介護と極論
公開 2026/01/12 20:38
最終更新
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おじいちゃんおばあちゃんから普通に愛されて育ってきたと思う。
小さい頃は育児の手助けのために何度もうちに足を運んでくれたそうだし、遊びに行ったり来たりするたびにお土産をたくさん用意してくれ、色々なところへ遊びに連れて行ってくれた。
うちは父が子どもの遊びに付き合うのが嫌いな人だったので、家族で遊園地や水族館や動物園に行くときはいつも父の代わりに祖母が参加していた。
なので遊びに行った記憶というのは祖母との思い出が一番多いと思う。
それ以外の祖父母にも、人生の色々な面でとてもお世話になってきた。
そんな祖父母たちにも、ここ数年入れ替わり立ち替わり介護の波が来ている。
そして少子化の時代であるので介護をするには親世代だけでは人手が足りず、孫世代まで参戦している。
仕事ではなく私生活で高齢者介護に参加している同世代は珍しいっぽいのだが、どこの家庭でも起こり得るイベントなのに、なぜ多くの人たちが関わらずにいられるのかちょっと不思議に思っている。
それはさておき、自分には「介護が大変」という気持ちと「祖父母が好き」という気持ちと両方あり、しかしまた前者の気持ちが強くなったからといって後者の気持ちが掻き消えるということでもない。
が、それを前提としてもまあやっぱり大変なものは大変なのである。
流石に寝たきりの相手を一日中付きっきりで見ておむつ替えに食事介助に……みたいなザ・介護!って感じのことはやったことがなく、しかし、実際の介護の形ってそれだけではないのだ。
一緒に住んでいたりするとどうしても気にしないといけないことが色々出てくる。
一個一個書くとどれも本当に些末なことばかりで、具体的に話せば話すほど「それって大変なの?」と怪訝な反応をされてしまう。
そうかといってちょっとパンチのあるエピソードなどをぽろっとこぼしてしまえば、「そんなことをさせられているのはおかしいから家を出ろ」というアドバイスが飛んできて、それまた「いやそうじゃないんだけどな……」みたいなモヤモヤした気持ちになる。
そんな感じなので最近は同年代の友人に祖父母の話はあまりしなくなった。
うーんなんかこう、もやもやする理由として、例えばこれが育児の愚痴だったとして、どんなに子どもがかわいくても絶対に愚痴って出てくると思う。
でもそれに対して「じゃあ子ども施設に預ければ?」みたいなことをいきなり言う人ってあんまりいないと思う。
確かに子どもと親・祖父母では自分の立場における責任のあり方が違うし、「育てる」と「面倒を見る」の違いもあるんだけど、高齢者の相手をすることに時間を割いているという事実に忌避感を感じる人がそれなりにいるのだろうなということが分かってきた。
何ていうんでしょう、子どもって万人から見て愛しいということが当たり前とされている存在だから、それを保護育成することに多くの人が手放しに賛同できる、のに対して、高齢者への好感度はその高齢者のそれまでの人となりなどが判断材料になってしまうため、そもそも身近な高齢者に対してあまりよく思っていないと、高齢者の面倒を見ることそれ自体にも悪感情を抱きがちなのでは、みたいな。
あとは過度に自立心の強い祖父母がいてそれを当たり前だと思っているみたいなケースもありますが。
でも、祖父母のことを話して「家出ろ」的なアドバイスをしてきた人は自分の祖父母が好きじゃない人たちだった。
自分が祖父母のことが好きじゃなかったからって、他の人もその条件に当てはめて評価するのやめてほしいな〜と思う。
そりゃあんまり手に負えなくなったらそれ相応の手段は取るけど、でもそういうのは家族や福祉の方と考えて決めるものだし。
祖父母を見たこともない人に「それは〇〇っていう症状だから✕✕しないと〜」みたいなことを言われたくないんだな。
自分は祖父母が好きなので、手助けできることは協力したい。
大変なこともあるけど。
っていう気持ちも存在するんですよね~。
別にみんながみんな、要介護の高齢者に対して「はよ死ね!」なんて思ってるわけじゃないのに。
ただこれは、愚痴をあまりにもオープンに言い過ぎ、またいい情報でカバーしてない自分にも責任はあるので、これからはちゃんと言う相手とか言う内容とか気をつけようとは思ってる。
