クリスマスツリーと
公開 2024/12/20 23:15
最終更新
2024/12/20 23:19
ツリーを出して飾り付けをした。
あれ、こんなに丈が低かった?と思う。
ツリー。去年も同じ事を思った。
今年はさらに低く感じる。理由はわかる。
子どもたちの背が伸びたのだ。
ぼくにとってのクリスマスツリーは子どもとの記憶が全てだと思う。
記憶の上書きが成功した例なので、ぼくはこの先もクリスマスとツリーを大事にできると思う。
前に何だかキツいわ、と感じた、手放すことについての対談。時間が経ってぼくの考え方も変わって来た。
傷に向かい合った話を冷静に受け取るのは難しい。どうしてもぼく自身の傷が痛んで、著者が言いたいことをそのまま受け入れる事を邪魔をする。そうは言っても。という前置きは自分の傷を守る防衛反応だった。あなたの傷を知ることで自分の傷が痛むんだ。
ただ、語り方によって自分の傷を慰撫できたり、力が湧いて来たりするものもあり、その違いは何だろうと思う。著者の違いはもちろんだけど、傷を語りながらも、聴く(読む)ひとの傷を痛めない在り方とは…と思う。
ひとが個である以上、私は私、あなたはあなた、というのは大前提だ。ただどこまでもその、個↔︎社会(コミュニティ)の語り口が続くと、個が非常に孤絶した存在に感じられる。社会は自己を徹底的に掘り下げる(セラピー的)個の集合体ではないとわかってはいても。
読んでいて傷が痛まない語り口とは、どこかに私とあなた、という視点があった。
私はあなた、ではなく、私とあなた。
それはもしかしたら連帯という言葉になるかもしれない。傷を受けるひとは社会の病を病んでるところがある、と河合隼雄さんの本にもあったけど。
個↔︎社会という視点から、(私とあなた)↔︎社会の視点にすると、ぼくのなかでは途端に広がりを持って、腑に落ちてくる事が多くなる。傷は慰撫され、内側から力が湧いてくる。
あれ、こんなに丈が低かった?と思う。
ツリー。去年も同じ事を思った。
今年はさらに低く感じる。理由はわかる。
子どもたちの背が伸びたのだ。
ぼくにとってのクリスマスツリーは子どもとの記憶が全てだと思う。
記憶の上書きが成功した例なので、ぼくはこの先もクリスマスとツリーを大事にできると思う。
前に何だかキツいわ、と感じた、手放すことについての対談。時間が経ってぼくの考え方も変わって来た。
傷に向かい合った話を冷静に受け取るのは難しい。どうしてもぼく自身の傷が痛んで、著者が言いたいことをそのまま受け入れる事を邪魔をする。そうは言っても。という前置きは自分の傷を守る防衛反応だった。あなたの傷を知ることで自分の傷が痛むんだ。
ただ、語り方によって自分の傷を慰撫できたり、力が湧いて来たりするものもあり、その違いは何だろうと思う。著者の違いはもちろんだけど、傷を語りながらも、聴く(読む)ひとの傷を痛めない在り方とは…と思う。
ひとが個である以上、私は私、あなたはあなた、というのは大前提だ。ただどこまでもその、個↔︎社会(コミュニティ)の語り口が続くと、個が非常に孤絶した存在に感じられる。社会は自己を徹底的に掘り下げる(セラピー的)個の集合体ではないとわかってはいても。
読んでいて傷が痛まない語り口とは、どこかに私とあなた、という視点があった。
私はあなた、ではなく、私とあなた。
それはもしかしたら連帯という言葉になるかもしれない。傷を受けるひとは社会の病を病んでるところがある、と河合隼雄さんの本にもあったけど。
個↔︎社会という視点から、(私とあなた)↔︎社会の視点にすると、ぼくのなかでは途端に広がりを持って、腑に落ちてくる事が多くなる。傷は慰撫され、内側から力が湧いてくる。
