霧江みのるは知っている。
公開 2023/09/24 18:07
最終更新
2023/09/24 18:13
※裏側の話>https://simblo.net/u/p5iQS4/post/16444
サンタクロースはいないのだと、霧江みのるは知っている。
少なくとも自分にはいないと、知っている。
お父さんがいた頃はどうだったのか、みのるはあまり覚えていない。少し食事が豪華だったかもしれないけれど、それがクリスマスだからだとは考えたりはしなかった。
華やかな街の景色も、教会の讃美歌も、綺麗に飾り付けられたツリーも、全部みのるには縁遠いものばかりだった。だからサンタクロースの話を初めて聞いた時、ただ単純に。
自分にサンタクロースはいないのだなと、そうぼんやりと考えるばかりだった。
□ □ □
ふわふわのマフラーに埋めていた顔を少しだけ出して、はぁぁ、と大きく息を吐いた。
白く立ち昇り消えていく息の雲に、今日は特に寒いかなぁとだけ考えて、すぐにまたマフラーに顔の下半分を埋める。
ふわふわですべすべで、軽くて薄くて、まるで雲に顔を埋めているような、だけど驚くくらいに温かさをキープしてくれるこのマフラーは、冬の初め頃に正義とリチャードがくれたものだ。
「俺たちも同じものを買ったんだ。色違いなんてみのるくんは恥ずかしくて嫌かもしれないけど、使ってくれると嬉しい。温かいのは保証するよ」
「みのるさまの制服にも合うようにと、こちらのマスタードイエローを二人で選びましたが、もし別の色がよろしければ言ってください」
照れ臭そうに笑いながら、みのるにマフラーを差し出してくれた正義とリチャードが持っているのも、確かに同じマフラーだった。リチャードが深い緑、正義が淡い青。
どちらも二人にぴったりな色だと思った。
「ぼく、この色がいいです。この色が好きです。正義さんとリチャードさんがぼくのために選んでくれた、これが。……ありがとうございます」
「いや、こっちもいきなり押し付けてごめんね。引越しの前に荷物を詰めてたとき、あんまり冬の小物がなさそうだったから、お節介焼いた」
山手のマンションに移る際に、みのるの荷物の少なさに正義が何かを堪えるような顔をしていたことを、みのるは知っている。
まだリチャードが『幽霊』だった頃、ぽつりとそのことを話したときに、何故だかリチャードも同じような顔をして「あなたがたは、本当によく似ている」と言葉を溢したけれど、何のことかは結局教えてもらえなかった。
そうして、三人が色違いのお揃いのマフラーを着けるようになって一ヶ月。正義とリチャードはこの時期は元々忙しい仕事がさらに忙しくなり、毎日慌ただしく銀座と横浜を行き来しては、家に帰ってからも電話とPCで持ち帰りの仕事をしている。それくらい忙しいらしかった。
十二月も半ばを過ぎれば学校は冬休みに入っていたので、みのるは年内の間だけでも料理当番を代わりたいと正義に申し出た。当然一悶着あったものの、今では朝食はみのるが任されている。
他の家事も出来る限りこなして、二人の負担を減らしたかった。いつもたくさんのものを自分に与えてくれる大切な二人のためにみのるも何かを返せたらいいなと、それだけを考えていた。
そして今日のクリスマス・イブも、朝早くから二人は家を出て行ったけれど、夕食の時間だけは絶対に守るから楽しみに待っていてね、と正義は半ば叫ぶようにしながら飛び出していった。
今日は特別な日だ。クリスマス・イブだからというだけじゃない。
みのると正義の大切な人であり、恩人でもあるリチャードの生まれた日だからだ。
「で、どうすんのみのる」
「うーん……」
「今日買わないとさすがにヤバいよな」
「そうなんだけど……」
良太は紙コップに入ったコーラをずごごと音を立てながら飲んでいた。その向かいで、みのるはウンウンとハンバーガーセットが乗ったトレーの横に置いたメモ帳を見ては唸り続ける。
正義たちと一緒に暮らし始めた翌月から、毎月決まった日に、みのるはお小遣いをもらうようになった。
学校で使う文具や、お腹が空いたときに食べるおやつなんかを買えるようにと、少なすぎるでも多すぎるでもない金額を渡されている。
