【宇治拾遺】世尊寺に死人掘り出す事。
公開 2024/01/01 12:14
最終更新
2024/01/29 17:38
むかしむかしのことである。世尊寺というところは、元は桃園の大納言…藤原師氏様が住む御屋敷であった。あるとき師氏様を近衛大将に任命する宣旨が下された。任官祝いの宴を催すために屋敷は修繕され、屋敷にめでたい雰囲気が漂う中…なんということか。任官祝いの宴を明後日に控えた日に師氏様が急死してしまったのである。主がいなくなるや使用人はみな蜘蛛の子散らすように逃げて行き、がらんどうになった屋敷には奥方様と若君だけが残され、母子二人きり侘しく暮らしていたという。若君は主殿頭チカミツ殿と仰るとか…まったく人生とはわからないもの。
さてその屋敷は一条摂政殿…藤原伊尹様がお取り上げになり、太政大臣に任命された伊尹様もまた祝賀の宴を盛大に催された。
屋敷の坤の角には大きな塚があり、歪な形のその塚は収まりきらず築地さえ突き出している。不格好な塚をご覧になった伊尹様は、
「そこに堂を建てよう。この塚は取り捨てて、その上に堂を建てるのだ。」
とお定めになり、「堂を建てれば塚の供養にもなり、それは私の功徳にもなろう。」と塚の撤去をお命じになった。
さっそく人足どもが塚に鋤を入れて掘り崩すと、石でできた唐櫃のようなものを掘り当てた。さて何が入っているかと開けてみると…。
「……!」
なんとそこには若い尼が横たわっていた。年の頃は二十五、六ほど。花のかんばせに、桃色の唇は生きているように艶やかで。色とりどりの妙なる衣を身にまとい、傍らに置かれた金の坏はくすみ一つなくきらきらと輝き…まるで若い女が先ほど亡くなったかのような、えも言われぬ美しい亡骸が眠るように横たわっていたのである。
唐櫃に納められたものはみな、見たこともないほど芳しく美しく、その場にいた者たちはこの不思議な亡骸に騒然となった。我も我もと塚の中へ入り込んで唐櫃の中を覗いていると、そのとき。
ふわり…と、乾の方角から風が吹いてきた。すると亡骸はまるで風に巻き上げられる砂のようにほどけ、大小の塵になって後にはあの金の坏だけが残ったのだそうな。
「…大昔に葬られた人だって、髪や骨まではあんなふうに散るはずがないのに…風のように塵になって吹き散らされるなんて見たことがない。」
そのように話し、その場にいた人はたいそう驚いたという。
さてそんな塚を壊して堂を建てた摂政殿は、それからいくらも経たないうちに亡くなったので、「あの塚の祟りだろう」と当時の人々は疑ったのだという。
さてその屋敷は一条摂政殿…藤原伊尹様がお取り上げになり、太政大臣に任命された伊尹様もまた祝賀の宴を盛大に催された。
屋敷の坤の角には大きな塚があり、歪な形のその塚は収まりきらず築地さえ突き出している。不格好な塚をご覧になった伊尹様は、
「そこに堂を建てよう。この塚は取り捨てて、その上に堂を建てるのだ。」
とお定めになり、「堂を建てれば塚の供養にもなり、それは私の功徳にもなろう。」と塚の撤去をお命じになった。
さっそく人足どもが塚に鋤を入れて掘り崩すと、石でできた唐櫃のようなものを掘り当てた。さて何が入っているかと開けてみると…。
「……!」
なんとそこには若い尼が横たわっていた。年の頃は二十五、六ほど。花のかんばせに、桃色の唇は生きているように艶やかで。色とりどりの妙なる衣を身にまとい、傍らに置かれた金の坏はくすみ一つなくきらきらと輝き…まるで若い女が先ほど亡くなったかのような、えも言われぬ美しい亡骸が眠るように横たわっていたのである。
唐櫃に納められたものはみな、見たこともないほど芳しく美しく、その場にいた者たちはこの不思議な亡骸に騒然となった。我も我もと塚の中へ入り込んで唐櫃の中を覗いていると、そのとき。
ふわり…と、乾の方角から風が吹いてきた。すると亡骸はまるで風に巻き上げられる砂のようにほどけ、大小の塵になって後にはあの金の坏だけが残ったのだそうな。
「…大昔に葬られた人だって、髪や骨まではあんなふうに散るはずがないのに…風のように塵になって吹き散らされるなんて見たことがない。」
そのように話し、その場にいた人はたいそう驚いたという。
さてそんな塚を壊して堂を建てた摂政殿は、それからいくらも経たないうちに亡くなったので、「あの塚の祟りだろう」と当時の人々は疑ったのだという。
