リヴェット・パリでかくれんぼ
公開 2024/06/26 22:05
最終更新
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リヴェット三日目はパリでかくれんぼ。
三連最終日。
原題はHaut bas fragile。意味は公開当時、貨物に貼られる「天地無用」の事だと書かれていた。懐かしい六本木シネヴィヴァン。
ナタリー・リシャールとマリアンヌ・ドニクールの弾けっぷりが楽しい。
この頃、マリアンヌ・ドニクールの顔がめちゃくちゃ好きだった事を思い出した。
とても不思議な造りの映画だ。マリアンヌ・ドニクール(ルイーズ)とロランス・コート(イダ)の物語は並行して別々に進む。二人はいつ出会うのかな?と思う。
ナタリー・リシャール(ニノン)は昼はバイクとローラースケートで街を走り回り、夜はダンスホールで踊りまくる。アンモラルで美しく、物語を動かす存在だ。
主題のひとつは、子の母探しだ。
養子として育ったイダはひとり住まいの身に手紙をまめに書いてくれる養父母より、何処にいるか知れない実の親をつよく思って暮らしている。
初めてこの映画を観たときぼくは大学生で、イダの気持ちに強く共感した。いま観てもなぜ養父母に愛着を持てないのか?と気になる。
家族というのは、物語の共有だと思う。おなじ歴史をもつこと。過去は繰り返し語られるうちに物語になる。イダの養父母は残念だが、イダが戻って来たくなるような、確かな物語を提供し損ねたのだろう。
歌の一節が母を探す手がかりになるイダの軌跡は「わたしだけの」物語を探すのに似てると思う。
もうひとつの主題は父の神話の崩壊だ。
リヴェット映画の男性は多くはおじさんで、「彼女たちの舞台」でも女性たちとは結構な歳の差がある。女性にとってはファザコン的思慕がつよい、恋愛未満の存在だ。
加えて豊かな父の慈愛の下に育った娘は自信に満ちて頼もしい存在に描かれる(彼女たち〜のアンナがそう)。
パリでかくれんぼのルイーズはその系譜を継ぐ父の娘だろうと思う。
パリでかくれんぼにはおじさんじゃない、女性に似合った年齢の若い男性が登場する。
ただ、ひどく頼りない(本人の台詞にもあるくらいだ)。
父のした事を全て知ったあとの場面がよかった。
夏の終わりの夜のバルコニーで、「寒くてまるで、裸で立ってるみたい」と言う。
そこにいるのはまだ頼りない風情の男性だ。
これはぼくには、父という存在が作った物語から脱出することができた、娘の門出の物語にも見える。傷ましいことだけど、これが始まりだと思うから。
リヴェットの映画にはいつも遊びの要素が盛り込まれる。パリでかくれんぼには歌と踊りがふんだんに詰め込まれて、歌詞は話の筋を匂わせるものでなく、単純にその時の気持ちの高まりで純粋な楽しさだけのもので、それはとても眩しく映った。
三連最終日。
原題はHaut bas fragile。意味は公開当時、貨物に貼られる「天地無用」の事だと書かれていた。懐かしい六本木シネヴィヴァン。
ナタリー・リシャールとマリアンヌ・ドニクールの弾けっぷりが楽しい。
この頃、マリアンヌ・ドニクールの顔がめちゃくちゃ好きだった事を思い出した。
とても不思議な造りの映画だ。マリアンヌ・ドニクール(ルイーズ)とロランス・コート(イダ)の物語は並行して別々に進む。二人はいつ出会うのかな?と思う。
ナタリー・リシャール(ニノン)は昼はバイクとローラースケートで街を走り回り、夜はダンスホールで踊りまくる。アンモラルで美しく、物語を動かす存在だ。
主題のひとつは、子の母探しだ。
養子として育ったイダはひとり住まいの身に手紙をまめに書いてくれる養父母より、何処にいるか知れない実の親をつよく思って暮らしている。
初めてこの映画を観たときぼくは大学生で、イダの気持ちに強く共感した。いま観てもなぜ養父母に愛着を持てないのか?と気になる。
家族というのは、物語の共有だと思う。おなじ歴史をもつこと。過去は繰り返し語られるうちに物語になる。イダの養父母は残念だが、イダが戻って来たくなるような、確かな物語を提供し損ねたのだろう。
歌の一節が母を探す手がかりになるイダの軌跡は「わたしだけの」物語を探すのに似てると思う。
もうひとつの主題は父の神話の崩壊だ。
リヴェット映画の男性は多くはおじさんで、「彼女たちの舞台」でも女性たちとは結構な歳の差がある。女性にとってはファザコン的思慕がつよい、恋愛未満の存在だ。
加えて豊かな父の慈愛の下に育った娘は自信に満ちて頼もしい存在に描かれる(彼女たち〜のアンナがそう)。
パリでかくれんぼのルイーズはその系譜を継ぐ父の娘だろうと思う。
パリでかくれんぼにはおじさんじゃない、女性に似合った年齢の若い男性が登場する。
ただ、ひどく頼りない(本人の台詞にもあるくらいだ)。
父のした事を全て知ったあとの場面がよかった。
夏の終わりの夜のバルコニーで、「寒くてまるで、裸で立ってるみたい」と言う。
そこにいるのはまだ頼りない風情の男性だ。
これはぼくには、父という存在が作った物語から脱出することができた、娘の門出の物語にも見える。傷ましいことだけど、これが始まりだと思うから。
リヴェットの映画にはいつも遊びの要素が盛り込まれる。パリでかくれんぼには歌と踊りがふんだんに詰め込まれて、歌詞は話の筋を匂わせるものでなく、単純にその時の気持ちの高まりで純粋な楽しさだけのもので、それはとても眩しく映った。
