白夜
公開 2025/04/21 22:56
最終更新
2025/04/22 22:33

ロベール・ブレッソンの「白夜」を観てきた。
夜のpont-neufから始まるふたりの逢瀬ときいたら観ないわけにはいかない。画面の絵画的な印象も待ち遠しさに拍車をかけた。
現題はquatre nuits d’un reveur、ある夢想家の四夜。
冒頭から主人公のジャックには何とも言えない違和感が纏わりついて、これはまだ世界に居場所を見つけられないJ.P.レオー的な不器用とはまた違う、世界と上手くやる術を知りつつ逸脱していくような、確信犯的な不気味さ。と言ってしまうと、ジャックに限らず皆不気味ではある。マルトを誘う間借り人の男性、マルトの隣の部屋をいつも若い男性に貸し出すマルトの母。
彫像が生命を与えられたみたいな美しさのマルトは愛については幼く危うく(白雪姫のようなシルエットだ)、夜をさすらう二人は男女というより少年と少女のように見える。
自分の声で記録する行為は映画でよく見るやつだ、と思う。
カセットレコーダーを使ったジャックの記録は自然の音、願望の吐露、創作だ。録音したものを再生し、自分の声に包まれる。
彼がマルトに言う「本当に自分の事が好きだね」と言う台詞はこの場面にこそ相応しい気もした。
彼らを囲む全ての物が静物画の物のように美しい。美しいとは汚れていない、混ざりものが無いということだ。ジャックが絵描きであることはマルトが彼の手を取ったとき絵の具が掌についてることで解るのだけど、このとき不思議なほど混じり合う色がない。
ジャックのアトリエには大きなキャンバスが7、8枚はあり、そのうち5枚ほどは同時進行で描きかけのようだが、床には溢れた絵の具もなければ何の染みも汚れもない。
ジャックは輪郭の太いポップな絵に、はみ出さないように単色を塗っていく。
「染みが小さいほど世界が広がっている」という台詞があったが(ジャックのアトリエに訪ねて来たかつての同級生)、染みの無い世界のことをどう解釈すればいいのだろう。
ストリートや通り過ぎる観光船から聴こえてくるフォークロアのギターの旋律、歌声もとても美しい。美しいというのは(以下同)
ちょっと美し過ぎんか?と居心地が悪くなってくるところがある。
美しいことの不気味さと居心地の悪さというのは初めての体験で、強烈な映画だった。
