白昼夢
公開 2023/09/24 17:21
最終更新
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※タンザ期
情けない自分が、嫌だった。
こんな風に守られて、動けずにいる自分が嫌だった。
それでも窓ガラス越しに見下ろした人混みの中に自分がいるところを想像しただけで身体は震えて、携帯の着信音にすら怯える有り様だ。
もう大丈夫だと言いたいのに、その強がりすら出てこない。
……情けない姿も、みっともなく泣く姿も、もう何度も見せているのに。どうしても俺は見られなくないんだ。おまえにはこんな俺を見られなくない。
リチャード、おまえにだけは。……そんなこと、言えもしないのに。
□ □ □
『本日は夕方に伺います。何か必要なものがあれば連絡を下さい』
朝起きてすぐに届いたリチャードからのメールに、いつも通りな簡単な返信をした。大丈夫だ、気を付けて。……それだけ。リチャードが心配してくれていると分かっていても、それ以外に思い浮かぶ言葉が今はなかった。
軽く朝食を済ませてから部屋の片隅に積まれた課題図書を読んでいれば、いつの間にか窓の外は茜色に染まっていた。ずっと同じ体勢でいたからか、身体のあちこちが固くなっている気がする。立ち上がって軽く伸びをしたところで、部屋のチャイムがなってから数秒でドアが開かれた。
この部屋の鍵を持っているのは俺とリチャード、そしてジェフリーだ。俺が眠っていて応答できないことがあってから、一度チャイムを鳴らした後合鍵で入ってくるのが俺たちの間での取り決めになっている。
だから今もリチャードが来たと思っていたのだが、部屋に入って来たのはジェフリーただ一人だった。
「ハーイ、中田くん。空港でリッキーと一緒になったんで、僕も来ちゃいました。まあ到着時間が合うように最初から調整してたんですけど」
「またそんなことして……リチャードが怒りませんでしたか、それ」
前よりは関係が良くなっているとはいえ、リチャードがこの従兄に向ける態度はまだ少し厳しめだ。ワーカホリックなところを心配しているのだと分かっていても、頻繁にジェフリーを「喋る財布」と例えるあたり、素直じゃないなぁと思ってしまう。
「怒られましたよ? というか現在進行形でしょ、見て分かる通り。なんなの、君たち喧嘩でもしたの?」
「……? やっぱり喧嘩したんですか、ジェフリーさん。だからここに一人で来たんですか?」
「…………は?」
「リチャードはフロントで何か手続きしてるとかですか? だからジェフリーさんが先に一人で」
「えっと、あの、中田くん? ちょっと確認したいんですけどいいですか? 会話が噛み合わないというか、何かいろいろとおかしいみたいです。……一応確認しておくけど、君、今猛烈に怒ってるとかそういうんじゃないよね?」
「怒る? いえ何も。ジェフリーさんこそどうしたんですか。……もしかしてリチャードに何か」
「………………あー、えーとね中田くん。リチャードには何も起きてません。心配いらないよ。むしろ何かが起きてるのは君のほうです。自覚がまったくないみたいだけど、どの程度なのかなぁ……ねぇリッキー、試しに中田くんの手に触れてみてくれない?」
リチャードはここにいないのに何を言ってるんですか、と出そうになった俺の口は、手を握られる感触に完全に閉じてしまった。ぎょっとして見たそこには俺の手しかないのに明らかに握られているのをしっかりと感じる。
俺よりも少しだけ冷たくて大きな、だけどずっと滑らかな肌触り──それが誰のものかなんて見えなくても分かっていた。
「…………リチャード……?」
「見えてますか? 中田くん。声は? リッキーの声は聞こえる?」
「いえ、何も見えませんし、何も聞こえませんけど……今リチャードが俺の手を握ってるのは、分かります」
「……なるほど、物理的な接触だけは認識できるんですね。いいですか、中田くん」
ジェフリーはいつもの笑顔を消していた。
俺の手を握るリチャードの手が震えているような気がして、思わずもう片方の手を重ねてしまう。
……何も見えていないのに、あの美しい手の形と温度は伝わってきた。
「君ね、今リチャードが……リチャードのことだけが見えてないし、声も聞こえてないんです。鍵を開けて部屋に入るところからずっと僕とリチャードは一緒でしたよ」
