ゲームの規則
公開 2025/02/03 23:15
最終更新
2025/02/04 14:57
ジャン・ルノワールの映画「ゲームの規則」を観てきた。

恐ろしくモダンな映画なのでいつも製作年を忘れてしまう。1939年の作品である。
学生の頃から映画館にかかれば足を運びたい映画のひとつだ。初めて観たときは飛行士と侯爵の顔の見分けがつかず混乱したが、今日みたら鳥肌が立つほど素晴らしいシーンの連続だと思った。動作の視覚的快楽はもちろん、会話と音のテンポのすべてが完璧ではないかと。
ジャン・ルノワールは俳優としてかなり重要な役オクターブを演じる。このオクターブの声がいい。けして美声ではないが、身体の大きな男性特有のがらついた人情味のある声で、冒頭のシーンから軽快な、喩えるなら2/4のテンポですべてを統率する。
ザルツブルグから輿入れしたクリスティーヌ、彼女がとても魅力的で皆がめろめろになってしまう。ドイツ訛りも可愛い。
彼女は皆にいい気分でいて欲しいという社交の陽の部分を体現する。情熱におぼれたいと望みながら、束縛をおそれている。友情と恋情の間を気まぐれに揺蕩う。
このあたりの描写が繊細で、ずっと褪せない現代性かもしれない。
オクターブが着る熊の着ぐるみが視覚的に大変美味しい。貴族たちは本気で遊ぶ。楽しむことに躊躇いがない無邪気さは特権的な子どものようだと思う。
皆にいい気分でいて欲しい。真実と嘘の境界、使用人と貴族の境界が曖昧になったところで悲劇が起こる。
ゴダールの「映画史」には映画を聴く場面があり、レコードからはジャン・ルノワールの声が流れてくる。「ゲームの規則」は音のない画面だけでも動きがあってわくわくするし、視覚のない音だけでも音楽としてずっと聴いていられる。稀有な映画だと思う。
狩の場面で今日ふと思っただけど、勢子が叩いて歩くのは林檎の樹だろうか。樹の丈と枝の伸ばし方が冬越しの感じにみえた。

恐ろしくモダンな映画なのでいつも製作年を忘れてしまう。1939年の作品である。
学生の頃から映画館にかかれば足を運びたい映画のひとつだ。初めて観たときは飛行士と侯爵の顔の見分けがつかず混乱したが、今日みたら鳥肌が立つほど素晴らしいシーンの連続だと思った。動作の視覚的快楽はもちろん、会話と音のテンポのすべてが完璧ではないかと。
ジャン・ルノワールは俳優としてかなり重要な役オクターブを演じる。このオクターブの声がいい。けして美声ではないが、身体の大きな男性特有のがらついた人情味のある声で、冒頭のシーンから軽快な、喩えるなら2/4のテンポですべてを統率する。
ザルツブルグから輿入れしたクリスティーヌ、彼女がとても魅力的で皆がめろめろになってしまう。ドイツ訛りも可愛い。
彼女は皆にいい気分でいて欲しいという社交の陽の部分を体現する。情熱におぼれたいと望みながら、束縛をおそれている。友情と恋情の間を気まぐれに揺蕩う。
このあたりの描写が繊細で、ずっと褪せない現代性かもしれない。
オクターブが着る熊の着ぐるみが視覚的に大変美味しい。貴族たちは本気で遊ぶ。楽しむことに躊躇いがない無邪気さは特権的な子どものようだと思う。
皆にいい気分でいて欲しい。真実と嘘の境界、使用人と貴族の境界が曖昧になったところで悲劇が起こる。
ゴダールの「映画史」には映画を聴く場面があり、レコードからはジャン・ルノワールの声が流れてくる。「ゲームの規則」は音のない画面だけでも動きがあってわくわくするし、視覚のない音だけでも音楽としてずっと聴いていられる。稀有な映画だと思う。
狩の場面で今日ふと思っただけど、勢子が叩いて歩くのは林檎の樹だろうか。樹の丈と枝の伸ばし方が冬越しの感じにみえた。