【古今著聞集】宗順阿闍梨、醍醐の桜会にて舞童の美童に歌を贈る事。
公開 2023/11/30 06:08
最終更新
2024/05/24 17:39
※まいたけがいい加減に訳して脳内補完をいれたものです。
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ある年の醍醐寺の桜会にて、とても美しい稚児舞が供されたことがある。今は源運と名乗る僧の、まだ少将の公という稚児であった頃のことである。
少将の公は見目麗しく、舞の技量も隣で舞う稚児が霞んで見えるほどであった。その美しい舞姿を目にした宇治の宗順阿闍梨は、すっかり心を奪われてしまったらしい。愛おしさを抑えきれず明くる日、少将の公のもとへ
『昨日みしすがたの池に袖ぬれてしぼりかねぬといかでしらせん』
(昨日拝見したあなたの姿に、すっかり心を奪われしまいました。思い詫びて泣き濡れる私の心を、どうか汲んでくださらぬか。)
と歌を書き贈った。すると少将の公からも、
『あまた見しすがたの池の影なればたれゆゑしぼる袂なるらん』
(昨日は朋輩も大勢おりましたけれど、どの子がそれほどお坊様の心を苦しくさせるのでしょうね?)
と歌が返ってきた。この返しもまた季節を読み込んだ風雅な歌で。中院の僧正も桜会にて稚児の舞をご覧になっていたのだが、この二人のやり取りをお聞きになると「なんと風雅な…」と感心して、同じく入道の右府にお会いした際に例のやり取りを話して聞かせた。
「…と、そのようなことがありましてな。何とも風雅なやり取りではありませんか。」
と僧正が言うと、しかし入道殿はどこか腑に落ちない顔で「あなた…その歌をはっきりと覚えていらっしゃらないでしょう。」と言う。これには僧正も「そのくらいのこと、覚えておりますとも。」と唇を尖らせて、
「えぇと、少将の公の元へ宗順阿闍梨が遣わした歌には『きのふ見しにこそ袖はぬれしか(昨日お会いしましたが雨に降られませんでしたか)』と詠み、少将の公は『荒涼にこそぬれけれ(滴るほど濡れました。)』と返しておりましたよ。」
と全くトンチキなことを言うものだから、入道殿は思わず吹き出しそうになったのだった。
これほど徳を積んだ生ける仏のような人が、よりにもよって僧侶と稚児の恋の鞘当てを切々と語るというシチュエーションは、笑いを堪えるのも一苦労だっただろう。仏道を極めた人でも、和歌の道まで同じというわけにはいかない。それゆえに和歌の道もとても尊いものであり、昔の遍昭、いまの覚忠・慈円のような人は滅多にいないものである。
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ある年の醍醐寺の桜会にて、とても美しい稚児舞が供されたことがある。今は源運と名乗る僧の、まだ少将の公という稚児であった頃のことである。
少将の公は見目麗しく、舞の技量も隣で舞う稚児が霞んで見えるほどであった。その美しい舞姿を目にした宇治の宗順阿闍梨は、すっかり心を奪われてしまったらしい。愛おしさを抑えきれず明くる日、少将の公のもとへ
『昨日みしすがたの池に袖ぬれてしぼりかねぬといかでしらせん』
(昨日拝見したあなたの姿に、すっかり心を奪われしまいました。思い詫びて泣き濡れる私の心を、どうか汲んでくださらぬか。)
と歌を書き贈った。すると少将の公からも、
『あまた見しすがたの池の影なればたれゆゑしぼる袂なるらん』
(昨日は朋輩も大勢おりましたけれど、どの子がそれほどお坊様の心を苦しくさせるのでしょうね?)
と歌が返ってきた。この返しもまた季節を読み込んだ風雅な歌で。中院の僧正も桜会にて稚児の舞をご覧になっていたのだが、この二人のやり取りをお聞きになると「なんと風雅な…」と感心して、同じく入道の右府にお会いした際に例のやり取りを話して聞かせた。
「…と、そのようなことがありましてな。何とも風雅なやり取りではありませんか。」
と僧正が言うと、しかし入道殿はどこか腑に落ちない顔で「あなた…その歌をはっきりと覚えていらっしゃらないでしょう。」と言う。これには僧正も「そのくらいのこと、覚えておりますとも。」と唇を尖らせて、
「えぇと、少将の公の元へ宗順阿闍梨が遣わした歌には『きのふ見しにこそ袖はぬれしか(昨日お会いしましたが雨に降られませんでしたか)』と詠み、少将の公は『荒涼にこそぬれけれ(滴るほど濡れました。)』と返しておりましたよ。」
と全くトンチキなことを言うものだから、入道殿は思わず吹き出しそうになったのだった。
これほど徳を積んだ生ける仏のような人が、よりにもよって僧侶と稚児の恋の鞘当てを切々と語るというシチュエーションは、笑いを堪えるのも一苦労だっただろう。仏道を極めた人でも、和歌の道まで同じというわけにはいかない。それゆえに和歌の道もとても尊いものであり、昔の遍昭、いまの覚忠・慈円のような人は滅多にいないものである。
