【宇治拾遺】修行者、百鬼夜行にあふ事。
公開 2024/01/01 12:08
最終更新
2024/01/29 17:40
むかしむかし、諸国を巡り歩く修行僧がいた。彼が津の国に辿り着いたのは、もう日が暮れる頃。どこかで宿を探すには遅すぎる時間である。さて、どうしたものかと歩いていると大きな寺が目に入った。
「…あれは…」
古ぼけた山号額には『龍泉寺』とあり、長らく放置されていた廃寺のようである。人が泊まるようなところではないが、さりとてその辺に宿を乞う家も見えない。
(…背に腹はかえられぬか。)
薄暗くなっていく空を見上げ、修行僧は諦めて寺に入って笈を下ろした。お堂の中もところどころ天井が落ち床が抜け、何とも心細い心地がする。心を落ち着かせるために、手を合わせて不動明王の陀羅尼を唱えて過ごしていると…もう真夜中というころ。塗り潰されたような闇の中から、ざわざわと大勢の声と足音がこちらへ近付いてくる。不意に明るくなった気がして修行僧がそっと目を開けて見ると、いつの間にかお堂の中には手に手に松明を灯した者たちが大勢集まっていた。近くに居る者を見れば、顔の真ん中に目が一つしかない。ギョッとして恐る恐る視線を巡らせると、頭に角が生えたもの、えもいわれぬ異様な形の頭をした者など、とても人とは思えない気味の悪い者たちが堂内にぎっしりと。
(…っ…妖どもの中に取り籠められてしまった…!)
恐ろしさに震えてもどうにも出来ない。生きた心地もしないまま、修行者は必死に陀羅尼を唱えて続けた。
集まった妖どもが各々席に着くなか、ひとりの妖が修行僧のすぐ傍らで苛立ったように松明を振り回して「俺の席に誰か座っているぞ」と言った。
(…っひぃ…!)
慌てて目を閉じると、頬のあたりに松明の熱気と生臭い吐息が触れる。妖は僧の顔をまじまじと見つめて、
「…ふむ、新しい不動尊像がお座りになっていらっしゃるようだ。悪いが今夜ばかりは外に出ていただこう。」
と言い、そのままひょいと片手で修行僧の襟首を掴んで、お堂の軒の下へと下ろした。僧は降ろされた姿のまま、息を殺してやがてまんじりともせず座っていたが、やがてお堂から「おっと、そろそろ夜が明けるわい」と聞こえ、来た時と同様にざわざわと人の声と足音が遠ざかって行った。
(…なんて恐ろしいところだろう…早く明るくなってくれ…。)
すぐにでも出ていきたい一心で空を見つめていると、やっとのことで空が白んできた。あぁ、良かった…やっと…と安堵して周りを見回して、僧はまたギョッと目を見張った。
(馬鹿な…そんなはずは…)
さっきまで居たはずの寺がどこにもないのである。辺りは見覚えのない野原が延々と広がり、自分の通ってきた道も見あたらない。僧はまるで見知らぬ山の中に座っていたのであった。
「……いったい何がどうなったんだ…ここはどこだ?」
右を見ても左を見ても、広い野原に人の踏み分けた道さえ見えない。どうしたらいいのかもわからず途方に暮れていると、たまたま騎馬の男たちが大勢の供を連れてやってきた。
(人だ!助かった!)