まーそれでも、SNSに断片的にこぼした愚痴や対友人に話せるような内容だけから全てを分かったような気になって極端な意見をアドバイスしてくる方もどうなんだとは思う。
小さい頃は育児の手助けのために何度もうちに足を運んでくれたそうだし、遊びに行ったり来たりするたびにお土産をたくさん用意してくれ、色々なところへ遊びに連れて行ってくれた。
うちは父が子どもの遊びに付き合うのが嫌いな人だったので、家族で遊園地や水族館や動物園に行くときはいつも父の代わりに祖母が参加していた。
なので遊びに行った記憶というのは祖母との思い出が一番多いと思う。
それ以外の祖父母にも、人生の色々な面でとてもお世話になってきた。
そんな祖父母たちにも、ここ数年入れ替わり立ち替わり介護の波が来ている。
そして少子化の時代であるので介護をするには親世代だけでは人手が足りず、孫世代まで参戦している。
仕事ではなく私生活で高齢者介護に参加している同世代は珍しいっぽいのだが、どこの家庭でも起こり得るイベントなのに、なぜ多くの人たちが関わらずにいられるのかちょっと不思議に思っている。
それはさておき、自分には「介護が大変」という気持ちと「祖父母が好き」という気持ちと両方あり、しかしまた前者の気持ちが強くなったからといって後者の気持ちが掻き消えるということでもない。
が、それを前提としてもまあやっぱり大変なものは大変なのである。
流石に寝たきりの相手を一日中付きっきりで見ておむつ替えに食事介助に……みたいなザ・介護!って感じのことはやったことがなく、しかし、実際の介護の形ってそれだけではないのだ。
一緒に住んでいたりするとどうしても気にしないといけないことが色々出てくる。
一個一個書くとどれも本当に些末なことばかりで、具体的に話せば話すほど「それって大変なの?」と怪訝な反応をされてしまう。
そうかといってちょっとパンチのあるエピソードなどをぽろっとこぼしてしまえば、「そんなことをさせられているのはおかしいから家を出ろ」というアドバイスが飛んできて、それまた「いやそうじゃないんだけどな……」みたいなモヤモヤした気持ちになる。
そんな感じなので最近は同年代の友人に祖父母の話はあまりしなくなった。
うーんなんかこう、もやもやする理由として、例えばこれが育児の愚痴だったとして、どんなに子どもがかわいくても絶対に愚痴って出てくると思う。
でもそれに対して「じゃあ子ども施設に預ければ?」みたいなことをいきなり言う人ってあんまりいないと思う。
確かに子どもと親・祖父母では自分の立場における責任のあり方が違うし、「育てる」と「面倒を見る」の違いもあるんだけど、高齢者の相手をすることに時間を割いているという事実に忌避感を感じる人がそれなりにいるのだろうなということが分かってきた。
何ていうんでしょう、子どもって万人から見て愛しいということが当たり前とされている存在だから、それを保護育成することに多くの人が手放しに賛同できる、のに対して、高齢者への好感度はその高齢者のそれまでの人となりなどが判断材料になってしまうため、そもそも身近な高齢者に対してあまりよく思っていないと、高齢者の面倒を見ることそれ自体にも悪感情を抱きがちなのでは、みたいな。
あとは過度に自立心の強い祖父母がいてそれを当たり前だと思っているみたいなケースもありますが。
でも、祖父母のことを話して「家出ろ」的なアドバイスをしてきた人は自分の祖父母が好きじゃない人たちだった。
自分が祖父母のことが好きじゃなかったからって、他の人もその条件に当てはめて評価するのやめてほしいな〜と思う。
そりゃあんまり手に負えなくなったらそれ相応の手段は取るけど、でもそういうのは家族や福祉の方と考えて決めるものだし。
祖父母を見たこともない人に「それは〇〇っていう症状だから✕✕しないと〜」みたいなことを言われたくないんだな。
自分は祖父母が好きなので、手助けできることは協力したい。
大変なこともあるけど。
っていう気持ちも存在するんですよね~。
別にみんながみんな、要介護の高齢者に対して「はよ死ね!」なんて思ってるわけじゃないのに。
ただこれは、愚痴をあまりにもオープンに言い過ぎ、またいい情報でカバーしてない自分にも責任はあるので、これからはちゃんと言う相手とか言う内容とか気をつけようとは思ってる。
まーそれでも、SNSに断片的にこぼした愚痴や対友人に話せるような内容だけから全てを分かったような気になって極端な意見をアドバイスしてくる方もどうなんだとは思う。
