【古今著聞集】巨勢弘高、地獄変の屏風並びに千体不動尊を書く事。
公開 2023/11/19 00:55
最終更新
2024/05/24 17:59
※まいたけがいい加減に訳して脳内補完をいれたものです。
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巨勢弘高という男が、地獄変…地獄の有様を屏風に描いた。その中でも楼の上から鉾を刺し下ろして罪人を貫く鬼の姿は、今にも動き出しそうに生き生きとしていて。描きあげた弘高は満足げに頷いて「恐らく私の命運は尽きた。」と言い、果たしてそれからしばらく本当に弘高は亡くなった。
弘高という男は本当に優れた絵師であった。その技量は六条の宮…村上天皇の皇子・具平親王が御堂…藤原道長に「襖障子の絵を描く仕事を弘高に任せてはいけませんよ。地獄変の絵をご覧になったでしょう。馬の絵のこともありますからね…あれに絵の仕事を頼むなど軽率なことです。」と戒めるほどで、それを聞いた弘高は鼻高々であったという。
この巨勢弘高という人は、仁和寺の馬の絵を描いた金岡の曾孫、公茂の孫、深江の子である。公茂の兄・公忠より以前の絵師たちが描いた絵は本当に生き生きとした生き物の絵を描いていたが、公茂以降は今のように仏道に関する絵を描くようになったということである。弘高は少年の頃に出家したが、後に還俗して絵師として活躍した。仏道を捨てた罪を恐れ、自ら千体の不動明王を描いて供養したということである。
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巨勢弘高という男が、地獄変…地獄の有様を屏風に描いた。その中でも楼の上から鉾を刺し下ろして罪人を貫く鬼の姿は、今にも動き出しそうに生き生きとしていて。描きあげた弘高は満足げに頷いて「恐らく私の命運は尽きた。」と言い、果たしてそれからしばらく本当に弘高は亡くなった。
弘高という男は本当に優れた絵師であった。その技量は六条の宮…村上天皇の皇子・具平親王が御堂…藤原道長に「襖障子の絵を描く仕事を弘高に任せてはいけませんよ。地獄変の絵をご覧になったでしょう。馬の絵のこともありますからね…あれに絵の仕事を頼むなど軽率なことです。」と戒めるほどで、それを聞いた弘高は鼻高々であったという。
この巨勢弘高という人は、仁和寺の馬の絵を描いた金岡の曾孫、公茂の孫、深江の子である。公茂の兄・公忠より以前の絵師たちが描いた絵は本当に生き生きとした生き物の絵を描いていたが、公茂以降は今のように仏道に関する絵を描くようになったということである。弘高は少年の頃に出家したが、後に還俗して絵師として活躍した。仏道を捨てた罪を恐れ、自ら千体の不動明王を描いて供養したということである。