それとは別で、忙しくてお弁当が作れなかった日があれば、お金を渡されている。残ったお金はみのるのお小遣いに足していいからね、とも。
家にお金がない時期が長かったこともあって、みのるは物を大切に扱う方だし、シャープペンの芯などの消耗品くらいしか買うことがない。
そのせいもあって、みのるのお小遣いを入れたケースの中身は貯まっていくばかりだった。
だから、リチャードのプレゼントを買うために使おうと決めたのだが、いざ品を選ぼうとするとそれが如何に難しいことかを思い知らさせる。
リチャードは宝石商だ。
詳しく仕事の話を聞いたことはないけれども、宝石というのはやはり高価なもので、それを買う人というのもまた、裕福な人ばかりなのだろう。あの屋敷──神立邸のかつての主のように。
そしてそういう人を相手にする職業というのは相応の格好をしている。正義とリチャードが着るスーツは街中で見るサラリーマンが着ているものより明らかに高そうだし、何よりも形が美しい。三人お揃いのマフラーも、調べてはいないけれどきっとすごく高価なものなんだろう。
だから、だからこそ、みのるでも買えるようなものを贈るのは、躊躇われてしまうのだ。
「リチャードさん、みのるが何贈っても喜びそうだけどなぁ」
「そりゃあ喜んでくれるだろうけど、でも、そういうのじゃなくて……うーん」
ここ数日、みのるはリチャードたちが身支度を整えるのを近くで見ながら、どんなものを使っているかリサーチはしていたのだ。
メモ帳に書いたプレゼント候補を三回見直してから、みのるはよし、と声を出した。
「……やっぱりネクタイにしようかな。たくさん持ってるだろうけど、リチャードさんはスーツもたくさん持ってるから、大丈夫な気がする」
「だな。細かいのはお店の人に任せればいいよ。それよりさっさと食って買いに行こうぜ。今日は中田さん早く帰って来るんだろ」
「そうだ、早く買い物して帰らなきゃ」
もう冷めてしまったハンバーガーとポテトを、急いで飲み込んでから、二人は席を立った。
□ □ □
宣言通り、夕飯に間に合うようにと帰ってきた正義はジャケットだけを脱ぎ捨て、猛烈な勢いで料理に取り掛かった。みのるも下拵えや洗い物を手伝いながら、合間に食器やカトラリーを準備し正義が手際よく作り終えた料理をせっせと運ぶ。
メインの鶏肉が香ばしい匂いと共に焼き上がるタイミングでようやく帰って来たリチャードが、テーブルの上に並べられたご馳走に目をぱちぱちさせてから微笑んだ。
「今年はいつも以上に豪華ですね」
「みのるくんと過ごす初めてのクリスマスだし、おまえの誕生日でもあるからな。着替えてきたらすぐ食べられるようにしておくよ」
「ありがとうございます。みのるさま、もう少々お待ち頂けますか」
「はい、ぼくは大丈夫です」
自室に入っていくリチャードを見送りながら、スープを温め係を正義と交代する。ずっと料理に取り掛かっていて自分もまだ着替えてないのだとようやく思い出したらしい正義も、苦笑しながら自分の部屋へと戻っていった。
……二人が部屋に入ると同時に、鍋の火を少し弱めてみのるも急いで自分の部屋へ戻る。ドアを閉める音が聞こえないように半開きのまま、机の上に置いてた紙袋を掴んでダイニングテーブルの下へと滑らせ、部屋のドアを静かに閉めた。
三人で食事をするときの席はもう決まっているので、二人からはみのるの椅子の下にある紙袋は見えない……はずだ。もし見つかったらその時に渡してしまおうと決める。
みのるがそわそわしながら鍋の番に戻った頃に二人はほぼ同じタイミングで部屋から出てきたがやはり紙袋に気付いた様子はなかった。
みのるはジュース、大人の二人はシャンパンで乾杯をした。こうして三人揃って夕食を取るのは久し振りだった。ここ一週間正義かリチャードのどちらかは帰りが遅くて、みのるは毎日心配していたのだ。
だけど、どんなに忙しい毎日でもみのるを夜に一人にしないように二人が配慮してくれていたのだと、気付いてもいたのだ。
自分に対してどこまでも優しすぎる正義たちがみのるは大好きで、嬉しくて泣きそうになる。
