語りつぐこと
公開 2024/04/12 22:25
最終更新
2024/04/12 23:59
ぼくの父と母は戦中に生まれた。
ぼくは歳の離れた末っ子だったので、子どもの頃は友だちのおうちの親御さんたちがずいぶん若く感じられた。
祖母の二十代とはすべて戦争であった。
祖母の兄は戦争から戻って酷いPTSDに悩まされた。化学を学んで研究職についたおだやかなひとだったと聞く。苦しんだのは本人もだが身内たちだ。祖母は長女の責任感からか兄が暴れるたび兄の妻子と妹を庇った。
祖母が実兄から受けた苛烈な暴力について、ぼくはいつもユーモアがあって周りを笑わせていた祖母がそんな辛い目にあっていたことが心底辛く、続けて聞くことができなかった。
祖母は自分が受けた暴力を自分で終わらせたのだ。
これらは祖母が亡くなった後親族が教えてくれた。
お盆に墓参に行くと、父母と祖母はいつも長い間手を合わせて祈っていた。
祈ることは決まって、平和でありますように、二度と戦争が起こりませんように、皆が幸せな一生を送りますように、ということだけだ、と言っていた。
ぼくは歳の離れた末っ子だったので、子どもの頃は友だちのおうちの親御さんたちがずいぶん若く感じられた。
祖母の二十代とはすべて戦争であった。
祖母の兄は戦争から戻って酷いPTSDに悩まされた。化学を学んで研究職についたおだやかなひとだったと聞く。苦しんだのは本人もだが身内たちだ。祖母は長女の責任感からか兄が暴れるたび兄の妻子と妹を庇った。
祖母が実兄から受けた苛烈な暴力について、ぼくはいつもユーモアがあって周りを笑わせていた祖母がそんな辛い目にあっていたことが心底辛く、続けて聞くことができなかった。
祖母は自分が受けた暴力を自分で終わらせたのだ。
これらは祖母が亡くなった後親族が教えてくれた。
お盆に墓参に行くと、父母と祖母はいつも長い間手を合わせて祈っていた。
祈ることは決まって、平和でありますように、二度と戦争が起こりませんように、皆が幸せな一生を送りますように、ということだけだ、と言っていた。
