歌われた寂しい景色は、きっとこのような心なのだろう。
***
〇第二十九段
物思いに耽っていると、取り留めもない日々が恋しく思い出されるものである。
みな寝静まった夜更け、眠れぬ夜の手すさびに、どうということもない道具類を片付けたり、見られたくない書き損じを破り捨てたりしているうちに、もう亡くなった人の走り書きや遊びで描いた絵などを見つけるとふっとあの頃に戻ったような心地がする。
存命の人から貰った手紙でさえ、しばらくやり取りもなければ「いつ貰った手紙だろうか、何年のことだったか…」としみじみ思い出されるものだろう。手に馴染んだ道具類も大した思い入れもないけれど、何となく愛おしく感じるものである。
***
〇第三十一段
雪が何ともいえず美しく積もった朝。ある人の元へ伝えることがあり、用事だけ書いて送るとその返事に
「『この雪、あなたはどう思います?』の一言も書いてこない、へそ曲がりの言うことなんぞ聞くものですか。つくづく風情のふの字もない人だ、アナタは。」
と書いてきた。この返事、しみじみとおもしろいじゃないか。今はもう亡くなった人だから、そんなことさえ忘がたいものである。
様々なことに秀でていても、色恋に興味のない男は物足りない。折角の玉の盃なのに、底が抜けているようなものである。
袖にされては露霜にあたった草木のように萎れ、諦められずに彷徨い歩き、親の諌めや世間の謗りを避けることに苦心し、上手くゆかぬ恋に思い乱れ、独り寝の床に眠れぬ夜を過ごすような…そんな男こそ風情があるものである。
まぁ、そうは言ってもやたらと粉をかけて手を出すのではなく、なかなか靡かず、女が焦れるような男こそ理想の男である。
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〇第十一段
神無月の頃、来栖野というところを越えてある山里へ旅をした折。長い長い苔の細道を踏み分けて進むと心細げに建つ庵があった。
木の葉に埋もれた懸け樋からポツリ…ポツリ…と滴る雫の他につゆほども訪れる人もなく、閼伽棚には秋らしく菊とや紅葉の枝が無造作に活けてある。
「なるほど、ここに住まう方の心ばえを表すようだ」としみじみと眺めていたのだが…。ふと見ると向こうの庭にたわわに実をつけた大きな蜜柑の木が植わっていたが、木の周りがそれはそれは厳重に囲われていた。なんだか少し興醒めして、「この木さえなければなぁ…」と思ったものでした。
※ 閼伽棚…仏供の花や水を置く棚。
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〇第十三段
同じ考えの人と静かに語り合い、おもしろいことも、世の中の儘ならないことも、正直に吐露して慰め合えたらいいのだけれど。そんな人はいないだろうが、自分と全く同じ考え方をする人がいたら…それは独りきりでいるのと変わらないと思う。お互いの考えを「確かにそうだ」と頷いたり、些か納得できないことには「いや、私はこう思うよ」と言い返し、あーだのこーだの言い合いを経て「そうだろ?」とでも語り合えば、無為な孤独も幾らかは癒されるだろうけども。
実際にはそんな人はそういない。ちょっとした不満も共有できない人とは当たり障りのない会話をすることはあっても『心を通わせる友』と言うには程遠い。…侘しいものである。
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〇第二十段
何とかいう世捨て人が「妻子を持たぬ身には、ただ季節の移り変わりだけが惜しまれるのだ」と言ったとか。その通りだと思う。
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〇第二十六段
風も吹かぬのに容易く散る心の花…と言うけれど。睦み合った年月や胸をときめかせた言の葉など思うと、恋は必ず終わってしまうものとはいえ亡き人との別れよりずっと辛いものである。だから真っ白な糸が色に染まってしまうことを悲しみ、行く路が別れてしまうことを嘆く人もいるだろう。
堀川院の百首の中にも『昔愛した人の家はすっかり荒れ果ててしまった。庭に生い茂る茅萱に紛れて菫を見つけた。…君はどうしているのだろう。』という歌がある。歌われた寂しい景色は、きっとこのような心なのだろう。
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〇第二十九段
物思いに耽っていると、取り留めもない日々が恋しく思い出されるものである。
みな寝静まった夜更け、眠れぬ夜の手すさびに、どうということもない道具類を片付けたり、見られたくない書き損じを破り捨てたりしているうちに、もう亡くなった人の走り書きや遊びで描いた絵などを見つけるとふっとあの頃に戻ったような心地がする。
存命の人から貰った手紙でさえ、しばらくやり取りもなければ「いつ貰った手紙だろうか、何年のことだったか…」としみじみ思い出されるものだろう。手に馴染んだ道具類も大した思い入れもないけれど、何となく愛おしく感じるものである。
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〇第三十一段
雪が何ともいえず美しく積もった朝。ある人の元へ伝えることがあり、用事だけ書いて送るとその返事に
「『この雪、あなたはどう思います?』の一言も書いてこない、へそ曲がりの言うことなんぞ聞くものですか。つくづく風情のふの字もない人だ、アナタは。」
と書いてきた。この返事、しみじみとおもしろいじゃないか。今はもう亡くなった人だから、そんなことさえ忘がたいものである。