さすがにケーキを作る時間はなかったと正義が冷蔵庫から取り出したのは、何度か三人で食事に行ったことのあるパーラーのケーキだった。その横には豪華なプリンアラモードもある。こちらは作ったらしい。それだけでもすごいと思うのだが正義はそのことには気付いていないようだった。
「よし、じゃあを歌うぞ! みのるくんも歌う?」
「えっ、歌?」
「ハッピーバースデーの歌だよ。よければ一緒に歌おう。大丈夫、ここ防音しっかりしてるから」
「はぁ、それはまあ、知ってます」
最近は聞く機会が減っていたが、正義がいつも歌う「あさごはんのうた」はかなりの音量だ。
「じゃあいこう、せーの!」
正義が子供のみのるより子供らしく楽しそうにバースデーソングを歌うので、みのるも負けじと大きな声で歌った。
こんな風に、大声で歌いながら誰かの誕生日を祝ったことはなかった。だんだんと楽しくなって盛り上がったせいか、一曲歌い終わったときには身体がかなり温かくなっていた。
「ハッピーバースデー、リチャード!」
「リチャードさん、おめでとうございます」
「ありがとうございます、正義、みのるさま」
みのるたちに拍手をしたリチャードは、どこが素晴らしかったかを丁寧に教えてくれた。二人の声の伸びが似ていた、みのるさまの高音は美しく響いておりました、正義は歌声にも深みが増してエトセトラ、エトセトラ。
みのるは恥ずかしさに顔が赤くなるのを感じていたが、正義はさすがに言われ慣れているのか、うんうんと満面の笑みで頷いているだけだ。
「ああああ、あのっ! ぼく、リチャードさんにプレゼントを渡したいんです!!」
本当はもっと落ち着いた状態で渡そうと考えていたものの、あまりの居たたまれなさにみのるはあわあわしながら、足元に置いてあった紙袋から丁寧に包装された細長い箱を取り出し、ぽかんとしているリチャードに差し出した。
「……みのるさまが、私に、プレゼントを?」
「は、はいっ。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます。みのるさま、今ここで開けてもよろしいですか?」
「ど、どうぞ……」
「あ、もしかしてみのるくん、お小遣いを貯めていたの?」
「貯めてたというか、貯まっていたというか……。使わないのに毎月貰っててすみません」
「そんなこと気にしなくていいよ。みのるくんのお金なんだからみのるくんの好きに使ってよ」
正義とみのるが話している間に、リチャードは包装を解き終えて箱を開けていた。
濃紺のスクエアドット柄が全面に施されているネクタイを取り出し、リチャードはその手触りを感じるようにそっと撫でていた。
「とても素晴らしい品です。みのるさまが選んで下さったのですか?」
「お店の人とか良太にも相談はしたんですけど、最後に選んだのは、ぼくです。リチャードさんはネクタイたくさん持ってると思うんですけど……」
「こちらのデザインは持っておりません。正義、いかがですか。とても素敵でしょう?」
「うん、おまえにすごくよく似合ってる。この間新しく作ったスーツにも合うんじゃないか」
「そうですね、色の組合せが良さそうです。ではスーツが出来上がり次第、みのるさまにもお見せ致しますね」
「……着けてくれるんですか?」
「何を仰います。折角みのるさまから頂いたのに着けないなど有り得ません。大切に致します」
普段からフルオーダースーツを着こなしているリチャードから見れば、このネクタイなど安物の部類に入るだろうに、みのるが選んで、みのるが贈ったというだけで宝物のように嬉しそうに喜ぶリチャードに、不意に泣きそうになる。
「良かったねみのるくん」
そう正義にも声を掛けられたことで、ますます涙腺が決壊しそうになったが、まだやらなくてはならないことがあるのだとみのるはぐいっと目を擦って、もう一度紙袋に手を突っ込んで、中から平べったい包みを取り出し、包装のリボンを確認してから、見守っている二人の前へずいっと差し出した。
「あと、あの、これはお二人に」
「……えっ、俺にも!?」
「これは、その、クリスマスプレゼント、です」
「うわぁ、うわぁ、うわぁ」
「落ち着きなさい正義……少々お待ち頂けますかみのるさま。プレゼント交換をいたしましょう」
「へっ? ……プレゼント……交換?」
