みるをあふてに
公開 2023/08/28 20:32
最終更新
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みるをあふてに
むかしむかし、あるところに「遠くで一緒になりましょう」と呼びかける男がいたそうな。
「…都は引く手も多い。何もかも捨てて、伊勢国へ行きましょう。ふたりきりで暮らしたらいい。」
男からの文を閉じた女は、肩を竦めて筆を取った。
「大淀の浜の波に生える海松のように、あなたのお顔を見るだけで私の心は満たされるのですよ…共寝せずとも、ね。」
女からの返事は以前にも増して連れない。受け取った男はがっくりと肩を落とした。
「袖を濡らして海松を刈る海人じゃあるまいし、採って干すだけでおしまい…なんて素っ気なさで済まそうと仰るのですか。ただ顔を合わせて、それでおしまいなんて…そんなもの逢瀬とは言えません!私を疎んでおいでなのですか!?」
男も返歌で食い下がる。男からの文を読んだ女はまた、あらあら…とため息をついて筆を取った。
「手が届きそうで届かない女ほど燃えるでしょう?押したり引いたり…駆け引きも恋のスパイスと思えば、こうしてやり取りする甲斐もあるというものですわ」
女はのらりくらり、男の熱意を交わしてしまう。臍を焼くような悲しみと恨めしさを感じて、男はぐっと背中を丸めた。
「……。」
徐々に翳ってきていた空から、ぽつぽつ雨が落ち始め、たちまち音を立てて降り出した。表で下人たちの嘆く声が騒々しい。男はしばらく顔を伏せていたが、やがて赤い目を拭い筆を取った。
「貴方に恋する者たちが流した涙が海となり…哀れな海人が泣き濡れてしぼる袖の雫もそのひとしずくなのでしょうか…。」
どんなに想っても、女にとってこの男は数いる男たちのひとりに過ぎないらしい。彼らの涙をもまた、あの女にとっては「恋のスパイス」なのだろうか。なんともまあ『難攻不落』の女である。
むかしむかし、あるところに「遠くで一緒になりましょう」と呼びかける男がいたそうな。
「…都は引く手も多い。何もかも捨てて、伊勢国へ行きましょう。ふたりきりで暮らしたらいい。」
男からの文を閉じた女は、肩を竦めて筆を取った。
「大淀の浜の波に生える海松のように、あなたのお顔を見るだけで私の心は満たされるのですよ…共寝せずとも、ね。」
女からの返事は以前にも増して連れない。受け取った男はがっくりと肩を落とした。
「袖を濡らして海松を刈る海人じゃあるまいし、採って干すだけでおしまい…なんて素っ気なさで済まそうと仰るのですか。ただ顔を合わせて、それでおしまいなんて…そんなもの逢瀬とは言えません!私を疎んでおいでなのですか!?」
男も返歌で食い下がる。男からの文を読んだ女はまた、あらあら…とため息をついて筆を取った。
「手が届きそうで届かない女ほど燃えるでしょう?押したり引いたり…駆け引きも恋のスパイスと思えば、こうしてやり取りする甲斐もあるというものですわ」
女はのらりくらり、男の熱意を交わしてしまう。臍を焼くような悲しみと恨めしさを感じて、男はぐっと背中を丸めた。
「……。」
徐々に翳ってきていた空から、ぽつぽつ雨が落ち始め、たちまち音を立てて降り出した。表で下人たちの嘆く声が騒々しい。男はしばらく顔を伏せていたが、やがて赤い目を拭い筆を取った。
「貴方に恋する者たちが流した涙が海となり…哀れな海人が泣き濡れてしぼる袖の雫もそのひとしずくなのでしょうか…。」
どんなに想っても、女にとってこの男は数いる男たちのひとりに過ぎないらしい。彼らの涙をもまた、あの女にとっては「恋のスパイス」なのだろうか。なんともまあ『難攻不落』の女である。
