【堤中納言物語】このついで
公開 2023/12/17 12:43
最終更新
2024/05/23 18:35
※まいたけがいい加減に訳して、脳内補完を入れた小説風です。
***
春らしい気だるい退屈な昼下がり。台盤所の中宮付の女房たちも気のない碁を打ったり、船を漕いだりとそれぞれ退屈を持て余していた。するとある女房がふと顔を上げた。
「あら…?宰相の中将殿がお見えになったようですよ。ほら、中将殿の香の匂いが、」
あら、ほんとう。そんなことを噂しあっているうちに、宰相の中将殿が中宮様の局へ訪ねて来られた。
「昨夜から父上の屋敷に泊まっていたのですが、そのまま中宮様へ御使いを仰せつかりまして。東の対の紅梅の下に埋めていた薫物がそろそろよい頃合いだから、是非とも中宮様の退屈しのぎにと…こちらを。」
御前に畏まって座った中将殿は、細工物の梅の枝に銀の壺を二つ着けたものを差し出した。
「まぁ、嬉しい。せっかくの心遣いですから、さっそく聞いてみましょう。中納言の君、」
はい、と女房も心得たもの。御帳の内に入り、幾つも香を燻らせて中宮様から中将の君、若い女房たちまで手渡していく。香炉に袖を添えた人々は皆うっとりとため息を漏らした。
「…いい香りだこと。」
「…本当に。」
局の人々の退屈も幾らか和らいだらしい。女房たちの声も華やかに、しのびやかなお喋りが始まった。御帳から紅梅襲の御衣の裾と、それに重なるように美しい御髪の先が覗いている。中宮様は御帳の傍にお座りになって女房たちの言葉に静かに耳を傾けていた。しばらくその座でお喋りを聞いていた中将殿が、
「こうして香を聞いておりますと、しみじみ素晴らしいと感じ入った、ある人から聞いた話を思い出します。」
と言う。年長の女房である宰相の君が、
「どんなお話しかしら。中宮様も退屈なさっておいでですからお話しになって。」
と促すと「では、お話しましょうか。」と話し始めた。
「ある姫君のところに忍んで通うお方がいたそうです。姫君との間に可愛いらしい子どもも生まれて、とても愛しく思っておられたそうですが…一方で疎かに出来ない妻君があったようで、姫君への訪いも絶えがちになっていたようです。それでもその子は父上が訪ねて来ると『父上、父上』と傍を離れず、時々本宅へ連れて行っても『イヤ』とも言わずに着いてくるほど父上を慕っていたようです。
そんなある時、暫くぶりに姫君のところへ立ち寄りますと、その子がしょんぼりとえらく寂しそうにしていました。今日は珍しくしょげているな…と思われたのでしょう、抱き締めて頭を撫でて慰めてやりました。しかし用事のついでに立ち寄った程度ですから長居は出来ません。席を立とうとすると子どもでもわかるのでしょうね。引き留めるように『父上、父上』と纏わりつくのが哀れに思えて、『それじゃあ、一緒に行こうか』と抱き上げて連れて出ようとしたのだそうです。母である姫君は随分心苦しいご様子でしたが、何も言わずに見送ったのだそうです。しかし二人の姿が見えなくなるとすぐ前に置いた香炉に手を引き寄せて、
『あの子までふらふらと出ていってしまったら…今度はたった独りで、不安と孤独にこの身を焦がして二人の待ち続けるのだわ…』
我が身を薫物を燻らす香炉に準えて声を落として呟いたのだそうです。これをたまたま屏風の影にいた夫君がお聞きになって、姫の孤独と辛さに胸を打たれた夫君は子どもも姫君に返し、その日はそのまま姫君の屋敷にお泊まりになったのだそうですよ。」
中将殿はそう言ってチラリと中納言の君を見た。
「『夫君はどれほど愛おしいと思ったことでしょう。並々ならぬ想いですね。』と私は感心したのですが、この話を教えてくださった方は、どなたの話とも言わずにただニヤニヤ笑うばかりで、それ以上は教えてくださいませんでしたが。…さて次はあなたがどうぞ、中納言の君。」
中将の君が話しを振ると中納言の君は恥ずかしげに唇を尖らせ、
「…余計なことまで中宮様にお聞かせしなくてよろしいのに。ええと…そうですね、では最近あったことをお話しましょうか。」
仕切り直すように話し始めた。
