想像の広がりを妨げるもの
公開 2024/09/21 21:21
最終更新
2024/09/27 22:42
Instagramをみていたら、PRADA(USA)ではいま掲載されてる番号に電話をかけるとミランダ・ジュライに繋がるそうだ。
F.A.M.I.L.Y に次ぐアートプロジェクト、電話かあ。これは楽しそうだなと期待している。固定電話からスマホに、ツールは変わっても声と声というのは原始的な何かに思える。
先だっての「もぐ♾️」にあった小倉ノワールについて日記を書いたあと、自分のなかには引っかかりがあるんだなと思って考えていた。
エッセイはまさに言葉を追求する詩人の想像力の羽ばたきで、ささやかなイメージからどこまで高く飛べるか?という実験でもあるのだから、読み手がじぶんの現実に即す必要性はどこにもなく、ただ言葉によるアクロバティックな飛翔を楽しめば良いのだろう。自分になぞらえて読むのはお門違いといえる。
しかしぼくにとっては「お母さん」というワードが、まるで重い扉が目の前に立ち塞がるかのように想像の広がりをゆるさない。記憶という不動のリアリズムががっちり脚を掴んで離してくれない。
あ、これがマザーコンプレックスという情緒なんか、と思う。こころの自由な動きを妨げる、ただしい認知を誤らせるものなんだろうなと思った。
ぼくは実家を離れておとなになり、距離と時間を置くことで母はひとりの人間でしかないことを理解したつもりだった。子どもが何をすれば惨めな気持ちになるか知らずに生きたひとであり、子どもから自発的に伸びてくる芽や枝葉は剪って捨てるのが親の役目と信じて疑わなかったひとだと。
それだけのことだ。
と自覚していても、思わぬところでまだ呪いの名残はあった。
いやほんと自由になりたい。
F.A.M.I.L.Y に次ぐアートプロジェクト、電話かあ。これは楽しそうだなと期待している。固定電話からスマホに、ツールは変わっても声と声というのは原始的な何かに思える。
先だっての「もぐ♾️」にあった小倉ノワールについて日記を書いたあと、自分のなかには引っかかりがあるんだなと思って考えていた。
エッセイはまさに言葉を追求する詩人の想像力の羽ばたきで、ささやかなイメージからどこまで高く飛べるか?という実験でもあるのだから、読み手がじぶんの現実に即す必要性はどこにもなく、ただ言葉によるアクロバティックな飛翔を楽しめば良いのだろう。自分になぞらえて読むのはお門違いといえる。
しかしぼくにとっては「お母さん」というワードが、まるで重い扉が目の前に立ち塞がるかのように想像の広がりをゆるさない。記憶という不動のリアリズムががっちり脚を掴んで離してくれない。
あ、これがマザーコンプレックスという情緒なんか、と思う。こころの自由な動きを妨げる、ただしい認知を誤らせるものなんだろうなと思った。
ぼくは実家を離れておとなになり、距離と時間を置くことで母はひとりの人間でしかないことを理解したつもりだった。子どもが何をすれば惨めな気持ちになるか知らずに生きたひとであり、子どもから自発的に伸びてくる芽や枝葉は剪って捨てるのが親の役目と信じて疑わなかったひとだと。
それだけのことだ。
と自覚していても、思わぬところでまだ呪いの名残はあった。
いやほんと自由になりたい。
