安祥寺
公開 2023/08/28 20:45
最終更新
2023/08/31 21:28
安祥寺
むかしむかし、あるところに黄泉路の餞に歌を読んだ男がいたそうな。
のちに田邑の帝と呼ばれる文徳天皇と仰る方がいらした。その文徳天皇の女御に多可幾子様と仰る方がいらっしゃったが、ある年、多可幾子様が薨去され東山の安祥寺で法要が執り行われた。参列した人々が捧げた捧物は千個ほどと大量で、それらを木の枝に着けて御堂の前に供えるとまるで山をひとつ御堂の前に持ってきたかのようであった。それを見た右大将の藤原常行殿…多可幾子様のごきょうだいにあたる方である…は僧侶の説法が終わると、歌を嗜む参列者を召し集めて
「今日の法要を題にして、春の心を織り込んだ歌を女御への餞の歌として詠んでください。」
とこうお命じになった。すると右馬頭である年嵩の男は右大将殿を見もせず、
「山までここへまかり越したのは、春のようにお優しかった多可幾子様を…逝く春を惜しんで御弔いをするためでしょう。」
と詠んだ。今見ると大して趣き深くもないが、当の右馬頭の男は「私の歌、すっごく味わい深いなぁ…」としみじみ感じ入ったようであった。
むかしむかし、あるところに黄泉路の餞に歌を読んだ男がいたそうな。
のちに田邑の帝と呼ばれる文徳天皇と仰る方がいらした。その文徳天皇の女御に多可幾子様と仰る方がいらっしゃったが、ある年、多可幾子様が薨去され東山の安祥寺で法要が執り行われた。参列した人々が捧げた捧物は千個ほどと大量で、それらを木の枝に着けて御堂の前に供えるとまるで山をひとつ御堂の前に持ってきたかのようであった。それを見た右大将の藤原常行殿…多可幾子様のごきょうだいにあたる方である…は僧侶の説法が終わると、歌を嗜む参列者を召し集めて
「今日の法要を題にして、春の心を織り込んだ歌を女御への餞の歌として詠んでください。」
とこうお命じになった。すると右馬頭である年嵩の男は右大将殿を見もせず、
「山までここへまかり越したのは、春のようにお優しかった多可幾子様を…逝く春を惜しんで御弔いをするためでしょう。」
と詠んだ。今見ると大して趣き深くもないが、当の右馬頭の男は「私の歌、すっごく味わい深いなぁ…」としみじみ感じ入ったようであった。
