綾なす小箱
公開 2023/09/24 18:34
最終更新
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※3部軸
拠点を日本に移し、三人で暮らすようになってから少しして、正義はみのるさまの分だけでなく私にもお弁当を作るようになった。
もちろん毎日ではない。出張やら商談で一日中誰かと会っていたり移動していることが多いため食事をゆっくり摂れる時間が少ないのは正義にもよく分かっているからだ。
だからこそ、スケジュールを確認し、突発的な事態が発生しない限りは大丈夫だろうと判断したときにだけ、正義は私にも手作りの弁当を渡してくる。若草色のクロスに包まれた、正義の優しい心遣いと愛情が詰まった私専用の弁当箱を。
そう、今日のように。
今日は、私が一日在庫の整理と打合せで銀座にいると決まっていたので、当然のようにお弁当を渡されていた。
「はい、リチャードの弁当。俺も夕方には銀座に戻れると思うけど、何かあったら連絡してくれ」
「ありがとうございます。それは私のセリフでもありということを、重々お忘れなく」
「肝に銘じておきます」
「よろしい。では行ってまいります」
「うん、いってらっしゃい」
いつものように弁当を渡され、いつものように送り出された。今日は正義は直接お客様へ品物を届けに行くため家で別れ、夕方にエトランジェで打合せをする予定になっていたからだ。
そう、変なところは何もなかった。
何もなかった、はずなのだが。
「……これは一体、どういうことか」
ちょうど業務が一段落ついたところで昼に差し掛かったので、少しだけそわそわしながら弁当の包みを広げた。
正義の弁当は味はもちろんのこと、見た目にも大変美しく、本人曰く「残り物とか冷食を詰めただけ」とは思えない出来栄えなのだ。
私にとってそれは一枚の絵画にも等しく、つい写真を撮ってしまうのだが正義にはまだ知られていないのでよしとする。
さて、今日はどんな景色が見られるのか……と蓋を開けた瞬間、私の思考は停止した。
クマがいた。
白と茶、色違いの二体のクマがにっこりと笑い頬をピンクに染めている。
「クマ」
思わず口にも出してしまったが、まぎれもなくクマである――おにぎりの、だが。
海苔で出来た顔。茶色のは鰹節入りふりかけが混ざったおかかご飯のようだ。愛らしく染まった頬は丸く切られたハムだった。芸が細かい。
クマにばかり気を取られていたが、よく見れば他のおかずもいつもとは様子が違っていた。
綺麗に巻かれた厚焼き卵は斜めにカットされ、角度を入れ変えて配置したことで、ハートの形に見える。その横にはウインナーのカニがいるし、弁当のあちこちで星の形に飾り切りされた人参が
彩りを添えていた。ポテトサラダの上にも、桜を模したハムが飾られている。
趣向を凝らした弁当の中身をひとつひとつ確認しながら、私はそれらすべてを写真へと収めた。あらゆる角度から眺め感嘆の息を一つ吐いてから箸を取り丁寧に口に運ぶ。
さすがに愛らしいクマに箸を入れるときだけは少しだけ罪悪感があったのだが、目を瞑ることで許してもらうことにする。
そうして空になった弁当箱に手を合わせながら食後の挨拶をすれば、満腹感と幸福感にほわりと包まれる心地がした。
どのおかずも今日も大変美味しかったとあとで正義に伝えなくては、と頭のメモ帳に残してから、そもそもの疑問を思い出した。
「……なぜ、今日はクマだったのか……」
□ □ □
「ああ、あれ? そういえば渡すときに説明してなかったもんな。今日は『デコの日』……つまりデコレーションの日なんだって」
「……はぁ、デコレーションの日、ですか」
予定より少し早くエトランジェへと戻って来た正義に、弁当の礼を伝えながら今日の可愛らしい盛り付けの理由を聞けば、予想外の言葉が返ってきた。
「俺も昨日知ったんだ。で、今日はおまえに弁当作ってやれる日なのは分かっていたし、せっかくだからデコ弁にしてみました」
「デコ弁、という文化を初めて知りました。大変可愛らしくも華やかで、素晴らしいものでした。では、みのるさまのお弁当も同じものを?」
「いや、さすがにいきなり学校にデコ弁を持って行ったら、みのるくんも友達もびっくりするかと思ったからさ……。みのるくんのはおかずを少し飾ったりするくらいにした」
「それは、良い判断だったと思います」
自分が弁当の蓋を開けたときのことを思い出す。周りに誰も居なくて良かったが、もしもあれが学校で、友人やクラスメイトが周囲にいたら、と考えると気が気ではない。
「……では、あなたの『デコ弁』を楽しめたのは今のところ私だけということですね」
「まあ、そうなるな。これからもおまえ以外には作らないと思うし……みのるくんが食べたいって言うまでは、おまえ限定だな」
「左様ですか、では次も楽しみにしています」
「そんなに気に入ったのか? じゃあまた作ろうかなぁ」
照れを含みながらも嬉しそうに笑う正義に私も微笑む。実に子供じみているとは思うが、正義の一面を私が独占できることが嬉しいのだ。
……さすがに口にしたことはないが。
「じゃあ次はどんなのを作ろうか。リチャードもリクエストとかあったら言ってくれよ。ジローとサブローに似せた犬のおにぎりとか」
「正義。それだけは、絶対に、やめるように」
「えっ、可愛いと思うんだけど」
「可愛いからダメなのです!」
おにぎりだとしても、あの愛しい小さな家族の顔に箸を入れることがどれだけ精神的に辛いか、今日もクマを食べるときに目を瞑っていたことを力説したのだが。