「昨年の秋頃に清水に参籠したときのことです。御堂にはもうひとり参籠の方がいらっしゃいました。それはもう匂いたつような高貴なお方のようでしたが、屏風をぽつんと立てただけの局に供の者もいらっしゃらない様子で…読経の合間に時々すすり泣くような声まで漏れ聞こえて来るのです。何かワケがおありなのでしょうけれど、『いったいどなたかしら』と思いつつも私も参籠を続けておりました。
さて、明日ここを立つという日の夕暮れは、それはもうびゅうびゅうと音がするほど風が強くて。風に吹きつけられた木の葉がほろほろと滝のように散り、真っ赤に色付いた紅葉が局の前に隙間もないほど散り落ちていました。寒々しい嵐の夕暮れに、吹き寄せられた紅葉がそれは鮮やかで…私も仕切りの屏風のすぐ傍で外を眺めていたのですけれど。すると隣の局からとてもとても小さな声で、
『…なんて惨めなの…どんなに冷たくされても、どれほど辛くても、まだあの方を想い続けているなんて。…まるでこの紅葉のよう。』
…なんて聞こえてきましてねぇ…『私も木の葉のようにいっそ…』なんて続きを聞くまでもなく、本当に、なんて物寂しい思いでいらっしゃるのかと思ったのですけれど。偶然聞こえてしまっただけですから、さすがにホイホイお返事をするのは気が引けて、結局聞こえなかったフリをしてやり過ごしてしまいました。」
苦笑いする中納言の君へ、
「あら、貴方らしくもない。もしそれが本当なら、なんとまぁ…つまらない遠慮をなさったものですね。では、少将の君。あなたはいかが?」
呆れたように言いながら少将の君へ声をかけると、
「…こういうの、あんまり得意じゃないんですけれど…」
そう前置きしながら話し始めた。
「私の伯母が東山のあたりに庵を構えておりまして、しばらく伯母を慕って庵に逗留していたときのことです。庵主の尼君のところへ、高貴な方々が幾人もお見えになったことがありました。それも『身分を偽って、人目を忍んで』といった様子で、障子を隔てた隣の間から漂ってくる薫りはとても高貴な、ただ人とは思えないものでした。私は『いったいどんな方かしら』と好奇心が抑えられず…はしたないことですが…薄くて頼りない明かり障子に穴を拵えてそっと覗いてみたのです。隣の間には法師と若い女性が幾人かいらっしゃるようでした。簾の前に几帳を置いて、簾の内には姫君と思しき方が顔を伏せていました。その方は几帳の内へ法師を呼び寄せて、簾越しに何やら話しをしているようです。何を話しているのかまでハッキリわかりませんでしたが、どうやら尼になりたいと言っているようでした。法師は躊躇う様子でしたが、それでもなお切々と姫君が懇願するものですから『そうまで仰るのでしたら』…と。
暫くして几帳の隙間から、櫛の箱の蓋に一尺あまりの髪の束を入れて押し出されて来ました。それは艶々としなやかな、切りそろえられたとても美しい髪で…。几帳の傍らには髪を下ろした姫君よりもいくらか若い、十四、五歳ほどの姫君が座り、薄紫色の繊細な単衣に掻練を重ねて、長い髪を揺らしながら顔に袖を押し当ててさめざめ泣いておられました。きっと妹君なのでしょう。またその後ろには薄紫色の裳をつけた侍女たちが二、三人ほど座っておりましたが、侍女たちも皆ぼろぼろ涙を零してしゃくり上げていました。恐らくご両親を亡くされたのでしょうけれど、この場に乳母さえ見えないなんて…とお可哀想に思われて。扇の隅に小さい字で、
『先の見えない憂き世に背を向けて、髪を下ろされた貴方様をどなたとも存じませんけれど…侘びしさに私の袖さえじんわりと濡れておりますのよ。』
…と、そんなふうに書いて女童に隣の間へ届けさせました。すると妹君と思しき方がそれをご覧になって、歌を扇に書き付けて女童に持ってこさせたのですけれど。その筆遣いも奥ゆかしく、上品で美しくて、ますます『どうしてこんなに素晴らしい方々が出家など』とますます残念に思われて…」
そんなことを話している間に、遣いの者が帝のお渡りを告げてきた。「まぁ、皆さん。あちこち片付けて、…」などとにわかに局は慌ただしくなり、その騒ぎに紛れて話の続きは有耶無耶のまま少将の君も台盤所へ引き上げてしまったのだそうな。