ようやく心から安堵して彼らに駆け寄り、
「もし、お尋ねします。もし…あのう、ここはいったいどちらでしょうか?」
と尋ねた。男たちは顔を見合わせて、
「どうしてそんなことをお尋ねになるんです、ここは肥前の国でしょうに。」
と呆れ顔で言う。わかっていたらわざわざ聞かぬわ…と思いつつ、身の上に起こったことを詳しく話して聞かせると騎馬の男も驚いて、
「それはまた何と不思議な…。ここは肥前国中でも随分奥まったところですよ。私はこれから我が屋敷へ戻るところです。」
よろしければ道案内を致しましょうかと言う。僧は喜んで「道もわからず難儀していたのです。それでは街道までご一緒させてください。」と一行に合流した。途中、京へ行く道を教えてもらい、僧は一行と別れて便船を探して京へ帰って行った。
さて、京に戻った僧は
「今までこんな酷い目にあった人はいますか。津の国の龍泉寺という寺に泊まったときに鬼どもがやって来て、私がいると邪魔だったそうで『新しい不動尊様、しばらくの間軒下においでください』と担ぎ上げられてポイッと軒下に置かれたと思ったら、いつの間にか肥前の国の辺鄙なところにいたのですよ。こんな意味のわからない、酷い目に遭った人なんて他にいますか。」
と、京の人々に語ったのだという。
「…あれは…」
古ぼけた山号額には『龍泉寺』とあり、長らく放置されていた廃寺のようである。人が泊まるようなところではないが、さりとてその辺に宿を乞う家も見えない。
(…背に腹はかえられぬか。)
薄暗くなっていく空を見上げ、修行僧は諦めて寺に入って笈を下ろした。お堂の中もところどころ天井が落ち床が抜け、何とも心細い心地がする。心を落ち着かせるために、手を合わせて不動明王の陀羅尼を唱えて過ごしていると…もう真夜中というころ。塗り潰されたような闇の中から、ざわざわと大勢の声と足音がこちらへ近付いてくる。不意に明るくなった気がして修行僧がそっと目を開けて見ると、いつの間にかお堂の中には手に手に松明を灯した者たちが大勢集まっていた。近くに居る者を見れば、顔の真ん中に目が一つしかない。ギョッとして恐る恐る視線を巡らせると、頭に角が生えたもの、えもいわれぬ異様な形の頭をした者など、とても人とは思えない気味の悪い者たちが堂内にぎっしりと。
(…っ…妖どもの中に取り籠められてしまった…!)
恐ろしさに震えてもどうにも出来ない。生きた心地もしないまま、修行者は必死に陀羅尼を唱えて続けた。
集まった妖どもが各々席に着くなか、ひとりの妖が修行僧のすぐ傍らで苛立ったように松明を振り回して「俺の席に誰か座っているぞ」と言った。
(…っひぃ…!)
慌てて目を閉じると、頬のあたりに松明の熱気と生臭い吐息が触れる。妖は僧の顔をまじまじと見つめて、
「…ふむ、新しい不動尊像がお座りになっていらっしゃるようだ。悪いが今夜ばかりは外に出ていただこう。」
と言い、そのままひょいと片手で修行僧の襟首を掴んで、お堂の軒の下へと下ろした。僧は降ろされた姿のまま、息を殺してやがてまんじりともせず座っていたが、やがてお堂から「おっと、そろそろ夜が明けるわい」と聞こえ、来た時と同様にざわざわと人の声と足音が遠ざかって行った。
(…なんて恐ろしいところだろう…早く明るくなってくれ…。)
すぐにでも出ていきたい一心で空を見つめていると、やっとのことで空が白んできた。あぁ、良かった…やっと…と安堵して周りを見回して、僧はまたギョッと目を見張った。
(馬鹿な…そんなはずは…)
さっきまで居たはずの寺がどこにもないのである。辺りは見覚えのない野原が延々と広がり、自分の通ってきた道も見あたらない。僧はまるで見知らぬ山の中に座っていたのであった。
「……いったい何がどうなったんだ…ここはどこだ?」
右を見ても左を見ても、広い野原に人の踏み分けた道さえ見えない。どうしたらいいのかもわからず途方に暮れていると、たまたま騎馬の男たちが大勢の供を連れてやってきた。
(人だ!助かった!)
ようやく心から安堵して彼らに駆け寄り、
「もし、お尋ねします。もし…あのう、ここはいったいどちらでしょうか?」
と尋ねた。男たちは顔を見合わせて、
「どうしてそんなことをお尋ねになるんです、ここは肥前の国でしょうに。」
と呆れ顔で言う。わかっていたらわざわざ聞かぬわ…と思いつつ、身の上に起こったことを詳しく話して聞かせると騎馬の男も驚いて、
「それはまた何と不思議な…。ここは肥前国中でも随分奥まったところですよ。私はこれから我が屋敷へ戻るところです。」
よろしければ道案内を致しましょうかと言う。僧は喜んで「道もわからず難儀していたのです。それでは街道までご一緒させてください。」と一行に合流した。途中、京へ行く道を教えてもらい、僧は一行と別れて便船を探して京へ帰って行った。
さて、京に戻った僧は
「今までこんな酷い目にあった人はいますか。津の国の龍泉寺という寺に泊まったときに鬼どもがやって来て、私がいると邪魔だったそうで『新しい不動尊様、しばらくの間軒下においでください』と担ぎ上げられてポイッと軒下に置かれたと思ったら、いつの間にか肥前の国の辺鄙なところにいたのですよ。こんな意味のわからない、酷い目に遭った人なんて他にいますか。」
と、京の人々に語ったのだという。
