それに言葉をつけるならば
公開 2023/09/24 17:39
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「おはようリチャード、今日も晴れたぞ」

 カーテンを開ける前にそう声を掛けると、ベッドからはむう、ともぐう、ともつかない声が返ってきた。反応があるだけかなりマシだと思いながら一気に厚い幕を開くと、今度こそ呻き声が聞こえる。
 まるでゲームに出てくるモンスターみたいだな、と笑ってしまった俺に、じとりとした視線が突き刺さった。

「……人の苦しむ様をみて笑うなど、あんまりではありませんか」

 つんと薄桃色の唇を尖らせて、リチャードは寝起きらしく普段より低めの声で話したが、目がまだ半分寝ているので全然怖くない。

「そういう意味で笑ったんじゃないぞ? おまえの反応が可愛いからつい。おまえだってもう俺の起こし方には慣れただろ?」
「……それとこれとは別なのです」

 更に機嫌を損ねてしまったのか、枕に顔を埋めて沈黙してしまったリチャードはやっぱり可愛いのだけれど、それを言えば余計に反応が頑なになるのは分かっているので、俺はただ黙ってベッドの端に座りシーツの上からポンポンと背中を叩く。

「もうおまえ起きちゃったけど、いつもみたく『今日の朝ごはん』を歌ってもいいかな。それとも新曲にしようか」
「…………」
「何曲か考えているんだけど、オペラを歌うのはいつものことだし、やっぱりオリジナルがいいよな。おまえの前でしか歌わないから」
「…………」
「そうだなぁ、タイトルは『今日も起きれてえらい』、『ジロサブがごしゅじんを待っている』あとは……うーん、『朝がおまえを呼んでいる』とか……いやこれだとなんかB級ホラー映画のタイトルっぽいから変えたほうがいいかもしれない。どうせならいっそそっち路線で進めるか? 『恐怖! カーテンの奥の朝日』とかどうだ」
「ぶ、ふふっ」

 枕に顔を押し当てたまま、堪らず噴き出してしまったリチャードに俺もつられて笑っていた。

「おっ、良い反応だな! それにするか?」
「おやめなさい。……まあ、その歌がどんな歌詞なのかは大変興味がありますが、いつものあなたの歌を所望します」
「朝ごはんの歌か? もう起きてるのに?」
「私を起こすためのものだとはもちろん理解しておりますが、起きたあとに歌ってはならない理由はありませんよね?」
「それもそうだ。じゃあリクエストにお応えして」

 おほん、と一度喉の調子を整えて、いつもより音量をだいぶ抑えて即興の歌を綴る。

 今日のオムレツは会心の出来、ふわふわの黄色い舟の中身は開けてからのお楽しみ。豆のサラダにはさっぱりレモンのドレッシングを。トーストには自家製のジャム、もぎたてのフルーツに、デザートにはいつものプリンが冷えている……。

 テーブルの上に並べてきた朝食メニューを思い出しながら最後まで歌いきると、いつの間にかしっかりと目を覚ましていたリチャードに小さく拍手を贈られたので、軽くお辞儀をして応えた。

「さて、あとはパンを焼いてお茶を淹れるだけだよ。ミルクティー、今日はどっちにする?」
「では、温かいものを」
「ん、了解。……リチャード、今日も」

 世界一きれいだな、と言おうとした口が不自然に止まった。
 身体を起こしたことで俺と目線の高さが同じになったリチャードが不思議そうに俺を見ているのに、俺自身が戸惑いを隠せなかった。

「正義?」
「……あー、うん? なんだろう、こう……違う、気がしたのかな」
「……もう美しいとは思えないと?」
「は? いやいや違う。そうじゃない。きれいだよ。おまえはずっときれいだ。毎日美しさに磨きがかかってると感じるし、滑らかな肌に触れて存在を確かめたくなることがあるくらい、本当にきれいだ」
「…………左様ですか」
「左様です。だけど……なんかさ、たまにそれだけじゃ足りないって思うことがあるんだよな。単に俺の問題なんだけど」
「足りないと。……これ以上、何を言うつもりですか」
「ん? 足りないっていうか、もう少し違う言い方がある気がしてるというか 『きれい』って三文字だけじゃ言い表せない、ような」
「別の言葉が当てはまる気がしているということですか」
「うん、そんな感じ。だけどそれがなんなのか分からなくて」

 しばらくじっと見つめ合ってから、リチャードが軽く微笑みながら口を開いた。

「では、私を見て頭に浮かんだ感情をそのまま言葉にしてみなさい。それがあなたが一番伝えたいものでしょうから。それが何であれ」
「……なるほど」

 目を閉じ、頭の中を出来るだけ空っぽにしてからまたリチャードを見つめる。俺の目を奪う、金と白と青。厳しくて可愛くて優しい人。今日も同じ世界に生きていることが嬉しい。
 リチャード。世界で一番大切で、きれいな、俺の――

「好きだ」

 きょとん、と目を丸くしたリチャードの様子に、数拍遅れで自分が口にした言葉を反芻してから、思わず両手で顔を覆いながらベッドに倒れて叫んでいた。

「違う!! いや違わないけど……そうじゃなくて、わぁーっ!!」
「では私のことは好きではないと」
「好きに決まってるだろ!!」

 慌てて身体を起こせば、そこにはふわりと笑うリチャードがいて、一気に顔が熱くなる。恥ずかしい。本当に本当に恥ずかしい。

「とっとにかく! パン焼いておくから早く降りて来いよ! お茶が冷めても知らないからな!」
「ええ、すぐに参りますとも」

 手で顔を仰ぎながらリチャードの部屋を後にする直前。
 何やら聞き覚えのある、柔らかいものを思いっきり殴るような音がリチャードのほうから聞こえた気がしたけれど、振り返って確認する余裕など、今の俺にはなかった。


  □ □ □


「……まったく、忌々しい」

 殴りすぎてくったりとしてしまった枕を整えながら、先程の正義の言葉を噛み締めるように思い出す。

『好きだ』

 言った本人は完全に無意識だったのだろう。畏れも、余裕も、打算や照れすらなく、真っ直ぐに私だけを見つめて口にしたその言葉に、私がどれだけ胸を締め付けられたか、逃げられる前に胸ぐらを掴んで教えてやれば良かった。
 ……だけどきっと、その時の私は正義のような純粋さを見せられないだろう。この胸の裡に渦巻くのはあまりにも強すぎて淀みつつある情欲だ。

「怖がらせてしまっては、またふりだしに戻ってしまいますからね。……ですが」

 休日用のラフな服に着替えながら、笑みが浮かぶのは仕方ないことだろう。

『肌に触れて存在を確かめたくなる』

「今日は一日オフですし、私の可愛い仔犬に存分に確かめさせてあげましょう」

 階下からは、パンの焼ける良い香りが漂ってくる。今日がとても楽しい一日になりそうな予感に浮かれながら、足早に洗面所へと向かった。
活きの良い腐った鮭です。
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