「そうだよな! 待っててね、俺もみのるくんとリチャードにクリスマスプレゼントがあるから、みんなで交換しよう!」
またバタバタと自室に戻っていく正義たちに、残されたみのるは展開の早さに着いていけずただぽかんと立ち尽くして、さっきまで目元にあったはずの涙の気配がすっかりなくなっていたことに気が付いて、思わず大きな声で笑っていた。
□ □ □
「楽しかったなぁ……」
大騒ぎのプレゼント交換だった。正義が感激に泣き出したと思ったら突然オペラを歌い始めて、みのるとリチャードはお茶とケーキを妙に優雅な空気の中で食べることになったし、冷静に見えていたリチャードもテンションがかなり高くなっていたのか、眠る前に強いハグをしてくれた。
今もまだリチャードの香りが残っているような錯覚を覚える。
サンタクロースはいない。霧江みのるは知っている。だけど、今日だけは違った。
正義とリチャードは、みのるのところに一度もサンタクロースが来なかったことを知っているのだろう。
だから今日初めて出会えたサンタクロースが、あの二人だったことが、みのるは何より嬉しくて幸せだと思いながら、眠りについたのだった。
霧江みのるは知っている。
サンタクロースがいないことを、知っている。
一夜の特別な出来事でしか出会えないのだと、知っている。
だけど、霧江みのるは知らない。
翌朝目覚めた時、綺麗に片付けたはずの部屋の床を埋め尽くすように、大小様々なプレゼントの数々があることも、それに驚いて実に素っ頓狂な悲鳴を上げてしまうことも、部屋から飛び出して何事が起きたのかと正義とリチャードに聞いても何も知らないと返されることも。
「ああ、それはきっとサンタクロースだよ。昨日夜にベランダの鍵を一ヶ所開けておいたからね。改めて、メリークリスマス! みのるくん」
「メリークリスマス、みのるさま。みのるさまは大変良い子なので、今までの分もサンタが置いて行ったのでしょう」
そう言って笑う二人に返す言葉も見付からず、部屋に戻ってプレゼントの中身を一つずつ確認し始めた自分が最初に手にしたクリスマスカードがお母さんからのもので、大泣きしてしまうことも。
霧江みのるは、まだ知らない。
サンタクロースはいないのだと、霧江みのるは知っている。
少なくとも自分にはいないと、知っている。
お父さんがいた頃はどうだったのか、みのるはあまり覚えていない。少し食事が豪華だったかもしれないけれど、それがクリスマスだからだとは考えたりはしなかった。
華やかな街の景色も、教会の讃美歌も、綺麗に飾り付けられたツリーも、全部みのるには縁遠いものばかりだった。だからサンタクロースの話を初めて聞いた時、ただ単純に。
自分にサンタクロースはいないのだなと、そうぼんやりと考えるばかりだった。
□ □ □
ふわふわのマフラーに埋めていた顔を少しだけ出して、はぁぁ、と大きく息を吐いた。
白く立ち昇り消えていく息の雲に、今日は特に寒いかなぁとだけ考えて、すぐにまたマフラーに顔の下半分を埋める。
ふわふわですべすべで、軽くて薄くて、まるで雲に顔を埋めているような、だけど驚くくらいに温かさをキープしてくれるこのマフラーは、冬の初め頃に正義とリチャードがくれたものだ。
「俺たちも同じものを買ったんだ。色違いなんてみのるくんは恥ずかしくて嫌かもしれないけど、使ってくれると嬉しい。温かいのは保証するよ」
「みのるさまの制服にも合うようにと、こちらのマスタードイエローを二人で選びましたが、もし別の色がよろしければ言ってください」
照れ臭そうに笑いながら、みのるにマフラーを差し出してくれた正義とリチャードが持っているのも、確かに同じマフラーだった。リチャードが深い緑、正義が淡い青。
どちらも二人にぴったりな色だと思った。
「ぼく、この色がいいです。この色が好きです。正義さんとリチャードさんがぼくのために選んでくれた、これが。……ありがとうございます」
「いや、こっちもいきなり押し付けてごめんね。引越しの前に荷物を詰めてたとき、あんまり冬の小物がなさそうだったから、お節介焼いた」
山手のマンションに移る際に、みのるの荷物の少なさに正義が何かを堪えるような顔をしていたことを、みのるは知っている。