※一尺…30センチほど
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春らしい気だるい退屈な昼下がり。台盤所の中宮付の女房たちも気のない碁を打ったり、船を漕いだりとそれぞれ退屈を持て余していた。するとある女房がふと顔を上げた。
「あら…?宰相の中将殿がお見えになったようですよ。ほら、中将殿の香の匂いが、」
あら、ほんとう。そんなことを噂しあっているうちに、宰相の中将殿が中宮様の局へ訪ねて来られた。
「昨夜から父上の屋敷に泊まっていたのですが、そのまま中宮様へ御使いを仰せつかりまして。東の対の紅梅の下に埋めていた薫物がそろそろよい頃合いだから、是非とも中宮様の退屈しのぎにと…こちらを。」
御前に畏まって座った中将殿は、細工物の梅の枝に銀の壺を二つ着けたものを差し出した。
「まぁ、嬉しい。せっかくの心遣いですから、さっそく聞いてみましょう。中納言の君、」
はい、と女房も心得たもの。御帳の内に入り、幾つも香を燻らせて中宮様から中将の君、若い女房たちまで手渡していく。香炉に袖を添えた人々は皆うっとりとため息を漏らした。
「…いい香りだこと。」
「…本当に。」
局の人々の退屈も幾らか和らいだらしい。女房たちの声も華やかに、しのびやかなお喋りが始まった。御帳から紅梅襲の御衣の裾と、それに重なるように美しい御髪の先が覗いている。中宮様は御帳の傍にお座りになって女房たちの言葉に静かに耳を傾けていた。しばらくその座でお喋りを聞いていた中将殿が、
「こうして香を聞いておりますと、しみじみ素晴らしいと感じ入った、ある人から聞いた話を思い出します。」
と言う。年長の女房である宰相の君が、
「どんなお話しかしら。中宮様も退屈なさっておいでですからお話しになって。」
と促すと「では、お話しましょうか。」と話し始めた。
「ある姫君のところに忍んで通うお方がいたそうです。姫君との間に可愛いらしい子どもも生まれて、とても愛しく思っておられたそうですが…一方で疎かに出来ない妻君があったようで、姫君への訪いも絶えがちになっていたようです。それでもその子は父上が訪ねて来ると『父上、父上』と傍を離れず、時々本宅へ連れて行っても『イヤ』とも言わずに着いてくるほど父上を慕っていたようです。
そんなある時、暫くぶりに姫君のところへ立ち寄りますと、その子がしょんぼりとえらく寂しそうにしていました。今日は珍しくしょげているな…と思われたのでしょう、抱き締めて頭を撫でて慰めてやりました。しかし用事のついでに立ち寄った程度ですから長居は出来ません。席を立とうとすると子どもでもわかるのでしょうね。引き留めるように『父上、父上』と纏わりつくのが哀れに思えて、『それじゃあ、一緒に行こうか』と抱き上げて連れて出ようとしたのだそうです。母である姫君は随分心苦しいご様子でしたが、何も言わずに見送ったのだそうです。しかし二人の姿が見えなくなるとすぐ前に置いた香炉に手を引き寄せて、
『あの子までふらふらと出ていってしまったら…今度はたった独りで、不安と孤独にこの身を焦がして二人の待ち続けるのだわ…』
我が身を薫物を燻らす香炉に準えて声を落として呟いたのだそうです。これをたまたま屏風の影にいた夫君がお聞きになって、姫の孤独と辛さに胸を打たれた夫君は子どもも姫君に返し、その日はそのまま姫君の屋敷にお泊まりになったのだそうですよ。」
中将殿はそう言ってチラリと中納言の君を見た。
「『夫君はどれほど愛おしいと思ったことでしょう。並々ならぬ想いですね。』と私は感心したのですが、この話を教えてくださった方は、どなたの話とも言わずにただニヤニヤ笑うばかりで、それ以上は教えてくださいませんでしたが。…さて次はあなたがどうぞ、中納言の君。」
中将の君が話しを振ると中納言の君は恥ずかしげに唇を尖らせ、
「…余計なことまで中宮様にお聞かせしなくてよろしいのに。ええと…そうですね、では最近あったことをお話しましょうか。」
仕切り直すように話し始めた。