私の説明に、正義がきょとんとしてから盛大に笑い出したので、自分が今言ったことを思い出し、私は顔を赤くする羽目になったのだった。
拠点を日本に移し、三人で暮らすようになってから少しして、正義はみのるさまの分だけでなく私にもお弁当を作るようになった。
もちろん毎日ではない。出張やら商談で一日中誰かと会っていたり移動していることが多いため食事をゆっくり摂れる時間が少ないのは正義にもよく分かっているからだ。
だからこそ、スケジュールを確認し、突発的な事態が発生しない限りは大丈夫だろうと判断したときにだけ、正義は私にも手作りの弁当を渡してくる。若草色のクロスに包まれた、正義の優しい心遣いと愛情が詰まった私専用の弁当箱を。
そう、今日のように。
今日は、私が一日在庫の整理と打合せで銀座にいると決まっていたので、当然のようにお弁当を渡されていた。
「はい、リチャードの弁当。俺も夕方には銀座に戻れると思うけど、何かあったら連絡してくれ」
「ありがとうございます。それは私のセリフでもありということを、重々お忘れなく」
「肝に銘じておきます」
「よろしい。では行ってまいります」
「うん、いってらっしゃい」
いつものように弁当を渡され、いつものように送り出された。今日は正義は直接お客様へ品物を届けに行くため家で別れ、夕方にエトランジェで打合せをする予定になっていたからだ。
そう、変なところは何もなかった。
何もなかった、はずなのだが。
「……これは一体、どういうことか」
ちょうど業務が一段落ついたところで昼に差し掛かったので、少しだけそわそわしながら弁当の包みを広げた。
正義の弁当は味はもちろんのこと、見た目にも大変美しく、本人曰く「残り物とか冷食を詰めただけ」とは思えない出来栄えなのだ。
私にとってそれは一枚の絵画にも等しく、つい写真を撮ってしまうのだが正義にはまだ知られていないのでよしとする。
さて、今日はどんな景色が見られるのか……と蓋を開けた瞬間、私の思考は停止した。
クマがいた。
白と茶、色違いの二体のクマがにっこりと笑い頬をピンクに染めている。
「クマ」
思わず口にも出してしまったが、まぎれもなくクマである――おにぎりの、だが。
海苔で出来た顔。茶色のは鰹節入りふりかけが混ざったおかかご飯のようだ。愛らしく染まった頬は丸く切られたハムだった。芸が細かい。
クマにばかり気を取られていたが、よく見れば他のおかずもいつもとは様子が違っていた。
綺麗に巻かれた厚焼き卵は斜めにカットされ、角度を入れ変えて配置したことで、ハートの形に見える。その横にはウインナーのカニがいるし、弁当のあちこちで星の形に飾り切りされた人参が
彩りを添えていた。ポテトサラダの上にも、桜を模したハムが飾られている。
趣向を凝らした弁当の中身をひとつひとつ確認しながら、私はそれらすべてを写真へと収めた。あらゆる角度から眺め感嘆の息を一つ吐いてから箸を取り丁寧に口に運ぶ。
さすがに愛らしいクマに箸を入れるときだけは少しだけ罪悪感があったのだが、目を瞑ることで許してもらうことにする。
そうして空になった弁当箱に手を合わせながら食後の挨拶をすれば、満腹感と幸福感にほわりと包まれる心地がした。
どのおかずも今日も大変美味しかったとあとで正義に伝えなくては、と頭のメモ帳に残してから、そもそもの疑問を思い出した。
「……なぜ、今日はクマだったのか……」
□ □ □
「ああ、あれ? そういえば渡すときに説明してなかったもんな。今日は『デコの日』……つまりデコレーションの日なんだって」
「……はぁ、デコレーションの日、ですか」
予定より少し早くエトランジェへと戻って来た正義に、弁当の礼を伝えながら今日の可愛らしい盛り付けの理由を聞けば、予想外の言葉が返ってきた。
「俺も昨日知ったんだ。で、今日はおまえに弁当作ってやれる日なのは分かっていたし、せっかくだからデコ弁にしてみました」
「デコ弁、という文化を初めて知りました。大変可愛らしくも華やかで、素晴らしいものでした。では、みのるさまのお弁当も同じものを?」
「いや、さすがにいきなり学校にデコ弁を持って行ったら、みのるくんも友達もびっくりするかと思ったからさ……。みのるくんのはおかずを少し飾ったりするくらいにした」
「それは、良い判断だったと思います」
自分が弁当の蓋を開けたときのことを思い出す。周りに誰も居なくて良かったが、もしもあれが学校で、友人やクラスメイトが周囲にいたら、と考えると気が気ではない。
「……では、あなたの『デコ弁』を楽しめたのは今のところ私だけということですね」
「まあ、そうなるな。これからもおまえ以外には作らないと思うし……みのるくんが食べたいって言うまでは、おまえ限定だな」
「左様ですか、では次も楽しみにしています」
「そんなに気に入ったのか? じゃあまた作ろうかなぁ」
照れを含みながらも嬉しそうに笑う正義に私も微笑む。実に子供じみているとは思うが、正義の一面を私が独占できることが嬉しいのだ。
……さすがに口にしたことはないが。
「じゃあ次はどんなのを作ろうか。リチャードもリクエストとかあったら言ってくれよ。ジローとサブローに似せた犬のおにぎりとか」
「正義。それだけは、絶対に、やめるように」
「えっ、可愛いと思うんだけど」
「可愛いからダメなのです!」
おにぎりだとしても、あの愛しい小さな家族の顔に箸を入れることがどれだけ精神的に辛いか、今日もクマを食べるときに目を瞑っていたことを力説したのだが。
私の説明に、正義がきょとんとしてから盛大に笑い出したので、自分が今言ったことを思い出し、私は顔を赤くする羽目になったのだった。