まだリチャードが『幽霊』だった頃、ぽつりとそのことを話したときに、何故だかリチャードも同じような顔をして「あなたがたは、本当によく似ている」と言葉を溢したけれど、何のことかは結局教えてもらえなかった。
そうして、三人が色違いのお揃いのマフラーを着けるようになって一ヶ月。正義とリチャードはこの時期は元々忙しい仕事がさらに忙しくなり、毎日慌ただしく銀座と横浜を行き来しては、家に帰ってからも電話とPCで持ち帰りの仕事をしている。それくらい忙しいらしかった。
十二月も半ばを過ぎれば学校は冬休みに入っていたので、みのるは年内の間だけでも料理当番を代わりたいと正義に申し出た。当然一悶着あったものの、今では朝食はみのるが任されている。
他の家事も出来る限りこなして、二人の負担を減らしたかった。いつもたくさんのものを自分に与えてくれる大切な二人のためにみのるも何かを返せたらいいなと、それだけを考えていた。
そして今日のクリスマス・イブも、朝早くから二人は家を出て行ったけれど、夕食の時間だけは絶対に守るから楽しみに待っていてね、と正義は半ば叫ぶようにしながら飛び出していった。
今日は特別な日だ。クリスマス・イブだからというだけじゃない。
みのると正義の大切な人であり、恩人でもあるリチャードの生まれた日だからだ。
「で、どうすんのみのる」
「うーん……」
「今日買わないとさすがにヤバいよな」
「そうなんだけど……」
良太は紙コップに入ったコーラをずごごと音を立てながら飲んでいた。その向かいで、みのるはウンウンとハンバーガーセットが乗ったトレーの横に置いたメモ帳を見ては唸り続ける。
正義たちと一緒に暮らし始めた翌月から、毎月決まった日に、みのるはお小遣いをもらうようになった。
学校で使う文具や、お腹が空いたときに食べるおやつなんかを買えるようにと、少なすぎるでも多すぎるでもない金額を渡されている。
それとは別で、忙しくてお弁当が作れなかった日があれば、お金を渡されている。残ったお金はみのるのお小遣いに足していいからね、とも。
家にお金がない時期が長かったこともあって、みのるは物を大切に扱う方だし、シャープペンの芯などの消耗品くらいしか買うことがない。
そのせいもあって、みのるのお小遣いを入れたケースの中身は貯まっていくばかりだった。
だから、リチャードのプレゼントを買うために使おうと決めたのだが、いざ品を選ぼうとするとそれが如何に難しいことかを思い知らさせる。
リチャードは宝石商だ。
詳しく仕事の話を聞いたことはないけれども、宝石というのはやはり高価なもので、それを買う人というのもまた、裕福な人ばかりなのだろう。あの屋敷──神立邸のかつての主のように。
そしてそういう人を相手にする職業というのは相応の格好をしている。正義とリチャードが着るスーツは街中で見るサラリーマンが着ているものより明らかに高そうだし、何よりも形が美しい。三人お揃いのマフラーも、調べてはいないけれどきっとすごく高価なものなんだろう。
だから、だからこそ、みのるでも買えるようなものを贈るのは、躊躇われてしまうのだ。
「リチャードさん、みのるが何贈っても喜びそうだけどなぁ」
「そりゃあ喜んでくれるだろうけど、でも、そういうのじゃなくて……うーん」
ここ数日、みのるはリチャードたちが身支度を整えるのを近くで見ながら、どんなものを使っているかリサーチはしていたのだ。
メモ帳に書いたプレゼント候補を三回見直してから、みのるはよし、と声を出した。
「……やっぱりネクタイにしようかな。たくさん持ってるだろうけど、リチャードさんはスーツもたくさん持ってるから、大丈夫な気がする」
「だな。細かいのはお店の人に任せればいいよ。それよりさっさと食って買いに行こうぜ。今日は中田さん早く帰って来るんだろ」
「そうだ、早く買い物して帰らなきゃ」
もう冷めてしまったハンバーガーとポテトを、急いで飲み込んでから、二人は席を立った。
□ □ □
宣言通り、夕飯に間に合うようにと帰ってきた正義はジャケットだけを脱ぎ捨て、猛烈な勢いで料理に取り掛かった。みのるも下拵えや洗い物を手伝いながら、合間に食器やカトラリーを準備し正義が手際よく作り終えた料理をせっせと運ぶ。
