IT’S NOT ME
公開 2025/05/12 23:04
最終更新
2025/05/12 23:11
シネマリンさんでIT’S NOT ME。やっと観れた。

あっという間の、とても短い40分だった。
映画は20世紀の戦争の記憶から現在の紛争へ。言葉、映像、文字。意味と無意味。死者と生者。怒り。感傷。それらしい納得なんかさせねえ、と言わんばかりの縦横無尽さで進む。
カラックスの編んだ映画史にいちいち心を揺さぶられてしまう。ドニ・ラヴァンの(メルドはもうお約束だけど)顔の幼さと完璧なアスリートのばね仕掛けのような動作。ポンヌフに上がる花火。ミシェル・ピコリの困り顔もデヴィッド・ボウイの一瞬の肖像も、戻らない時間を思って胸がいっぱいになる。
「亡くなったひとに愛された事実は特別」というモノローグが沁みる。ポーラXの主演の二人は早逝した。一人は妻だ。JLゴダール。撮影監督のジャン・イブ・エスコフィエ。眠り男が子どもに砂をかけにくるお伽話は夜の眠りの小さな死と永遠の死、双方の安寧に捧げられたのかと思う。
「一度だけ主観で撮った」モノローグのあとのジュリエット・ビノシュの正面。
何て美しいのか、と驚いてしまう。ジュリエット・ビノシュはずっときれいだよ、どんな映画でも光ってるよ。でも汚れた血の、あのダサセーターを着たジュリエット・ビノシュは特別だ。永遠。美しくて、酷い。
驚いたといえば、娘のナースチャ・ゴルベワが弾くミシェル・ルグランのThéma Concertoだ。「ロシュフォールの恋人たち」の主題の旋律で、ラストシーンには大きな協奏曲として流れる。三組の恋人たちがハッピーエンドを迎えるメロドラマ、まさにボーイ・ミーツ・ガールの王道。ここでかよ!と思ったら涙が出て困った。
娘に宛てたとは現実の娘がこの先も生きていくこの世界への問いであり、同時に娘という存在を超えて自らの深い創造性へアクセスする事だと思った。
(偶然だけど連休中に観たベルトラン・ボネロの「COMA」も娘に宛てる形だったので尚更それを感じる)
映画はこの世界の権力者たちの暴力性への怒りが込められていた。怒りはまだ生きる者の使命だと言われた気がした。

あっという間の、とても短い40分だった。
映画は20世紀の戦争の記憶から現在の紛争へ。言葉、映像、文字。意味と無意味。死者と生者。怒り。感傷。それらしい納得なんかさせねえ、と言わんばかりの縦横無尽さで進む。
カラックスの編んだ映画史にいちいち心を揺さぶられてしまう。ドニ・ラヴァンの(メルドはもうお約束だけど)顔の幼さと完璧なアスリートのばね仕掛けのような動作。ポンヌフに上がる花火。ミシェル・ピコリの困り顔もデヴィッド・ボウイの一瞬の肖像も、戻らない時間を思って胸がいっぱいになる。
「亡くなったひとに愛された事実は特別」というモノローグが沁みる。ポーラXの主演の二人は早逝した。一人は妻だ。JLゴダール。撮影監督のジャン・イブ・エスコフィエ。眠り男が子どもに砂をかけにくるお伽話は夜の眠りの小さな死と永遠の死、双方の安寧に捧げられたのかと思う。
「一度だけ主観で撮った」モノローグのあとのジュリエット・ビノシュの正面。
何て美しいのか、と驚いてしまう。ジュリエット・ビノシュはずっときれいだよ、どんな映画でも光ってるよ。でも汚れた血の、あのダサセーターを着たジュリエット・ビノシュは特別だ。永遠。美しくて、酷い。
驚いたといえば、娘のナースチャ・ゴルベワが弾くミシェル・ルグランのThéma Concertoだ。「ロシュフォールの恋人たち」の主題の旋律で、ラストシーンには大きな協奏曲として流れる。三組の恋人たちがハッピーエンドを迎えるメロドラマ、まさにボーイ・ミーツ・ガールの王道。ここでかよ!と思ったら涙が出て困った。
娘に宛てたとは現実の娘がこの先も生きていくこの世界への問いであり、同時に娘という存在を超えて自らの深い創造性へアクセスする事だと思った。
(偶然だけど連休中に観たベルトラン・ボネロの「COMA」も娘に宛てる形だったので尚更それを感じる)
映画はこの世界の権力者たちの暴力性への怒りが込められていた。怒りはまだ生きる者の使命だと言われた気がした。