その宣告に呆然とする俺の手を、見えないリチャードが強く強く、握り締めた。
情けない自分が、嫌だった。
こんな風に守られて、動けずにいる自分が嫌だった。
それでも窓ガラス越しに見下ろした人混みの中に自分がいるところを想像しただけで身体は震えて、携帯の着信音にすら怯える有り様だ。
もう大丈夫だと言いたいのに、その強がりすら出てこない。
……情けない姿も、みっともなく泣く姿も、もう何度も見せているのに。どうしても俺は見られなくないんだ。おまえにはこんな俺を見られなくない。
リチャード、おまえにだけは。……そんなこと、言えもしないのに。
□ □ □
『本日は夕方に伺います。何か必要なものがあれば連絡を下さい』
朝起きてすぐに届いたリチャードからのメールに、いつも通りな簡単な返信をした。大丈夫だ、気を付けて。……それだけ。リチャードが心配してくれていると分かっていても、それ以外に思い浮かぶ言葉が今はなかった。
軽く朝食を済ませてから部屋の片隅に積まれた課題図書を読んでいれば、いつの間にか窓の外は茜色に染まっていた。ずっと同じ体勢でいたからか、身体のあちこちが固くなっている気がする。立ち上がって軽く伸びをしたところで、部屋のチャイムがなってから数秒でドアが開かれた。
この部屋の鍵を持っているのは俺とリチャード、そしてジェフリーだ。俺が眠っていて応答できないことがあってから、一度チャイムを鳴らした後合鍵で入ってくるのが俺たちの間での取り決めになっている。
だから今もリチャードが来たと思っていたのだが、部屋に入って来たのはジェフリーただ一人だった。
「ハーイ、中田くん。空港でリッキーと一緒になったんで、僕も来ちゃいました。まあ到着時間が合うように最初から調整してたんですけど」
「またそんなことして……リチャードが怒りませんでしたか、それ」
前よりは関係が良くなっているとはいえ、リチャードがこの従兄に向ける態度はまだ少し厳しめだ。ワーカホリックなところを心配しているのだと分かっていても、頻繁にジェフリーを「喋る財布」と例えるあたり、素直じゃないなぁと思ってしまう。
「怒られましたよ? というか現在進行形でしょ、見て分かる通り。なんなの、君たち喧嘩でもしたの?」
「……? やっぱり喧嘩したんですか、ジェフリーさん。だからここに一人で来たんですか?」
「…………は?」
「リチャードはフロントで何か手続きしてるとかですか? だからジェフリーさんが先に一人で」
「えっと、あの、中田くん? ちょっと確認したいんですけどいいですか? 会話が噛み合わないというか、何かいろいろとおかしいみたいです。……一応確認しておくけど、君、今猛烈に怒ってるとかそういうんじゃないよね?」
「怒る? いえ何も。ジェフリーさんこそどうしたんですか。……もしかしてリチャードに何か」
「………………あー、えーとね中田くん。リチャードには何も起きてません。心配いらないよ。むしろ何かが起きてるのは君のほうです。自覚がまったくないみたいだけど、どの程度なのかなぁ……ねぇリッキー、試しに中田くんの手に触れてみてくれない?」
リチャードはここにいないのに何を言ってるんですか、と出そうになった俺の口は、手を握られる感触に完全に閉じてしまった。ぎょっとして見たそこには俺の手しかないのに明らかに握られているのをしっかりと感じる。
俺よりも少しだけ冷たくて大きな、だけどずっと滑らかな肌触り──それが誰のものかなんて見えなくても分かっていた。
「…………リチャード……?」
「見えてますか? 中田くん。声は? リッキーの声は聞こえる?」
「いえ、何も見えませんし、何も聞こえませんけど……今リチャードが俺の手を握ってるのは、分かります」
「……なるほど、物理的な接触だけは認識できるんですね。いいですか、中田くん」
ジェフリーはいつもの笑顔を消していた。
俺の手を握るリチャードの手が震えているような気がして、思わずもう片方の手を重ねてしまう。
……何も見えていないのに、あの美しい手の形と温度は伝わってきた。
「君ね、今リチャードが……リチャードのことだけが見えてないし、声も聞こえてないんです。鍵を開けて部屋に入るところからずっと僕とリチャードは一緒でしたよ」
その宣告に呆然とする俺の手を、見えないリチャードが強く強く、握り締めた。