メインの鶏肉が香ばしい匂いと共に焼き上がるタイミングでようやく帰って来たリチャードが、テーブルの上に並べられたご馳走に目をぱちぱちさせてから微笑んだ。
「今年はいつも以上に豪華ですね」
「みのるくんと過ごす初めてのクリスマスだし、おまえの誕生日でもあるからな。着替えてきたらすぐ食べられるようにしておくよ」
「ありがとうございます。みのるさま、もう少々お待ち頂けますか」
「はい、ぼくは大丈夫です」
自室に入っていくリチャードを見送りながら、スープを温め係を正義と交代する。ずっと料理に取り掛かっていて自分もまだ着替えてないのだとようやく思い出したらしい正義も、苦笑しながら自分の部屋へと戻っていった。
……二人が部屋に入ると同時に、鍋の火を少し弱めてみのるも急いで自分の部屋へ戻る。ドアを閉める音が聞こえないように半開きのまま、机の上に置いてた紙袋を掴んでダイニングテーブルの下へと滑らせ、部屋のドアを静かに閉めた。
三人で食事をするときの席はもう決まっているので、二人からはみのるの椅子の下にある紙袋は見えない……はずだ。もし見つかったらその時に渡してしまおうと決める。
みのるがそわそわしながら鍋の番に戻った頃に二人はほぼ同じタイミングで部屋から出てきたがやはり紙袋に気付いた様子はなかった。
みのるはジュース、大人の二人はシャンパンで乾杯をした。こうして三人揃って夕食を取るのは久し振りだった。ここ一週間正義かリチャードのどちらかは帰りが遅くて、みのるは毎日心配していたのだ。
だけど、どんなに忙しい毎日でもみのるを夜に一人にしないように二人が配慮してくれていたのだと、気付いてもいたのだ。
自分に対してどこまでも優しすぎる正義たちがみのるは大好きで、嬉しくて泣きそうになる。
さすがにケーキを作る時間はなかったと正義が冷蔵庫から取り出したのは、何度か三人で食事に行ったことのあるパーラーのケーキだった。その横には豪華なプリンアラモードもある。こちらは作ったらしい。それだけでもすごいと思うのだが正義はそのことには気付いていないようだった。
「よし、じゃあを歌うぞ! みのるくんも歌う?」
「えっ、歌?」
「ハッピーバースデーの歌だよ。よければ一緒に歌おう。大丈夫、ここ防音しっかりしてるから」
「はぁ、それはまあ、知ってます」
最近は聞く機会が減っていたが、正義がいつも歌う「あさごはんのうた」はかなりの音量だ。
「じゃあいこう、せーの!」
正義が子供のみのるより子供らしく楽しそうにバースデーソングを歌うので、みのるも負けじと大きな声で歌った。
こんな風に、大声で歌いながら誰かの誕生日を祝ったことはなかった。だんだんと楽しくなって盛り上がったせいか、一曲歌い終わったときには身体がかなり温かくなっていた。
「ハッピーバースデー、リチャード!」
「リチャードさん、おめでとうございます」
「ありがとうございます、正義、みのるさま」
みのるたちに拍手をしたリチャードは、どこが素晴らしかったかを丁寧に教えてくれた。二人の声の伸びが似ていた、みのるさまの高音は美しく響いておりました、正義は歌声にも深みが増してエトセトラ、エトセトラ。
みのるは恥ずかしさに顔が赤くなるのを感じていたが、正義はさすがに言われ慣れているのか、うんうんと満面の笑みで頷いているだけだ。
「ああああ、あのっ! ぼく、リチャードさんにプレゼントを渡したいんです!!」
本当はもっと落ち着いた状態で渡そうと考えていたものの、あまりの居たたまれなさにみのるはあわあわしながら、足元に置いてあった紙袋から丁寧に包装された細長い箱を取り出し、ぽかんとしているリチャードに差し出した。
「……みのるさまが、私に、プレゼントを?」
「は、はいっ。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます。みのるさま、今ここで開けてもよろしいですか?」
「ど、どうぞ……」
「あ、もしかしてみのるくん、お小遣いを貯めていたの?」
「貯めてたというか、貯まっていたというか……。使わないのに毎月貰っててすみません」
