狩の使
公開 2023/08/28 17:56
最終更新 2023/08/28 18:01
狩の使

むかしむかし、勅命を受けて伊勢の国へ狩りに派遣された男がいたそうな。
勅使の饗応は神宮が行っていたが、伊勢の斎宮は母君から「此度の勅使の方は、いつもの勅使よりも懇ろに労わって差しあげて」と手紙を貰っていたので、お母様がそのように仰るなら…とあれこれ心を配って世話をした。朝には斎宮自ら狩りの支度を手伝ってやり、夕暮れには斎宮の屋敷に呼んで酒食を提供し…まるで妻のように心を尽くして世話をしたのだそうな。
さて二晩目の夜のこと。
「狩りの進捗はいかがです?」
「……えぇ、まぁ…」
斎宮直々のもてなしも、男はどこか上の空のようであった。狩りは順調と聞いていたが、何か差し障りがあったのだろうか。どこかそわそわと落ち着かない様子の男を訝りつつ、あれこれ世話をしていたのだが。宴の最中、男はさっと周囲の者に目を走らせると小さな声で「是非とも二人だけでお会いしたい…」と女に告げた。女は俗世と切り離された斎宮である。お母様の言いつけでもあるし、勅使様がお望みなら…と、よく分からぬまま頷いた。
そうは言っても、方や公の使節、方や神に仕える斎宮である。人目も多く、なかなか二人きりで会う機会がないまま数日過ぎた。
「……。」
男は勅使一行の長であったから、斎宮の屋敷からさほど遠くないところに寝所がある。薄暗い月の夜。女は下女たちを下がらせて、皆が寝静まった真夜中、そっと腰を上げた。

「………ん?……あれは…、」
どうにか斎宮と逢い引きする手立ては無いものか。狩りの昂りを持て余し、寝付けずに外を眺めてごろ寝していた男であったが。夜霧にけぶるおぼろ月の下に人影を見とめて体を起こした。
「……。」
「…斎宮殿…!」
小さな女童をひとり先立てて、薄暗い庭にひっそり立つその人は、まさに逢いたい会いたいと思いを巡らせていた斎宮その人である。
「勅使様…」
「人に見られてはまずい。さ、中へ…。」
神に仕える斎宮が、得がたい女が自分から腕の中に飛び込んできた…!男は大変喜んで、戸惑う女を寝所に引き入れた。
「…まさか貴方から会いに来てくださるなんて…嬉しいな。さぁ、こちらに…」
「…はい。」
「どうかされましたか?」
「……いえ、……。」
寝所に上がった女であったが、何故かきょとんと立ち尽くしている。
「…?…斎宮殿、どうぞこちらへ」
「……はい…」
ようやく腰を落ち着けたが、女は目を伏せたまま何も言わない。水を向けても「…はい」とか「…えぇ」とか煮え切らない返事ばかり。さりげなく体を寄せれば、女は目を泳がせてすっと身を退くのである。結局夜半から一刻ほど男の寝所で過ごしたが終始その繰り返しで、情を交わすどころか、ろくに話しもせずに女は屋敷に帰ってしまった。
「……わざわざ自分から尋ねて来たって言うのに…あーもう…何しに来たんだよ…。」
期待に膨らんだ心身が音を立てて萎んでいく。朝夕の心尽くしの持て成しは私への好意ではなかったのか?贈ってきたあの歌はなんだったんだ?いくら斎宮だからって、男が会いましょうって言ったらそういう意味だろ…散々期待させといてなんなんだよ…!
「……。」
袖にされたことはあっても、こんな意味がわからない事態は初めてである。男はあまりの惨めさに、その夜は寝付けずじまいであった。

翌朝。いったい昨夜のあれは何だったのか、気にはなるがこちらから人をやって尋ねることも出来ない。ソワソワと気を揉みつつ女が支度を手伝いに来るのを待っていると、いつもよりしばらく遅れて女の下女が文を携えてやってきた。
「斎宮殿はいががした。」
「ご気分が優れないご様子で…代わりにこちらをと預かってまいりました。」
文には挨拶も詫びの言葉もなく、ただ
「あなたが私のもとへ来られたのか、私があなたを訪ねたのか…本当にあなたとお会いしたのでしょうか。ぼんやりとしてしまって…夢を見ていたようですわ。」
とだけ書かれていた。
「……!」
(『記憶にございません』…だと!?なんて勝手なんだ、冗談じゃない!)
男の頬にぼろぼろと、想いを弄ばれた悔しさが伝う。乱暴に袖で拭い取り、
「…あなたの心に巣食う闇があなたの目を曇らせ、惑わせたのでしょう。昨夜の何もかもが夢だったのか、それとも現実だったのか…今夜見定めて頂きたい。」
『無かったことになど出来ません。あなたの真意を確かめたい。今夜、会いに行きます。』
と詠んで下女に持たせ、狩りに出かけた。しかし野に出ても心は上の空である。
(斎宮殿のあの態度はなんだったんだ…今朝だって顔も出さずに「やっぱりノーカンで」って……袖にされた上、もう顔も見たくないと…!?)
「……。」
「中将様、鷹を追いませんと…」
「…あ?…あ、はい、行きましょう」
部下の勅使が訝しげに声をかけ、ようやく男は我に返った。中将様はお疲れのようだ…と小者のひそひそ声が聞こえる。男は雑念を払うように頭を振るい、今夜こそさっさと皆を下がらせて女に会いに行こう…と心に決めたのだが。
狩りから帰ると、伊勢の国司が来ていると報らされた。国司は伊勢の斎宮寮の長官も兼務している男で、狩りの勅使が来ていると聞き挨拶と接待にやってきたらしい。早く女のところへ行きたい男であったが、国司を無碍にも出来ない。仕方なく宴の席に着いたが、じりじりと焦りは募るばかりであった。何せ明日は伊勢を発って尾張に向かわねばならない。今夜会えなければそれきりになってしまう…それなのに。よりによってその晩は、夜通しの酒宴になってしまった。
(…あぁ、くそ…!)
夜半も随分過ぎた頃、ようやく宴はお開きになったがこんな有様では会いにも行けない。酔いと寝不足と不満と後悔と…宿所でひとり、人知れず血の涙を流して転がっていた男であったが。夜が白んできたころ、女の使いのものが瓶子と盃を載せた膳を運んできた。
「……いらない。下げろ。」
「お水でございます。斎宮様のお心遣いでございますから、さぁ…」
「……。」
浮腫んだ顔でのっそり起き上がった男が盃を取ると、盃の台皿に何ごとかか書かれている。台皿を手に取って見ると、
「私たちの縁は、裾を濡らさず渡れるほどの浅い瀬のようなものだったのでしょうか…もし、また誰にも知られずに会える機会があったなら、」
と上の句だけ書かれ、先はない。「その時は、あなたはどうなさいますか」と投げかけている。
「……。」
男はくいっと盃の水を読み干して脇に置くと、松明の炭を取って
「もう一度、逢坂の関を越えて行きましょう。」
数ある困難を越えて、もう一度あなたに会いに行きます。と台皿に歌の続きを書き付け膳を返した。その想いを胸に男は尾張へと発っていったのだそうな。
斎宮は清和天皇の御世に伊勢神宮に仕えた文徳天皇の御娘。惟高親王の妹君にあたる方である。
古典と怪談が好きな茸です。タイッツーに生息。
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