五月一日
公開 2025/05/01 22:02
最終更新
2025/05/02 06:54
午後は本屋象の旅さんに行った。
このところ本が読みたくて我ながら良い傾向である。小さいけどじぶんの志として本とパンはなるべくインディペンデントの商店で買いたい。
いま「向谷地さん〜」と「中動態の世界」と「おいしくってありがとう」を並行して読んでいる。どれも面白くてあっという間に読み進んでしまい、それを寂しく感じる。並行するのは読み終えるのを後伸ばしにするため。
「おいしくってありがとう」で、くどうれいんさんが「仕事はやらさるから」という。その後すぐこれ方言だった、というのだけどこれをよんでぼくは、あ、これ中動態だよな、と思った。
〜さる、〜ささるというのは北、東北の太平洋側でよく使うと思うけど、本当によく使う、自我を持ち意図的意志的に〜する、ではなく、この場が自分にこの行動を選ばせる、よって自分はこれをしてしまう、というニュアンス。誰それがさせる、と限定されない、あくまでその場が、自然に、と漠とした、責任のなさ。
ぼく自身のことをいうと、大学進学で標準語での人間関係を作りはじめてから、それまで悩まされた身体症状(皮膚炎、突発的な難聴)が治まった過去がある。もちろん自分で病院を探せるようになって良いお医者さんが良い薬をコーディネートしてくれた事もあるけど、そもそも心因性だろうなというのはわかっていた。
標準語で人間関係を築くことで自他の区分がつけやすくなったのだ。方言という中動態を多用する場所では自分と場を切り離す思考ができず、家族という場の病を引き受けていたのだと今ならわかる。
〜さる、〜ささるは主観で使う言葉なので、客観的に表現するのも可能だと思うけど、そこに含められた感情は失われると思う。使役的な受動と何が違うのかといえば、〜によって、を言葉で定めるのが難しいところだろうか。〜さる、〜ささるを使役的受動に位置付けるなら〜によって、は意識できない何かだと。
このところ本が読みたくて我ながら良い傾向である。小さいけどじぶんの志として本とパンはなるべくインディペンデントの商店で買いたい。
いま「向谷地さん〜」と「中動態の世界」と「おいしくってありがとう」を並行して読んでいる。どれも面白くてあっという間に読み進んでしまい、それを寂しく感じる。並行するのは読み終えるのを後伸ばしにするため。
「おいしくってありがとう」で、くどうれいんさんが「仕事はやらさるから」という。その後すぐこれ方言だった、というのだけどこれをよんでぼくは、あ、これ中動態だよな、と思った。
〜さる、〜ささるというのは北、東北の太平洋側でよく使うと思うけど、本当によく使う、自我を持ち意図的意志的に〜する、ではなく、この場が自分にこの行動を選ばせる、よって自分はこれをしてしまう、というニュアンス。誰それがさせる、と限定されない、あくまでその場が、自然に、と漠とした、責任のなさ。
ぼく自身のことをいうと、大学進学で標準語での人間関係を作りはじめてから、それまで悩まされた身体症状(皮膚炎、突発的な難聴)が治まった過去がある。もちろん自分で病院を探せるようになって良いお医者さんが良い薬をコーディネートしてくれた事もあるけど、そもそも心因性だろうなというのはわかっていた。
標準語で人間関係を築くことで自他の区分がつけやすくなったのだ。方言という中動態を多用する場所では自分と場を切り離す思考ができず、家族という場の病を引き受けていたのだと今ならわかる。
〜さる、〜ささるは主観で使う言葉なので、客観的に表現するのも可能だと思うけど、そこに含められた感情は失われると思う。使役的な受動と何が違うのかといえば、〜によって、を言葉で定めるのが難しいところだろうか。〜さる、〜ささるを使役的受動に位置付けるなら〜によって、は意識できない何かだと。
