オルエットの方へ
公開 2025/07/18 00:30
最終更新
2025/07/18 17:03
行けるのは今日しかないのでピャッと「オルエットの方へ」行ってきた。
現ユーロスペースさんでの初鑑賞だ。記念すべきオルエット。

正直20代の頃みた「アデュー・フィリピーヌ」が、女子は終始笑い続け、男子は全員ドM、という印象で(ヌーヴェルバーグのフィルムはほとんど崇め奉るように観ていたにもかかわらず)、90分がキツかった記憶がある。「オルエットの方へ」は150分余り、はたして自分が置いていかれる笑いと共感できないドMの描写に耐えられるだろうか…と不安に感じていたが、杞憂であった。あっという間のとても楽しいヴァカンスだった。
フランスのオフィスは順番にひと月近い夏休みを取る。三人が過ごすのは北部。9/1から毎日、日付が記されるスタイルはロメールの映画でもなじみがある。これがかわいい。
ヴァカンスの始まりから三人娘は笑い転げている。近道だといって登る砂丘が急坂すぎて笑い、木靴が見つかったと言って笑い、履いて笑い、おまるが見つかったと言って笑う。
笑い死ぬんかと思うくらい笑っている。
掃除をすれば大盥の水をひっくり返す。ドリフのコントで育ったぼくのような人間は爆笑するしかない。
オルエット、とは別荘から近い地名で、三人はオルエットという語感が気に入り、ウケる、とばかりに発声しては笑い転げる。
三人が過ごす別荘は浜辺に面し、露台に出たら海が目の前だ。
波は若干高く(何しろ9月だ)、ひとの気配はほぼない。
三人がいま生きているのは時計で測れる時間の中ではないのだ。無秩序、無目的、無慈悲、混沌とした永遠性の中にいる。
以前「神話にみる女性のイニシエーション」という本を読んで、正直書かれていたのは何だったのか今もよくわからないのだが、今日この映画をみて、女性性の本質には(当人以外からすれば)矛盾と呼ぶしかない混沌があるんだな、混沌とは時に暴力的な創造性そのものだな、などと繋がりを感じた。
波が大荒れの嵐の夜、甘いものが食べたいと言って下のカフェで買ったエクレアやシュークリームやパイを三人がベッドの上で「喰らう」場面はゾクゾクした。宮代大嗣さんが「ひなぎく」との近似性を書いていらしたけどその通りだと思う。
だから偶然を装って近づく会社の上司は、戦略を持っていたことで彼女たちの生きている時間とは真逆の、男性中心社会の価値観を干渉させる。思い通りにしたい、計画性、コントロールしたい、秩序。
無秩序、無意味、無慈悲の女性の時間の混沌に足を踏み入れた男性は生贄よろしく辱められたりもするが(ドMキタ、というかこの辺りがまさにひなぎく)、上司以外の男性的な男性の登場でさらに干渉は進んで、女性の時間だったものが崩れ出す。
いつの間にか笑いは聞こえなくなり、その事を寂しいと思う。
それがヴァカンスの終わりということなんだろうな、と終盤すっかり高くなった初秋の波の音を聞きながら思った。
現ユーロスペースさんでの初鑑賞だ。記念すべきオルエット。

正直20代の頃みた「アデュー・フィリピーヌ」が、女子は終始笑い続け、男子は全員ドM、という印象で(ヌーヴェルバーグのフィルムはほとんど崇め奉るように観ていたにもかかわらず)、90分がキツかった記憶がある。「オルエットの方へ」は150分余り、はたして自分が置いていかれる笑いと共感できないドMの描写に耐えられるだろうか…と不安に感じていたが、杞憂であった。あっという間のとても楽しいヴァカンスだった。
フランスのオフィスは順番にひと月近い夏休みを取る。三人が過ごすのは北部。9/1から毎日、日付が記されるスタイルはロメールの映画でもなじみがある。これがかわいい。
ヴァカンスの始まりから三人娘は笑い転げている。近道だといって登る砂丘が急坂すぎて笑い、木靴が見つかったと言って笑い、履いて笑い、おまるが見つかったと言って笑う。
笑い死ぬんかと思うくらい笑っている。
掃除をすれば大盥の水をひっくり返す。ドリフのコントで育ったぼくのような人間は爆笑するしかない。
オルエット、とは別荘から近い地名で、三人はオルエットという語感が気に入り、ウケる、とばかりに発声しては笑い転げる。
三人が過ごす別荘は浜辺に面し、露台に出たら海が目の前だ。
波は若干高く(何しろ9月だ)、ひとの気配はほぼない。
三人がいま生きているのは時計で測れる時間の中ではないのだ。無秩序、無目的、無慈悲、混沌とした永遠性の中にいる。
以前「神話にみる女性のイニシエーション」という本を読んで、正直書かれていたのは何だったのか今もよくわからないのだが、今日この映画をみて、女性性の本質には(当人以外からすれば)矛盾と呼ぶしかない混沌があるんだな、混沌とは時に暴力的な創造性そのものだな、などと繋がりを感じた。
波が大荒れの嵐の夜、甘いものが食べたいと言って下のカフェで買ったエクレアやシュークリームやパイを三人がベッドの上で「喰らう」場面はゾクゾクした。宮代大嗣さんが「ひなぎく」との近似性を書いていらしたけどその通りだと思う。
だから偶然を装って近づく会社の上司は、戦略を持っていたことで彼女たちの生きている時間とは真逆の、男性中心社会の価値観を干渉させる。思い通りにしたい、計画性、コントロールしたい、秩序。
無秩序、無意味、無慈悲の女性の時間の混沌に足を踏み入れた男性は生贄よろしく辱められたりもするが(ドMキタ、というかこの辺りがまさにひなぎく)、上司以外の男性的な男性の登場でさらに干渉は進んで、女性の時間だったものが崩れ出す。
いつの間にか笑いは聞こえなくなり、その事を寂しいと思う。
それがヴァカンスの終わりということなんだろうな、と終盤すっかり高くなった初秋の波の音を聞きながら思った。