「昨年の秋頃に清水に参籠したときのことです。御堂にはもうひとり参籠の方がいらっしゃいました。それはもう匂いたつような高貴なお方のようでしたが、屏風をぽつんと立てただけの局に供の者もいらっしゃらない様子で…読経の合間に時々すすり泣くような声まで漏れ聞こえて来るのです。何かワケがおありなのでしょうけれど、『いったいどなたかしら』と思いつつも私も参籠を続けておりました。
さて、明日ここを立つという日の夕暮れは、それはもうびゅうびゅうと音がするほど風が強くて。風に吹きつけられた木の葉がほろほろと滝のように散り、真っ赤に色付いた紅葉が局の前に隙間もないほど散り落ちていました。寒々しい嵐の夕暮れに、吹き寄せられた紅葉がそれは鮮やかで…私も仕切りの屏風のすぐ傍で外を眺めていたのですけれど。すると隣の局からとてもとても小さな声で、
『…なんて惨めなの…どんなに冷たくされても、どれほど辛くても、まだあの方を想い続けているなんて。…まるでこの紅葉のよう。』
…なんて聞こえてきましてねぇ…『私も木の葉のようにいっそ…』なんて続きを聞くまでもなく、本当に、なんて物寂しい思いでいらっしゃるのかと思ったのですけれど。偶然聞こえてしまっただけですから、さすがにホイホイお返事をするのは気が引けて、結局聞こえなかったフリをしてやり過ごしてしまいました。」
苦笑いする中納言の君へ、
「あら、貴方らしくもない。もしそれが本当なら、なんとまぁ…つまらない遠慮をなさったものですね。では、少将の君。あなたはいかが?」
呆れたように言いながら少将の君へ声をかけると、
「…こういうの、あんまり得意じゃないんですけれど…」
そう前置きしながら話し始めた。
「私の伯母が東山のあたりに庵を構えておりまして、しばらく伯母を慕って庵に逗留していたときのことです。庵主の尼君のところへ、高貴な方々が幾人もお見えになったことがありました。それも『身分を偽って、人目を忍んで』といった様子で、障子を隔てた隣の間から漂ってくる薫りはとても高貴な、ただ人とは思えないものでした。私は『いったいどんな方かしら』と好奇心が抑えられず…はしたないことですが…薄くて頼りない明かり障子に穴を拵えてそっと覗いてみたのです。隣の間には法師と若い女性が幾人かいらっしゃるようでした。簾の前に几帳を置いて、簾の内には姫君と思しき方が顔を伏せていました。その方は几帳の内へ法師を呼び寄せて、簾越しに何やら話しをしているようです。何を話しているのかまでハッキリわかりませんでしたが、どうやら尼になりたいと言っているようでした。法師は躊躇う様子でしたが、それでもなお切々と姫君が懇願するものですから『そうまで仰るのでしたら』…と。
暫くして几帳の隙間から、櫛の箱の蓋に一尺あまりの髪の束を入れて押し出されて来ました。それは艶々としなやかな、切りそろえられたとても美しい髪で…。几帳の傍らには髪を下ろした姫君よりもいくらか若い、十四、五歳ほどの姫君が座り、薄紫色の繊細な単衣に掻練を重ねて、長い髪を揺らしながら顔に袖を押し当ててさめざめ泣いておられました。きっと妹君なのでしょう。またその後ろには薄紫色の裳をつけた侍女たちが二、三人ほど座っておりましたが、侍女たちも皆ぼろぼろ涙を零してしゃくり上げていました。恐らくご両親を亡くされたのでしょうけれど、この場に乳母さえ見えないなんて…とお可哀想に思われて。扇の隅に小さい字で、
『先の見えない憂き世に背を向けて、髪を下ろされた貴方様をどなたとも存じませんけれど…侘びしさに私の袖さえじんわりと濡れておりますのよ。』
…と、そんなふうに書いて女童に隣の間へ届けさせました。すると妹君と思しき方がそれをご覧になって、歌を扇に書き付けて女童に持ってこさせたのですけれど。その筆遣いも奥ゆかしく、上品で美しくて、ますます『どうしてこんなに素晴らしい方々が出家など』とますます残念に思われて…」
そんなことを話している間に、遣いの者が帝のお渡りを告げてきた。「まぁ、皆さん。あちこち片付けて、…」などとにわかに局は慌ただしくなり、その騒ぎに紛れて話の続きは有耶無耶のまま少将の君も台盤所へ引き上げてしまったのだそうな。
※一尺…30センチほど