「そんなこと気にしなくていいよ。みのるくんのお金なんだからみのるくんの好きに使ってよ」
正義とみのるが話している間に、リチャードは包装を解き終えて箱を開けていた。
濃紺のスクエアドット柄が全面に施されているネクタイを取り出し、リチャードはその手触りを感じるようにそっと撫でていた。
「とても素晴らしい品です。みのるさまが選んで下さったのですか?」
「お店の人とか良太にも相談はしたんですけど、最後に選んだのは、ぼくです。リチャードさんはネクタイたくさん持ってると思うんですけど……」
「こちらのデザインは持っておりません。正義、いかがですか。とても素敵でしょう?」
「うん、おまえにすごくよく似合ってる。この間新しく作ったスーツにも合うんじゃないか」
「そうですね、色の組合せが良さそうです。ではスーツが出来上がり次第、みのるさまにもお見せ致しますね」
「……着けてくれるんですか?」
「何を仰います。折角みのるさまから頂いたのに着けないなど有り得ません。大切に致します」
普段からフルオーダースーツを着こなしているリチャードから見れば、このネクタイなど安物の部類に入るだろうに、みのるが選んで、みのるが贈ったというだけで宝物のように嬉しそうに喜ぶリチャードに、不意に泣きそうになる。
「良かったねみのるくん」
そう正義にも声を掛けられたことで、ますます涙腺が決壊しそうになったが、まだやらなくてはならないことがあるのだとみのるはぐいっと目を擦って、もう一度紙袋に手を突っ込んで、中から平べったい包みを取り出し、包装のリボンを確認してから、見守っている二人の前へずいっと差し出した。
「あと、あの、これはお二人に」
「……えっ、俺にも!?」
「これは、その、クリスマスプレゼント、です」
「うわぁ、うわぁ、うわぁ」
「落ち着きなさい正義……少々お待ち頂けますかみのるさま。プレゼント交換をいたしましょう」
「へっ? ……プレゼント……交換?」
「そうだよな! 待っててね、俺もみのるくんとリチャードにクリスマスプレゼントがあるから、みんなで交換しよう!」
またバタバタと自室に戻っていく正義たちに、残されたみのるは展開の早さに着いていけずただぽかんと立ち尽くして、さっきまで目元にあったはずの涙の気配がすっかりなくなっていたことに気が付いて、思わず大きな声で笑っていた。
□ □ □
「楽しかったなぁ……」
大騒ぎのプレゼント交換だった。正義が感激に泣き出したと思ったら突然オペラを歌い始めて、みのるとリチャードはお茶とケーキを妙に優雅な空気の中で食べることになったし、冷静に見えていたリチャードもテンションがかなり高くなっていたのか、眠る前に強いハグをしてくれた。
今もまだリチャードの香りが残っているような錯覚を覚える。
サンタクロースはいない。霧江みのるは知っている。だけど、今日だけは違った。
正義とリチャードは、みのるのところに一度もサンタクロースが来なかったことを知っているのだろう。
だから今日初めて出会えたサンタクロースが、あの二人だったことが、みのるは何より嬉しくて幸せだと思いながら、眠りについたのだった。
霧江みのるは知っている。
サンタクロースがいないことを、知っている。
一夜の特別な出来事でしか出会えないのだと、知っている。
だけど、霧江みのるは知らない。
翌朝目覚めた時、綺麗に片付けたはずの部屋の床を埋め尽くすように、大小様々なプレゼントの数々があることも、それに驚いて実に素っ頓狂な悲鳴を上げてしまうことも、部屋から飛び出して何事が起きたのかと正義とリチャードに聞いても何も知らないと返されることも。
「ああ、それはきっとサンタクロースだよ。昨日夜にベランダの鍵を一ヶ所開けておいたからね。改めて、メリークリスマス! みのるくん」
「メリークリスマス、みのるさま。みのるさまは大変良い子なので、今までの分もサンタが置いて行ったのでしょう」
そう言って笑う二人に返す言葉も見付からず、部屋に戻ってプレゼントの中身を一つずつ確認し始めた自分が最初に手にしたクリスマスカードがお母さんからのもので、大泣きしてしまうことも。
霧江みのるは、まだ知らない。
